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	<title>中南米 | dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</title>
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	<description>ドットワールドは、一般財団法人国際開発センター（IDCJ）が運営する国際ニュースの情報サイトです。基本姿勢は、「現地から見た世界を知る」です。開発途上国をはじめ、世界のさまざまな国で起きている事象やニュースについて、現地に精通した識者が背景を掘り下げ、社会的な文脈と併せて分かりやすく解説します。</description>
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	<title>中南米 | dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</title>
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		<title>【コロンビア和平から10年　混乱する農村から⑤】「第二次戦争」と闘うアワ民族</title>
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		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Sep 2025 07:37:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コロンビア]]></category>
		<category><![CDATA[柴田大輔]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　2016年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)と政府の和平合意が実現し、約60年にわたる武力紛争が終結した南米コロンビア。しかし、社会格差の是正や農地改革はその後も進まず、元ゲリラ兵士の再武装や麻薬組織の乱立 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">　2016年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)と政府の和平合意が実現し、約60年にわたる武力紛争が終結した南米コロンビア。しかし、社会格差の是正や農地改革はその後も進まず、元ゲリラ兵士の再武装や麻薬組織の乱立を招いています。大きな期待を背負って2022年に誕生した同国初の左派政権も十分な成果を上げられておらず、今年６月には右派政党の有力大統領候補が襲撃され亡くなるなど、社会の溝は深まる一方です。<br>
　2006年より住民から見た紛争や和平プロセスを取材しているフォトジャーナリストの柴田大輔さんが今年５月から６月、ナリーニョ県とカウカ県の山岳地帯を訪ねました。和平合意から10年を迎えようとする同国の紛争地域で生きる人々の今と、彼らを取り巻く現実に迫る５回連載の最終回です。</div>

<div id="attachment_18343" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-1.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18343" class="wp-image-18343" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-1.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-1.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-1-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18343" class="wp-caption-text">サン・ルイス地区に暮らす先住民族アワの女性リーダー、クリスティーナ・チンガルさん （2025年６月、筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>アワ民族の女性リーダー、クリスティーナ・チンガルさん</strong></span></p>
<p>　「私たちの故郷は、いつも戦争と、それに伴う強制移住によって傷つけられてきました。地域を良くしようとするたびに、その歩みを戦争が妨げてきたのです」<br>
　アワ民族の女性リーダー、クリスティーナ・チンガルさん（33）は言う。</p>
<p>　コロンビア南西部。熱帯の木々が生い茂る山岳地帯に、クリスティーナさんらが暮らすアワ民族の自治地域マグイがある。そこは20年以上にわたり、政府軍、武装組織同士の戦闘が繰り返されてきた。外部から隔絶された土地に暮らす1500人余りの住民は、常に命の危険と隣り合わせに生きてきた。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>サン・ルイス地区　避難と生活再建</strong></span></p>
<p>　マグイから山を降りた先に、アルタケルという町がある。数十軒の商店や診療所が並び、山に住む人々が収穫物を売り買いしたり、他の町へ行くための交通機関にアクセスしたりする生活の拠点だ。マグイから徒歩で５、６時間かかるが、最近は道が開けたため、バイクを２時間ほど走らせれば着けるようになった。その町の外れに、マグイから避難してきた人々が暮らす50軒ほどの家が集まる「サン・ルイス地区」がある。クリスティーナさんも、夫と二人の子どもと共にここで暮らしている。両親や兄弟姉妹の家も、近くにある。</p>

<div id="attachment_18344" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-2.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18344" class="wp-image-18344" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-2.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-2.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-2-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-2-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18344" class="wp-caption-text">朝、バイクで仕事に向かうサン・ルイス地区の住民（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　サン・ルイスは今から約30年前、共同体の共有地として、未利用の農地をマグイが買い取った場所だ。もともとは、小学校しかなかった山から子どもを町の中学校へ通わせるための生活拠点にしたり、住民が町へ出る際の一時滞在に利用したりするため、住民同士で分け合った区画に簡素な板張りの小屋を建てていた。</p>
<p>　2000年以降、状況は変化する。マグイがゲリラの拠点となり、政府軍の空爆や地上戦にさらされた。2005年から８年にかけて、大規模の軍事作戦が繰り返され、住民の９割が家を捨てて山を下りた際に、避難場所になったのだ。</p>
<p>　「最低限の荷物を抱えてサン・ルイスに逃げ込みました。すぐに帰れると思っていたのに、戦争は終わる気配を見せませんでした」</p>

<div id="attachment_18345" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-3.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18345" class="wp-image-18345" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-3.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-3.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-3-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-3-1024x678.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-3-768x508.jpg 768w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18345" class="wp-caption-text">地域に展開する陸軍装甲車の前を、農作業に向かうアワの人々が通り過ぎる（2013年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　避難生活は長期化し、仕事のない町での暮らしは人々を追い詰めた。職を求めて国内各地の都市や国外へ散らばる人もいたが、縁のない新天地で基盤を築くのは容易ではなかった。思うように仕事にありつけず、文化や習慣の違いから差別を受け、故郷を離れたことで人のつながりを失い孤独に陥る人が少なくなかった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>女性たちが目指す暮らし</strong></span></p>
<p>　こうした過去の記憶があるなかで起きたのが、2023年５月から11月にかけて起きた武力衝突だった。複雑な地形と国境までの近さを活動利点とする、反政府組織ELNと旧FARC系武装組織「セグンダ・マルケタリア」が、マグイをめぐって激しく衝突したのだ。ELNにより 埋設された地雷により、複数の住民が犠牲となった。銃撃戦も繰り返され、一帯から1500世帯、4000人以上が山を離れ避難した。ただ、過去と異なったのは、無闇に遠方へと避難しなかったことだと、クリスティーナさんが振り返る。</p>
<p>　「サン・ルイスを拠点にすれば、すぐにマグイへ戻ることもできるし、マグイの自治組織のつながりを保ちながら生きることができる。私たち自身で身を守るために、過去の経験からそう学んだのです」</p>
<p>　彼女らが目指したのは、どんな状況に直面しても「共同体としてのまとまりを維持し続けること」だった。サン・ルイスにはマグイの集会施設もあり、緊急時には住民が集まり、支援団体との交流の場所としても機能する。ここで仲間と共に生きることで、文化的アイデンティティを守ることができると考えたのだ。</p>
<p>　だが、暮らしは厳しかった。戦争で多くの男性が命を落とし、子どもを抱えた母親たちが多数いる。農村出身の彼女たちが町で得られる仕事は、商店の手伝いや家事労働といった一時的な低賃金労働がやっとだった。ましてや、現状はそれすらも得にくい。そんな彼女らを支えたのが、違法栽培される「コカ」だった。</p>
<p>　「私たちが暮らすナリーニョ県は、コロンビアで最もコカ栽培が盛んな地域です。家計が危機的な状況のなかで、日雇いのコカ畑での収穫作業が最も確実な収入源になりました」</p>

<div id="attachment_18346" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18346" class="wp-image-18346" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-5.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-5.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-5-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-5-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-5-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18346" class="wp-caption-text">コカの収穫に向かう女性たち（2016年２月筆者撮影）</p></div>

<p>　しかし、そこには大きな危険が潜む。コカを資金源とする武装組織が、地域に複数存在するためだ。組織間の板挟みにあい、思わぬトラブルに巻き込まれて命を落とすことがある。さらに近年、コカの価格が暴落したため、命を危険にさらしてまで従事する価値はなくなりつつある。だからこそ、彼女は言う。</p>
<p>　「山に戻れば、トウモロコシやユカイモ（キャッサバ）、主食のバナナを育てることができる。自分の農地で、自分たちが食べるものを確保できるのです。サン・ルイスにいれば、町で仕事をしながら山へ戻ることもできるし、人とのつながりも維持できる。ここにも私たちの自治組織があるのですから」</p>
<p>　そんな彼女は、危機が訪れても暮らしを安定させようと、女性たちが集まり助け合える団体の立ち上げを目指す。「ムヘレス・エンプレンデドラス・アワ（起業するアワ女性たち）」という名称で、地場産業であるサトウキビ栽培を基盤に、砂糖菓子や黒糖ブロック、糖蜜、アルコール飲料など、地域資源を活かした生産に取り組む試みだ。さらに、織物による伝統工芸品の販売や輸出の方法を模索していくという。</p>

<div id="attachment_18347" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18347" class="wp-image-18347" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-4.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-4.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-4-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-4-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-4-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18347" class="wp-caption-text">サン・ルイス地区に暮らす女性たちと交流するクリスティーナさん（右）（2017年３月、筆者撮影）</p></div>

<p>　「まだまだスタートラインにも立てていませんし、これからやらなければいけないことは多いですが、外部NGOの協力を得て、女性のリーダーシップや権利を学ぶ場を作りました。これは、長く沈黙していた女性たちが、自らの言葉を取り戻すための取り組みでもあるのです」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>自治と文化の再生</strong></span></p>
<p>　和平合意後も終わらない戦争の中で、住民の中に芽生えているのが「先住民族」としての権利意識だ。コロンビア憲法には、先住民族の権利を定めた国際法を反映した条文がある。先住民族に一定の自治権が認められているのだ。</p>
<p>　「武装組織の狙いは、私たちの自治地域で誰にも干渉されずに自由に活動をすること。そのために住民を支配しようとする。しかし、この土地は私たちのものです。もし、私たちが彼らの命令に従えば、再び彼らは好き勝手に我々を支配するでしょう。私たちは二度と、彼らに主権を渡しません。だからこそ、私たちは法を学び、暮らしを守る責任があるのです」</p>

<div id="attachment_18348" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-7.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18348" class="wp-image-18348" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-7.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-7.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-7-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-7-1024x678.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-7-768x508.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18348" class="wp-caption-text">反政府ゲリラが活動するマグイで、政府軍の空爆を避けるために白旗を掲げる住民（2013年６月、筆者撮影）</p></div>

<p>　2023年に二つの非合法武装組織がマグイをめぐって激しく衝突した際、マグイの自治組織は停戦協議の過程で、周辺のアワ民族とともに、両者との話し合いの場を設けることに成功した。会場となったのは、マグイの学校だ。敷地には300人以上の住民が集まり、「住民の命を尊重すること」「若者を徴用しないこと」「自治に干渉しないこと」「行動を制限しないこと」という要求をゲリラに突きつけた。<br>
　「朝から夕方まで話し合い、彼らは私たちの要求を受け入れました。私たちが求めるのは『命』と『土地』、その二つだけなのです」</p>
<p>　それは、長い戦争を経て住民が獲得した先住民族としての権利意識の表れだった。同年５月には、住民が地雷の犠牲になった。葬儀には、国内各地の先住民族組織や人権団体などの協力者を含めて、地域の内外から数百人が集まり、死者を追悼する「沈黙の行進」を行った。その際に発表した告発文の最後に、「私たちは憲法、法律89号（1890年）、法律21号（1991年）、ILO条約169号、憲法裁判所の判例に基づき、アワ民族の生命と領土を守る立場から、この声明を公表します」と、行動の法的根拠を示したうえで、国際社会に窮状を訴えた。</p>

<div id="attachment_18349" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-8.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18349" class="wp-image-18349" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-8.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-8.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-8-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-8-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-8-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18349" class="wp-caption-text">マグイの人々によって組織された先住民族警備隊。先住民族の自治を象徴する杖を掲げる（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　また、その葬儀の先頭に立っていたのは、「先住民族警備隊」だった。国内各地の先住民族自治組織と協働し、先住民族自らが自身の領土と文化を守るために組織された、非武装の自衛組織だ。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「私たちの文化に根差した未来を作る」</strong></span></p>
<p>　クリスティーナさんが今後、重視するのは「文化の再生」だという。手工芸などの伝統文化や言語を次世代に受け継ぐため、マグイに地域の歴史や文化を継承する共同空間として、「歴史的記憶の家」の建設を目指している。</p>
<p>　「若者が先祖のルーツを忘れず、文化を継承し続けることが大切です。織物やカゴ作りを学び、それを販売や輸出につなげていきたい。サトウキビとともに、各家庭が収入を得られる仕組みを作り出したいのです」</p>

<div id="attachment_18350" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18350" class="wp-image-18350" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-6.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-6.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-6-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-6-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-6-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18350" class="wp-caption-text">専門家を招き、先住民族や避難者、女性としての権利を伝えるワークショップを開催した（2014年２月、筆者撮影）</p></div>

<p>　「もはやコカ栽培で生きることはできません。私たちは、戦争を招いたコカから決別しなければなりません。コカを作り始めたことで、一時的に手にするお金と引き換えに、トウモロコシなど自給作物を手放すようになった人も少なくありませんが、これは私たちの暮らしではありません。私たちの文化に根差した仕事を自分たちで作り出し、生きるための資源を確保する。それが未来へ進む道なのです」</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">戦争が終わらなくても、ここで暮らし続ける</span></strong></p>
<p>　コロンビア史上初の左派政権は、戦争のない世の中を求める人々の意思が、誕生の後押しとなった。政府が一番に掲げるのが、国内の「完全平和」だ。乱立する違法武装組織との間に個別に和平を結ぼうと取り組んでいるが、十分な成果には結びついていない。2024年時点で武力衝突により発生した避難民は全国で17万人以上となり、12万人以上の移動が制限される事態となっている。</p>
<p>　混迷する状況の中で、コロンビアは2026年に大統領選挙を迎える。アワ民族のホセ・チンガルさんは、展望をこう話す。</p>
<p>　「今の大統領につながる人が当選するかもしれないし、そうではない人になるかもしれない。ただ、新しい大統領が『ゲリラを皆殺しにしろ』と言うとすれば、再び軍が私たちの前に現れ、被害はさらに拡大するでしょう。そこで犠牲になるのは、ゲリラが活動する土地に暮らす、私たちです」<br>
　「ゲリラに入る若者は今もいます。私たちと同じ先住民族であり、同じ農村出身の若者たちがその道を選択するのはなぜなのでしょう？それは、戦争の原因である貧困や差別が何一つ解決されていないからにほかなりません」</p>

<div id="attachment_18351" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-9.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18351" class="wp-image-18351" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-9.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-9.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-9-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-9-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/5-9-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18351" class="wp-caption-text">サトウキビの搾り汁を煮詰めて黒糖や砂糖菓子を作る。 サトウキビ生産に女性たちが活路を見出そうとしている（2016年２月、筆者撮影）</p></div>

<p>　そして、ホセさんはこう続けた。</p>
<p>　「戦争はこれからも続きます。一部で終わったとしても、その根は残り続けるのですから。だからこそ重要なのは、私たち自身が団結し、この地で生きるために結束を強めることなのです。私たちが幸せに暮らせる場所は、ここ以外にないのですから」</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-18376" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg" alt="" width="400" height="297" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg 1135w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-300x223.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-1024x761.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-768x571.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_5/">【コロンビア和平から10年　混乱する農村から⑤】「第二次戦争」と闘うアワ民族</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<title>【コロンビア和平から10年　混乱する農村から④】先住民族が作る有機コーヒー</title>
		<link>https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_4/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Sep 2025 04:22:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コロンビア]]></category>
		<category><![CDATA[柴田大輔]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　　2016年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)と政府の和平合意が実現し、約60年にわたる武力紛争が終結した南米コロンビア。しかし、社会格差の是正や農地改革はその後も進まず、元ゲリラ兵士の再武装や麻薬組織の乱 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">　　2016年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)と政府の和平合意が実現し、約60年にわたる武力紛争が終結した南米コロンビア。しかし、社会格差の是正や農地改革はその後も進まず、元ゲリラ兵士の再武装や麻薬組織の乱立を招いています。大きな期待を背負って2022年に誕生した同国初の左派政権も十分な成果を上げられておらず、今年６月には右派政党の有力大統領候補が襲撃され亡くなるなど、社会の溝は深まる一方です。<br>
　2006年より住民から見た紛争や和平プロセスを取材しているフォトジャーナリストの柴田大輔さんが今年５月から６月、ナリーニョ県とカウカ県の山岳地帯を訪ねました。和平合意から10年を迎えようとする同国の紛争地域で生きる人々の今と、彼らを取り巻く現実に迫る５回連載の４回目です。</div>

<div id="attachment_18335" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-7.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18335" class="wp-image-18335" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-7.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-7.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-7-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-7-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-7-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18335" class="wp-caption-text">「フォンド・パエス」の生産者たち（2016年３月、筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>自立のための農業</strong></span></p>
<p>　真っ青な空に浮かぶ白い雲が、ゆっくりと山並みを越えていく。爽やかな風が揺らす木々の葉音に混ざり、低く、くぐもった飛行音が響いた。見上げると、谷間の村の上空を小型機が飛んでいく。「コロンビア陸軍の対ゲリラ作戦の一環だ」と、村の人は言う。</p>
<p>　ここは南西部カウカ県。アンデス中央山脈の標高1700メートルに位置するバジェス・オンドス村だ。スペイン語で「深い谷」を意味する名前の通り、山間を流れる川から競り上がる谷の斜面に、ナサ民族の家々が点在している。一帯は、コロンビア有数のコーヒー産地として知られている。</p>
<p>　「私たちに必要なことは、精神的にも、経済的にも『自立』することです」<br>
　そう語るのは、有機コーヒー農家の協同組合「フォンド・パエス」で2015年まで代表を務めたカルロス・パスーさん（56）だ。祖父母の代から続くコーヒー畑を受け継ぎ、急斜面に広がる10ヘクタールの土地を妻、長男とともに耕す。</p>

<div id="attachment_18336" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18336" class="wp-image-18336" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-1.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-1.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-1-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-1-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18336" class="wp-caption-text">「環境、土壌、人間を調和させることが私たちの農業」だと言うカルロス・パスーさん（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　畑には、コーヒーの木とともに、オレンジやレモン、バナナ、そしてアメリカ原産のマメ科の植物で10メートルほどの木に実をつけるチャチャフルート など、多様な果樹が一緒に栽培されている。木々が作る日陰がコーヒーを強い日差しから守り、適度な湿気を土壌にもたらす、「混合栽培 」と呼ばれる農法だ。畑で使う堆肥は、農薬を使わず繁殖させた土壌の中の多様な菌類に、落ち葉、コーヒーの殻、家畜の糞尿など、山が生み出す有機物を混ぜ込み、時間をかけて作り出される。国内外の有機農家との交流を通じて学んだ、自慢の堆肥だ。単一栽培を避けることで病害虫の被害も抑えられ、果実や野菜は副収入や食料になる。山全体を生かすこの方法は、効率一辺倒のプランテーションとは対極にある。</p>
<p>　カルロスさんは、足元の土を鷲掴みにすくいあげると、「環境、土壌、そしてここで生きる人間。どれか一つでも汚染されれば、私たちは生きていけない。この３つを調和させることが、私たちの農業です」と話した。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>搾取と暴力の歴史</strong></span></p>
<p>　カルロスさんらが暮らすカウカ県北部では、現在、旧FARC系武装組織をはじめとする複数の麻薬組織が、麻薬密輸や違法鉱山採掘などの利権を巡り激しく対立している。この地には先住民族による自治地域が多数存在し、武装組織から地域の自立を主張しているが、2016年の和平合意以降も住民指導者の暗殺が後を絶たない。</p>
<p>　背景にあるのが、植民地期から続く大土地所有制に象徴される土地の支配構造だ。先住民族の人々は大農場で小作農として隷属的な暮らしを強要されてきた。一部の地域では1980年代後半までそうした状況が続き、今日も耕作農地が５ヘクタール以下の小規模農家が所有する土地の合計は、県内の７％程度にとどまっており、平地など条件のよい土地には、大規模なサトウキビやコーヒーの農園、牧畜場が広がっている。</p>

<div id="attachment_18337" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18337" class="wp-image-18337" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-4.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-4.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-4-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-4-1024x679.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-4-768x509.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18337" class="wp-caption-text">2013年、カウカ県に暮らす数万人の先住民族が、終わらない戦争や、差別的な社会構造に抗議するデモを行った（2013年９月、筆者撮影）</p></div>

<p>　ナサ民族らカウカ県北部の先住民族は、土地を取り戻すために20世紀初頭から立ち上がり、農場を占拠して返還を求めるようになった。そうした抵抗のなかで、多くの指導者が命を落とした。カルロスの叔父も、地主が雇った殺し屋に殺害されたという。「子どものころの出来事だったため、理由はわからなかった。ただ、私たちが自分たちの土地を持つことができず、生きるために地主に地代を払わなければならなかったのは確かでした」。</p>
<p>　ある70代の女性は、当時の暮らしをこう振り返る。「農場での暮らしは酷いものでした。週に６日は地主のために無償で働かざるを得ず、自分たちが食べるためのトウモロコシを栽培できたのは、日曜日だけでした」</p>

<div id="attachment_18338" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18338" class="wp-image-18338" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-6.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-6.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-6-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-6-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-6-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18338" class="wp-caption-text">「フォンド・パエス」では、専門家を招いてさまざまな講義や実習を行っている（2016年３月、筆者撮影）</p></div>

<p>　1970年代以降、土地をめぐる闘争の成果が見られるようになる。一部の農場で地代の不支払いを地主に認めさせ、土地を再取得する地域が現れた。先住民族の活動を後押ししようと支援に駆けつけた国内外の団体の存在も大きかった。1992年に協同組合フォンド・パエスが誕生するのに大きく寄与したのが、コロンビア国内のNGO「コロンビア・ヌエストラ財団」と、フランスの農業支援団体「フランス農民国際開発協会（AFDI）」だ。両者は70年代から先住民族運動を資金的に支援すると同時に、若者への教育を目的とした農業支援を実施。一連の活動が、伝統的な農業のあり方の再評価につながり、フォンド・パエスの誕生につながった。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">伝統と未来をつなぐ</span></strong></p>
<p>　現在、フォンド・パエスにはナサ民族を中心に290家族、550人あまりの先住民族が参加している。活動の柱にあるのは、「先祖の知恵の再生」だ。伝統作物の種子の保存、土壌の保護を通じて、文化的、経済的な自立を目指す。2000年代にコーヒーの栽培技術を改良し、2005年にフェアトレード認証を取得してフランスや米国に輸出されるようになると、山間の暮らしに一定の安定収入がもたらされるようになった。</p>

<div id="attachment_18339" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18339" class="wp-image-18339" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-5.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-5.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-5-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-5-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-5-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18339" class="wp-caption-text">カルロスさんが作る自慢の堆肥（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　それでも、コーヒーの収穫が年に一度なのに対し、周辺地域で栽培されるコカなどの違法作物は３カ月ごとに収入があるため、若者を誘惑する力は強い。<br>
　「だからこそ、教育が大切なのです」と話すカルロスさんは、フォンド・パエスの代表として国内外の有機農家と交流し、技術者を招いて研修を開くなど、学んだ知識を積極的に地域に還元してきた。<br>
　「収入につながる農業を教えれば、子どもたちが盗みに走ったり、武装集団に引き込まれたりしなくて済む。外部からくる支援者らとの交流は、若者にとっても大きな経験になるし、そこで得た知識は自信につながる。私たちはこの谷に違法作物を持ち込まないと決めています」</p>

<div id="attachment_18340" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18340" class="wp-image-18340" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-2.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-2.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-2-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-2-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-2-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18340" class="wp-caption-text">「深い谷」を意味する、バジェス・オンドス村（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　カルロスさんがこう力を込めるのには、理由がある。2000年代初め、村で子どもたちがマリファナや薬物に手を出す問題が深刻化したのだ。住民は話し合いを重ね、栽培や販売を禁じることを決めた。<br>
　「教育こそが、子どもを守る方法なのです。土地に根ざした農業を学び、食料を確保できれば、飢えることはありません。食料をより多く自給することで、自立の道を確立できます。幸い、ここではさまざまな果物や野菜を育てることができます。コーヒーだけでなく、野菜やバナナ、キャッサバを育てることが、私たちの生きる術です。だから『混食栽培』なのです」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>土と共に生きる</strong></span></p>
<p>　フォンド・パエスはフェアトレードの国際組織にも加盟しており、2004年からは米国の専門業者「カフェ・カンペシーノ」とも取引を続けている。2024年の取引価格は１ポンドあたり3.7米ドルと、国際相場を上回っているが、収量はピーク時の３分の２程度まで減っている。４年前には、ラテンアメリカ全域でまん延する「さび病」にも見舞われた。さらに、気候変動による季節外れの降雨や熱波などの影響も深刻で、立ち枯れする木が増えた。多くの家族は、コーヒー販売の減収を補うために、トウモロコシ、ジャガイモ、豆類、牛乳・チーズ、サトウキビから作るパネラ（黒糖）など、他の作物や製品の販売を模索しながら、コーヒーの生産量を回復するために畑の改良に努めている。</p>

<div id="attachment_18341" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18341" class="wp-image-18341" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-3.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-3.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-3-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-3-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/4-3-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18341" class="wp-caption-text">コーヒーと共に多様な樹木が生い茂るカルロスさんの農地（2025年５月筆者撮影）</p></div>

<p>　収穫期を間近に控え、緑色の未熟な果実がたわわに実をつけたコーヒーの木々を見つめながら、カルロスさんはこう言った。<br>
　「私たちは、常に生き残るための問題に直面しています。戦争から逃れるために土地を離れる若者も少なくありませんが、課題は戦争だけではありません」「私たちにはまだ、やらなければならないことがたくさんあります。幸い、前の世代が私たちに良い土地を残してくれました。父と母、祖父母に感謝しています。私たちはそれを守らなければなりません。この土と共に生きていけば、きっと未来は変えられるはずです」</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-18376" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg" alt="" width="400" height="297" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg 1135w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-300x223.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-1024x761.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-768x571.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a></p>
<p>（<a href="https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_5/">第５話</a>に続く）</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_4/">【コロンビア和平から10年　混乱する農村から④】先住民族が作る有機コーヒー</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<title>【コロンビア和平から10年　混乱する農村から③】失った家族を探す</title>
		<link>https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_3/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Sep 2025 04:54:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コロンビア]]></category>
		<category><![CDATA[柴田大輔]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=18314</guid>

					<description><![CDATA[<p>　2016年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)と政府の和平合意が実現し、約60年にわたる武力紛争が終結した南米コロンビア。しかし、社会格差の是正や農地改革はその後も進まず、元ゲリラ兵士の再武装や麻薬組織の乱立 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">　2016年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)と政府の和平合意が実現し、約60年にわたる武力紛争が終結した南米コロンビア。しかし、社会格差の是正や農地改革はその後も進まず、元ゲリラ兵士の再武装や麻薬組織の乱立を招いています。大きな期待を背負って2022年に誕生した同国初の左派政権も十分な成果を上げられておらず、今年６月には右派政党の有力大統領候補が襲撃され亡くなるなど、社会の溝は深まる一方です。<br>
　2006年より住民から見た紛争や和平プロセスを取材しているフォトジャーナリストの柴田大輔さんが今年５月から６月、ナリーニョ県とカウカ県の山岳地帯を訪ねました。和平合意から10年を迎えようとする同国の紛争地域で生きる人々の今と、彼らを取り巻く現実に迫る５回連載の３回目です。</div>

<div id="attachment_18329" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18329" class="wp-image-18329" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-5.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-5.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-5-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-5-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-5-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18329" class="wp-caption-text">ウィリアムさんの自宅には、亡くなった兄の写真が飾られている（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>兄夫婦がゲリラに連れ去れられた</strong></span></p>
<p>　噴き出る汗を拭いながら、ウィリアム・グアンガさん（37）はこの日も一人、スコップで山を掘り返していた。７年前に失踪した兄夫婦を探すために――。</p>
<p>　ウィリアムさんらが暮らすのは、コロンビア南西部ナリーニョ県。密生する熱帯の木々が、つづらおりに連なる山の斜面を覆う。一帯は先住民族アワの自治地域で、標高約1000メートルの山岳地帯に数軒から数10軒の家が集まる集落が点在し、自給自足的な暮らしを送ってきた。暮らしが一変したのは2000年代。反政府ゲリラFARCが活動拠点を置いたことで、地域が紛争の最前線になった。</p>

<div id="attachment_18330" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-3-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18330" class="wp-image-18330" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-3-scaled.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-3-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-3-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-3-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-3-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-3-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-3-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18330" class="wp-caption-text">山に展開する政府軍兵士。2016年の和平合意以前、地域には常にゲリラや政府軍が行き来していた（2014年２月、筆者撮影）</p></div>

<p>　兄のアルテミオさんと、義姉のソニアさん夫妻が姿を消したのは2008年９月22日。豊かに実ったトウモロコシの収穫日だった。早朝からアルテミオさんらは両親と畑へ向かった。午後、作業を終えた４人が摘み取った大量のトウモロコシを運び出そうとしていると、銃を持つ3人のゲリラ兵が現れ、アルテミオさんに声をかけた。「仲間がこの下の民家にいる。話があるから一緒に来てくれないか」</p>
<p>　両親を残し、兄夫婦はゲリラ兵と畑を離れた。やがて両親は、トウモロコシを馬の背に積み帰宅したが、先に出た息子たちの姿はなかった。自宅で両親を迎えたウィリアムさんは嫌な予感に駆られた。しかし、アルテミオさんらは二度と戻ることはなかった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>恐怖と沈黙の日々</strong></span></p>
<p>　数日後、ウィリアムさんが兄夫婦の捜索に乗り出した。ゲリラと近しい住民を通じて幹部にも問い合わせたが、応答はなかった。日が経つにつれ、焦りと不安が募った。</p>
<p>　そんななかで耳にしたのは、「ゲリラがウィリアムさん一家も殺害しようとしている」という噂だった。ほどなくして、義姉ソニアさんの行方を追っていた彼女の父親が殺害された。ウィリアムさん一家は恐怖に包まれた。夜、自宅の周囲に懐中電灯の光を見ただけで激しい緊張に襲われる。眠ることもできなくなった。自宅に身を潜める暮らしが続いた。</p>

<div id="attachment_18331" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-6-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18331" class="wp-image-18331" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-6-scaled.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-6-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-6-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-6-1024x678.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-6-768x509.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-6-1536x1017.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-6-2048x1356.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18331" class="wp-caption-text">2012年にウィリアムさんの自宅近くにあったゲリラキャンプ地に対して政府軍の大規模空爆が行われ、ゲリラ兵士十数人が犠牲になった（2013年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　当時、政府軍はFARCが拠点を置く山へ空爆を繰り返し、兵士を山に送り込んでいた。FARCは地雷をまいたり、銃撃をくわえたりして応戦するだけでなく、軍への情報漏洩を恐れて住民の行動を厳しく制限した。空爆、地雷、銃撃音が、連日山に響き、犠牲者が相次いだ。さらに「密告」を疑われた住民が次々と殺害された。小さな村で、幼い頃から見知った人々が次々に姿を消していったのだ。<br>
　「私たちはそれ以上、兄を探す勇気はありませんでした。失踪の理由を探すとすれば、軍の兵士が一度だけ自宅を訪れ、ソニアが応対したことくらいです。生きているかもしれないと希望を抱きながら、恐怖から山を離れたいと思いました。でも、私たちに行く場所はありませんでした。ゲリラがいつか捕まえにくるだろうと思いました。神様に祈ることしかできなかった。ただ幸運なことに、私たちは襲われずにすみました」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>和平合意後、兄の捜索を開始</strong></span></p>
<p>　2016年、和平合意が結ばれ、ゲリラも政府軍も山を去った。暮らしのなかから武器が消えたのは10数年ぶりだった。安全を感じ、ウィリアムさんがスコップを手に兄夫婦を探し始めたのは、この時期からだ。失踪してからすでに７年が経っていた。</p>
<p>　限られた情報を頼りに、一人で場所を決めては土を掘り返す。数カ月が過ぎた頃、人の気配のない山奥の地中から赤いサッカーシャツが出てきた。見覚えのあるデザインだった。背中には兄の名がプリントされていた。兄が仲間と作ったチームのユニフォームだった。傍からは兄のバッグも見つかった。<br>
　「兄はこの下にいる」と確信した瞬間、恐怖が込み上げた。「これ以上掘り進めば、またゲリラに脅迫されるのではないか。殺されることもあるのではないか」。そう思ったウィリアムさんは土を掘る手を止め、山を降りた。</p>

<div id="attachment_18332" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18332" class="wp-image-18332" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-4.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-4.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-4-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-4-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-4-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18332" class="wp-caption-text">密林に草木の生えていない場所がある。ウィリアムさんが発見した兄の埋葬地だ（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　ここから兄と再会するまでに、さらに8年を要した。2024年、母親から「政府が失踪者の捜索をしている」と聞いたのだ。和平合意に基づき設立された国家機関「失踪者捜索ユニット（UBPD）」が、この地域でも調査を始めていた。</p>
<p>　コロンビアには、武力紛争による行方不明者が12万人以上いるとされている。UBPDは、2016年12月以前に失踪した人々を捜索し、遺体を収容して身元の特定を行い、遺族に引き渡すことを目的に創設された。その過程を通じて真実を明らかにし、不当に命を奪われた故人と遺族の尊厳の回復につなげたいとする。警察や検察など他の政府機関から法的に独立し、失踪責任者の特定や刑事追及は行わないことで、加害組織からも情報提供を得られる仕組みを持つのも特徴だ。</p>

<div id="attachment_18333" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18333" class="wp-image-18333" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-2.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-2.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-2-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-2-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-2-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18333" class="wp-caption-text">ウィリアムさんの自宅から徒歩で４時間ほどの山中に兄の埋葬地があった（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　ナリーニョ県の行方不明者は7000人以上。アワ民族が暮らす周辺地域では、2000年から2016年の間に少なくとも18人以上が失踪した。アルテミオ・グアンガさんは、この地域で初めて発見された行方不明者となった。しかし、なおも恐怖に縛られ声を上げられない遺族は少なくないという。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>兄との「再会」</strong></span></p>
<p>　2024年12月、ウィリアムさんは、母が知らせてくれたUBPDや、地元の先住民族自治組織とともに再び山へ戻った。支援者らと共に土を掘り進めると、そこには変わり果てた兄の姿があった。すぐそばには、義姉ソニアさんの亡骸も横たわっていた。泣き崩れる母を抱きかかえながら、ウィリアムさんも涙が止まらなかった。<br>
　「兄を見つけることができ、ほっとしました。これでやっと、私たちの家の近くに埋葬できると思いました」とウィリアムさんは言うと、こう続けた。</p>
<p>　「しかし、私たちの暮らしは変わりません。戦争で兄を失い、他にも多くのことを失いました。暮らしを立て直すことはまだできていません。家族を見つけたとしても、それで終わりではないのです。生き直すための支援が必要なのです」</p>

<div id="attachment_18393" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18393" class="wp-image-18393" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-1.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-1.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-1-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/3-1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18393" class="wp-caption-text">妻のマリアさん（左）と二人で暮らすウィリアムさん（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　UBPDの活動は、2037年が期限とされている。2024年までに全国で約2500人の遺体を回収してきた。しかし、「第二次戦争」と呼ばれる新たな武力衝突が、再び地域に影を落としている。</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-18376" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg" alt="" width="400" height="297" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg 1135w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-300x223.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-1024x761.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-768x571.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a></p>
<p>（<a href="https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_4/">第４回</a>に続く）</p>
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		<title>【コロンビア和平から10年　混乱する農村から②】農村における和平合意の挫折</title>
		<link>https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_2/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 18 Sep 2025 03:30:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コロンビア]]></category>
		<category><![CDATA[柴田大輔]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=18312</guid>

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</ol>
</div>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">　2016年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)と政府の和平合意が実現し、約60年にわたる武力紛争が終結した南米コロンビア。しかし、社会格差の是正や農地改革はその後も進まず、元ゲリラ兵士の再武装や麻薬組織の乱立を招いています。大きな期待を背負って2022年に誕生した同国初の左派政権も十分な成果を上げられておらず、今年６月には右派政党の有力大統領候補が襲撃され亡くなるなど、社会の溝は深まる一方です。<br>
　2006年より住民から見た紛争や和平プロセスを取材しているフォトジャーナリストの柴田大輔さんが今年５月から６月、ナリーニョ県とカウカ県の山岳地帯を訪ねました。和平合意から10年を迎えようとする同国の紛争地域で生きる人々の今と、彼らを取り巻く現実に迫る５回連載の２回目です。</div>

<div id="attachment_18320" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18320" class="wp-image-18320" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-4.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-4.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-4-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-4-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-4-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18320" class="wp-caption-text">山間ののどかな風景が、夜になると大麻栽培による光に覆われる（2025年６月、筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「多くの農民が違法作物に戻ってしまった」</strong></span></p>
<p>　柔らかい午後の陽光が、アンデスの山あいを包んでいた。標高1700メートル、視界に広がるなだらかな山の斜面には、コーヒーやバナナの木々、とうもろこしなどの畑がある。しかし、このありふれた山の風景が、夜になると一変する。無数の白い電球に一面の山肌が覆われるのだ。光の下にあるのは、違法栽培される大麻草だ。人工の光が成長を促すのだという。<br>
　「多くの農民が、違法作物に戻ってしまったのです」。そう語るのは、先住民族ナサのホルへさん=仮名＝（34）。彼が暮らすエスペランサ村は、カウカ県北部の山岳地帯にある。村の中心部には30軒ほどの民家や商店が集まり、周囲の斜面には農業を営む人々が暮らす。この小さな村で、大麻やコカインの原料としてのコカ葉の取引を支配しているのは、旧FARC系武装組織に属する３つの家族だという。コーヒー栽培など農業を営むホルへさんは言う。「先住民族社会は違法経済に反対してきましたが、コカや大麻の栽培を暮らしの糧にする住民との対立が深まり、小さな村は二つに割れてきました」</p>

<div id="attachment_18321" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18321" class="wp-image-18321" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-5.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-5.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-5-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-5-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-5-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18321" class="wp-caption-text">収穫したコカの葉は、自宅に設けた精製所でペースト状に加工することで、 より高い価格で販売することができる（2016年２月、筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>失われたリーダーたち</strong></span></p>
<p>　2009年、この村で先住民族自治組織の若いリーダーが殺害された。自治組織が違法作物との決別を模索するなかで、ゲリラ側と対立し、銃を向けられたのだった。それ以降も、地域の主権を主張する自治組織は、度重なる脅迫と攻撃を受けてきた。</p>

<div id="attachment_18322" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18322" class="wp-image-18322" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-2.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-2.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-2-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-2-1024x679.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-2-768x509.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18322" class="wp-caption-text">エスペランサ村の中心地に集まる住宅に麻薬取引を取り仕切る人々が暮らしている （2013年８月、筆者撮影）</p></div>

<p>　こうした地域の現実は、コロンビア全体が抱える麻薬問題の縮図でもある。2023年、コロンビアのコカイン生産量は約2600トンを上回り、世界最大のコカイン生産国となった。その原料であるコカ葉の栽培面積は同年、全国で約25万3000ヘクタールとなり過去最高を記録した。カウカ県は国内で最も栽培面積の広い３県の一つに数えられる。社会インフラが未整備の地域では交通網や市場の欠如から、比較的安定した価格や販路が見込めるコカなど違法作物への依存が続いている。貧しい農民にとって現金収入源となってきたエスペランサ村もその一つだ。近年は、コカ葉の価格下落が顕著となり、特にカウカ県で大麻栽培に移行する農民が増えている。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>崩れた「代替政策」</strong></span></p>
<p>　2016年の和平合意で政府が打ち出したのが、違法作物代替プログラム「PNIS」だった。武装組織の資金源となる違法作物を、農家が自主的に根絶する代わりに、現金支給や食料支援、合法作物への転換を助ける仕組みだ。2020年までに10万世帯近くが登録し、約４万ヘクタールのコカ栽培地が削減された。しかし、計画は順調ではなかった。2023年にコカ栽培面積が過去最高を記録したことが示す通り、多くの農家が再び違法作物栽培に戻っている。背景は、プログラムを遂行する政府の「怠慢、政治的意思の欠如、官僚的障害」と、予算をめぐる汚職がある。</p>

<div id="attachment_18323" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18323" class="wp-image-18323" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-1.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-1.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-1-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-1-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18323" class="wp-caption-text">早朝、畑仕事に向かうエスペランサ村の住民（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　当初から財源が十分に確保されていなかった。和平合意時に見積もられた対象世帯数に対して国家予算の割当が小さく、安定的な資金源もなかった。国際社会に支援を求めたものの期待ほど集まらず、現金給付や生産プロジェクトが滞った。汚職も目立った。PNISは農業、治安、地方自治など複数の機関にまたがる複雑な制度設計だったが、調整不全だけでなく、関連する委託業者や地方行政による契約不履行や資材の不備、資金の不正流用、中抜きが横行したことが報告されている。</p>
<p>　和平合意では違法作物から合法作物への代替えと並び、農村開発支援も掲げられた。しかし、この計画も予算不足から停滞している。コロナ禍により経済が停滞したとはいえ、予算不足はそれ以前からの問題だった。</p>

<div id="attachment_18324" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18324" class="wp-image-18324" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-3.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-3.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-3-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-3-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-3-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18324" class="wp-caption-text">ホルヘさんが妻と子どもと過ごす寝室（2025年６月筆者撮影）</p></div>

<p>　一方で、市民への支援計画が滞るなかで行われたのが、治安部隊によるコカの強制除去だった。ほぼ唯一の収入源を補償なしに奪われることに反発する農民と治安部隊が衝突し、2017年10月には抗議する農民７人が治安部隊に殺害され、20人が負傷する事件も起きている。</p>

<div id="attachment_18325" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18325" class="wp-image-18325" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-6.jpg" alt="" width="500" height="334" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-6.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-6-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-6-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-6-768x513.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18325" class="wp-caption-text">違法作物の代替計画が頓挫する中で、政府はコカの強制除去が進めた。 政府に抗議する農民と治安部隊が衝突した（2017年２月、筆者撮影）</p></div>

<p>　道路や市場といった農村での社会インフラ 整備は進まず、合法作物を作っても売る場所がない。ホルヘさんは、「農村に暮らす私たちはやれることはやったが、資金が止まり、販路も開けなかった。生きるために違法作物の栽培に戻るしかない」と話す。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>子どもたちの未来を奪うもの</strong></span></p>
<p>　制度の行き詰まりは、武装組織に再び活動を拡大する余地を与えた。彼らは市場や住民の移動を妨害し、地域リーダーを暗殺することで勢力を拡大している。こうした暴力の悪循環の先には、子どもたちがいる。かつて地元の学校で教員を務めていたホルヘさんは、こう語る。「武装組織が子どもたちを利用し、メンバーを勧誘しているのが学校なのです。貧しい家庭の子どもに小遣いを渡し、住民の監視役を担わせたり、他の子どもの勧誘にあたらせたりしています。やがて銃を手にする子どももいる。一度つながりができてしまうと、組織と離れることは難しい」</p>

<div id="attachment_18326" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-7.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18326" class="wp-image-18326" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-7.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-7.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-7-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-7-1024x679.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/2-7-768x509.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18326" class="wp-caption-text">地域の伝統祭に参加するエスペランサに暮らすナサ民族の人々（2013年８月、筆者撮影）</p></div>

<p>　背景にあるのが、やはり経済的な問題だ。ある青年は、大学に進学するために村を離れたが、学費が払えないことから退学し、村に戻った。「（地域の主要産業である）コーヒー栽培だけでは学費を賄えない。またコカを摘むしかない」とこぼした。また、ある男性は、仕事がないため軍に入ろうとしたが、「ゲリラへの裏切り」と見なされかねず、母に泣いて止められたという。<br>
　「この地域では、『和平合意』は過去のこと。それが実現できると信じている人は、もはや誰もいません。私たち先住民族社会は、子どもたちが戦争に加担しない社会をつくるために、ゲリラや麻薬経済からの自立を模索し続けています。しかし、仕事がなければ、コカや大麻を作るしかない人は少なくないのが現状なのです 」</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-18376" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg" alt="" width="400" height="297" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg 1135w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-300x223.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-1024x761.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-768x571.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a></p>
<p>（<a href="https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_3/">第３回</a>に続く）</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_2/">【コロンビア和平から10年　混乱する農村から②】農村における和平合意の挫折</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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			</item>
		<item>
		<title>【コロンビア和平から10年　混乱する農村から①】「第二次戦争」の村で</title>
		<link>https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_1/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 17 Sep 2025 05:39:17 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コロンビア]]></category>
		<category><![CDATA[柴田大輔]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=18300</guid>

					<description><![CDATA[<p>　2016年、南米コロンビアで、当時国内最大の反政府ゲリラだった「コロンビア革命軍」(FARC)と政府が和平に合意し、50年以上にわたる武力紛争が終結しました。しかし、和平合意の条件となった社会格差是正や農地改革などの社 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;"><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 10pt;">　2016年、南米コロンビアで、当時国内最大の反政府ゲリラだった「コロンビア革命軍」(FARC)と政府が和平に合意し、50年以上にわたる武力紛争が終結しました。しかし、和平合意の条件となった社会格差是正や農地改革などの社会改革はその後も進まず、元ゲリラ兵士の再武装や、他の麻薬組織の乱立を招いています。</span><br>
<span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 10pt;">　2022年に誕生したコロンビア史上初となる左派政権には、社会問題の解決に向けた大きな期待が寄せられたが、政権内部の深刻な対立などから十分な成果が上がっていません。2026年５月に予定されている大統領選を前に、今年６月には右派政党の有力大統領候補が襲撃される（編集部注：その後、８月11日に死亡）など、社会の溝は深まっています。</span><br>
<span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 10pt;">　2006年よりコロンビアに長期滞在を繰り返し、住民の側から見た紛争や和平プロセスを継続的に取材しているフォトジャーナリストの柴田大輔さんが、 今年５月から６月にかけて、紛争が続くナリーニョ県とカウカ県の山岳地帯を訪ねました。和平合意から10年を迎えようとするコロンビアの紛争地域で生き続ける人々の今と、彼らを取り巻く現実に５回にわたり迫る緊急連載がスタートしました。</span></div>

<div id="attachment_18301" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18301" class="wp-image-18301" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-1.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-1.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-1-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18301" class="wp-caption-text">コロンビアでは旧FARC系ゲリラや、乱立する麻薬組織の間で支配地域を巡る熾烈な争いが起きている。写真は、武装解除に臨むFARC兵士（2017年２月、筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>一人で外を歩いてはいけない</strong></span></p>
<p>　2025年５月のある週末、筆者は首都ボゴタから南西へおよそ600キロ、エクアドルとの国境に近いナリーニョ県アルタケルという山岳地帯の町で過ごしていた。標高は1000メートルほど。年間300日以上雨が降る熱帯の多雨地帯で、国道沿いの集落に100軒ほどの家が立ち並ぶ小さな町だ。その日も午後２時を過ぎると空は低い雲に覆われ、激しい雨が降り始めた。雨は明け方まで降り続き、夜明けとともに晴れわたる。日の出と共に再び強い日差しが降り注ぐ、そんな日々が繰り返される。</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-18376" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg" alt="" width="500" height="372" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f.jpg 1135w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-300x223.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-1024x761.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-768x571.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/92f2c2b4d55b09fbd5ced19c82a5a05f-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a></p>
<p>　人々の暮らしが雨とともにあるこの地域では、かつては週末の夜は雨などお構いなしに、路地沿いの家々や町に 数軒あるバー、ディスコ、駄菓子を売る商店などから、大音量のラテン音楽が鳴り響き、夜遅くまで人が路地を行き来するのが当たり前だった。しかし、この日は、トタン屋根を打ち付ける雨音だけが響き、夜道を歩く人の姿はなかった。</p>

<div id="attachment_18302" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18302" class="wp-image-18302" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-2.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-2.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-2-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-2-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-2-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18302" class="wp-caption-text">週末の夜、アルタケルの町では軒並み店が閉まり、路地から人気が消えていた （2022年２月、筆者撮影）</p></div>

<p>　「今は、以前とは違うんだ。一人では絶対に外を歩いてはいけないよ」</p>
<p>　そう筆者に 釘を刺すのは、この地域に暮らす先住民族アワの地域リーダー、ホセ・チンガルさん（70）だ。町には、人の出入りを監視する反政府武装組織のメンバーが暮らし始めているという。私がこの地域に通い始めて10年になるが、こんなことはこれまでなかった。ホセさんの低い声色に、緊張が走った。</p>
<p>　これまでであれば、路地を歩けば腰を下ろしたほろ酔いの顔見知りから声がかかり、親指ほどの小さなコップに土地の焼酎を注がれて一息に飲み干し、少し歩けば、今度はビールの小瓶を差し出され、一本飲み干すまで他愛のない雑談を交わす、そんな陽気で長閑な空気が、この田舎町の魅力だった。一体、何が起きているのか。</p>

<div id="attachment_18303" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18303" class="wp-image-18303" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-3.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-3.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-3-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-3-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-3-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18303" class="wp-caption-text">アワ民族の地域指導者のホセ・チンガルさん（2025年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　町の周囲を険しい山々が囲んでいる。アワの人々が暮らす集落が、この山々に点在している。ホセさんは言う。<br>
　「山には今、セグンダ・マルケタリアというゲリラが居座っている。この町の外には、対立する他の武装組織が展開している。彼らは山に敵が侵入しないよう、監視しているんだ。君のことを彼らは知らない。見知らぬ人は連れ去られる。だから、一人で歩いてはいけない」<br>
　そう告げた後、彼はさらにこう付け加えた。「我々の暮らしは今、第二次戦争の中にある」。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>和平が進み、安心して眠れるようになった</strong></span></p>
<p>　2016年に和平合意が締結されるまで、アワの人々はコロンビアで最も激しい戦争の中に置かれてきた。始まりは2000年ごろ、地域にFARCが活動拠点を置いたことで、敵対する政府軍や民兵組織の攻撃にさらされた。多くの住民が命を落とし、大部分が避難民となった経験を持つ。日常的に鳴り響く銃声や、いつ危害を加えられるかわからない恐怖の中で暮らしてきたため、今もトラウマを抱える人は少なくない。</p>

<div id="attachment_18304" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18304" class="wp-image-18304" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-4.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-4.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-4-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-4-1024x679.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-4-768x509.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18304" class="wp-caption-text">ホセさんが暮らす自治地域マグイで反政府ゲリラFARCによる地雷が爆発し、政府軍兵士に死者が出た。 現場に赴くホセさん（2013年５月、筆者撮影）</p></div>

<p>　筆者が初めてアワの人々と出会ったのは2007年、隣国エクアドルでのことだった。この山一帯に政府軍の空爆が続き、数千人が国内外へと避難していたのだ。2009年には、集落に活動拠点を置くFARCに裏切りを疑われた住民24人が虐殺され、再び数千人が避難民化する事件が起きた。山奥の小さな共同体は、常に恐怖に包まれていた。</p>
<p>　しかし2012年、FARCと政府の和平交渉が始まると、目に見えて治安が改善し始めた。銃声は減り、帰村する人が増えた。「避難用のバッグをいつも枕元に置いていたけれど、もう必要ない」「安心して眠れるようになった」と話す声を、いくつも聞いた。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>若者たちが、再び銃を向け合っている</strong></span></p>
<p>　2016年11月、政府とFARCが最終和平に合意した。全国で約１万3000人のゲリラ構成員が武装解除に応じ、市民社会に復帰するプロジェクトが始まった。「戦争が終わる」と、平和への期待が国内に広がった。しかし政府は、一時は国土の３分の１を実効支配したとされるFARCの支配地域を十分に統治できなかった。空いた権力の空白を狙って麻薬組織や他の武装勢力が次々と入り込み、麻薬産業や違法鉱山などの利権を巡る抗争が激化した。</p>

<div id="attachment_18305" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18305" class="wp-image-18305" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-5.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-5.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-5-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-5-1024x681.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-5-768x511.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18305" class="wp-caption-text">マグイで地雷の犠牲者の葬儀が行われた（2011年12月、筆者撮影）</p></div>

<p>　この地域に再び武装組織が入り込んだのは、2019年ごろだという。別の反政府組織、国民解放軍（ELN）だった。地域には「社会を変えるために我々の活動に協力してほしい。警察につながる者は山を降りろ」という通達が回った。以来、住民の自由な出入りは制限され、夜間には敵の侵入を防ぐために地雷が設置されることもあった。<br>
　大きな武力衝突が起きたのは、2023年のことだった。ELNを駆逐しようと、今、地域に居座るセグンダ・マルケタリアが現れたのだ。半年に及ぶ両者の激しい戦闘に、山間の集落が巻き込まれた。地雷や銃で犠牲になる人が相次いだ。和平合意が結ばれて以来、なかったことだった。一帯から1500世帯、4000人以上が山を離れ、アルタケルの町に避難した。</p>

<div id="attachment_18306" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18306" class="wp-image-18306" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-6.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-6.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-6-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-6-1024x679.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-6-768x509.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18306" class="wp-caption-text">カトリックの宗教儀式が行われた日、陸軍部隊がアルタケルに押し寄せた （2013年12月、筆者撮影）</p></div>

<p>　山にある学校で教鞭を取るある教師は、「この土地では、和平合意など言葉だけ だった。多くの若者がゲリラに入り、政府軍に入る者もいた。再び同じ山で銃を向け合っている。もう終わらせるべきだったのに」と肩を落とした。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>二度とこの土地を離れない</strong></span></p>
<p>　アワの人々は、豊富な雨が生み出す自然の中で、自給自足的な暮らしを営んできた。バナナ、トウモロコシ、ユカイモ（キャッサバ）を育て、鶏や食用ネズミのクイを飼う。雨が降る午後、台所で家族の服を縫っていた女性はこう話した。<br>
　「以前、自宅のすぐ近くで大きな爆弾が破裂した。毎日、銃声が鳴り響いていた。そのたびに身を小さくし、家の中で音が止むのを待った。そんな日々が終わり、やっと平和な時代が来たと思ったのに、また銃声を聞くことになった。時代は戻ってしまった」<br>
　彼女は、原因不明の頭痛に悩まされているという。雨音を聞くと、手の震えが止まらなくなることもあるが、病院は遠く、満足に通うこともできないとこぼした。</p>

<div id="attachment_18307" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-7.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18307" class="wp-image-18307" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-7.jpg" alt="" width="500" height="331" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-7.jpg 1500w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-7-300x199.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-7-1024x679.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/09/1-7-768x509.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18307" class="wp-caption-text">夕方の雑貨店の一角では、仕事を終えて土地の焼酎でくつろぐ人々の姿をよく見かけた （2013年８月、筆者撮影）</p></div>

<p>　ホセさんは住民集会 の中でこう訴えた。</p>
<p>　「誰もあてにできない。この土地は私たちのものだ。山には、私たちが幸せに生きるために必要なすべてのものがある。二度と離れるわけにはいかない」</p>
<p>（<a href="https://dotworld.press/https-dotworld-press-columbia_a_decade_after_peace_2/">第２回</a>に続く）</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/columbia_a_decade_after_peace_1/">【コロンビア和平から10年　混乱する農村から①】「第二次戦争」の村で</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<title>国際医療支援の現場から（第一話）</title>
		<link>https://dotworld.press/from_the_field_of_international_medical_aid_1/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 25 Jul 2025 06:00:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ハイチ]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[高橋未来]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　紛争や貧困、災害などによって医療サービスへのアクセスを阻まれ、危機に直面している人々に手を差し伸べる国際医療支援。日々、人の生死に向き合い、さまざまな理不尽を目の当たりにしている関係者の思いや葛藤を通じて生命と世界の最 [&#8230;]</p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>　カリブ海に浮かぶ島国のハイチでは、2021年にモワイズ大統領が暗殺されてからギャング勢力が急拡大した。それぞれのギャング勢力はシテ・ソレイユなどの主要な市街地を支配下に置こうとして対立を深め、首都ポルトープランスでは2022年７月、市内で大規模な武力衝突が発生した。その後も、ギャング同士の襲撃や銃撃戦など頻繁に衝突が起きており、治安は完全に崩壊。民間人の間で甚大な影響が広がっている。<br>
　そんななか、看護師として現地に入った筆者は、地元の医療者をはじめ、フランス、ケニア、カナダなど各国から参加している国際医療者らと共に数カ月の間、外傷治療にあたった。この文章は、筆者が現地医療活動に携わってきた中で目の当たりにした出来事や、現地の男性医師ミシェルと交わした会話に基づく実話である。ミシェルが主語の形で現地の医療従事者が抱える葛藤や活動のリアルをミシェルに代わり描写することで、読み手の皆さんにお伝えできれば嬉しく思う。</p>

<div id="attachment_17991" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_225544680-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17991" class="wp-image-17991" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_225544680-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_225544680-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_225544680-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_225544680-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_225544680-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_225544680-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_225544680-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17991" class="wp-caption-text">二つの対立ギャングの本拠地であるシテ・ソレイユの貧困地区にある病院で生後９カ月の赤ん坊を診察する医師（ハイチのポルトープランスで、2023年７月27日撮影）(c) ロイター/アフロ</p></div>

<p style="text-align: left;"><strong><span style="font-size: 14pt;">外傷</span></strong><span style="font-size: 18.6667px;"><b>センターで働く医師の日常</b></span></p>
<p>　午前５時。いつものように、コンテナを連結してつくられた病院の中庭に出る。まだ朝焼けの残る空は、今日が静かな１日になるかのような、そんな錯覚を抱かせた。集中治療室（ICU）の前で回診が始まった。今日が当直明けの僕は、昨日の夜勤帯に診た患者たちの経過を淡々と日中担当の医師たちへ報告する。体の中にたまった血液を排出するドレーンの廃液量、傷の治癒具合、脈泊や血圧の変化など、伝えることが山ほどあるわけだが、すべてが「変わらない 」ことに安堵するようになったのは、いつからだろう。</p>
<p>　回診中にベテラン医師がおもむろにつぶやいた。「今日、あの子の退院だったよね？」――。あの子とは、フレアちゃんのことだ。10歳の女の子で半年前に交通事故で足を骨折。皮膚の損傷範囲も大きかったため、皮膚移植など何度も手術を行い、懸命なリハビリを繰り返していた。長期にわたる入院生活を経て、ついにこの日、退院を迎えたのだ。<br>
　フレアちゃんのいるリハビリ病棟の前に集まったスタッフたちは、拍手と歌声、そしてダンスを送り、フレアちゃんは照れくさそうにしながらも、それに応えるように満面の笑みで手を振った。この病院では非日常的な「祝福」の光景は、僕の目にしっかり焼き付いた。それはもう飛び上がるほどに嬉しかった。「こういう瞬間があるから、この仕事を続けられるよな」。僕がボソッとつぶやいたのを隣にいた同僚の外国籍看護師が聞いていて、うんうん、と笑顔で頷いていた。</p>

<div id="attachment_17963" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17963" class="wp-image-17963" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221027_230419226.MP_-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17963" class="wp-caption-text">コンテナでつくられた病院の中庭を朝日が照らす（筆者撮影）</p></div>

<p>　当直を終えたばかりで疲労困憊の僕は、フレアちゃんを見送ったあと、帰りのバスの時間まで休憩室のソファーに腰掛けウトウトとしていた。すると突然、救急看護師がドアを開け飛び込んできた。<br>
　「ミシェル！ミシェル！急患よ！メインストリートで　また銃撃戦が起きたって！」<br>
　眠気が一気に冷め、パチッと仕事のスイッチが入った自分を自覚する。<br>
　夢見心地だったフレアちゃんの笑顔が頭から消え去り、代わりに複数の叫び声が救急室から聞こえてきた。聴診器を手に取り、僕は救急室へと走った。救急室が近づくにつれ、廊下に漂う血生臭さが強くなっていくのがわかった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>医療の限界、ギャング抗争が現地医療に与える影響</strong></span></p>
<p>　今回のように多数の傷病者（マスカジュアルティ）が一度に救急室に押し寄せてくるのは、今月に入ってもう３度目だ。ギャング抗争が激化し、街のいたるところが銃撃戦の場と化している。大統領暗殺後、一気に悪化した治安とギャング抗争の激化により、幹線道路が数週間にわたって封鎖されるという事態が起こった。とある地域を支配している組織が、対抗組織へ圧力をかけるために生活に必要な物資ですら供給をできなくなるようにしたのだ。その結果、ガソリン価格は数十倍に跳ね上がり、幹線道路の先にある地域の生活に必要なものの供給が制限された。この封鎖による影響は凄まじく、もちろん医療に与える影響も大きかった。</p>

<div id="attachment_17992" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_226383164-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17992" class="wp-image-17992" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_226383164-scaled.jpg" alt="" width="400" height="278" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_226383164-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_226383164-300x208.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_226383164-1024x711.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_226383164-768x534.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_226383164-1536x1067.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/aflo_226383164-2048x1423.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17992" class="wp-caption-text">ギャングによる暴力の停止を訴えるデモの最中、燃えるタイヤの横を走る男たち（2023年８月14日撮影）(c) ロイター / アフロ</p></div>

<p>　僕らのもとに、一人の患者が担ぎ込まれてきた。体幹部に銃弾を被弾した50代男性だ。弾の威力は凄まじく、銃弾は背中にまで到達していた。その影響で腎臓を損傷した患者は、かろうじて会話ができる状態ではあったが、急性腎不全という非常に重篤な状態で、腎臓の代わりに血液をきれいにする機械を使う透析治療が緊急に必要だった。<br>
　しかし、僕らの病院には透析の設備がなく、隣の市にある透析センターに患者を搬送する必要があった。そしてそこへの道はギャングによって封鎖され、何をどう説明しても通ることができないという事実があった。どんな言葉を選んだらこの状況を患者に理解してもらえるのか。<br>
　僕は、極力、冷静に患者に説明した。あなたは銃によって受傷しているが、ギャングが道路を封鎖している影響で、命に関わる治療を受けることができないのだと。<br>
　その空間は、息をいくら吸っても酸素が体の中に入っていかない、そんな感覚を覚えた。僕の説明の後、患者は言葉を失い、じっと天井をみつめていた。<br>
　こうした厳しい現実を患者に説明するのも、ここでの僕の仕事の一つだ。被弾して腎臓を損傷した前出の50代の患者に状況を説明した翌日には、別の患者に「足を切断せざるを得ない」という説明をしなければならなかった。20代のその患者は、片足を被弾し、足の主要な血管を損傷していたため、そこから下の組織が挫滅し、切断するほかない状態だった。絶望のあまり涙を流す患者に対し、家族は（涙一つ見せず、）「命を守るためには足の切断が必要なのだ」と繰り返し説得していた。<br>
　その状況を見ていたのが、前日、透析が受けられないと僕が説明した50代の患者だった。片足という大きな代償と引き換えに命を守るための治療を受けることができる人と、治療すら受けられない人。状況を説明している間も、説明を終えた後も、患者たちはじっと僕の目の奥を見つめていた。どちらに対しても、最低限の説明以外、僕にはかける言葉が見つからなかった。</p>

<div id="attachment_17968" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17968" class="wp-image-17968" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221110_235325634.NIGHT_-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17968" class="wp-caption-text">緊迫した治療現場から離れ、丘の上から見下ろしたポルトーフランスの街並みは、はっとするほど美しかった（筆者撮影）</p></div>

<p>　きれいに世の中が収まらなくてもいい。生きるための治療を選択することができて、生きたいと患者が言えるような世界であってほしい。この時ほどそう強く感じたことはなかった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>僕たちは「相対的に」命を救わなければならない</strong></span><br>
　治安の崩壊は、道路の寸断に限ったことではない。紛争には金がかかる。ハイチでは、人の移動を狙う誘拐ビジネスが横行しており、僕にとっても決して他人ごとではなかった。ある日、同僚が通勤中にバスごと誘拐された。身代金と引き換えに解放されるまで、僕は不安で全く仕事が手につかなかった。<br>
　この事件を受け、封鎖された道路の先から通うスタッフは出勤できなくなり、病院の運営は人員を確保することすら困難になった。<br>
　ヒト・モノ・カネ。この社会では、すべてがいとも簡単に奪われていく。</p>
<p>　来る日も来る日も、救急室に運ばれてくるのは、銃創による重症者ばかりだ。右脚がちぎれかけた女性。胸部に被弾した男性。腹部を撃たれた５歳の女の子――。</p>

<div id="attachment_17965" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221124_152948897-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17965" class="wp-image-17965" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221124_152948897-scaled.jpg" alt="" width="300" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221124_152948897-scaled.jpg 1920w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221124_152948897-225x300.jpg 225w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221124_152948897-768x1024.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221124_152948897-1152x1536.jpg 1152w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221124_152948897-1536x2048.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a><p id="caption-attachment-17965" class="wp-caption-text">胸部に重症を負った人が必要に応じて受ける胸腔ドレーンキット。このビンを使って体の中にたまってしまう空気を外に逃がす。日本では使い捨てされるが、ハイチでは滅菌消毒して再使用する場合もある（筆者撮影）</p></div>

<p>　こうした混乱のなか、僕たちのような医療者が直面するのは、命の選別だ。連日、たくさんの銃創患者であふれる救急室では常に大量の輸血が必要だが、道路が封鎖されているため、次にいつ輸血が届くのかわからない。輸血が限られ、手術室には限界があり、人員は限られている。<br>
　すべてに限りがある状況下で一人でも多くの命を救うために、医療者たちは医療資源の振り分けと助かる可能性を天秤にかけ、患者の命に対してなにかしらの（助けるか否かを）決定しなければならない。そんななか、「この患者にはこれ以上の医療資源を使わない」という決断をしなければならない時も少なくなかった。<br>
　僕たちは、日々、「相対的に」命を救わなければならないのだ。<br>
　共に働く日本人看護師は、「明日もたくさんの銃創患者が来るだろう。今、ここで輸血を使い果たすことはできない」と言った。理にかなっているのはわかっている。それでも僕にとって目の前に輸血を必要とする患者に投与することができないことが、なにより苦しかった。<br>
　そんな苦しい期間中、前に日本人看護師が話していた人工血液の話をふと思い出した。その看護師の国では、人工血液の研究が進んでいるという。まだ実用化はされておらず、何年か、あるいは何十年か先の話になるかもしれないが、常温で長期間保存可能なうえ、感染症リスクも低いのだそうだ。もし、それが現実になり、今、ここにあったとしたら、一体、どれだけの人を救えるのだろう――。血液が足りないこの現場で、僕はまだ見ぬ未来の人工輸血に大きな希望を抱かずにはいられなかった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>希望を　誰かに　託して</strong></span></p>
<p>　７月にピークに達した暴動は、11月に入っていくらか落ち着きを見せ始めた。僕は、海外メディアの取材を受けることになった。市民を巻き込んだギャング抗争の今と、そこで働く医療のリアルを発信するという企画で、僕の１日にカメラが密着し、日々の緊迫した業務を撮影したのだ。最後に僕は、記者からこんな質問を受けた。「ハイチの人々は希望を失っている。この現状も終わりが見えない。あなたはこの国を離れたいか、それとも残りたいか？」と。</p>

<div id="attachment_17966" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_205836-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17966" class="wp-image-17966" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_205836-scaled.jpg" alt="" width="400" height="225" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_205836-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_205836-300x169.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_205836-1024x577.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_205836-768x433.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_205836-1536x866.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_205836-2048x1155.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17966" class="wp-caption-text">ハイチを発つ飛行機に乗り込む人々（筆者撮影）</p></div>

<p>　少しだけ答えに迷ったけれど、僕は心のままにこう話した。<br>
　「いつだって未来のことを考えている。家族のことも、友達のことも。この国のことだってそうだ。 この国を離れるという選択肢は、いつだって僕にあるけれど、そうしなかった。この地は僕の生まれ育った場所であり、人生が詰まっているんだよ。それに、僕ら（医者を含む医療者）がいなくなったら、傷ついた患者たちはどうすればいいんだ？僕たち医療者は、常に限界の中で医療をしている。だから、いつだって強くあらねばならないんだ。<br>
　この混沌の中で、僕が取り得る選択肢は三つある。 <br>
　一つ。国際社会がこの紛争が終わるように動くこと。<br>
　二つ。私たち自身が立ち上がり、革命を起こすこと。革命だ。<br>
　三つ。あきらめること。 自分たちじゃどうすることもできない。他力を信じて待つ。でも、耐えきれなくなって、待てなくなったら戦う。戦わなくちゃ。この国の未来も、僕の家族の未来もかかっている。でもね、僕にも家族がいるんだ。命を懸けるなんてリスクはとれないんだよ。だから、自ら命を捨てに行くようなことは絶対にしない。仮に革命を起こすとしても、僕には大きなリスクはとれないんだよ。もしも革命組織のリーダーになったとしたら、自分も家族も命を狙われるんだ。結局は他力による解決を信じるしかないんだよ。あなたにわかりますか？」</p>

<div id="attachment_17970" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17970" class="wp-image-17970" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/PXL_20221030_163916480-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17970" class="wp-caption-text">病院から車で５分ほどの宿舎で仲間たちと食べる昼食は、つかの間のホッとできるひとときだった（筆者撮影）</p></div>

<p>　僕の言葉に（一番近くで）耳を傾けていた記者は、しばらくの間、返す言葉の最適解を探しているようだった。最後に一言、「ありがとう」と告げると、僕たちは固い握手を交わし、記者はその場をあとにした。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>ハイチ編を振り返って </strong></span></p>
<p>　世界には、声にならない叫びがたくさんある。立ち上がることも、声を出すことも、生きるための選択をすることさえ叶わない現状がたくさんある。<br>
　筆者はハイチで、ミシェルをはじめ現地の医療従事者たちと共に数々の暴力に傷ついた人たちの治療に携わった。そこでニュースではわからない現地医療者たちの置かれる状況や葛藤を目の当たりにした。</p>

<div id="attachment_17969" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_064256-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17969" class="wp-image-17969" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_064256-scaled.jpg" alt="" width="400" height="225" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_064256-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_064256-300x169.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_064256-1024x577.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_064256-768x433.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_064256-1536x866.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/IMG_20221211_064256-2048x1155.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17969" class="wp-caption-text">医療現場では死に直面することも多い。「あの時、ああしていれば」「もっとこうできたら」という後悔を抱えながら浅い眠りから目覚めた朝は、コーヒーを飲みながら上る太陽を眺めるのが習慣だった（筆者撮影）</p></div>

<p>　ミシェル医師がメディアの取材を受けた後、記者と交わした握手に込められていたのは、世界が変わる希望か、それとも諦めか、どちらだったのだろうか。<br>
　いずれ世界が動き、ハイチの現状が良い方向に向かい始めた時に初めて、二人の握手には希望が込められていたと言えるのかもしれない。筆者は、その日を今かいまかと待っている。そして、現地に身を置く医療者であると同時に伝える側の一人でもあり続けたいと、強く思っている。</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/from_the_field_of_international_medical_aid_1/">国際医療支援の現場から（第一話）</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
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		<title>「力による平和」を打ち出すトランプ米大統領流の「正義」とは</title>
		<link>https://dotworld.press/us_panama_trump_peace_through_strength/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Feb 2025 01:53:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカ]]></category>
		<category><![CDATA[パナマ]]></category>
		<category><![CDATA[中国]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=17162</guid>

					<description><![CDATA[<p>　米国で１月20日、第二次トランプ政権（トランプ2.0）がスタートした。トランプ大統領はさっそくメキシコやカナダからの輸入品に25％の追加関税を課す「トランプ関税」をはじめ、領土拡張に向けた政策などを次々と打ち出している [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　米国で１月20日、第二次トランプ政権（トランプ2.0）がスタートした。トランプ大統領はさっそくメキシコやカナダからの輸入品に25％の追加関税を課す「トランプ関税」をはじめ、領土拡張に向けた政策などを次々と打ち出している。就任演説では筆者が想像していたよりも中国への言及が少なく、一見すると、中国問題のプライオリティはそれほど高くないような印象を受ける。<br>
　もっとも、そう見えるのも、緻密で周到な作戦なのかもしれない。そう気付いたのは、トランプ大統領があまりにも素早くパナマとの間で外交ディールの成果を上げたためだ。この結果、パナマ政府は中国が進める一帯一路政策からの離脱を決めた。この事実は何を物語るのか。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「パナマ運河を取り戻す」</strong></span></p>
<p>　トランプ大統領は就任演説の中で、パナマについて次のように述べた。<br>
　「米国はかつて、パナマ運河の建設にかつてないほど巨額の資金を費やし、３万8000人もの命を失った。われわれは、決してすべきではなかったこの愚かな贈り物によってひどい扱いを受け、パナマと米国の約束は反故にされた。われわれの取引の目的と条約の精神は完全に侵害されており、米国の船舶は過剰に請求され、いかなる方法、形態においても公平に扱われていない。同じことは、米海軍についても言える。いまや中国がパナマ運河を運営しているが、われわれは、中国ではなくパナマに運河を与えたのだ。米国は運河を取り返す」<br>
　就任演説の中でトランプ大統領が中国に言及したのは、この一回だけだった。</p>

<div id="attachment_17170" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/aflo_280446040-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17170" class="wp-image-17170" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/aflo_280446040-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/aflo_280446040-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/aflo_280446040-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/aflo_280446040-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/aflo_280446040-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/aflo_280446040-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/aflo_280446040-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17170" class="wp-caption-text">パナマ運河のミラフローレス閘門を見学後、握手するマルコ・ルビオ米国務長官（左）とパナマ運河庁のリカルテ・バスケス長官（2025年２月２日、パナマシティで撮影）&nbsp;© 代表撮影/ロイター/アフロ</p></div>

<p>　この発言が、単なるほら話やたとえ話などではなく、米国の大戦略（グランドストラテジー）の大転換を推進する最初の一歩であったことは、マルコ・ルビオ米国務長官が２月２日、就任後初の外遊先としてパナマに飛んだことから明らかになった。<br>
　パナマのムリノ大統領は当初、「パナマ運河を取り戻す」というトランプ大統領の発言に強く反発し、パナマ運河を中国が運営しているという指摘を全否定したうえで、「パナマ運河はパナマのものだ」と反論した。しかし、２日にルビオ米国務長官と会談した直後、ムリノ大統領は一帯一路からの離脱を表明した。CNNなどの報道によれば、ルビオ国務長官は、中国の影響力と支配がパナマ運河にとって脅威になっているというトランプ大統領の見方を伝え、「パナマ政府が即座に対応しない場合、米国は自国の権利を保護するために必要な措置を取る」と警告したという。　<br>
　会談を終えたムリノ大統領は記者会見を開き、中国と締結している一帯一路の協力覚書の更新に署名しないことを明らかにしたうえで、パナマ運河の太平洋側に位置するバルボア港と、大西洋側のクリストバル港の管理・運営会社である香港のコングロマリット長江和記実業（CKハチソンホールディングス）傘下のハチソン・ポーツ社について、パナマ高官との間で汚職の事実がないか調査を行うことも約束した。<br>
　パナマはもともと台湾との間で国交を維持していたが、中国の浸透工作によって2017年に台湾と断交し、中国と国交を締結。翌2018年には習近平国家主席がパナマ初訪問し、当時のバレーラ大統領が正式に一帯一路の協力覚書に調印したのだった。この覚書は３年ごとに更新され、次は2026年に更新される予定であったが、ムリノ大統領はそれを待たずに更新しない方針を示した。事実上、即時離脱の意向を示したことになる。</p>

<div id="attachment_17167" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Locomotives_Tow_Container_Ship_through_Miraflores_Locks_-_Panama_Canal.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17167" class="wp-image-17167" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Locomotives_Tow_Container_Ship_through_Miraflores_Locks_-_Panama_Canal.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Locomotives_Tow_Container_Ship_through_Miraflores_Locks_-_Panama_Canal.jpg 512w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Locomotives_Tow_Container_Ship_through_Miraflores_Locks_-_Panama_Canal-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Locomotives_Tow_Container_Ship_through_Miraflores_Locks_-_Panama_Canal-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Locomotives_Tow_Container_Ship_through_Miraflores_Locks_-_Panama_Canal-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17167" class="wp-caption-text">ミラフローレス閘門でコンテナ船を曳航する機関車（2013年12月18日撮影） © NahidSultan / wikimediacommons</p></div>

<p>　また、パナマ運河の両端に位置する港の運営は前出のハチソン・ポーツ社が2047年まで権利を保有する契約を結んでいるが、ブルームバーグなどの報道によれば、パナマ当局はすでに同社との契約解除を検討し始めているという。おそらくは汚職や不正などを建前の理由として、訴訟問題にならない形で契約を解除することを模索するものと思われる。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>米国の裏庭」で進展していた中国化</strong></span></p>
<p>　米国にとってパナマ運河は、米軍艦や軍事物資も航行する生命線だ。それが中国系企業にコントロールされていると、最悪の場合、運河を封鎖されることもあり得る。たとえ封鎖はされなくとも、運河を通る米国の積荷情報が軍事物資を含めて中国に筒抜けとなり、米国にとっては国家安全上、大きなリスクとなる。ハチソン・ポーツは香港の企業だが、国際都市としての香港の信用は、習近平国家主席が雨傘運動や反送中デモを弾圧し、香港版の国家安全法を施行したことなどによって失墜し、現在の香港政府や香港企業はもはや完全に中国の支配下にあると見られる。また、ハチソン・ポーツの現在のトップは創業者である李嘉誠氏の長男、ビクター・リー氏だが、彼は中国共産党や各民主党派、各団体、そして各界の代表で構成される中国政治協商委員会の香港地区委員として、中国共産党に忠誠を誓わざるを得ない立場だ。</p>

<div id="attachment_17163" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Agua_Clara_Locks_09_2019_0698.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17163" class="wp-image-17163" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Agua_Clara_Locks_09_2019_0698.jpg" alt="" width="400" height="266" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Agua_Clara_Locks_09_2019_0698.jpg 512w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Agua_Clara_Locks_09_2019_0698-300x200.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17163" class="wp-caption-text">パナマ運河ガトゥンのアグアクララ閘門を渡る船。船の左側には、閘門の水再利用池が見える（2019年９月22日撮影）© Mariordo / wikimediacommons</p></div>

<p>　パナマに対する中国の浸透工作は、2015年頃からあからさまになっていた。特に、中国の嵐橋集団（ランドブリッジ）が2016年、パナマ第二の都市、コロンの自由貿易区内のマルガリータ島の港について99年にわたる租借権を９億米ドル（約972億円）で買収し、ロジスティクスセンターの建設を開始したことは、米国にとって大きな衝撃であった。嵐橋とは、その名の通り、黄海に面する山東省の嵐橋港に拠点を置く物流のコングロマリット企業である。<br>
　同社は2004年、中国国務院の政策に従い民営企業として港湾建設のライセンスを取得。その後、オーストラリアやパナマなど、海外の物流企業や港の運営権を次々と取得した。同社が2015年にオーストラリアのダーウィン港の租借権を99年にわたり手に入れた際は、同港の近くに米軍基地があったことから嵐橋グループと人民解放軍の関係を勘ぐる専門家の声もあった。嵐橋がパナマでマルガリータ島のロジスティクスセンターを購入したことについても、軍事目的ではないかと見られている。<br>
　嵐橋が進出したタイミングでパナマは台湾から中国へと外交スイッチに踏み切り、一帯一路にも加盟した。パナマ・シティからコスタリカ国境に至る400kmの高速鉄道建設や、パナマ・シティにおける新たな地下鉄の建設支援などの鉄道計画も、一帯一路の一環だ。また、嵐橋集団率いる中国企業コンソーシアムは、マルガリータ島のコンテナ港開発にも着手し、同国で最も近代的な港にすることを約束した。加えて中国は、パナマ運河に14億ドル（約1540億円）をかけて第四の橋を建設する契約も国有企業を通じて獲得。自由貿易協定の締結に向けて交渉を開始することも表明していた。さらに、パナマに孔子学院を建設して中国語や中国文化の普及に注力していたほか、新型コロナウイルスのパンデミック期間には積極的に医療用品も寄付するなど、「パナマの中国化」に向けた戦略を着々と進めていた。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>力ずくで退けられた一帯一路の広がり</strong></span></p>
<p>　とはいえ、こうしたあからさまな中国浸透策を受けて、パナマ人の間では警戒が強まった。親中派のバレーラ大統領から中道保守のラウレンティーノ・コルティッツォ大統領に政権が交代すると、中国の一帯一路の一環として進められていた鉄道計画は中断し、自由貿易協定交渉も暗礁に乗り上げた。2021年には、嵐橋集団によるコンテナセンターの建設と運営計画に対する租借権や特許権も撤回された。嵐橋集団の投資額や雇用者数が契約で定められていたより少なかったことがパナマ政府の監査により判明したという契約違反が表向きの理由とされた。</p>
<p>　それでも中国がすでにパナマに足場を築いたことに変わりはなく、新たに就任したムリノ大統領の下、凍結されていた鉄道計画や第四大橋建設計画が中国の働きかけにより再開されることが決まっていた。「米国の裏庭」とも呼ばれる中米地域で中国浸透がこれほど進んでいる事実にトランプ大統領が危機感を抱いたのは、言うまでもない。政権のスタートダッシュでパナマを恫喝したトランプ大統領は、こうして望み通りのディールの成果を獲得したのだ。</p>

<div id="attachment_17164" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Panama_Canal_Gatun_Locks.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17164" class="wp-image-17164" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Panama_Canal_Gatun_Locks.jpg" alt="" width="400" height="266" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Panama_Canal_Gatun_Locks.jpg 512w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Panama_Canal_Gatun_Locks-300x200.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17164" class="wp-caption-text">パナマ運河ガトゥンの遠景（2000年１月２日撮影）© Stan Shebs / wikimediacommons</p></div>

<p>　さらにムリノ大統領は、今回のルビオ米国務長官のパナマ訪問について、「パナマと米国の新たな関係構築に向け扉を開くものだ…（中略）…パナマに対する米国の投資を可能な限り増やそうとするものだ」と記者会見で述べ、一帯一路の一環として進める予定だった鉄道建設事業など投資を米国に求めるつもりであることをうかがわせた。中国か米国か、どちらかを選ぶようトランプ政権から踏み絵を踏まされたパナマは、米国を選んだのだ。</p>
<p>　パナマのこの動きは、習近平国家主席が進める一帯一路の広がりを米国が力ずくで退けた初の動きという点で、かなり大きな意味があろう。トランプ氏は大統領就任直前、中国の習近平氏と電話で会談し、中国の統一戦線工作ツールとみなされているショートムービー用投稿プラットフォーム「TiｋTok」を禁止する法律の施行に猶予を設けたり、「中国に対する追加関税は望んでいない」と発言したりと、対中姿勢を軟化させて素振りを見せたていた。しかしそれはあくまでパフォーマンスに過ぎず、実際は、追加関税についても、メキシコとカナダ製品に対する追加関税は発動を停止したにも関わらず、中国に対しては発動に踏み切った。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>避けられない米中対立</strong></span></p>
<p>　さらにトランプ大統領は、就任演説で「パナマ運河を取り返す」と発言した後、西部開拓時代に領土拡張を正当化するために掲げられた標語「マニフェスト・デスティニー（神の定め）」を引き合いに出し、宇宙開拓計画にも言及した。おそらくはこれが、トランプ政権が打ち出した新たなグランドストラテジーだろう。デンマーク領グリーンランドの買収や、「ガザをアメリカが所有する」という発言、そしてWHO（世界保健機関）など国連組織からの脱退表明なども、単なる領土拡張の野心にとどまらない。</p>
<p>　中国共産党が中国式現代化や一帯一路構想、国連支配を通じてグローバルサウスの取り込みを図り、新たな国際社会の秩序を構築しようという壮大な戦略を描いているのに対抗し、トランプ大統領はキリスト教の価値観に基づく国際社会の再構築を意図しているのではないか。</p>
<p>　それがトランプ流の正義であり、信念だとするならば、トランプ大統領はビジネスマンであるどころか、利益や経済成長、発展を犠牲にしてでもマニフェス・ディステニーに従う理想主義者なのかもしれない。同様に、追加関税を課す狙いは米国の貿易赤字の是正にとどまらず、麻薬の密輸や移民の流入も彼にとって表面的な社会不安や経済上の問題にとどまるものではない。どちらも国家安全上の問題であり、トランプ流の「正義」に深く関わることであるからこそ、彼は「力による平和」という概念を躊躇なく打ち出せるのだと考えられる。</p>

<div id="attachment_17165" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Donald_Trump_signing_the_SUPPORT_Act.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-17165" class="wp-image-17165" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Donald_Trump_signing_the_SUPPORT_Act.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Donald_Trump_signing_the_SUPPORT_Act.jpg 512w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/02/512px-Donald_Trump_signing_the_SUPPORT_Act-300x200.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-17165" class="wp-caption-text">SUPPORT法に署名するトランプ大統領（2018年10月24日撮影） © United States Senate &#8211; Office of Dan Sullivan /wikimediacommons</p></div>

<p>　経済を犠牲にしても国家の安全を優先し、国際社会の枠組みを再構築する。そのためには軍事力を含む力の行使もいとわない――。こうした、トランプ大統領が言うところの「アメリカンドリーム（アメリカの黄金時代）を取り戻す」という発想は、「中国の夢」「中華民族の偉大なる復興」という習近平国家主席の考えと、まるで対であるかのように酷似している。</p>
<p>　よく似ているからこそ、米中は必ず対決局面を迎えるだろう。そして、両国が現政権のままである限り、おそらく米中関係に妥協やwin-winはあり得ないと思われる。その際、日本はどう立ち回るのか、今から真剣に考えておかなければならない。</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/us_panama_trump_peace_through_strength/">「力による平和」を打ち出すトランプ米大統領流の「正義」とは</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
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		<title>ラテンアメリカの今を届ける　第８回</title>
		<link>https://dotworld.press/nicaragua__latin_america08/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 04 Sep 2023 00:50:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ニカラグア]]></category>
		<category><![CDATA[柴田大輔]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　「茶番である」（米政府）、「自由でも公正でもなく透明性に欠け、民主的正統性がない」（米州機構）、「投票権の自由かつ完全な行使を剥奪された状態で行われた選挙である」（スペイン政府）、そして「（現政権の）独裁体制への転換を [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　「茶番である」（米政府）、「自由でも公正でもなく透明性に欠け、民主的正統性がない」（米州機構）、「投票権の自由かつ完全な行使を剥奪された状態で行われた選挙である」（スペイン政府）、そして「（現政権の）独裁体制への転換を完成させるものだ」（ジョセップ・ボレルEU外交政策上級代表）——。2021年11月に中米・ニカラグアで実施された大統領選挙に対し、西側諸国からは非難の声が相次いだ。この選挙で約76％の票を獲得し、４期連続５回目の当選を果たしたのは現職のダニエル・オルテガ大統領だ。同じ日に投開票された国会議員選挙でも、同氏が率いる与党・サンディニスタ民族解放戦線（以下、FSLN）が90議席中75議席を獲得した。かつて40年以上続いた独裁政権から国民を解放し、「革命の英雄」と呼ばれたオルテガ氏だが、その後は権力者の階段を上り続けており、2018年には反政府運動を厳しく弾圧。厳しい言論統制も敷いている。一度は自由を取り戻したかに思われたニカラグアは今、再び恐怖政治の中にある。</p>

<div id="attachment_13430" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13430" class="wp-image-13430" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/1-1024x684.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/1-1024x684.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/1-768x513.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/1.jpg 1200w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13430" class="wp-caption-text">反政府抗議活動が全国へ拡大した2018年、大通り沿いに設置された大統領・副大統領夫妻のプロパガンダパネルが焼かれ、一部が剥ぎ取られた（2018年11月、筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>政敵を徹底的に排除</strong></span></p>
<p>　オルテガ大統領は2021年、政敵を事前に排除し、著しく公平性を欠く形で選挙に臨んだ。投票に先立ち、３つの野党の政党資格を剥奪したうえ、７人の野党大統領候補を含む30人以上の反体制派有力者を逮捕したのだ。</p>
<p>　根拠とされたのが、前年末から矢継ぎ早に制定・批准された４つの法案、すなわち「外国代理人規制法」（2020年10月）、「サイバー犯罪特別法」（2020年10月）、「平和のための独立・主権・自決の国民権利保護法（法律一〇五五号）」（2020年12月）、そして「ヘイトクライムに終身刑を設ける憲法改正案」（2021年１月）で、いずれも当初から恣意的な運用が危惧されていた。</p>
<p>　このうち、「外国代理人規制法」は、国外から資金提供を受ける活動を取り締まるためのもの。国外からの送金を受ける団体に、「外国代理人」として政府に登録し、毎月、使途を申告するよう義務付けることで、政府の意に反した活動をすることを事実上、禁じた。</p>
<p>　「サイバー犯罪特別法」は、公共の秩序を脅かすフェイクニュースが対象とされたが、独立系テレビ局「チャンネル10」のミシェル・ポランコ記者が米国CNNのインタビューで指摘した通り、何をもってフェイクニュースとするのかや、誰が判断するのかは明記されていない。</p>
<p>　また、「ヘイトクライム」への終身刑の適用についても、憲法改正案に反対票を投じた野党・立憲主義自由党のジミー・ブランドン・ルビオ氏が、「そもそもヘイトクライムとは何か、定義されていない」と批判している。</p>

<div id="attachment_13431" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13431" class="wp-image-13431" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/2-1024x614.jpg" alt="" width="400" height="240" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/2-1024x614.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/2-300x180.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/2-768x461.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/2.jpg 1200w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13431" class="wp-caption-text">政敵を排除し迎えた大統領選当日は、盛り上がりを欠く中で1日が過ぎていった（2021年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　こうして行われた選挙について、最高選管は「投票率は65.23％に上る」と発表したが、民間の監視団体は「80％以上の市民が棄権し、投票率は20％を切っている」と指摘した。匿名を条件に取材に応じてくれた現地のジャーナリストは、「政府の息のかかった人物が支配する選管では、何が起きても不思議ではない」と話した。</p>
<p>　冒頭の通り、西側諸国からの批判も相次いだが、オルテガ氏の姿勢は強硬だった。2022年3月にはバチカン大使を追放し、翌月には米州機構からの脱退を表明。９月にはCNNの停波やEU大使の追放、オランダとの断交などを相次いで宣言し、自分たちに批判的な国や組織との関係はことごとく断つ行動に出た。その一方で、支持を表明するロシアやイラン、ベネズエラ、キューバ、ボリビアなどとは接近を図ったうえ、2021年12月には台湾と断交して中国と国交を再開。FTAの交渉を開始し、経済的な結び付きを強めている。</p>
<p><strong>&nbsp;</strong><span style="font-size: 14pt;"><strong>43</strong><strong>年間の独裁を終焉させた立役者</strong></span></p>
<p>　オルテガ氏は、1979年の「ニカラグア革命」で中心的な役割を果たした人物である。43年間にわたり暴力で国民を支配し続けたソモサ一族から国民を解放したこの革命には、現与党のFSLNをはじめ、反ソモサという目的を共有する保守派も参加した。革命政府は、識字運動や医療の無償化、農地改革、女性の社会参加など、周縁化された人々のための政策を推し進めるとともに、死刑制度を廃止し、革命政府がソモサ派に対して暴力で復讐する機会を取り除いた。進歩的な取り組みに賛同する人々が革命を支えるために諸外国から参集し、国際社会からの注目も高かった。</p>

<div id="attachment_13432" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13432" class="wp-image-13432" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/3-1024x684.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/3-1024x684.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/3-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/3-768x513.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/3.jpg 1200w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13432" class="wp-caption-text">大統領選翌日、イベントから退出する大統領夫妻に支持者が声援を送る（2021年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　ソモサ一族が富と権力を独占し、反対者に徹底的に暴力を振るっていた1945年に中部ラ・リベルタ市に住む労働者階級の家庭に生まれたオルテガ氏は、学生運動に身を投じて指導者として活躍するようになる。1967年にはソモサ打倒を掲げるFSLNに参加。7年間、獄中生活を経験した後、1974年に武装闘争に参加した。</p>
<p>　カリスマ的な指導者が多い党内で、「地味で目立たない存在」だったというオルテガ氏は、革命政権が樹立されると、党内の対立を利用しながら巧みに政敵を排除し、上り詰めていく。1981年に実質的な国家元首である国家再建執政委員会の議長に就任すると、1984年に革命後初の大統領選に出馬して初当選を果たし、翌1985年に大統領に就任した。</p>

<div id="attachment_13433" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13433" class="wp-image-13433" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/4-1024x684.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/4-1024x684.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/4-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/4-768x513.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/4.jpg 1200w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13433" class="wp-caption-text">革命40周年集会で壇上に上がるオルテガ大統領（2019年７月、筆者撮影）</p></div>

<p>　この時期、ニカラグアは危機的状況にあった。革命政府は、米国の支援を受ける反革命派「コントラ」との内戦に突入していたためだ。1989年の停戦までに４万人が亡くなり、100万人以上が避難民となった。内戦の長期化と米国による経済封鎖によって国民が疲弊したことで、FSLNは翌年の選挙に敗北し、保守政権が樹立する。その後、オルテガ氏は3度にわたり出馬するも敗れ続けたが、保守政権の腐敗が顕著になった2006年の選挙に勝利し、政権に復帰した。とはいえ、得票率は38％と低かったため、オルテガ氏は脆弱な支持基盤を固めるために動き始めた。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>政権復帰後から権力固めに邁進</strong></span></p>
<p>　FSLNの権力基盤の一つに住民組織「CPC（市民権力委員会）」がある。現在は「家族・コミュニティ・生活事務局」と名を変えて、ムリージョ副大統領がトップを務めているが、もともと政権に復帰したオルテガ氏によって創設されたもので、現在も市民にはCPCと旧名で呼ばれることが多い。直接民主主義を掲げて全土に支部を置き、社会保障政策を行き届かせて保守政権時代には排除されていた市民を取り込み、彼らの声を国政に反映させて支持基盤を整えていった。</p>

<div id="attachment_13434" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13434" class="wp-image-13434" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/5-1024x684.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/5-1024x684.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/5-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/5-768x513.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/5.jpg 1200w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13434" class="wp-caption-text">政府系テレビ局からは、日々、大統領夫人のムリージョ副大統領のメッセージが放送されている（2021年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　他方、CPCには住民を党に縛りつける機能もあった。低所得者向け融資や住宅補助などの社会福祉政策の対象者を選定することで、さじ加減次第で選定から漏れる可能性があると市民に思わせ、組織の意向を忖度するように仕向けた。</p>
<p>　また、CPCによって隣人同士が監視し合う社会が出来上がった。2021年に現地を訪れると、人々は「不信な人物が訪ねて来たり行動が怪しまれたりすれば、当局に密告されて捕まるのではないか」と恐れていた。オルテガ氏は市民の目に見える形で支援を配る一方、自由を奪い、飴と鞭を使い分けることによって社会の末端まで支配の網を張り巡らせ、権力を党に集中させてきたのだ。</p>
<p>　権力を再奪取したオルテガ氏は、メディアの支配も進めた。2010年、全国テレビ放送局「チャンネル８」を買収し、四男のフアン・カルロス氏を執行役員に就任させたほか、大手テレビ局８局を買収し、親近者や3人の実子にその運営を担わせた。他方、対抗メディアは徹底的に弾圧した。独立系テレビ局「100％ ノティシア」は2018年に代表が逮捕され、放送停止に追い込まれた。全国紙の「ヌエボ　ディアリオ」も記者が脅迫され、新聞印刷に必要な紙とインクが税関で差し止められて、同年9月に廃刊した。全国紙「ラ　プレンサ」も2021年８月に本社が占拠されたうえ、編集長が資金洗浄の疑いで逮捕され、禁錮9年の判決が下された。</p>
<p>　2018年以降、オルテガ政権下でジャーナリストへの弾圧は、殺害を含めて1520件に上り、記者も11人収監されたという。120人以上が亡命し、新聞やテレビ、ラジオ局など、閉鎖されたメディアも53に上る。　</p>

<div id="attachment_13435" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13435" class="wp-image-13435" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/6-1024x684.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/6-1024x684.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/6-300x201.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/6-768x513.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/09/6.jpg 1200w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13435" class="wp-caption-text">2018年に閉鎖させられた独立系メディア「100%ノティシア」の放送局は接収され政府機関のオフィスとなっていた（2021年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　大学や市民団体も、政府に批判的だとみなされれば軒並み閉鎖に追い込まれた。2018年から2023年11月までに3300団体以上のNGOが、また2021年12月からこれまでに19以上の大学が、それぞれ法人格を取り消され、民間企業再興審議会（COSEP）など19の企業団体も解散させられた。これらの中には反政府的な立場に立った大学や団体が多く含まれており、ニカラグアの人権団体「ニカラグア ヌンカ マス」は、「意見や立場を異にする人々に対して恣意的に権力を行使し、沈黙を強いている」と非難している。</p>
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		<title>ラテンアメリカの「今」を届ける　第７回</title>
		<link>https://dotworld.press/paraguay_latin_america07/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 Jun 2023 04:25:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コスタリカ]]></category>
		<category><![CDATA[コロンビア]]></category>
		<category><![CDATA[パラグアイ]]></category>
		<category><![CDATA[柴田大輔]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　2022年12月３日、国際障害者デーのその日、ラテンアメリカ10カ国で障害のある人たちが一斉に街に繰り出した。この同時パレードを企画したのは、各国で自立生活をする障害当事者団体のネットワーク「ラテンアメリカ自立生活ネッ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　2022年12月３日、国際障害者デーのその日、ラテンアメリカ10カ国で障害のある人たちが一斉に街に繰り出した。この同時パレードを企画したのは、各国で自立生活をする障害当事者団体のネットワーク「ラテンアメリカ自立生活ネットワーク（RELAVIN：Red Latinoamericana de Vida Independiente）」だ。国の制度を変え、どんな障害があっても自分らしく生きられる社会を作ろうと、「中南米地域の自立生活革命」の実現を掲げて活動するRELAVINは、もともと域内７カ国の繋がりから始まり、現在は13カ国を結ぶまでに成長している。メンバーの中には、日本で自立生活のノウハウを学び、その考えを自国へ持ち帰って活動している障害者も多い。今回の企画では、彼らの活動をサポートしようと日本から各国に車椅子で駆け付ける当事者たちの姿があった。</p>

<div id="attachment_13096" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/20230530-287.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13096" class="wp-image-13096" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/20230530-287-1024x683.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/20230530-287-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/20230530-287-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/20230530-287-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/20230530-287.jpg 1200w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13096" class="wp-caption-text">2023年５月、茨城県つくば市の自立生活センターほにゃらの斉藤新吾理事長と２人の介助者がパラグアイへ渡航し、スルマさんら現地の当事者たちに体験を伝え、交流した（筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>始まりはコスタリカ</strong></span></p>
<p>　現在、ラテンアメリカで広がりつつある障害者の自立生活とは、どんなに重い障害があっても、どこで、誰と、どのように生活するかを自分で決めて生活することをいう。障害のために自分ではできないことがあっても、指示した介助者が代わりに実行すれば、障害者自身がしたことと同じだと考える。そのため、重度障害があっても暮らしたい街で一人暮らしをすることも可能になる。</p>
<p>　障害者がすることは、何をするかを自分で決め、介助者に指示することだ。「ご飯、味噌汁、豆腐」など、食卓に並ぶ食べ物のどれを箸で取るか、どの靴下をどちらの脚から先に履くか、日常生活の一つ一つを自分で決める。その意思を実行する介助者がいれば、好きな街に暮らし、好きな時間に好き場所へ行くことだってできる。障害が重ければ自宅で家族に介助されたり、施設に入ったりする暮らしが当たり前だと考えてきた人たちにとっては、最初、衝撃的な考え方だった。</p>

<div id="attachment_13100" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13100" class="wp-image-13100" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/1-1024x685.jpg" alt="" width="400" height="268" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/1-1024x685.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/1-300x201.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/1-768x514.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/1.jpg 1500w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13100" class="wp-caption-text">コスタリカに誕生した自立生活センター「モルフォ」は、コスタリカで見られる青いチョウの名前で、殻を破り大空へと飛び立つ障害者をイメージしている（筆者撮影）</p></div>

<p>　自立生活を支えているのは、日本各地に110以上ある「自立生活センター」で、当事者が運営の中心を担い、サービスを提供するのが特徴だ。1960年代に米国のバークレーで誕生し、日本では米国で研修を積んだ当事者らによって1980年代に初めて作られた。当事者同士で意見を聞き合う「ピア・カウンセリング」を実施したり、行政交渉などの権利擁護活動を行ったり、介助者を派遣したりしている。日本国内では、独自の文脈で、脳性麻痺者による自立生活運動が1970年代より立ち上がっていたが、運動体とサービスを提供する事業体を兼ね備えた「自立生活センター」という形はそれまでにはなく、障害者の福祉の在り方に大きな影響を与えることになった。</p>
<p>　その運動がラテンアメリカで大きく展開することになったのは、兵庫県の自立生活センター「NPO法人メインストリーム協会」を舞台に国際協力機構（JICA）が2008年から中米諸国の障害者を対象に自立生活を学んでもらう研修プログラムを実施するようになったのがきっかけだった。毎年１カ月半にわたって行われる研修には、各国から1、2人ずつ、10人前後の当事者と、その介助者たちが参加していた。</p>
<p>　研修員の一人、2009年に来日したコスタリカのウェンディ・バランテスさんは、帰国後、「自立法」の制定を実現させた。ラテンアメリカで初めて公費による介助制度が盛り込まれたのが特徴だ。</p>
<p>　２歳半の時に筋ジストロフィーを発症し、徐々に筋力が低下して車椅子の生活となったウェンディさんは、来日するまでは実家で両親のサポートを受けて過ごし、「親と離れて暮らすことなど考えもしなかった」という。医師になる夢もあったが、大学に通うためには下宿しなければならかったうえ、両親には付き添いを頼めず、自費で介助者を雇う余裕もなかったために諦めざるを得なかった。</p>

<div id="attachment_13101" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13101" class="wp-image-13101" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/2-1024x683.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/2-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/2-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/2-768x513.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/2.jpg 1500w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13101" class="wp-caption-text">自立生活センター「モルフォ」の代表を務めるウェンディ・バランテスさんがラテンアメリカで活動する当事者の大きな目標となっている（筆者撮影）</p></div>

<p>　そんな彼女が日本で出会ったのが、一人暮らしをする、自分と同じ筋ジストロフィーの人たちだった。自ら手足を動かすことはできなくても介助者のサポートを受けて一人で暮らし、夜は仲間と飲みに出かけ、好きな時にコンビニへ買い物にも出かけて自由を謳歌する彼らと、家族の都合でトイレに行くことすら我慢しなければならないこともある自分との違いを目の当たりにし、驚かされたという。</p>
<p>　コスタリカに帰国後、仲間を集めて自立生活センターの立ち上げに着手したウェンディさんを二人三脚で支えたのが、メインストリーム協会から現地へ派遣された井上武史さんだった。2016年には、国の制度を変える「障害者自立促進法（自立法）」が成立。ラテンアメリカで初めて障害者への公的介助サービスが実現する。その後、大学に進学して弁護士の資格を取得したウェンディさんが設立したセンターは、「モルフォ」と名付けられ、障害者のサポートだけでなく、自立法の運用も担うなど、当事者自身が制度を支える役割を果たしている。障害者の暮らしを当事者が主体となって根本から変えた同国の取り組みは、いまやラテンアメリカ各国のモデルケースになっている。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「これが自由だ！」—夢の実現へ　コロンビアのアイデーさん</strong></span></p>
<p>　「モルフォに続け」と意気込む国の一つが、コロンビアだ。</p>
<p>　コロンビアでは、当事者団体「トベ協会」が「RELAVIN」に参加している。画家としても活躍する代表のアイデー・ラミレスさんには、脳性麻痺により身体と言語に障害がある。自宅で母親と暮らすアイデーさんを介助するのは、有料サービスによる准看護師だ。コロンビアには障害者専門のサービスがないため、慢性疾患者向けのサービスを利用している。担当者に自立生活について説明したうえで、アイデーさんが個別に独自の研修を施しており、母親は介助にタッチしていないという。</p>

<div id="attachment_13103" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13103" class="wp-image-13103" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/3-1024x683.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/3-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/3-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/3-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/3.jpg 1500w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13103" class="wp-caption-text">コロンビアで自立生活運動を進める「トベ協会」代表のアイデー・ラミレスさん。筆を口にし、自分の世界を絵画で表現する（筆者撮影）</p></div>

<p>　アイデーさんが自立生活について知ったのは、40歳の頃だった。スペイン語圏内の障害者をつなぐ「ANUNDIS」というオンライン交流サイトを介し、スペインで自立生活をする当事者と知り合ったアイデーさんは、自立生活センターのメンバーとして活動する彼らを通じて、スペインでは障害者が介助者を使って障害のない人と同じように暮らしていると知った。それは当時、母親の介助を受けていたアイデーさんにとって、想像もつかない暮らしだった。現地を知りたいという思いに駆られたアイデーさんは、「ANUNDIS」を通じて現地の自立生活センターのメンバーと連絡を取り合い、2011年に単身でスペインへ渡った。</p>
<p>　スペインの首都マドリッドでは１カ月間、センターの宿泊スペースに滞在した。この間、生まれて始めて介助者にサポートされるという経験をした。「それは人生を変えるには十分すぎる魅力を持っていた」とアイデーさんは振り返る。</p>
<p>　「スペインでは、障害がある人でも家族から独立して生活していたのです。誰もが自分の人生を生きることができると知りました。好きな場所に旅行に行くことができ、恋人もできる。夜のマドリッドを友人たちと歩いたのは最高の思い出です。いつでも、どこでも、誰とでも、そしてどのようにでも、自分がしたいことができる。これが自由なんだ！　そう思いました」</p>
<p>　さらにスペインには、コロンビアにはない公的介助派遣サービスがあったうえ、障害年金も充実していたという。</p>
<p>　「家族と暮らしていても、介助者のサポートによって自立できることを知りました。コロンビアでは、自分の生活を自分で決められないし、自分の行動の責任を自分で取ることもできず、私はまるで子ども、いや、赤ちゃんのようでした」</p>

<div id="attachment_13104" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13104" class="wp-image-13104" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/4-1024x683.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/4-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/4-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/4-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/4.jpg 1500w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13104" class="wp-caption-text">アイデーさんと同居する母親のオフェルミナさん（左）は「母親がなかなか娘を手放せなかった。娘と一緒に私も自立を学びました」と語る（筆者撮影）</p></div>

<p>　スペインから戻ったアイデーさんは、すぐに当事者主体の団体を立ち上げた。スペインで出会った友人がノウハウを教えに来てくれたという。2015年にインターネットでコスタリカの活動を知るとすぐにウェンディさんに連絡を取り、井上さんともつながってコスタリカの自立センターを訪問。2017年にはJICAが沖縄で開催した障害者向けのワークショップに参加するなど、少しずつ仲間を増やしながら、正式な自立生活センターの設立に向けて活動を続けている。そんなアイデーさんは、コスタリカのような公的な介助派遣制度の立ち上げにも奔走している。現在は、賛同してくれる国会議員を通じて国会に提出した法案が審議されるのを見守っているところだ。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>パラグアイからコスタリカへ　</strong></span></p>
<p>　2022年８月、パラグアイの当事者団体「テコサソ」のメンバー８人が、自立生活について学ぼうと、コスタリカのウェンディさんたちの元へ飛んだ。普段は自宅で家族の介助を受けて暮らしており、飛行機に乗ることも、国外に出ることも初めてという人がほとんどだった。</p>

<div id="attachment_13106" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-13106" class="wp-image-13106" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/5-1024x683.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/5-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/5-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/5-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2023/06/5.jpg 1500w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-13106" class="wp-caption-text">コスタリカで「世界が広がった」と語るフアン・カルロスさん（中央）（筆者撮影）</p></div>

<p>　その一人、車椅子で生活するフアン・カルロスさんは、「全てにおいて素晴らしい経験でした」と目を輝かせながら、コスタリカでの経験を振り返る。コスタリカでは、現地の自立生活センター「モルフォ」が介助者を用意し、パラグアイからの訪問者を10日間にわたりサポートした。介助者は、着替えや入浴、食事などの日常生活に必要な介助だけでなく、内陸国のパラグアイにはない海や買い物などへも付き添った。初めて「自立生活」を経験したフアンさんは、「家族に介助してもらっていると、自分の意見を通せなかったり、遠慮してしまったりすることもしばしばあります」としたうえで、「余暇の時間も介助者にサポートしてもらっていいのかと最初は驚きましたが、自分の世界が大きく広がることを実感しました」と話す。</p>
<p>　滞在中、介助者の育成や派遣事業、ピア・カウンセリング、自立生活プログラム、法律制定に向けた活動、自治体との連携の仕方など、自立生活センターとしての活動について細かく学んだ一行は、「パラグアイにもこの運動を根付かせなければ」との強い思いを胸にパラグアイに帰国した。</p>
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		<title>ラテンアメリカの今を届ける　第５回</title>
		<link>https://dotworld.press/colombia_latin_america05/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 14 Jun 2021 08:22:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コロンビア]]></category>
		<category><![CDATA[柴田大輔]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>コロナ禍で、世界的に貧富の二極化が進む。南米コロンビアも例外ではない。昨年、同国の貧困率は前年から6.8ポイント増え42.5％に、失業率は5.4ポイント増の15.9％となった。格差拡大は特に都市部で顕著だ。こうした中、４ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>コロナ禍で、世界的に貧富の二極化が進む。南米コロンビアも例外ではない。昨年、同国の貧困率は前年から6.8ポイント増え42.5％に、失業率は5.4ポイント増の15.9％となった。格差拡大は特に都市部で顕著だ。こうした中、４月15日、財政赤字解消のため増税目的の税制改革が発表され、市民が反発。全国的な抗議デモは激化し、５月２日、政府は改革案を撤廃、財務大臣が辞任した。しかし、貧困や治安対策など社会問題解消を求める市民のデモは収まらず、事態はまだ収束していない。治安部隊との衝突により、６月３日までに58人（警察官２人）が死亡し、多数が負傷した。実弾射撃など治安部隊の過剰暴力が国際社会に非難され、デモ参加者の一部が暴徒化するなど、状況は混乱している。背景に何が起きているのか、立場の異なる三者に話を聞いた。</p>

<div id="attachment_9033" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo1-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-9033" class="wp-image-9033" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo1-1.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo1-1.jpg 2000w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo1-1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo1-1-1024x682.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo1-1-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo1-1-1536x1024.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-9033" class="wp-caption-text">５月、東京・渋谷駅前で在日コロンビア人が暴力に反対するデモをした（筆者撮影 2021年）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>裏切られた「和平」</strong><strong>　</strong></span></p>
<p>　高校教員のノルベイ・サパタさんは、南部山岳地帯の農村から地域の中心都市カリ市のデモに、地域ぐるみで参加した。村はこれまで武力紛争の中にあり、多くの住民が犠牲になった。デモ参加の理由を「政府に訴えたいことがあるから」と話す。</p>
<p>　「2016年以降、私たちが暮らす地域は以前にも増して治安が悪化しました。いくつもの武装組織の板挟みになり、リーダーたちが次々に殺害されています」</p>
<p>　コロンビアでは2016年、国内最大の反政府ゲリラFARCと政府の間で和平合意が結ばれた。ノルベイさんらゲリラ活動地で暮らした人々にとって、平和への転換点となるはずだった。しかし、期待は裏切られた。</p>
<p>　「FARCがいなくなって生まれた＜権力の空白＞を政府は支配できず、そこに複数の武装組織が侵入し、対立が複雑化したんです」</p>

<div id="attachment_9034" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-9034" class="wp-image-9034" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo2.jpg" alt="" width="400" height="266" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo2.jpg 2000w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo2-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo2-1024x681.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo2-768x511.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo2-1536x1022.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-9034" class="wp-caption-text">政府に抗議する先住民族と対峙する治安部隊（筆者撮影 2008年）</p></div>

<p>　コロンビアでは現在、麻薬を資金源にする組織が要地をめぐり争っている。密輸ルート上にあるノルベイさんらの村は、その対立に巻き込まれた。同様の問題を告発する地域リーダーが、各地で毎年300人前後殺害されている。2020年、こうした暴力から逃れる避難者が年間２万3861人に上ったと国連が発表した。</p>
<p>　住民が裏切られたのは、治安問題だけではない。</p>
<p>　「和平合意には、紛争の原因である格差是正など、政府が取り組まなければならない社会問題が盛り込まれていますが、これも履行されていません」</p>
<p>　コロンビアのシンクタンク「PARES」によると、紛争地域の格差是正を目的とした政府による開発計画（PDET）は、現在、汚職や予算不足により止まっている。</p>
<p>　格差問題と密接に関わる麻薬問題対策も同様だ。コロンビアは、コカイン生産、原料のコカ栽培ともに世界最大だ。社会インフラが未整備の地域では、交通網や市場の欠如などから、価格が安定するコカ栽培に依存する住民が少なくない。麻薬は武装組織の資金源にもなることから、和平合意では問題解決の両輪として、農村開発と、違法作物から合法作物への代替えを政府が支援すると謳われた。しかし、この代替え計画（PNIS）も予算不足から停滞している。</p>

<div id="attachment_9035" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-9035" class="wp-image-9035" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo3.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo3.jpg 2000w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo3-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo3-1024x684.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo3-768x513.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo3-1536x1025.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-9035" class="wp-caption-text">コカを収穫する（筆者撮影 2017年）</p></div>

<p>　全国紙エルティエンポ（El Tiempo）によると、2021年、PDETは必要とされる予算の４％しか確保されておらず、PNISも同様に16％にとどまっている。予算不足はコロナ禍以前からの問題だった。前述のシンクタンクPARESは、政府が履行すべき計画が停滞している背景として、「政府の怠慢、政治的意思の欠如、官僚的障害」を挙げる。問題解決の枠組みは作ったものの、実行するための中身が欠如しているのだ。</p>
<p>　住民への支援計画が滞る中で進んでいるのが、治安部隊によるコカの強制除去だ。ほぼ唯一の収入源を補償なしに奪われることに反発する農民と治安部隊が衝突しており、2017年10月には、抗議する農民７人が治安部隊に殺害され、20人が負傷した。政府はさらなるコカ除去のために農薬グリフォサートの散布を承認した。その強い毒性から健康・環境への影響が危惧される。</p>
<p>　農村を置き去りにする政府に対し、ノルベイさんがこう訴える。</p>
<p>　「違法組織に対して機能しない政府が、現状を訴えるデモに銃弾を撃ち込む。私たちは強く憤っています」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>デモに反対する市民</strong></span></p>
<p>　コロンビアでは、デモ開始の直後から、全国各地で抗議者による幹線道路封鎖が相次いだ。その数は約3000カ所に上る。１カ月以上におよぶ封鎖で交通は麻痺し、食料品や医薬品など生活必需品の流通も滞る。さらに目につくのが、暴徒化する一部のデモ参加者たちだ。商店や銀行への押し入りや略奪、公共施設への放火などが起きている。そうした暴徒を理由に、デモ全体を批判的に見ている人は少なくない。ジェイソン・フォンセカさんもその一人だ。</p>
<p>　現在39歳のジェイソンさんは、首都ボゴタで警備の仕事をしている。隣接するソアチャ市から毎日通勤しており、封鎖による影響を日々実感している。病気を患う母親が通院できないことにも困っている。</p>
<p>　「彼らは秩序を乱して迷惑です。彼らの行動は力づくでも抑え込まなければなりません」と話し、デモを攻撃する政府の対応を支持する。</p>

<div id="attachment_9038" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-9038" class="wp-image-9038" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo4.jpg" alt="" width="400" height="266" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo4.jpg 2000w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo4-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo4-1024x681.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo4-768x511.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/06/photo4-1536x1022.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-9038" class="wp-caption-text">コロンビア治安部隊（筆者撮影 2008年）</p></div>

<p>　その一方で、ジェイソンさんは、貧困など解決されない社会問題にも憤っており、汚職が蔓延する現政権も支持していない。ジェイソンさんの同僚は、「彼のようにデモ隊と同じ問題意識を持ちつつデモに同調しない人は、都市部では珍しくありません」と話す。</p>
<p>　ジェイソンさんは、ソアチャ市の貧困家庭で生まれ育った。まだ幼かった90年代、コロンビアは「麻薬王」と呼ばれたパブロ・エスコバルらが政府軍と対峙する「麻薬戦争」の只中にあり、ジェイソンさんは都市部で頻発するテロを見て育った。2000年代に入ると、複数の武装組織によって抗争が起き、紛争が激化する農村から万単位の避難民が街に流入して地域が混乱した。都市部で生まれ育ったジェイソンさんも、長年、暴力と隣り合う場所で過ごした。</p>
<p>　2000年代前半、タカ派のアルバロ・ウリベ政権期を経て、都市部の治安が劇的に回復し、ジェイソンさんはようやく落ち着いた生活を手にすることができた。暴力を憎むからこそ、秩序を乱す存在を嫌悪する。これまでを振り返り、こうも話す。</p>
<p>　「私は家族のために貧困から抜け出そうと努力し、今の仕事を得ることができました。だからこそ、それぞれが努力すれば社会をよくすることができると思うのです。そこに暴力は必要ありません」</p>
<p>　政府のデモ隊への過剰暴力に国内外から非難が集まる。人権侵害は許されない。しかし、その背後にいる、政府の行動を支持する市民の存在は見えにくい。彼らも暴力を憎んでいる。</p>
<p><p>The post <a href="https://dotworld.press/colombia_latin_america05/">ラテンアメリカの今を届ける　第５回</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-related-none yarpp-template-list'>
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