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	<title>東南アジア | dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</title>
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	<description>ドットワールドは、一般財団法人国際開発センター（IDCJ）が運営する国際ニュースの情報サイトです。基本姿勢は、「現地から見た世界を知る」です。開発途上国をはじめ、世界のさまざまな国で起きている事象やニュースについて、現地に精通した識者が背景を掘り下げ、社会的な文脈と併せて分かりやすく解説します。</description>
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		<title>胡椒畑から見つめたカンボジアの30年</title>
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		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 10 May 2026 10:10:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[カンボジア]]></category>
		<category><![CDATA[玉懸光枝]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　30年前、内戦直後のカンボジアで、戦火をくぐり抜けて残った数本の在来種の胡椒の木を大切に育てる老農夫と出会った。そこから始まった小さな畑は、やがて世界市場につながる農園へと成長した。そして、その歩みは、復興と成長を遂げ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　30年前、内戦直後のカンボジアで、戦火をくぐり抜けて残った数本の在来種の胡椒の木を大切に育てる老農夫と出会った。そこから始まった小さな畑は、やがて世界市場につながる農園へと成長した。そして、その歩みは、復興と成長を遂げるカンボジアの30年と重なっていく。その変化を畑から見続けてきたのが、倉田浩伸さんだ。<br>
　いま、創業以来の試練に直面しながらも、倉田さんのまなざしは未来を向いている。　</p>

<div id="attachment_19666" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/691323316_1020848330525791_1810039759142426974_n.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19666" class="wp-image-19666" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/691323316_1020848330525791_1810039759142426974_n.jpg" alt="" width="400" height="247" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/691323316_1020848330525791_1810039759142426974_n.jpg 1133w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/691323316_1020848330525791_1810039759142426974_n-300x186.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/691323316_1020848330525791_1810039759142426974_n-1024x634.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/691323316_1020848330525791_1810039759142426974_n-768x475.jpg 768w" sizes="(max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19666" class="wp-caption-text">胡椒農園で笑顔を見せる倉田さん (c) KURATA PEPPER</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>畑が消えた日</strong></span></p>
<p>　2024年12月、コッコン州の農園から入った連絡に倉田さんは言葉を失った。長年、農園の管理を担ってきたフ・ティーさんが亡くなったという知らせだった。10日前に畑に行き、翌年の計画について話し合ったばかりだった。倉田さんと同い年のフ・ティーさんは父親の代から倉田さんの挑戦を支え続けてくれ、全幅の信頼を寄せていた存在だっただけに、ショックは大きかった。</p>
<p>　だが、悲しみに浸る間もなく試練が続いた。フ・ティーさんの未成年の息子の後見人になったフ・ティーさんの兄が、全4.5ヘクタールの胡椒畑のうち、フ・ティーさん名義の区画で胡椒栽培をやめ、ドリアンに転向することを決めたのだ。おりしもその年は、ひどい干ばつにも見舞われ、約1600本の木が枯れる被害も出た。倉田さんの手元に残った畑のうち、収穫できるのは実質1.5ヘクタール、約1400本だという。</p>
<p>　予想だにしていなかった、突然の苦境。倉田さんは自らに言い聞かせるように、「まあ、30年前に戻っただけですね」と、つぶやく。</p>

<div id="attachment_19667" style="width: 347px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689837559_1497561295445274_5126802726961078689_n.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19667" class="wp-image-19667" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689837559_1497561295445274_5126802726961078689_n.jpg" alt="" width="337" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689837559_1497561295445274_5126802726961078689_n.jpg 986w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689837559_1497561295445274_5126802726961078689_n-252x300.jpg 252w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689837559_1497561295445274_5126802726961078689_n-861x1024.jpg 861w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689837559_1497561295445274_5126802726961078689_n-768x913.jpg 768w" sizes="(max-width: 337px) 100vw, 337px" /></a><p id="caption-attachment-19667" class="wp-caption-text">倉田さんと同い年のフ・ティーさん（左）は、父親の代から挑戦を支えてくれた (c) KURATA PEPPER</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>戦火をくぐり抜けた木とともに始めた挑戦</strong></span></p>
<p>　倉田さんは、大学在学中の1992年、NGOのボランティア隊員として初めてカンボジアに降り立った。20年以上続いた内戦が国連の介入により終結した直後で、復興の輪郭すら見えていなかった頃だった。前年に湾岸戦争が勃発し、留学先のアメリカで「日本はカネだけ出して人を出さない」と言われた経験から、「自分は現場に行こう」と決意した。</p>
<p>　難民キャンプから定住地に移る人々の収容センターで支援活動にあたるかたわら、産業の育成が必要だと考えるようになったのは、「ここを出てから暮らしていけるか不安。安心して働ける仕事がほしい」と彼らから聞いたことがきっかけだった。農産品を日本に輸出して農業を振興しようと、倉田さんは収容センターが閉鎖された後もたびたびカンボジアに通い、市場調査を続けた。</p>
<p>　ヤシの実やドリアンも検討したが、胡椒に行き着いたきっかけは意外にも身近なところにあった。内戦が起きる前に日本の林野庁からカンボジアに派遣された経験がある大叔父が倉田さんの調査を聞きつけて、1960年代の農業統計をくれたのだ。かつてはカンボジアが「胡椒の王国」と呼ばれる世界有数の胡椒の産地だったことを知った倉田さんは、市場で胡椒を見かけては仕入先を尋ね、胡椒農家を探し回ったが、どの農園もポル・ポト時代に荒廃し、放置されていた。</p>
<p>　調査を始めて２年が経った頃、ようやく探し当てた冒頭の老農夫が、フ・ティーさんの父親だった。ポル・ポト時代に捕虜収容所での生活を生き延びて、生まれ故郷のコッコン州スラエアンバル郡ドンペン村に戻った彼は、枯れずに残っていた３本の胡椒の木から少しずつ苗を育て、内戦前の約５分の１まで畑を蘇らせていた。</p>
<p>　そんなフ・ティーさんの父親と一緒に畑を再生し、胡椒を栽培しようと決めた時の思いについて、倉田さんは「誰かがすでに栽培していたら買い付けようと思っていたが、他に栽培している人がいなかったため、自分たちでやるしかなかった」と振り返る。水の確保から病害虫対策、品質管理など、すべてが手探りだったが、それでも少しずつ畑を広げていった。</p>

<div id="attachment_19670" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/684271025_1419187993306743_6493445326133908505_n.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19670" class="wp-image-19670" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/684271025_1419187993306743_6493445326133908505_n.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/684271025_1419187993306743_6493445326133908505_n.jpg 1170w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/684271025_1419187993306743_6493445326133908505_n-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/684271025_1419187993306743_6493445326133908505_n-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/684271025_1419187993306743_6493445326133908505_n-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19670" class="wp-caption-text">つる性の植物である胡椒は、生育すると高さ３~４mほどになる (c) KURATA PEPPER</p></div>

<p>　その後も、取り扱ってくれる商社がなかなか見つからなかったり、従業員に売り上げを持ち逃げされたりと苦しい時期が続いたが、「日本への輸出だけにこだわらず、カンボジアに来る観光客や在留外国人をターゲットにしてみたら」という妻・由紀さんの言葉が突破口になり、少しずつビジネスが動き出した。たとえば、今も続いているデンマークのスパイスメーカーとの取引は、この頃、同社の社員がカンボジアのアンコールビール社に資本参加しているカールスバーグ社の駐在員からカンボジア土産に倉田さんの胡椒「クラタペッパー」を渡され、興味を持ってくれたのを機に始まったという。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>再生の歩みと広がる市場　変わる農村の景色</strong></span></p>
<p>　2000年代に入ると、倉田さんの後を追うように、新たに胡椒の生産に参入する事業者が増え始めた。これに呼応して業界団体が発足したほか、地域ならではの自然・社会の要因と結び付いた産品の名称を地域の知的財産として保護する地理的表示（GI）保護制度が導入されるなど、産業としての基盤整備も進んだ。生産量もこの20～30年で飛躍的な拡大を遂げている。「他にやる人がいなかった」胡椒は、カンボジアの一大産業となり、国際市場の中で一定の存在感を発揮するまでになった。いまや首都プノンペンの空港には複数のブランドの胡椒が並び、消滅の危機に瀕していた頃の面影はどこにもない。</p>
<p>　胡椒の再生の歩みは、内戦とポル・ポト時代であらゆるものが壊されたこの国の復興の歩みとも重なっている。</p>
<p>　「最初の一石を投げたのは自分かもしれないが、胡椒産業がここまで盛り上がったのはみんなの力」「ライバルが増えたという意味では大変な面もあるが、この国の胡椒が世界に知られるようになった意味は大きい」と、倉田さんは噛みしめるように話す。</p>

<div id="attachment_19668" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/694494864_1007419978473197_2727646496120506606_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19668" class="wp-image-19668" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/694494864_1007419978473197_2727646496120506606_n.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/694494864_1007419978473197_2727646496120506606_n.jpg 1170w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/694494864_1007419978473197_2727646496120506606_n-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/694494864_1007419978473197_2727646496120506606_n-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/694494864_1007419978473197_2727646496120506606_n-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19668" class="wp-caption-text">店のロゴと商品パッケージには、妻の由紀さんがデザインしたぶどうのような房状の胡椒の実が描かれている (c) KURATA PEPPER</p></div>

<p>　しかし、カンボジア社会はその後もうねりをあげて変化する。特にこの10年ほどは、中国の存在感の高まりによって社会にさまざまな変化が起きたと倉田さんは言う。その一つが、ドリアンの栽培だ。ドリアンブームに沸く中国向けの輸出量が大幅に伸びたことで、ドリアンは「一本の木で数千ドルを稼げる」と言われるほど高収益作物となり、胡椒からドリアンに転作する農家が相次いだ。</p>
<p>　同様に、中国三大高級食材の一つとして知られるツバメの巣の養殖も急速に広がった。かつて宿泊施設だった建物は次々と窓をふさがれ、ツバメの巣を養殖するための施設へと転用が進んだ。「人間よりもツバメの方が稼ぐんですよ」と、倉田さんは冗談めかして笑みを浮かべる。実際、カンボジアの農村は中国市場に引き寄せられ、景観が一変した。</p>
<p>　加えて、全長800キロ以上の国境線を接するタイとの衝突による影響も大きい。領土の帰属をめぐって長年続いてきた対立が昨年５月に再燃し、両国の陸上輸送が止まっていることを受け、これまで資機材の調達をタイに依存していたカンボジアの物流が大きく変わりつつある。</p>
<p>　倉田さんも防虫ネットや水道管をタイから輸入していたため、武力衝突が起きた当初は当惑したが、中国とベトナムからの調達に切り替えたところ、意外にもコストが下がったという。「隣国経由が一番便利だという思い込みが見事に崩れた」という倉田さんの言葉は、農業がもはや地域の中で完結せず、国際市場や地政学上の影響を直接的に受ける産業になったことを示している。</p>

<div id="attachment_19675" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689924362_4389244567957924_4993075159318086625_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19675" class="wp-image-19675" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689924362_4389244567957924_4993075159318086625_n.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689924362_4389244567957924_4993075159318086625_n.jpg 1170w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689924362_4389244567957924_4993075159318086625_n-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689924362_4389244567957924_4993075159318086625_n-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689924362_4389244567957924_4993075159318086625_n-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689924362_4389244567957924_4993075159318086625_n-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/689924362_4389244567957924_4993075159318086625_n-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19675" class="wp-caption-text">首都プノンペンにあるクラタペッパー本店 (c) KURATA PEPPER</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>変わる国のなかで、変わらないもの</strong></span></p>
<p>　倉田さんが冒頭の大きな転機に見舞われたのは、こうしたカンボジア国内外を取り巻く大きな変化の最中だった。どんなに時間をかけて積み上げても、ある日突然すべてが変わってしまうことがある。今回の出来事は、海外で事業を続ける難しさを、あらためて感じさせる出来事だったと言えよう。創業以来のピンチが続いているが、「もう一度、イチからやり直すタイミングかな」と話す倉田さんの口調は、意外なほど淡々としている。</p>
<p>　現在は、新たに設立した倉田ペッパーファームが運営する自社農園を管理しながら、再出発を模索している。2011年にカンボジア初のオーガニック認定を取得している倉田さんが目指すのは、「量」ではなく「質」。これまで通り伝統的な天日乾燥を堅持し、香りと品質の両立を図りながら、小規模でも持続的なモデル農園を実現することが新たな目標だ。</p>
<p>　カンボジアではまだ胡椒の品質評価の基準や品評会の仕組みが十分に整っておらず、「オーガニック」を掲げていても、その外側では農薬によるペストコントロールが行われているケースも少なくないという。だからこそ倉田さんは、自然林の中で胡椒を育てながら、「真に持続的な農業とは何か」を改めて問い直したいと考えている。その姿は、30年前、誰もやっていなかった胡椒栽培に踏み出した頃とどこか重なる。</p>

<div id="attachment_19671" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/685964865_2280487539424990_777221119898445633_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19671" class="wp-image-19671" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/685964865_2280487539424990_777221119898445633_n.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/685964865_2280487539424990_777221119898445633_n.jpg 1170w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/685964865_2280487539424990_777221119898445633_n-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/685964865_2280487539424990_777221119898445633_n-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/685964865_2280487539424990_777221119898445633_n-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/685964865_2280487539424990_777221119898445633_n-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/685964865_2280487539424990_777221119898445633_n-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19671" class="wp-caption-text">胡椒は６～７月に開花し、９月頃から間引きを開始。生胡椒は12～１月頃、乾物用胡椒は２～３月頃が収穫の本番だ (c) KURATA PEPPER</p></div>

<p>　そして、視線は次世代の育成にも向いている。カンボジアでは、農園を任せられる後継者を新たに育て、現地の人々が主体となって運営する体制の確立を目指す。また、日本でも若い世代に経験を伝えようと、今年度から高校で教壇に立ち始めた。</p>
<p>　胡椒の話になると、倉田さんの表情はふっと和らぐ。</p>
<p>　「カンボジアの胡椒は香りが高く、辛みとのバランスがいい。マレーシアのサラワク産と似ていますね」「インドやスリランカの胡椒はミントのように鼻に抜ける強い辛味があって、カレーに合うんです」「ベトナムのフーコック産は大量生産で価格は手ごろだけど、オーガニックではないものが多いですね」。熱い口調から、胡椒への深い愛着が伝わってくる。</p>

<div id="attachment_19669" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/687999788_934327132764905_79169369228336437_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19669" class="wp-image-19669" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/687999788_934327132764905_79169369228336437_n.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/687999788_934327132764905_79169369228336437_n.jpg 1170w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/687999788_934327132764905_79169369228336437_n-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/687999788_934327132764905_79169369228336437_n-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/05/687999788_934327132764905_79169369228336437_n-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19669" class="wp-caption-text">胡椒農園のスタッフたち (c) KURATA PEPPER</p></div>

<p>　「30年前に戻っただけ」――。その言葉には、この国の変化を畑の中から見続けてきた人ならではの重みがある。畑の大半を失っても、積み重ねてきた経験は消えない。</p>
<p>　胡椒とともに歩んできた30年は、カンボジアという国の変遷そのものだった。そして、その物語は、いまも静かに続いている。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<div style="height: 12px;"><span style="background: #91D8AC; padding: 6px 10px; border-radius: 5px; color: #ffffff; font-weight: bold; margin-left: 10px;">筆者プロフィール</span></div>
<div style="padding: 30px 15px 10px; border-radius: 5px; border: 2px solid #91D8AC;">
<p><span style="font-size: 10pt;">（たまがけ・みつえ）国際開発センター（IDCJ）研究員／「ドットワールド」編集長。大学教授だった父の研究室の留学生たちとの交流を通じて世界に関心を抱く。東京大学教育学部卒、同大学院修了。カンボジアに渡って日本大使館や国際協力機構（JICA）で勤務後、国際開発ジャーナル社に入社し、2014年から編集長を務めた。2018年より現職。国内外の事業で意識啓発や広報関連業務に携わる傍ら、「現地から見た世界の姿」をテーマに発信を続けている。趣味はチェロ。</span></p>
</div>
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<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/cambodia_30years_through_pepper/">胡椒畑から見つめたカンボジアの30年</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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</ol>
</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「私の経験そのもの」欧州のロヒンギャが語る映画『LOST LAND／ロストランド』</title>
		<link>https://dotworld.press/lost_land_seen_by_rohingya_in_europe/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 03 May 2026 07:42:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[オランダ]]></category>
		<category><![CDATA[バングラディシュ]]></category>
		<category><![CDATA[バングラデシュ]]></category>
		<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[駒林歩美]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=19610</guid>

					<description><![CDATA[<p>　少数派イスラム教徒ロヒンギャの人々の証言を基に紡がれた映画『LOST LAND／ロストランド』の一般公開が４月24日、始まりました。相前後してフランスや南米コロンビアなどでも公開が始まっています。「【藤元明緒監督 独占 [&#8230;]</p>
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</div>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">
<p><em>　少数派イスラム教徒ロヒンギャの人々の証言を基に紡がれた映画『LOST LAND</em><em>／ロストランド』の一般公開が４月24</em><em>日、始まりました。相前後してフランスや南米コロ</em>ンビアなどでも公開が始まっています。「<a href="https://dotworld.press/lost_land_venezia_film_festival_2025/">【藤元明緒監督 独占手記】第82回ベネチア国際映画祭で感じた芸術の価値</a><em>」（2025</em><em>年11</em><em>月５日付）や、「</em><a href="https://dotworld.press/lost_land_how_far_can_a_film_reach_society/">『LOST LAND／ロストランド』が公開　遠い場所の物語はなぜ私たちに届くのか</a><strong><em>」（</em></strong><em>2026</em><em>年４月</em><em>20</em><em>日付<strong>）</strong>で紹介した通り、本作品は映画と社会の接点も強く意識しており、</em><em>日本では公開早々に主演のロヒンギャの姉弟がオンラインによる舞台挨拶を果たしたほか、藤元明緒監督が在日ロヒンギャと対談するなど、インパクトキャンペーンと呼ばれる取り組みが積極的に行われています。</em></p>
<p><em>　これに先立ち４月上旬、アジア映画を通じて社会やアイデンティティを問い直す作品を多く紹介するオランダのCinemAsia </em><em>映画祭でも、本作品の上映にあたってロヒンギャ難民が登壇しました。ドイツ在住の駒林歩美さんが報告します。</em></p>
</div>
<p>&nbsp;</p>

<div id="attachment_19632" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19632" class="wp-image-19632" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2.jpg" alt="" width="400" height="262" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2.jpg 2525w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-300x197.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-1024x672.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-768x504.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-1536x1008.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-2048x1344.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19632" class="wp-caption-text">オランダで開かれたCinemAsiaの一コマ（2026年４月、筆者撮影）</p></div>

<p>　オランダのアムステルダムで４月８日から４日間にわたり「CinemAsiaフィルムフェスティバル」が開催され、アジアにルーツを持つ監督による44作品が上映された。この映画祭は、多様性に富むアジア文化に対する認知向上を目的にしたもので、在欧のアジア関係団体や大使館、在蘭の基金などから支援を受け、アジア系のスタッフによって毎年運営されている。</p>
<p>　18回目となった今年は、東アジアから東南アジア、南アジア、中央アジアまで幅広い国の作品が集められ、アイデンティティや家族、歴史、迫害など、さまざまなテーマを扱う映画が上映された。その一つ、日本の藤元明緒監督による『LOST LAND／ロストランド』が描いたのは、バングラデシュからマレーシアまで逃れようとする少数派イスラム教徒ロヒンギャの幼い姉弟だ。上映後にゲストとして登場したオランダ在住のロヒンギャ難民、シュエヌー（以下、アジズ）氏が、映画について感じたことや、ロヒンギャを取り巻く状況について語った。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>ロヒンギャにとっての「真実」</strong></span></p>
<p>　「これはただの映画ではありません。私たちロヒンギャの本当の生きた歴史です」</p>
<p>　2021年の終わりに妻と娘とともにオランダにたどり着き、難民としてオランダ政府の庇護を受けて暮らすロヒンギャのシュエヌー（アジズ）氏はそう語る。1992年にミャンマー南西部のラカイン州で生まれた彼は、ミャンマー政府から国籍を付与されず、基本的人権も否定されて育った。2017年、生まれた頃から暮らしていた村がミャンマー国軍に襲撃され、バングラデシュに逃れた。数千人から数万人のロヒンギャが殺害され、70万人以上が国外に逃れた当時のことを、アジズ氏はこう振り返る。</p>
<p>　「ある日、私たちの村にミャンマー国軍が『トラブルが起きるかもしれないという情報を得た』と言ってやって来ました。そして教育水準が高く、比較的裕福な村人が呼び出されたのですが、そのまま次々と捕えられ、私の義理の兄は殺され、18歳未満だった私の甥２人は逮捕されました。</p>
<p>　その翌日、国軍兵士と仏教徒の暴徒が来て村を襲撃し、子どもたちや高齢者を含め、村人を殺していったのです。若い女性は連れ去られ、レイプされた後に銃で撃たれました。家屋も放火の末、焼き払われました。私はこれらを自分の目で見たのです」</p>
<p>　しかし、たどり着いたコックスバザールの難民キャンプでも暮らしは厳しく、権利が制限され、未来を見出せなかった。そこで、苦渋の決断の末、危険を伴うと分かってはいたものの、より権利が保障される環境を求め、さらに先を目指すことにした。2018年初め、母からもらった資金を元に人身売買業者に大金を払い、インド、ミャンマーを通ってタイへ渡った。タイでは事業を営んで資金を貯め、人間としての尊厳を得られる場所に向かうために準備を重ねた。新型コロナウイルスの影響で足止めを受けたものの、３年後に業者の作った身分証明書を持ってオランダに渡ったのだった。</p>
<p><iframe loading="lazy" style="border: none; overflow: hidden;" src="https://www.facebook.com/plugins/video.php?height=476&amp;href=https%3A%2F%2Fwww.facebook.com%2Freel%2F1707035393581548%2F&amp;show_text=false&amp;width=267&amp;t=0" width="267" height="476" frameborder="0" scrolling="no" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p>ロヒンギャの人々を乗せたボートの海難事故を伝えるUNHCR BangladeshのFacebookポスト</p>
<p>　「この映画で描かれているのは、まさに私が経験したことです。私はバングラデシュから38日かけてタイへ向かいました。ジャングルの中を歩き、船で移動しました。道中、亡くなった人の遺体が遺棄されるのもこの目で見ました。時には身をひそめなければならず、ジャングルや水の中に隠れたこともあります。大金を払ったのに人身取引業者には事前の約束と違うことを言われ、何も食べられず、水も飲めず、眠れないこともありました。彼らの指示に従わざるをえなかったのですが、非常に危険で困難な道のりでした。これがどれほど過酷なものか、実際に経験しなければ分からないでしょう」</p>
<p><strong>&nbsp;</strong><span style="font-size: 14pt;"><strong>「無国籍者」という意味</strong></span></p>
<p>　ロヒンギャは、1982年に制定された市民権法によってミャンマーで正式な「国民」と認められなくなり、無国籍者のような状態に置かれている。パスポートを取得できず、国内では選挙権どころか、移動の自由や教育・就業の権利も否定されている。</p>
<p>　「私の母は教師で、父はラカイン州の内務省で働いていましたが、市民権法によって仕事を失いました。公務員の子どもである私も、ミャンマー国民として認められていません」。その不条理について、アジズ氏は悔しそうに語る。</p>
<p>　無国籍者であるロヒンギャが外国に行くためには、ほとんどの場合、人身売買業者を頼り、密航するしかない。しかし、それは各地で当局の監視から逃れてジャングルや海の中を移動することを意味し、命の危険を伴う。映画ではマレーシアを目指すロヒンギャ難民の過酷な旅路が描かれ、途中で衰弱死する人や、暴力や発砲で亡くなる人も描かれる。</p>
<p>　「映画を見て当時を思い出し、辛い気持ちにもなりましたが、これはすべてのロヒンギャにとっての真実です。ですから、その現実を国際社会に伝えようとしたこの映画の関係者には心から感謝を申し上げたいです。見て心が痛む人もいるかもしれませんが、これは現実です。私たちロヒンギャは、数十年にわたる差別、追放、そして暴力を経験し、生き延びた人々のほとんどが故郷を追われ、世界中で難民として暮らしています」</p>
<p><iframe loading="lazy" title="YouTube video player" src="https://www.youtube.com/embed/hKuOrfiO8eI?si=7hECltUvEr2Fgysb" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p style="text-align: center;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=hKuOrfiO8eI">映画『LOST LAND／ロストランド』本予告｜4月24日全国ロードショー</a></p>
<p>　オランダで難民認定を受け、権利を保障されたことで、アジズ氏は初めて人間の尊厳を持って扱われたと感じたという。</p>
<p>　「オランダ政府は協力的で、必要なことをサポートしてくれました。難民にもオランダ国民にも、すべての人に平等な権利が与えられるのです。今は（言語や職業の訓練などの）社会への統合プログラムをちょうど終え、就労を目指してさまざまな仕事に応募しているところです」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>いまだに根深い差別と虚構</strong></span></p>
<p>　2021年２月のクーデターで権力を奪った軍事政権に対抗し、かつての閣僚や民主主義支持者らによって設立された国民統一政府（NUG）は、多民族から成る連邦制民主国家を掲げる。アウンサンスーチー政権下で社会福祉大臣として2017年以降にロヒンギャ問題を担当し、現在もNUGの閣僚を務めるウィンミャットエー大臣は、クーデター以降、ロヒンギャに対して公式に謝罪した。同大臣は、2017年のBBCのインタビューに対しても、テロリストに対する対抗措置であると述べていた。</p>
<p>　NUGは、2023年夏にロヒンギャの人権活動家であったアウンチョーモー氏を人権省副大臣として任命し、ロヒンギャの権利を推進する動きを見せている。ロヒンギャの国籍を否定する現行の市民権法についても廃止を明言しているが、実効支配のないNUGに現実社会で変化を起こす力はない。</p>
<p>　さらに、ミャンマーにおけるロヒンギャに対する偏見は根深いとアジズ氏は話す。</p>
<p>　「NUGがロヒンギャに謝罪するのは、差別を続けていると国際社会から支援を得られないためだと私は思います。彼らも以前はロヒンギャを差別的に『ベンガリ』と呼び、私たちをミャンマーの一部として認めませんでした。ウィンミャットエー大臣がバングラデシュの難民キャンプに来たときに、私たちは『祖国に帰りたいのです。私たちには権利が必要です、どうか助けてください』と伝えると、彼は『あなたたちが本当にミャンマー市民かどうか、全員を確認する必要がある』と言ってきました。オランダに来てから国際司法裁判所（ICJ）前で話したNUG高官にも、ロヒンギャが真摯に受け入れられているとは思えませんでした」</p>
<p>　2019年、イスラム教徒が人口の大部分を占める西アフリカのガンビア政府は、ICJでロヒンギャ虐殺についてミャンマー政府を提訴した。それに対してミャンマー側は異議申し立てをし、同年12月の予備審理に出廷したアウンサンスーチー国家顧問（当時）はジェノサイドの意図を否定。国軍による過剰な武力行使は認めた一方、ラカイン州の複雑な民族間紛争における対反乱作戦であるとし、ロヒンギャを擁護しなかった。そのため、当時、スーチー氏の答弁は人権軽視として国際社会から強い反発を受け、1991年に受賞したノーベル平和賞の剥奪を求める声も上がった。しかし、国民から広く支持されていたスーチー氏の答弁は、ビルマ族を中心とする国民からは “We Stand with you”と擁護され、国家主義者からも、外国の干渉から国の尊厳を守ったとして支持された。一方、ロヒンギャの間ではそうした政府や国民の姿勢に対して大きな落胆が広がっていた。</p>
<p>　たが、クーデター後の2022年２月、NUGは訴訟に対する軍事政権による異議申し立ての取り下げを表明。同年７月、ICJは裁判の管轄権と審理適格性を認めて異議申し立ては退けられた。2026年１月にはICJで本審理が始まり、ミャンマー側代表として軍事政権側のコーコーライン氏が答弁に立って国際法の違反を否定した。軍事政権に反対するミャンマー市民からは、国際的な裁判所での審理進展に期待する声もある。</p>
<p>　「今年１月の本審理の際、ICJ前にビルマ人が集まり、軍事政権に対して抗議をしていました。しかし、それに対して違和感を覚えた私は、彼らに向かって『2019年にアウン・サン・スー・チー氏が出廷したとき、あなたたちはなんと言っていたのか覚えていますか？』と言いました。NUGも含め、軍事政権に対抗するために、これらの裁判を活用したいと考えている人が多いのだと思います。ロヒンギャに対するオンライン上でのヘイトコメントも、『ベンガリ』と呼ぶ人も多く目にします。私たちがラカインに帰れるとは思いません」と、アジズ氏は冷ややかに語る。</p>

<div id="attachment_18678" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18678" class="wp-image-18678" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18678" class="wp-caption-text">映画『LOST LAND／ロストランド』のワンシーンより ©2025 E.x.N K.K.</p></div>

<p>　一方、2021年にミャンマーで国軍によるクーデターが起きた後、迫害される立場になった一部の活動家や若者たちから「これまでロヒンギャの人々を差別してきたことを後悔している」と謝罪する動きがあった。それについては、彼らの真摯な言葉だろうとアムステルダム自由大学アシスタント・プロフェッサーのマアイケ・マテルスキ氏は、指摘する。</p>
<p>　「ロヒンギャへの謝罪をした若い活動家は、本心からそう言っていたのだと思います。国の検閲下にあってロヒンギャに差別的なナラティブの情報しか得られないミャンマーの大多数の人々よりも、そういった若者はソーシャルメディアなどを駆使し、より多くを知っていると考えられます。しかし、彼らがロヒンギャへの考えを改めたとしても、政治的には影響力を持ちません。さまざまな点で分断されたミャンマーにおいて、全体を語るのは非常に難しいのです」</p>
<p>　映画祭会場で本作品を見ていた、オランダ在住のヤンゴン出身のビルマ族の若者は、クーデター以前にアウンサンスーチー政権をも批判していた進歩的な学生団体と関係が近く、当時からロヒンギャの権利についても擁護していたと話す。ロヒンギャに対する差別は根深いとしても、さまざまな考えがあるというのも事実であるようだ。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>さらに困窮するロヒンギャ</strong></span></p>
<p>　アジズ氏は言う。「クーデター後、ミャンマー市民の誰もが苦しんでいることは理解しています。しかし、私たちロヒンギャは、ミャンマーの他の人たちとは違います。ロヒンギャはビルマ人に受け入れられているようには思いません」</p>
<p>　2017年に70万〜80万人以上のロヒンギャがバングラデシュに逃れた一方、<a href="https://www.hrw.org/tag/rohingya">60万人ほどがラカイン州のマウンドー市周辺に残った</a>。国連難民高等弁務官事務所（UNHCR）によると、<a href="https://data.unhcr.org/fr/country/mmr">ミャンマーでは2026年３月時点で約370万人が国内避難民となっており、そのうち無国籍者が約52万人（そのうちラカインに22万人以上）</a>いる。<a href="https://www.unrefugees.org/news/rohingya-refugee-crisis-explained/">無国籍者の大部分はロヒンギャであると想定</a>されており、その困窮は想像に難くない。</p>
<p>　国内のロヒンギャに対する人道支援は2024年前後から制限され、世界食糧計画（WFP）や人権団体などによって飢餓リスクが警告されてきた。2024年には、国軍との戦闘状態にあったアラカン軍（AA）によって数万人が特定地域への移動を強いられた。人権団体によると、ロヒンギャ男性の強制徴用や家屋の破壊、数百名の殺害も報告されている。</p>
<p>　現在、ラカイン州を支配するAAによるロヒンギャへの深刻な人権侵害がたびたび報道されるなか、<a href="https://www.genocidewatch.com/single-post/myanmar-genocide-emergency-2026">過密状態にあるコックスバザールの難民キャンプには、2024年夏以降、15万人以上が流入</a>した。一方、同キャンプに対する最大の資金提供者だったアメリカからの支援が第二次トランプ政権下で停止され、資金難のキャンプでは栄養、医療、治安状態が悪化し続けている。バングラデシュ政府もロヒンギャの就労や教育、移動を制限しており、難民キャンプでの暮らしも持続不可能な状態が続く。2017年のロヒンギャの民族浄化を指揮したミンアウンフライン旧国軍総司令官は、今年４月初め、ミャンマーの大統領に任命された。</p>
<p>　希望を見出しにくい状況だが、アジズ氏は「ロヒンギャの声を聞いてほしい、連帯してほしい」と話す。</p>
<p>　私たちにできることは、ロヒンギャ・ミャンマーについて話をして、何が起きているか周囲に気づきを与えること、そして政府に対して正義が果たされるよう、働きかけ、できることを探していくことだと、アジズ氏は言う。</p>
<p>　映画『ロストランド』には、直視するのが難しい場面もある。しかし、映画を見て、困難な状況に置かれ続けるロヒンギャの人々に思いを馳せ、自分に何をできるかを考えることが、まず第一歩ではないだろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div style="background: #cccccc; padding: 15px; border: 0px solid #cccccc; border-radius: 10px; word-break: break-all;">
<p>【作品情報】<br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">2025年／日本=フランス=マレーシア=ドイツ</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">脚本・監督・編集： 藤元明緒</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">出演： ムハマド・ショフィック・リア・フッディン、ソミーラ・リア・フッディンほか</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">配給： キノフィルムズ</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">企画・製作： E.x.N</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">©2025 E.x.N K.K.</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">※ 2026年４月24日よりヒューマントラストシネマ有楽町、kino cinéma新宿、ポレポレ東中野ほか全国公開中</span></p>
</div>
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<div style="height: 12px;"><span style="background: #91D8AC; padding: 6px 10px; border-radius: 5px; color: #ffffff; font-weight: bold; margin-left: 10px;">執筆者プロフィール</span></div>
<div style="padding: 30px 15px 10px; border-radius: 5px; border: 2px solid #91D8AC;">
<p><span style="font-size: 10pt;">（こまばやし・あゆみ）東京都出身、ドイツ在住。オランダ・エラスムス大学にて経営学修士、イギリス・UCL教育大学院にて教育学修士を取得。東京で外資系企業や教育ベンチャー企業に勤務した後、ミャンマーやベトナムで国際協力に従事した。現在はドイツから調査や編集ライターの仕事に従事し、欧米事情などを日本に伝えている。。</span></p>
</div>
</div>
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<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/lost_land_seen_by_rohingya_in_europe/">「私の経験そのもの」欧州のロヒンギャが語る映画『LOST LAND／ロストランド』</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<title>『LOST LAND／ロストランド』が公開　遠い場所の物語はなぜ私たちに届くのか</title>
		<link>https://dotworld.press/lost_land_how_far_can_a_film_reach_society/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 19 Apr 2026 23:10:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[バングラディシュ]]></category>
		<category><![CDATA[バングラデシュ]]></category>
		<category><![CDATA[マレーシア]]></category>
		<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[玉懸光枝]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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</ol>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　世界の映画祭を巡りながら、観る者の心を静かに、そして確実に揺さぶっている映画が４月24日より一般公開されます。アジアを舞台に合作映画の制作を続ける藤元明緒監督の最新作『LOST LAND／ロストランド』。少数派イスラム教徒ロヒンギャの人々の証言を基に紡がれたこの映画は、第82回ベネチア国際映画祭をはじめ数々の国際的な舞台で高い評価を受けており、これまでに21カ国・35カ所の映画祭で上映され、９カ国で15の賞に輝きました。さらに、フランス、イタリア、スイス、チェコ、スロバキアなどでの劇場公開も決まっています。</p>
<p>　しかし、この作品が目指すのは、スクリーンの中の成功にとどまりません。映画はどこまで社会に届くのか。その根源的な問いに向き合い続ける藤元明緒監督と渡邉一孝プロデューサーに聞きました。</p>

<div id="attachment_19497" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/a6f27a14aacf6e344c494bc85e6fc908.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19497" class="wp-image-19497" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/a6f27a14aacf6e344c494bc85e6fc908.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/a6f27a14aacf6e344c494bc85e6fc908.jpg 1080w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/a6f27a14aacf6e344c494bc85e6fc908-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/a6f27a14aacf6e344c494bc85e6fc908-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/a6f27a14aacf6e344c494bc85e6fc908-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-19497" class="wp-caption-text">映画『LOST LAND／ロストランド』のワンシーンより ©2025 E.x.N K.K.</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>向き合わなかった罪悪感から撮ることを決意</strong></span></p>
<p>　「いよいよこれから始まるんだなと実感しています。すべての都道府県に彼らの物語が届いてほしいです」――。４月初旬、東京・新宿で行われた特別先行上映後に、かみしめるようにこう語った藤元明緒監督の声は、ところどころ震えていた。映画が描く現実の重さや、その現実を前に込み上げる無力さ、そして、それでもなお「伝えたい」という思い。それらすべてが言葉の端々に滲んでいるようだった。</p>

<div id="attachment_19499" style="width: 460px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260407185748b-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19499" class="wp-image-19499" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260407185748b-scaled.jpg" alt="" width="450" height="218" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260407185748b-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260407185748b-300x145.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260407185748b-1024x496.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260407185748b-768x372.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260407185748b-1536x744.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260407185748b-2048x991.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 450px) 100vw, 450px" /></a><p id="caption-attachment-19499" class="wp-caption-text">予告編のナレーションを担当した俳優の河合優実さんとともに先行上映会の舞台に立つ藤元監督（2026年４月７日、都内で筆者撮影）</p></div>

<p>　『LOST LAND／ロストランド』は、ミャンマーから逃れてバングラデシュの難民キャンプで暮らしていた無国籍の幼い姉弟、ソミーラとシャフィが家族との再会を願い、いくつもの国境を命懸けで越えていく旅路を描いている。総勢200人以上のロヒンギャが出演し、全編にわたってロヒンギャ語で撮られた世界初の長編映画だ。</p>
<p>　日本で生まれ育ったミャンマー人の兄弟が二つの国の間で揺れ動く姿とその家族の物語を描いた『僕の帰る場所』や、ベトナム人技能実習生と日本社会の在り様を描写した『海辺の彼女たち』など、アジアを舞台に合作映画の制作を行う藤元監督が、今回、ロヒンギャを題材に選んだのは、長年、抱えてきた問題意識からだった。</p>
<p>　映画製作のために2013年に初めてミャンマーを訪れ、一時は最大都市ヤンゴンに拠点も構えるなど、一貫して現地と関わり続けてきた藤元監督は、ロヒンギャが直面してきた迫害について、幾度となく耳にしたことがあったという。にもかかわらず、あえて向き合おうとしてこなかったことに対して抱き続けてきた忸怩たる思いを、監督は独占手記でこう明かしている。</p>
<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">
<p><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 12pt;"><em>「…（前略）&#8230;ミャンマーではロヒンギャの話題を口にすること自体がタブー視される風潮があり、私自身、仕事を失うことへの恐れもあって声を上げることができずにいました。身近で異常な出来事が起きているのに見て見ぬふりをしていた罪悪感こそが、『LOST LAND／ロストランド』を撮ろうと決意したきっかけです。…（後略）&#8230;」</em></span></p>
<div>
<p>（「<a href="https://dotworld.press/lost_land_venezia_film_festival_2025/">【藤元明緒監督 独占手記】第82回ベネチア国際映画祭で感じた芸術の価値 | dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>」2025年11月５日付）</p>
</div>
</div>
<div>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とはいえ、国籍を持たず、居場所を奪われてきたロヒンギャの現実は、日本ではニュースとして断片的に伝えられることはあっても、実態が広く理解されているとは言い難い。そのため、監督は当初、「ロヒンギャ」の名前を出さず、架空の設定の中に彼らの状況をモチーフとして織り込んだシナリオを準備していたという。しかし、過酷な移動を生き延びて海外にたどり着いた人々や、彼らの支援団体に聞き取りを進めるうちに、正面からロヒンギャを扱おうと決意。ブローカーによる恐喝や暴行、船上の嵐、機銃掃射など人々の実体験を投影しつつ、ゼロからシナリオを書き直した。</p>
</div>

<div id="attachment_18678" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18678" class="wp-image-18678" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18678" class="wp-caption-text">映画『LOST LAND／ロストランド』のワンシーンより ©2025 E.x.N K.K.</p></div>

<p>　それでもこの映画では、彼らがなぜ難民キャンプに住み、なぜ国境を越えようとしているのかという背景情報や、迫害の歴史は、一切、語られない。「子どもの目線で、彼らに寄り添いながら一緒に旅をしてほしい」という監督の思いからだ。その代わりにスクリーンでは、子どもたちが道中、お腹を空かせないようにと甲斐甲斐しく食べ物を荷物に詰める叔母や、将来の夢を語り合う青年たちの明るい笑顔、母との再会にむせび泣く息子、そして、幼い弟を守り続ける強くて優しい姉の愛情が次々と映し出される。特別な誰かではなく、観客と同じように、時に迷いながらも、誰かを思い、希望を胸に日々を生きる人々の普遍的な姿を描いているからこそ、言語や文化の違いを超えて観る者の胸を打つのだろう。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>意思と共感を基に製作</strong></span></p>
<p>　各国の映画祭で受賞が相次いでいる『LOST LAND／ロストランド』は、どのようにして製作されたのか。『僕の帰る場所』以来、藤元監督とタッグを組んでいるプロデューサーの渡邉一孝さんは、「大型映画祭に出品したことで、いわゆる商業映画のような大きな後ろ盾があったのだろうとしばしば言われるが、実際はその逆。資金繰りは常に綱渡り状態で、多くの無理と自助努力を重ねてようやく成立した」と話す。</p>

<div id="attachment_18680" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18680" class="wp-image-18680" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18680" class="wp-caption-text">ベネチア国際映画祭の上映会場は1500人近い人々で埋め尽くされた（2025年９月１日撮影） （藤元監督提供）</p></div>

<p>　その一方で、チームが出来上がる過程は、ダイナミック、かつ、しなやかだった。日本、フランス、マレーシア、ドイツの４カ国共同製作は藤元作品のなかで最も多いうえ、プロデューサーも、渡邉さんに加え、エグゼクティブプロデューサーや共同プロデューサー、コンサルティング・プロデューサーなど、７人が名前を連ねる。渡邉さんは「まるで“足し算”のようにメンバーが加わっていった」としたうえで、「共同製作というと、とかく出資割合や役割分担ありきのブロック型の体制になりやすいが、今回は“この作品に関わりたい”という意思を持った人々が集まり、有機的にチームが形成された」と振り返る。</p>
<p>　特にユニークな存在感を発揮したのが、ロヒンギャのスジャウディン・カリムディンさん（スジャさん）だ。第三国に帰化して国籍も取得し、移動が可能なスジャさんは、マレーシアの首都クアラルンプールで子どもたちの教育や若者のエンパワメントに力を尽くすコミュニティリーダーで、本作ではキャストたちとの通訳や文化の監修を担うために撮影現場に入っていた。そんなスジャさんを共同プロデューサーに迎えたのは、渡邉さんの発案だったという。</p>
<p>　「ロヒンギャではない自分たちが、なぜこの映画を企画し、何を撮ろうとしているのか、人々に直接伝えられる言葉を持たないことに対してぽっかりと穴が空いているように思えてならなかった」「スジャさんが入ってくれたおかげで、作品の意図を言語化し、ロヒンギャの人々の内部にその思いを共有することができた」と渡邉さんは振り返り、「共感をもとに映画を作れた」と続けた。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「作品」から「出来事」へと変える仕掛け</strong></span></p>
<p>　一般公開に向けて、新たな挑戦も始まっている。藤元監督が重視するのは、興行収入や動員数の最大化を目指す従来の宣伝活動にとどまらず、社会的な問題に関心を寄せる人々へのアウトリーチだ。映画が持つ社会的なテーマに関連する団体や個人と連携しながら作品を現実の社会課題として提示し、観た人の理解と行動を促すことで制度や価値観の変化を起こすこのアプローチは「インパクト・キャンペーン」と呼ばれ、欧州ではそのための専門職もあるほど社会に根付いている。今年３月のフランスの先行上映では、上映前に支援団体がロヒンギャ問題について詳細に説明。上映後も監督と支援団体が一緒に登壇し、映画に関する質問には藤元監督が、制度や背景に関する質問には支援団体が回答した。</p>
<p>　「日本でも、この映画のメッセージをしっかりと現実社会につなげたい」と意気込む藤元監督は、一般公開によせて、舞台挨拶やイベントなどで当事者のロヒンギャが自らの言葉で語る場を積極的につくろうとしている。たとえば、日本に住む約400人のロヒンギャの多くが群馬県館林市で暮らしていることから、冒頭の新宿に先立ち、県内の高崎市でも先行上映を行った。</p>

<div id="attachment_19503" style="width: 460px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260405160628-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19503" class="wp-image-19503" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260405160628-scaled.jpg" alt="" width="450" height="203" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260405160628-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260405160628-300x135.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260405160628-1024x462.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260405160628-768x346.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260405160628-1536x693.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG20260405160628-2048x924.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 450px) 100vw, 450px" /></a><p id="caption-attachment-19503" class="wp-caption-text">多くのロヒンギャが暮らす群馬県内で開かれた先行上映後には、在日ビルマロヒンギャ協会のアウンティン副会長（中央）と写真家の新畑克也さん（右）が登壇し、藤元監督と語り合った（2026年４月５日、高崎市で筆者撮影）</p></div>

<p>　また、４月中旬には、館林市で暮らすロヒンギャの子どもたちが日本の大学生と共に作品を鑑賞するイベントも開かれた。慶應大学の学生団体S.A.Lのロヒンギャプロジェクトが企画したもの。当日は、日本に暮らすロヒンギャの女性と子どもたちへの教育支援と自立支援を行うハーモニーシスターズネットワーク代表の春成カディージャさんと藤元監督も駆け付けた。</p>
<p>　上映後、円形に並べた椅子に座った日本とロヒンギャの若者たちは、最初こそはにかむ様子を見せていたものの、次第に熱く感想を語り始めた。日本生まれの10代のロヒンギャの若者は、「親が日本に来るまでの話を聞いてもこれまでピンと来ていなかったが、初めて理解できた」「映画に出てくる子守歌のメロディーに聞き覚えがある気がする」などと発言。一方、日本の大学生からは、「登場人物の演技がとても自然で驚いた」「毎日を必死に生きる子どもたちと自分の幼少期の違いに愕然とした。幼い子どもたちが安心して過ごせる世界にするために行動しようと思った」「困難に直面しても “神が助けてくれる”と信じ続ける人々の姿が印象的だった」という声が上がった。</p>

<div id="attachment_19505" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1237b.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19505" class="wp-image-19505" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1237b.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1237b.jpg 2423w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1237b-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1237b-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1237b-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1237b-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1237b-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19505" class="wp-caption-text">カディージャさんは19歳の時に難民認定を受けた夫の呼び寄せで来日。言語の壁を乗り越えて大学と大学院を修了した。民間企業などでの勤務を経て、現在はロヒンギャの女性と子どもたちへの支援を行っている（2026年４月12日、都内で筆者撮影）</p></div>

<p>　これを受け、カディージャさんは「最近は自分のルーツを知らない日本生まれの子どもが増えている。上の世代がどんな思いで祖国を離れたのか、この映画で学んでほしい」「第三国にたどり着いても安心して眠れず、教育を受けられない子どもたちは多い。日本で安全に暮らし、学校に通えていることのありがたみを自覚し、自分にできることを考えてほしい」と呼びかけた。また、一人一人の発言にうなずきながら耳を傾けていた藤元監督は、「ロヒンギャの子どもが理解できる映画にするために、主人公の設定を子どもにして、彼らの目から見た旅を描いた。若い皆さんに見てもらえて嬉しい」とほほ笑んだ。</p>

<div id="attachment_19506" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1235b.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19506" class="wp-image-19506" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1235b.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1235b.jpg 2346w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1235b-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1235b-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1235b-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1235b-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1235b-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19506" class="wp-caption-text">学生たちと語り合う藤元監督（左から2人目）（2026年４月12日、都内で筆者撮影）</p></div>

<p>　このような対話の場を広げていくために、劇場公開後は教育機関などにDVDを貸し出し、自主上映会との連携も進めることも計画されているという。「映画を“作品”として閉じ込めるのではなく、社会に開かれた“出来事”へと変えていく仕掛けを作りたい」と語る藤元監督を突き動かすのは、国籍も移動の自由もないソミーラとシャフィを一人でも多くの観客とつなぎたいという一念だ。</p>
<p>　チャリティーグッズの販売も、その一環だ。１月から３月には寄付付きのムビチケ前売り券を1500枚販売したほか、映画にちなんだトートバッグとTシャツを製作し、劇場で限定販売する。マンゴーと芽のイラストはソミーラとシャフィがそれぞれ描き、映画の原題であるロヒンギャ語の「ハラ・ワタン」（Harà Watan）の文字はソミーラが書いた。売り上げによる収益は、すべてロヒンギャの子どもたちの教育支援に充てられる。</p>

<a href='https://dotworld.press/lost_land_how_far_can_a_film_reach_society/%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%90%e3%83%83%e3%82%af/'><img loading="lazy" decoding="async" width="300" height="288" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/9424ea4bd84e8ade3721aa7060d630fa-300x288.png" class="attachment-medium size-medium" alt="" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/9424ea4bd84e8ade3721aa7060d630fa-300x288.png 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/9424ea4bd84e8ade3721aa7060d630fa-1024x984.png 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/9424ea4bd84e8ade3721aa7060d630fa-768x738.png 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/9424ea4bd84e8ade3721aa7060d630fa-1536x1476.png 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/9424ea4bd84e8ade3721aa7060d630fa.png 2003w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a>
<a href='https://dotworld.press/lost_land_how_far_can_a_film_reach_society/%ef%bd%94%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%84/'><img loading="lazy" decoding="async" width="187" height="300" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/ef245744a401d0be50b35f40fcde184f-187x300.png" class="attachment-medium size-medium" alt="" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/ef245744a401d0be50b35f40fcde184f-187x300.png 187w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/ef245744a401d0be50b35f40fcde184f-640x1024.png 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/ef245744a401d0be50b35f40fcde184f-768x1229.png 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/ef245744a401d0be50b35f40fcde184f.png 937w" sizes="auto, (max-width: 187px) 100vw, 187px" /></a>

<p><strong><span style="font-size: 14pt;">映画はどこまで社会に届くのか&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;</span>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </strong></p>
<p>　映画と社会をつなぐという意識を決定付けた出来事がある。藤元監督は今年１月、日本版予告編のナレーションを担当した俳優の河合優実さんとともに、バングラデシュ・コックスバザールにある難民キャンプを訪れた。2017年の武力弾圧を逃れてきた人々を中心に100万人以上が暮らす世界最大規模のこの難民キャンプは、新たに流入する人々が今なお後を絶たない。</p>
<p>　「問題の深刻さを身体で理解する経験だった」という滞在中、藤元監督は難民キャンプで暮らす人々から「映画を見たい」と、声をかけられた。それまでは映画を見ることで、一人一人のつらい記憶や心の傷を呼び起こしてしまうのではないかと懸念していた監督は、この言葉をきっかけに「”自分たちの存在が忘れられていない”と感じてもらうこと自体に意味があるはず」だと考えるようになったという。</p>

<div id="attachment_19509" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/sub1.jpeg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19509" class="wp-image-19509" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/sub1.jpeg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/sub1.jpeg 1620w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/sub1-300x200.jpeg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/sub1-1024x683.jpeg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/sub1-768x512.jpeg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/04/sub1-1536x1024.jpeg 1536w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19509" class="wp-caption-text">映画『LOST LAND／ロストランド』のワンシーンより ©2025 E.x.N K.K.</p></div>

<p>　周囲の人々の手によって目的地へと運ばれたシャフィは、最後、ソミーラの存在を背負って街を歩く。その瞬間、それまで「遠い国の出来事」として見ていた物語は、観る者の暮らす社会と静かに重なり始める。それは、過酷な旅を生き延びて第三国で暮らす人々と都市の中で出会い、彼らの声をすくい上げて映画を生み出した藤元監督自身のプロセスとも重なる。だからこそ、この映画は劇場の暗闇の中では終わらない。スクリーンの向こうにいたはずのシャフィが、同じ時代を生きる隣人として私たちの前に現れる時、私たちは彼とどう向き合い、どのように関わっていくのか。「置かれている環境のために特別な存在にされているだけで、僕らと変わらない人々だ」と力を込めて語る藤元監督のまなざしは、日本をはじめ各国で強まりつつある移民排斥の動きにも向いている。</p>
<p>　映画は、どこまで社会に届くのか。その答えは、まだ途上だ。それでも、『LOST LAND／ロストランド』が示しているのは、映画がスクリーンの中にとどまらず、人と人をつなぎ、対話を生み出し、現実の見え方を変えていく力を持ち得るということだ。遠い場所の物語は、気付けば観る者の足元へ引き寄せられている。その問いに向き合うことで、映画は社会の中で動き出す。映画の力は、その変化のなかにこそ宿っているのかもしれない。</p>
<p style="text-align: center;"><iframe loading="lazy" title="YouTube video player" src="//www.youtube.com/embed/hKuOrfiO8eI?si=8lvqufp4y9uYKxrO" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe><a href="https://www.youtube.com/watch?v=hKuOrfiO8eI">映画『LOST LAND／ロストランド』本予告｜4月24日全国ロードショー</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<div style="background: #cccccc; padding: 15px; border: 0px solid #cccccc; border-radius: 10px; word-break: break-all;">
<p>【作品情報】<br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">2025年／日本=フランス=マレーシア=ドイツ</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">脚本・監督・編集： 藤元明緒</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">出演： ムハマド・ショフィック・リア・フッディン、ソミーラ・リア・フッディンほか</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">配給： キノフィルムズ</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">企画・製作： E.x.N</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">©2025 E.x.N K.K.</span></p>
<p><span style="font-size: 10pt; font-family: 'book antiqua', palatino, serif;">※ 2026年４月24日よりヒューマントラストシネマ有楽町、kino cinéma新宿、ポレポレ東中野ほか全国公開</span></p>
</div>
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<div style="height: 12px;"><span style="background: #91D8AC; padding: 6px 10px; border-radius: 5px; color: #ffffff; font-weight: bold; margin-left: 10px;">筆者プロフィール</span></div>
<div style="padding: 30px 15px 10px; border-radius: 5px; border: 2px solid #91D8AC;">
<p><span style="font-size: 10pt;">（たまがけ・みつえ）国際開発センター（IDCJ）研究員／「ドットワールド」編集長。大学教授だった父の研究室の留学生たちとの交流を通じて世界に関心を抱く。東京大学教育学部卒、同大学院修了。カンボジアに渡って日本大使館や国際協力機構（JICA）で勤務後、国際開発ジャーナル社に入社し、2014年から編集長を務めた。2018年より現職。国内外の事業で意識啓発や広報関連業務に携わる傍ら、「現地から見た世界の姿」をテーマに発信を続けている。趣味はチェロ。</span></p>
</div>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/lost_land_how_far_can_a_film_reach_society/">『LOST LAND／ロストランド』が公開　遠い場所の物語はなぜ私たちに届くのか</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<title>タイ・ミャンマー国境の難民の今　就労が合法化されても変化はわずか</title>
		<link>https://dotworld.press/thailand_legalizing_employment_for_myanmar_refugees/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 27 Mar 2026 05:10:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[タイ]]></category>
		<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[大場翠]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　タイで昨年、これまで認められていなかったミャンマー人難民の就労を認める制度が始まりました。北西部のミャンマー国境沿いに点在する９つの難民キャンプに住む約10万人のミャンマー人の暮らしは、新制度によって変化が見られるので [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">
<p>　タイで昨年、これまで認められていなかったミャンマー人難民の就労を認める制度が始まりました。北西部のミャンマー国境沿いに点在する９つの難民キャンプに住む約10万人のミャンマー人の暮らしは、新制度によって変化が見られるのでしょうか。<br>
　この地域に住むミャンマー人たちの背景について研究している大場翠さんが今年１月、現地を訪ねて調査しました。</p>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タイ政府は2025年８月、タイ国内の難民キャンプに居住するミャンマー難民がキャンプ外で働くことを閣議決定で認め、同年10月からこれらの難民の合法的な就労が可能となった。しかし現時点では、９つあるキャンプのいずれにおいても、この制度のもとで働く人はごく一部にとどまっている。</p>
<p>　数十年にわたり制限されてきた難民のキャンプ外での就労が認められたことは歴史的な出来事であり、大きな転換点として期待を集めた。では、なぜ就労は進まないのか――。本稿では、現場の声を拾いながら、キャンプの現状と制度の間に生じているずれを見ていきたい。</p>
<p><span style="font-size: 18.6667px;"><b>難民生活の長期化でキャンプに漂う閉塞感</b></span></p>
<p>　1984年にタイ政府によって公式に設立されたミャンマー難民キャンプは、ミャンマーとの国境に接するタイ側の地域に９つ点在している。設立から40年以上が経つ現在も約10万人が暮らし、彼らはしばしば「忘れられた難民」と呼ばれる。</p>

<div id="attachment_19336" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19336" class="wp-image-19336" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/66e091bc2d19932de79e174ad215915d-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19336" class="wp-caption-text">キャンプ内を歩いていると、水辺で子どもたちがゴミを釣って遊んでいた（2026年１月、筆者撮影）</p></div>

<p>　キャンプには木の葉や竹で組まれた高床式の家々が密集し、その間を縫うように狭い道が通っている。市場で買い物をする人や、学校で学ぶ子どもの姿も見られ、歩いているとバイクタクシーに声をかけられることもある。一見すると、山の中の町や村のようだ。</p>
<p>　しかし、長期化した難民キャンプには閉塞感がにじむ。タイは難民条約に加入しておらず、タイに定住はできない。キャンプ内の学校を卒業しても、その資格はタイやミャンマーで正式に認められるわけではない。</p>
<p>　2011年のミャンマー民政移管後、国際支援の重心はミャンマー国内へと移り、タイ側の難民キャンプの支援は削減された。さらに、アメリカやオーストラリアなどへの第三国定住の道も、特例をのぞいて次第に閉ざされていった。</p>
<p>　将来を描けない暮らしのなかで、キャンプ内では自死する若者の増加、アルコールや薬物依存、うつ状態といった問題が繰り返し指摘されてきた。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>叶わぬ帰還、閉ざされた未来</strong></span></p>
<p>　閉塞感の一因として、帰還の困難さがある。キャンプ人口の約8割をカレン族が占めるが、1949年から続くミャンマー国軍とカレン民族同盟（KNU）の武力衝突の影響で、親族や土地、家屋を失い、戻る場所がない者も多い。また、ミャンマー・カレン州の一部地域では、2012年の停戦合意後も戦闘が散発し、地雷も残されたままである。</p>
<p>　和平への疑念や、国軍への不信も根強い。９つあるキャンプの一つ、メーラ難民キャンプで2023年に出会ったトートー(当時32)は、その時すでにキャンプでの暮らしを18年間続けていた。停戦合意後、日本政府の資金で帰還民を受け入れるための支援が行われたカレン州のある村について筆者が話題にすると、彼は、静かにこう言い放った。</p>
<p>　「あの村に帰りたいなんて、本物のカレンではない」「本物のカレンなら、そんなことはしない。平和が訪れたなんて、信じない」</p>
<p>　キャンプに暮らす人々の背景は、時代によっても異なる。国軍に家や田畑を焼かれ、家族が目の前で犠牲になった者がいる一方で、トートーは、戦火から逃れた経験はないものの、内戦の影響でカレン州では得られなかった教育の機会を求めてキャンプに来た。</p>
<p>　トートーの発言が示唆するように、たとえ内戦や暴力を直接体験していなくても、人々の苦難の記憶は、キャンプ内の日常的な会話を通じて次の世代へと受け継がれている。</p>

<div id="attachment_19337" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/8169add18e93b0f7c94cd8e7fbe321c5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19337" class="wp-image-19337" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/8169add18e93b0f7c94cd8e7fbe321c5.jpg" alt="" width="400" height="268" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/8169add18e93b0f7c94cd8e7fbe321c5.jpg 759w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/8169add18e93b0f7c94cd8e7fbe321c5-300x201.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19337" class="wp-caption-text">難民キャンプの子どもたち （個人が特定されないよう配慮し、2015年８月に筆者が撮影したものを使用）</p></div>

<p>　加えて、設立から40年もの歳月が流れたキャンプに暮らす人々にとって、ミャンマーは必ずしも「故郷」ではない。キャンプで生まれ育ち、ミャンマーを知らない子どもはキャンプ全体の３〜４割を占める。帰還を思い描くことや希望することは、彼らにとって容易ではない。</p>
<p>　2021年のミャンマーのクーデターにより、キャンプ難民の帰還の道は絶たれたに等しい。もっとも、それ以前から、帰還は必ずしも望ましい選択肢ではなかった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>合法化の背景は大規模な支援削減と労働力不足</strong></span></p>
<p><strong>&nbsp;　</strong>トートーは2023年当時、「善き市民になりたい」とこぼしていた。前後の文脈から、それはタイで合法的に働き、生活を営みたいという彼の願いを意味していた。</p>
<p>　キャンプ内で国際援助により提供される食料支援だけでは、日々の食事や栄養を賄えない。そのため多くの住民は、現金収入を得るために、キャンプ外で野菜を摘んで売るほか、トウモロコシの収穫といった日雇い労働に従事している。日給は地域や仕事内容によっても異なるが、タイの最低賃金である400バーツを下回る。</p>
<p>　キャンプ外での就労や、無許可での外出は原則として禁じられており、違反すれば逮捕や罰金、強制送還の対象となるほか、人身売買などの搾取のリスクが伴う。難民たちの生活は必ずしも支援に依存していない一方で、自活するための合法的な機会は与えられてこなかったのである。</p>
<p>　そこに、2025年のアメリカの対外援助削減が追い打ちをかけた。キャンプに住む全世帯の約８割に対する食料支援が打ち切られたほか、キャンプ内の医療支援も撤退や大幅な縮小が進んだ。キャンプ外の病院を利用すると費用負担が重くのしかかるため、受診を控えるケースも多く、ウンピアム難民キャンプ（地図は以下）では、１カ月あたりの平均死亡者数が支援撤退前に比べて倍増した。</p>
<p>　さらに、約10年ぶりに再開されたばかりのアメリカへの第三国定住プログラムも全面停止され、帰還も定住も叶わない難民にとって唯一の希望が閉ざされた。</p>
<p>　かつてない規模の支援削減が進むなか、2025年５月に始まったタイとカンボジアの国境をめぐる軍事衝突により、タイに出稼ぎに来ていた数十万人のカンボジア人労働者が相次いで帰国した。その結果、タイ国内の労働力不足が深刻化し、皮肉ともいえるかたちで、キャンプに居住するミャンマー難民に合法的な就労の道が開かれた。</p>
<p><strong>&nbsp;</strong><strong><span style="font-size: 14pt;">なぜ就労は進まないのか</span></strong></p>
<p><strong>&nbsp;　</strong>大きな転換点として期待された就労の合法化だが、実際にこの制度のもとで働く人はごく一部にとどまる。９つの難民キャンプには約10万人が暮らすが、合法的な就労許可の対象となるのは2019〜20年にタイ政府のデータベースに登録された者に限られ、さらに就労可能年齢に絞ると約４万人にすぎない。そもそも、キャンプ住民全体に占める対象者は限られているのだ。</p>

<div id="attachment_19339" style="width: 372px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/d28c9351eda935430c32d448c3f5a6b1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19339" class="wp-image-19339" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/d28c9351eda935430c32d448c3f5a6b1.jpg" alt="" width="362" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/d28c9351eda935430c32d448c3f5a6b1.jpg 530w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/d28c9351eda935430c32d448c3f5a6b1-272x300.jpg 272w" sizes="auto, (max-width: 362px) 100vw, 362px" /></a><p id="caption-attachment-19339" class="wp-caption-text">タイ・ミャンマー国境難民キャンプの略図（筆者作成）</p></div>

<p>　2026年１月に訪問したメーラ難民キャンプには、９つのなかで最多となる約３万7000人が暮らしている。都市部に近く、雇用の機会は比較的多いとされているが、それでもキャンプ外で合法的に就労する人は約950人にとどまった。</p>
<p>　他のキャンプではさらに限定的で、本稿を執筆している2026年３月時点でも、例えば人口約１万1000人のウンピアム難民キャンプでは、約100人しかキャンプ外で合法的に就労していない。</p>
<p>　さらに、メーラ難民キャンプ委員会によれば、上記の約950人のうち、およそ２割はすでに就労を断念し、キャンプに戻ったという。理由は、規定の賃金が得られなかったこと、銀行口座開設の際にブローカーに手数料が差し引かれること、さらには、タイ社会での差別やいじめなどである。</p>
<p>　就労までの基本的な手順は、雇用主がキャンプで労働者を選定し、県雇用事務所と郡役所で行政への申請を経て、健康診断と保険加入を行う。その後、就労許可証と、キャンプを離れるための正式な許可を取得する。就労許可は１年間有効で、終了後はキャンプに戻る必要があり、タイでの定住は認められない。また、キャンプを離れられるのは就労者本人のみで、配偶者や子どもなどの家族を同行させることはできない。</p>
<p>　就労が進まない理由として、まず、難民の生活との食い違いが指摘できる。すなわち、家族と離れ離れになることが、手続きの煩雑さ以上に大きな障壁となっている。キャンプ周辺の求人は限られており、メーラキャンプの難民に対して約500km離れたバンコクの求人が提示されることもある。この場合、一年近くの単身赴任をせざるを得ない。</p>
<p>　夫婦で働く場合も、子どもや高齢の親の世話をキャンプの隣人に頼るしかないケースが多く、家族を置いていくことへの心配が残る。また、キャンプの外で自分がやっていけるかという自信のなさが、家族という支えを失う不安をより強めている。</p>
<p>　さらに、労働市場とのミスマッチが生じている。雇用主の多くは18〜25歳くらいの若者を求める傾向があり、肉体労働など職種によっては年齢制限もあるため、難民から見れば、就労の機会は一層限られる。</p>
<p>　これらの齟齬は、タイ国内の労働力不足という外的要因が背景にあるため、合法就労の導入が必ずしも難民の実情や希望に基づいて決まったわけではないことを示している。</p>

<div id="attachment_19341" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19341" class="wp-image-19341" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/014cfe2668299a72d0f3addb9bbd26f3-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19341" class="wp-caption-text">タイでは正月までクリスマス飾りが残っているのをよく見かけるが、キャンプでも同じようだった（2026年１月、筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>枠組みの外で働き始めた友人</strong></span></p>
<p>　2026年１月に現地訪問を終え帰国して間もなく、キャンプで再会した友人のタアワ(34)から連絡があった。バンコクに到着して出稼ぎを始めたものの、労働環境は過酷だという。彼は今回の制度が定める就労対象者ではないが、自らの判断でキャンプの外で働き始めた。</p>
<p>　タアワはこの数年間、キャンプ内で主夫として家事や子どもの世話をしてきた。筆者は訪問時に「もしかしたら来年はバンコクに行くかもしれない」と聞いてはいたが、「バンコクは大変だよ。（労働環境も）かなりきついと思うよ」と冗談交じりに話して別れたばかりだった。急な展開に、驚きを隠せなかった。</p>

<div id="attachment_19342" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19342" class="wp-image-19342" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/03/373697687e8e7f29a5ccb937d90d8363-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19342" class="wp-caption-text">「昼食を食べていって」と、筆者の好物のトマトサラダを手際よく作ってくれた。奥にあるのは、カレンの伝統的なスープ料理「タラポ」。タアワの奥さんは本当に料理がうまい（2026年１月、筆者撮影）</p></div>

<p>　キャンプの外に出れば、彼はただの非正規滞在者だ。キャンプ内の登録状況によって扱いは異なるが、彼の場合、ミャンマーへ強制送還され、妻と子どもが暮らすタイに戻れなくなるという最悪のケースもあり得る。</p>
<p>　キャンプからバンコクへ出稼ぎに行くこと自体は珍しくない。しかし、タアワはかつて筆者がミャンマーのカレン州に駐在していたとき、身近だった存在で、大切に思っている友人である。</p>
<p>　当時の彼は、初めて組織の中で役割を任され、自身の強みを活かしながら仕事をする経験を積み始めたばかりであった。そんな彼が、タイで非正規滞在者として身を潜めながら過酷な環境で働いている姿を思い浮かべるのは、耐え難い感覚だった。</p>
<p>　筆者が駐在していた2015年、カレン州の彼の出身村で武力衝突が起きた。ミャンマー都市部出身のスタッフがヤンゴンへの避難を希望するなか、彼は家族の様子を見に村へ戻った。「必ず無事に帰ってきて」と背中を見送った記憶が蘇り、どうして生きるのはこうも大変なのかと考えずにはいられなかった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>現状と制度のずれ</strong></span></p>
<p><strong>　</strong>本稿で見てきたように、難民の就労の合法化をめぐっては、複数のレベルで齟齬が生じている。</p>
<p>　まず、たとえ合法的に働ける対象者であっても、制度によって与えられる権利の条件と、家族と離れたくない、あるいは離れられない難民の生活との間には、ずれがある。また、難民の実情と、労働市場が求める若さや職種などの条件の間にも、構造的なミスマッチが存在する。さらに、タアワの例が示すように、難民の個々人の選択は、公式な就労許可の枠の外で行われることが少なくない。</p>
<p>　合法的に働く道が開かれるという大きな転換点が訪れても、キャンプでの暮らしはすぐには変わらない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<div>
<div style="height: 12px;"><span style="background: #91D8AC; padding: 6px 10px; border-radius: 5px; color: #ffffff; font-weight: bold; margin-left: 10px;">執筆者プロフィール</span></div>
<div style="padding: 30px 15px 10px; border-radius: 5px; border: 2px solid #91D8AC;">
<p><span style="font-size: 10pt;">（おおば・みどり）東京外国語大学大学院博士後期課程在学。論文に「作られた村への『帰還』に対する難民当事者たちの意味づけ ― ミャンマー・カレン州レイケイコー村を事例として」（第11回若手難民研究者奨励賞）。民間企業を経て国際協力NGOで勤務し、ミャンマーのカレン州およびラカイン州に駐在した。現在は大手NGOで調査業務に従事しながら、任意団体Listening to Communitiesの代表を務める。生活の中心は４歳の息子で、体力づくりが切実な課題。</span></p>
</div>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/thailand_legalizing_employment_for_myanmar_refugees/">タイ・ミャンマー国境の難民の今　就労が合法化されても変化はわずか</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<item>
		<title>選挙、物価高、地震　クーデターから５年を前にミャンマーを覆う３つの混迷</title>
		<link>https://dotworld.press/myanmar_three_sufferings/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 19 Jan 2026 23:49:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[村上巨樹]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=19010</guid>

					<description><![CDATA[<p>　軍事クーデターの発生からまもなく丸５年が経過しようとしているミャンマーで、昨年12月末から３段階にわたって総選挙が行われています。全国を３つの地域に分け、昨年12月28日に１回目の投票が、１月11日に２回目の投票が行わ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">
<p>　軍事クーデターの発生からまもなく丸５年が経過しようとしているミャンマーで、昨年12月末から３段階にわたって総選挙が行われています。全国を３つの地域に分け、昨年12月28日に１回目の投票が、１月11日に２回目の投票が行われました。きたる１月25日には３回目の投票が予定されていますが、2020年の総選挙で多くの国民の支持を集めた民主化指導者アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟（NLD）が排除され、全国330郡区のうち65郡区で実施が見送られているなかでの実施には、批判や反発の声が多く寄せられています。</p>
<p>　ミャンマーのレコード文化や音楽シーンに詳しく、ミャンマー音楽の変遷や奏法、そして最近の情勢について演奏活動や講演を行っている筆者が2025年12月、１年ぶりにミャンマーを訪れました。現地で選挙前夜の市民生活の今と音楽の在りかについて報告します。</p>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>スーパーマーケットから消えたCD売り場</strong></span></p>
<p>　ミャンマーでは現在、2021年２月１日のクーデター以降、初めて総選挙が実施されている。しかし、アウンサンスーチー氏が率いる政党、NLDは2023年に国軍により解党されているため、参加しているのは親軍政党のみである。また、投票可能な地域が国軍の支配がおよぶ地域に限られており、公平さを欠いているのが実情だ。</p>
<p>　今回の選挙について、国軍に反対する市民たちは「偽りの選挙」だと反発し、イギリスや欧州議会（EU）など西側諸国も正当性を認めていない。日本では第１回の投票が行われた昨年12月28日、在日ミャンマー人たちが東京のミャンマー大使館前で抗議デモを行った。</p>
<p>　そんななか、筆者は現地の音楽文化について調査研究を行うため、例年通り昨年も12月上旬から半月ほどミャンマーを訪れた。クーデター後、４度目の訪問となった今回は、人々の暮らしに伝統音楽が息づいている様子を目の当たりにし、参加する機会も得たうえ、総選挙前夜の市民の様子についても垣間見る滞在となった。</p>

<div id="attachment_19011" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19011" class="wp-image-19011" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19011" class="wp-caption-text">大通りに掲示された選挙ポスター（2025年12月７日、ヤンゴンで筆者撮影）</p></div>

<p>　今回、１年ぶりにミャンマーを訪れ、半月ほど最大都市ヤンゴンに滞在するなかで感じた変化のうち、まず驚いたのは物価の高騰ぶりだった。食料品からホテル代、ガソリンなど、すべてが値上がりしていた。</p>
<p>　筆者の専門分野である音楽業界にも大きな影響があった。まず、ヤンゴン市内では、まずCDを扱っている店舗数が激減した。１年前の2024年12月に調査した時には、CD専門店か、スーパーマーケット内のCDコーナーで売られていたが、今回はほぼすべてのスーパーマーケットからCD売り場が姿を消していた。そして、在庫が市内に点在する専門店に流れているようだった。事実、筆者は今回、スーパーマーケットの値札の上から各店の値札が貼られているのを複数のCD専門店で目撃した。<br>
　そして、CDの価格自体も高騰していた。１年前は１枚あたり5000チャット（約170円）だったが、今回は１枚あたり7000～8000チャット（約280円～320円）が相場のようだった。稀に、大御所歌手のCDに１万チャットの値札が付いていたが、この価格で買う人は、まずいないだろうと思われた。<br>
　店員は、「みんなお金がなく、音楽はYoutubeを聴くようになったので、CDの売り上げは右肩下がりだ」「停電が日常茶飯事で、わざわざプレーヤーでCDを再生しようという人もいない」と話してくれた。<br>
　とはいえ、わずかながら新譜のリリースも続いていると聞き、かすかな希望を感じた。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">緊迫の中にも息づく伝統音楽</span></strong></p>
<p>　一方、今回は嬉しいことに、ミャンマーの伝統音楽が生活の中で奏でられている場に複数回、遭遇した。サウンガウッと呼ばれる竪琴や、サインワインと呼ばれる打楽器を中心とする楽団がヤンゴン市内の寺祭りや結婚式で演奏し、参列者たちが聴き入って楽しんでいる様子を何度も見かけたのだ。</p>

<div id="attachment_19012" style="width: 310px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_B192F259-44EA-4953-93D3-D970D65F818F.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19012" class="wp-image-19012" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_B192F259-44EA-4953-93D3-D970D65F818F.jpg" alt="" width="300" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_B192F259-44EA-4953-93D3-D970D65F818F.jpg 480w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_B192F259-44EA-4953-93D3-D970D65F818F-225x300.jpg 225w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a><p id="caption-attachment-19012" class="wp-caption-text">ヤンゴン国際空港に展示されているサウンガウッ（2025年12月４日、筆者撮影）</p></div>

<p>　寺祭りの演奏は、道端に設置された仮設のステージ上で行われており、行き交う人々は無料で伝統楽器奏者のアクロバティックなアンサンブルに心躍らせ、ルースィンドーと呼ばれる道化役のお笑いショーにげらげらと笑い声を上げていた。緊迫した社会情勢とは裏腹に、朗らかな時間がそこには流れていた。</p>
<p>　一方、結婚式では、新郎新婦が入場してから式がつつがなく終わるまで、荘厳な雰囲気を引き立てるように、たゆたう旋律が、終始、奏でられているのが印象的だった。</p>
<p>　今もこうして日常の暮らしの中に伝統音楽が根付き、人々に求められているのを見て、最大都市現在のミャンマーは、とかくマイナスのイメージが先行しがちだが、筆者が見た限り、ヤンゴンの市民生活にはこうした明るい場面も確かにあった。</p>

<div id="attachment_19013" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19013" class="wp-image-19013" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/2.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/2.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/2-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/2-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/2-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19013" class="wp-caption-text">寺祭りで伝統音楽を楽しむ観客（2025年12月４日、ヤンゴンで筆者撮影）</p></div>

<p>　とはいえ、「もし、軍が今回の選挙を強行しなければ、もっと晴れやかな気分で祭りを楽しむことができたのに」という市民の声も聞かれた。また、結婚式についても、高級ホテルで華々しく式を挙げる富裕層もいれば、今日の生活さえままならない貧困層もいるのが、今のヤンゴンだ。そして、その差は１年前よりも広がっているように感じた。市内を歩くと、市営のごみ集積場でごみを漁る人々の姿をしばしば目にした。彼らは性別も年齢もさまざまで、金属片やガラス瓶、段ボールなど、少額でも金銭に交換できそうなものをしらみつぶしに集めていた。</p>
<p>　また、筆者がレストランのオープン席で食事をしていた時のこと、目の虚ろな女性が近付いてきて、「その皿の上に余っている料理、残すならちょうだい」と言った。彼女の衣服は茶色く汚れ、手にはおそらく他店で集めた残飯が入っていると思われる小さなビニール袋を持っていたが、思わずたじろぐほど強烈な腐臭を放っていた。その日その日を生きるのに必死な人は、１年前よりも格段に増えていることを実感した瞬間であった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「偽りの選挙」に冷ややかなまなざし</strong></span></p>
<p>　前述の通り、今のミャンマーは貧富のるつぼであるのに加え、安危についても混沌としている。ヤンゴン市内には国軍の監視小屋がいくつも設けられ、人々が多く集まる場所には機関銃を携えた警察官が配備されている。ヤンゴン国際空港の近くの幹線道路では軍用車が列を成し、軍人たちが幌の中から辺りを見渡してにらみを利かせている。</p>
<p>　しかし、こういった物騒なエリアのすぐ隣では寺祭りが開かれ、まるで遊園地かのような賑わいがある。相反する治安が、同時並行的に存在しているのだ。</p>
<p>　今回、ヤンゴンに住むXさんに、匿名を条件に、日々の暮らしや経済、総選挙への思いなどについてインタビューする機会を得た。</p>
<p><strong><em>――間もなく実施される総選挙についてどう思っていますか。</em></strong></p>
<p>【<span style="color: #000000;">Ｘさん</span>】これは偽りの選挙であり、私は投票に行くつもりはない。私を含め、周囲の人々は同じです。私たちは「投票をボイコットする」といった強硬姿勢ではなく、「軍はいったい何をやっているのだか」と冷笑している、というのが実態だ。もっとも、こう言えるのも、ヤンゴンは大都会で、隣近所に住む人同士も誰が投票に行って誰が行かなかったのか、互いに無関心で、何も言わないからかもしれない。その点、地方はコミュニティが小さく、相互に監視の目が行き届きやすいため、そういうわけにはいかない。そうしたことを考えると、結果的に地方の方が投票率は高くなると思われる。</p>
<p><strong><em>――選挙が終わったら、ミャンマー経済にどのような影響があるでしょうか。</em></strong></p>
<p>【<span style="color: #000000;">Ｘさん</span>】何も変わらないだろう。貧富の差はさらに拡大するだろうが、選挙が行われる前の今ですら経済格差は大きいため、選挙の結果と経済はあまり結び付かないと思われる。<br>
　ミャンマーでは現在、ひどいインフレが起きている。給与所得が上がらないにも関わらず、あらゆる物価が高騰している。買い物に出ると、あっという間に１万チャット札（※ミャンマーの最高額紙幣、約4000円）が財布からなくなる。私は最近、できるだけ外食を控えるようにしている。富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなっているのが現状だ。</p>
<p>　ミャンマー経済の基本は、これまで農業をはじめとする第一次産業だった。国内に製造業はほとんどなく、例えば自動車なども輸入に頼ってきた。しかしクーデターによって国境は封鎖され、陸路で輸入することを軍は表向き停止している。仮に国内に第二次産業があったなら、状況はまだ今よりも良かっただろう。</p>
<p><strong><em>――直近の教育事情はいかがですか。</em></strong></p>
<p>　【Xさん】ヤンゴンでは、クーデター以降、私立学校が相次いで開校している。そうした学校は、新入生歓迎パーティーを高級ホテルで開催するほどで、授業料も高いため富裕層の子弟しか通えない。</p>
<p>　その一方で、公立学校に通っているのはお金に余裕がない家庭の子弟だ。もっとも、実際は公立学校も無償ではないため、それすら払えない家庭の子どもたちはそもそも通うことができない。さらに、公立学校では授業のなかで国軍のプロパガンダが行われている。もともと勤めていた教師のうち、クーデターに反対した者たちはCDM（市民的不服従運動）に参加して職を失った。今、残っている教師たちはその後釜であり、質は良くない。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>傷痕が生々しい古都マンダレー</strong></span></p>
<p>　筆者は今回、ミャンマー第二の都市、マンダレーも訪ねた。この町を含むミャンマー中部地方は、2025年３月28日、巨大地震に見舞われ、多くの犠牲者を出した。発生から９カ月が経過した町の状況が気懸かりだった。</p>
<p>　マンダレーを代表する寺院「マハムニパゴダ」にも、地震の傷跡が生々しく残っていた。瓦礫はすでに撤去され、修復工事用の足場が架けられているものの、いまだに屋根は崩れたままで、回廊もあちこちに無残にひびが入っていた。</p>

<div id="attachment_19016" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_1B943E08-AAD8-4FDF-A699-7B7039E2D5D2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19016" class="wp-image-19016" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_1B943E08-AAD8-4FDF-A699-7B7039E2D5D2.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_1B943E08-AAD8-4FDF-A699-7B7039E2D5D2.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_1B943E08-AAD8-4FDF-A699-7B7039E2D5D2-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_1B943E08-AAD8-4FDF-A699-7B7039E2D5D2-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/Messenger_creation_1B943E08-AAD8-4FDF-A699-7B7039E2D5D2-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19016" class="wp-caption-text">マハム二パゴダ内の回廊には、ひびがあちこちに入っていた（2025年12月13日、筆者撮影）</p></div>

<p>　また、本堂に向かう参道も、かつては両脇に仏具屋や土産物屋が軒を連ねて賑わいを見せていたものだが、今は参道そのものが閉鎖され、その外側に立てられた仮設テントの下でわずかに営業している店がある程度だ。</p>

<div id="attachment_19017" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19017" class="wp-image-19017" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/3.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/3.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/3-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/3-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/3-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19017" class="wp-caption-text">崩れた寺院に向かい手を合わせて祈る参拝者（2025年12月13日、マンダレーで筆者撮影）</p></div>

<p>　マンダレー中央駅や王宮がある中心エリアも散策してみると、瓦礫が残ったままの土地や、売りに出されたビル、シャッターが下ろされた店舗、崩れたままの歩道が目についた。特に目を引いたのが、マンダレー中央駅から延びる線路沿いに並ぶ路上生活者たちの仮設テントだった。12月のマンダレーは寒暖差が激しく、日中は30度前後まで上がる一方、朝晩は15度近くまで冷え込み、長袖が欠かせないほど冷え込む。過酷な気候が、彼らの境遇をさらに厳しくしている。</p>

<div id="attachment_19018" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/78faa3fc10b7835e5428649f5c9e1b46.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19018" class="wp-image-19018" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/78faa3fc10b7835e5428649f5c9e1b46.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/78faa3fc10b7835e5428649f5c9e1b46.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/78faa3fc10b7835e5428649f5c9e1b46-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/78faa3fc10b7835e5428649f5c9e1b46-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/78faa3fc10b7835e5428649f5c9e1b46-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19018" class="wp-caption-text">マンダレー中央駅から延びる線路沿いには路上生活者たちの仮設テントが並んでいた（2025年12月13日、マンダレーで筆者撮影）</p></div>

<p>　一方、この町の今の音楽シーンはと言えば、良質なCD専門店がとうとうなくなってしまったようだ。１年前まで営業していた２軒を訪ねてみると、うち１軒は地震により店舗が倒壊して休業状態だった。在庫は店主が自宅に運んだものの、まだ営業を再開できる状況ではないという。もう１軒は、店舗自体は無事なようだが、しばらく陽の当たるところに放置されていたのだろうか、ミャンマー曲や洋楽ポップスなどのCDや、パソコンでダビングされた粗悪なCD-Rが並べられ、虚飾に成り果てていた。</p>

<div id="attachment_19019" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19019" class="wp-image-19019" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/5.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/5.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/5-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/5-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/5-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19019" class="wp-caption-text">マンダレーで訪ねた専門店の１つには、色褪せたCDや粗悪なCD-Rが棚に並んでいた（2025年12月13日、筆者撮影）</p></div>

<p>　選挙、物価の高騰、そして地震という３つの混迷が、今のミャンマーを覆っている。そんななか、ヤンゴンに限って言えば、筆者が見たところ、人々は出来レースで結果が見えている選挙には関心がなく、それより日々の生活をどう生き抜くかに必死なようだった。一方、マンダレーの場合は、それに加えて震災からの復興が重くのしかかる。実際、マンダレーでは今回、音楽が響く現場に遭遇することは叶わなかった。念のため、住民たち何人かに「祭りは開かれるか」と尋ねたが、皆、「分からない」「知らない」の一点張りだった。</p>
<p>　複数の問題を抱えたまま、それでも人々は今日を生きている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div>
<div style="height: 12px;"><span style="background: #91D8AC; padding: 6px 10px; border-radius: 5px; color: #ffffff; font-weight: bold; margin-left: 10px;">著者プロフィール</span></div>
<div style="padding: 30px 15px 10px; border-radius: 5px; border: 2px solid #91D8AC;">
<p><span style="font-size: 16px;"><span style="font-size: 10pt;">（むらかみ・きょじゅ）ギター奏者、作曲家、ミャンマーマンドリン奏者。2007年、ギターとドラムだけのバンドte_riを結成。これまでに７枚のアルバムをリリース。日本国内はもとより海外公演も多数行う。 2016年からミャンマーを訪問し、現地の音楽を調査。その結果を報告するトークイベントを日本各地で開催。ミャンマー音楽の専門家とし</span></span><span style="font-size: 16px;"><span style="font-size: 10pt;">て寄稿や講演を行っている。<a href="https://cadisc.main.jp/">https://cadisc.main.jp/</a></span></span></p>
</div>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/myanmar_three_sufferings/">選挙、物価高、地震　クーデターから５年を前にミャンマーを覆う３つの混迷</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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</div>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>ミャンマー　偽りの選挙、見えない解決</title>
		<link>https://dotworld.press/myanmar_election_forum_discussion/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 16 Jan 2026 11:52:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[北川成史]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=18997</guid>

					<description><![CDATA[<p>　５年前にクーデターで政権を奪ったミャンマー国軍が2025年12月末、総選挙を開始した。今月下旬にかけて３回に分けて投票が実施される。だが、総選挙とは名ばかりで、国軍に対抗する民主派は排除され、内戦のために国土全域では実 [&#8230;]</p>
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]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　５年前にクーデターで政権を奪ったミャンマー国軍が2025年12月末、総選挙を開始した。今月下旬にかけて３回に分けて投票が実施される。だが、総選挙とは名ばかりで、国軍に対抗する民主派は排除され、内戦のために国土全域では実施されない。真の民政移管にはほど遠く、国民は冷ややかな視線を投げかけている。選挙後、ミャンマーに変化はあるのか。国際社会はどう向き合うべきなのか。投票に合わせ、独立系メディアなどが隣国タイで開催したフォーラムでの議論を軸に考える。</p>

<div id="attachment_18999" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/aa6949f46ec8aa0ed4b3be7c378755bb.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18999" class="wp-image-18999" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/aa6949f46ec8aa0ed4b3be7c378755bb.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/aa6949f46ec8aa0ed4b3be7c378755bb.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/aa6949f46ec8aa0ed4b3be7c378755bb-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/aa6949f46ec8aa0ed4b3be7c378755bb-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/aa6949f46ec8aa0ed4b3be7c378755bb-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18999" class="wp-caption-text">2025年12月28日、第1回投票が実施されたミャンマー北西部チン州の投票所（ミッジマ提供）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>言論の自由ない母国の市民に代わって声を</strong></span><br>
　ミャンマーの国会は下院440議席、上院224議席の計664議席で構成される。このうち各院の25％を占める軍人枠を除き、計498議席を選挙で決める形式になっている。</p>
<p>　ただ今回、実際の改選対象は422議席にとどまる。クーデターに反発する民主派や少数民族との内戦が続いているため、軍事政権は治安を理由に選挙の実施地域を全国330郡区のうち265郡区に限定。３回に分けて投票を実施する仕組みにした。第１回投票は2025年12月28日に102郡区、第２回は今月11日に100郡区で実施された。残る63郡区での第３回投票は今月25日に予定されている。電子投票が初めて導入されたのも今回の特徴だ。白票は投じられなくなっている。</p>
<p>　第１回投票日の2025年12月28日、選挙の問題点を議論するフォーラムが、タイ北部チェンマイの地元放送局の部屋を使って開催された。パネリストはミャンマーを逃れた独立系メディアのジャーナリストや元議員、民主活動家、NGO関係者ら。ミャンマーでは2025年７月、選挙を妨害する行為を死刑などで罰する新法「選挙保護法」が制定された。公の場で選挙に異を唱えるのが難しいミャンマーの市民に代わり、隣国から声を上げた格好だ。</p>
<p>　タイや日本（筆者）、台湾などのメディア関係者も参加。プーチン政権の弾圧を受けるロシアの独立系メディア「DOXA」のジャーナリストがいたのも印象的だった。</p>

<div id="attachment_19000" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/b7691645a501b8405ecfedf842e75098.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19000" class="wp-image-19000" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/b7691645a501b8405ecfedf842e75098.jpg" alt="" width="400" height="238" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/b7691645a501b8405ecfedf842e75098.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/b7691645a501b8405ecfedf842e75098-300x178.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19000" class="wp-caption-text">2025年12月28日、メディアやNGO関係者などが集まり、タイ北部チェンマイで開かれたフォーラム（筆者撮影）</p></div>

<p>　フォーラムはSNSを通じて生配信された。４部構成で、第２部は英語を使用。ほかの３つの部はミャンマー語だったが、英語で議論の要約が提供された。</p>
<p>　英語による第２部の題名は、「ミャンマーの偽りの選挙：軍事政権はなぜそれを欲するのか―そして次に何が起きるのか」。モデレーターを務めたミャンマーの代表的な独立系メディア「イラワジ」の編集長チョーゾーモーの発言で、議論は幕を開けた。</p>
<p>　2021年２月１日のクーデター後、国軍に批判的なメディアは、報道免許の剝奪や記者の逮捕といった圧力を受け、緊急避難的にチェンマイに拠点を移すメディアが相次いだ。イラワジもその一つだ。</p>
<p>　チョーゾーモーはまず、民主化指導者アウンサンスーチー率いる「国民民主連盟（NLD）」などが排除された選挙を「誰もが茶番だと認識している」と切り捨てた。第１回投票当日、最大都市ヤンゴンの投票所でも有権者はまばらだったとして「選挙に対する国民の静かな拒絶」と表現。選挙は国軍が民政移管を装って統治の継続を狙う「出口戦略」と断言した。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>世界を欺く国軍、分断統治の予測</strong></span></p>
<p>　ミャンマーでは「ビルマ社会主義計画党（BSPP）」の一党独裁下にあった1988年、大規模な民主化運動が広がった。アウンサンスーチーらが先頭に立ち、民主化を求めたが、当時も国軍がクーデターを起こして実権を握り、武力で運動を抑え込んだ。</p>
<p>　その後の軍政下の2010年、NLDが不参加の形で総選挙が実施され、軍系政党「連邦団結発展党（USDP）」が勝利。翌年、元軍人のテインセイン大統領の政権が発足し、一応の民政移管となった。2015年の総選挙はNLDが参加して大勝し、2016年に半世紀ぶりとなる文民政権を樹立した。NLDは2020年の前回総選挙でも圧倒的勝利を収めたが、その結果は2021年、クーデターで覆された。</p>
<p>　選挙を監視するNGO「スプリング・スプラウツ」でエグゼクティブ・ディレクターを務めるティンチョーエイがチョーゾーモーからマイクを引き継ぎ、「2010、2015、2020年に選挙が中止された郡区は10～15だった。今回は65で全郡区の５分の１に上る。地図で見ると、中止された地域は国土の半分に及ぶ」と選挙の不完全さを指摘。「世界中に何百万人ものミャンマー人の移住労働者らがいるのに、期日前の在外投票をしたのはわずか５千人余りだった」と、有権者の冷めた胸中を物語るデータを紹介した。</p>
<p>　1988年当時から民主活動家として活動を続けるキンオーンマーも登壇し、今回の選挙での国軍の狙いを「世界を欺いて国際社会からの正当性を得ることだ」と批判。選挙後、国軍は抵抗勢力に対し、個別に停戦を提案するなど「分断統治」の手法で弱体化を図るだろうと予測した。</p>

<div id="attachment_19001" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1d5b4c980f94ad7fd843f7b07f606b67.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19001" class="wp-image-19001" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1d5b4c980f94ad7fd843f7b07f606b67.jpg" alt="" width="400" height="260" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1d5b4c980f94ad7fd843f7b07f606b67.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/1d5b4c980f94ad7fd843f7b07f606b67-300x195.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19001" class="wp-caption-text">2025年12月28日、フォーラムで発言するキンオーンマー㊨（筆者撮影）</p></div>

<p>　フォーラムでは、国軍によるSNSを通じた情報操作や電子投票を通じた国民監視への警鐘も鳴らされた。</p>
<p>　ミャンマーのデジタル空間を追跡するNGO「ミャンマー・インターネット・プロジェクト」でディレクターを務めるテイクテイクアウンは、「クーデター以来、軍政は監視の戦術とツールを拡大してきた」と主張。「組織化された軍支持のネットワークがSNSプラットフォームを利用し、軍のナラティブ（語り口）を浄化しているのが確認され、今回の不正選挙に関連する特定のメッセージを押し上げている」と述べた。また、こうした国軍によるデジタル空間の利用について、「軍はナラティブ（の拡散技術）についてロシアと密接に協力し、中国からインフラの支援を受けている」との見方を示した。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>報復の恐怖、嫌々投票の市民も</strong></span></p>
<p>　クーデター後、チェンマイにはメディア関係者だけでなく、多くのミャンマー人が逃れた。筆者がそうしたミャンマー人らの話を聞く限り、選挙への関心は低く、在外投票をした人物には出会えなかった。</p>
<p>　ミャンマー中部マンダレーからチェンマイに避難し、民主派への支援をひそかに続ける女性は、「マンダレーでは地区の行政管理者が路地まで来て『選挙に行くように』と叫んでいたという。だが、現地にいるきょうだいやその家族は誰も投票しなかった」と語った。</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/ca409b1593a4491d18292e29ca6b6786.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-19007" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/ca409b1593a4491d18292e29ca6b6786.jpg" alt="" width="402" height="450" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/ca409b1593a4491d18292e29ca6b6786.jpg 563w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/ca409b1593a4491d18292e29ca6b6786-268x300.jpg 268w" sizes="auto, (max-width: 402px) 100vw, 402px" /></a></p>
<p>　フォーラムでも、特に紛争地域での選挙の空疎さを指摘する声が、独立系メディア関係者などから相次いでいた。</p>
<p>　北部カチン州の情勢を報じる「カチン・ニュース・グループ（KNG）」のサムノー編集長は「州内18郡区のうち、選挙はわずか６郡区に限られている。選挙が行われているという国民の認識はほぼゼロだ」と主張した。</p>
<p>　東部カイン（カレン）州のニュースを発信する「カレン情報センター（KIC）」のナンポーゲイ編集長も「候補者は事実上、国民に知られていない。選挙活動は候補者個人のフェイスブックページ上で行われているに過ぎない」と突き放す。またナンポーゲイは、少数民族カレン人の武装勢力「カレン民族同盟（KNU）」が選挙を受け入れていないことから「KNU支配地域への報復的な空爆が起きている」と、異論に力を振りかざす国軍を非難した。</p>

<div id="attachment_19002" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/11d2964a31b4378b8a4f5f6770dee2aa.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-19002" class="wp-image-19002" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/11d2964a31b4378b8a4f5f6770dee2aa.jpg" alt="" width="400" height="266" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/11d2964a31b4378b8a4f5f6770dee2aa.jpg 640w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2026/01/11d2964a31b4378b8a4f5f6770dee2aa-300x200.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-19002" class="wp-caption-text">2025年12月28日、フォーラムで話すナンポーゲイ（左から２人目、筆者撮影）</p></div>

<p>　北東部シャン州の出来事を追う「シャン・ニュース」のサイムアン編集長は、「選挙が盛り上がっている写真を作り出すため、軍系の民兵が村人を車に押し込み、投票所へ運んでいる」との現地情報を伝えた。</p>
<p>　また、筆者はフォーラムとは別の場で、チェンマイを拠点に活動する独立系メディア「ミャンマー・ナウ」の記者アウンナインと会う機会があった。</p>
<p>　アウンナインは第１回投票日、ヤンゴンやマンダレーの有権者５人に電話やオンラインでインタビューした。「５人全員が『投票には行きたくない』と答えた。だが、子どもが徴兵制の対象になったり、必要な公的書類が得られなくなったりする報復を恐れ、そのうち２人はやむなく投票したと話した」という。</p>
<p>　徴兵制は2024年２月、民主派や少数民族との内戦で当時劣勢にあった国軍が、18歳以上の男女を対象に開始すると発表した。徴兵逃れのわいろが横行するなど、対象者を選定する際の恣意性が報告されている。国軍の圧力にさらされ、投票を巡って逡巡する市民の複雑な心中が、アウンナインのインタビュー結果から透けて見える。</p>
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		<title>見せかけの民政移管　ミャンマー総選挙を前に聞く（下）</title>
		<link>https://dotworld.press/myanmar_sham_general_election_2/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 27 Dec 2025 04:12:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[北川成史]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=18867</guid>

					<description><![CDATA[<p>　ミャンマーで2021年２月、国軍がクーデターで実権を奪った後、弾圧を避けるため、多くの報道関係者が隣国タイに逃れた。主要な避難先の北部チェンマイには、数百人以上が滞在しているとみられる。彼らは困難に直面しながらも、母国 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　ミャンマーで2021年２月、国軍がクーデターで実権を奪った後、弾圧を避けるため、多くの報道関係者が隣国タイに逃れた。主要な避難先の北部チェンマイには、数百人以上が滞在しているとみられる。彼らは困難に直面しながらも、母国の実情を伝えようとしている。国軍統治下での総選挙が今月28日から予定されているなかで、どんな思いを抱いているのか。</p>

<div id="attachment_18880" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/09ccf8e18b0de3c48fa6286d6abbb740-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18880" class="wp-image-18880" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/09ccf8e18b0de3c48fa6286d6abbb740-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/09ccf8e18b0de3c48fa6286d6abbb740-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/09ccf8e18b0de3c48fa6286d6abbb740-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/09ccf8e18b0de3c48fa6286d6abbb740-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/09ccf8e18b0de3c48fa6286d6abbb740-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/09ccf8e18b0de3c48fa6286d6abbb740-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/09ccf8e18b0de3c48fa6286d6abbb740-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18880" class="wp-caption-text">ミャンマー中部バゴー地域で、民主化指導者アウンサンスーチーの入れ墨を見せる国民防衛隊（PDF）のメンバー（2025年６月、マーノウ撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>消えた自由への希望</strong></span></p>
<p>　世界的な観光地となっているタイの古都チェンマイ。クーデター後、国軍支配に反発する人々がミャンマーから身を寄せ、同国出身者のコミュニティーが拡大した。チェンマイでミャンマー料理を出す店はめずらしくない。<br>
　その一つに、ミャンマー出身の著名なフォトジャーナリストのマーノウ（30）が現れた。杖をつき、足をひきずっている。マーノウは2025年８月下旬、チェンマイでバイクを運転中、飲酒運転の車に追突された。一命を取り留めたものの、頭などにけがを負い、リハビリを続けている。<br>
　マーノウは2014年ごろ、ジャーナリストのキャリアをスタートさせた。長い軍政をへて、2011年にミャンマーがいったん民政移管した後だった。軍系政党「連邦団結発展党（USDP）」を率いる元軍人のテインセインが大統領に就き、軍政の延長だったものの、民間メディアに対する規制が緩和された。<br>
　「いろいろな雑誌が発行され、そこに自分が撮った写真が載るのがうれしかった」と、マーノウは振り返る。</p>

<div id="attachment_18881" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/d7f1beb2d1419c31e552ff5494d25141.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18881" class="wp-image-18881" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/d7f1beb2d1419c31e552ff5494d25141.jpg" alt="" width="400" height="281" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/d7f1beb2d1419c31e552ff5494d25141.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/d7f1beb2d1419c31e552ff5494d25141-300x211.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/d7f1beb2d1419c31e552ff5494d25141-768x540.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18881" class="wp-caption-text">フォトジャーナリストとしての経験を話すマーノウ（2025年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　少数民族カチン人の血を引くマーノウ。主に国土周縁部にある少数民族のエリアに足を運び、写真を撮影した。<br>
　民主化指導者アウンサンスーチーの姿も追った。2015年の総選挙には、スーチーが率いる「国民民主連盟（NLD）」が参加した。マーノウはスーチーの選挙区に赴き、その活動を撮影した。<br>
　NLDは総選挙で圧倒的支持を集め、翌年、半世紀ぶりとなる文民政権を樹立した。「影響力を持つ軍に対して何でも言えるわけではなく、完全な報道の自由が保障されたわけではないけれど、スーチー政権下で自由度が増していくのを感じ、楽しかった」<br>
　2020年11月の総選挙でもマーノウはスーチーの選挙活動を取材し、NLDは再び圧勝した。だが、３カ月後の2021年２月１日、ミャンマー国軍はクーデターを起こし、選挙結果を覆した。NLDはスーチーら幹部が拘束され、解党になった。<br>
　マーノウは悔しさをにじませる。「かつて感じた楽しさが、今は消えてしまった」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>国外から力を尽くす</strong></span></p>
<p>　クーデター当時、マーノウは最大都市ヤンゴンにいて、独立系の英字紙「ミャンマー・タイムズ」で働いていた。町に広がったクーデターへの抗議デモを取材し、市民の怒りを伝えた。しかし、国軍は武力でデモを弾圧。クーデターを批判する報道機関に圧力をかけ、ミャンマー・タイムズも活動を停止した。<br>
　それでもマーノウは、フリーの立場で写真を撮り、別の独立系メディアや海外の報道機関を通じて発信を続けた。<br>
　北部ザガイン地域や東部カヤ州、北東部シャン州などの戦闘地域に赴き、国軍に抵抗する民主派の武装組織「国民防衛隊（PDF）」や少数民族武装勢力にレンズを向けた。「私たちジャーナリストは、ミャンマーで何が起きているかを知らせないといけない。それだけを考えてやってきた」</p>

<div id="attachment_18882" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/c850ea712e8becf6d095b230d5970692-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18882" class="wp-image-18882" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/c850ea712e8becf6d095b230d5970692-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/c850ea712e8becf6d095b230d5970692-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/c850ea712e8becf6d095b230d5970692-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/c850ea712e8becf6d095b230d5970692-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/c850ea712e8becf6d095b230d5970692-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/c850ea712e8becf6d095b230d5970692-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/c850ea712e8becf6d095b230d5970692-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18882" class="wp-caption-text">ミャンマー北部ザガイン地域で2022年２月、新たに作った武器をテストするPDFの兵士（マーノウ撮影）</p></div>

<p>　国軍の締め付けが強まるなか、仕事仲間らが逮捕され、身の危険を感じたマーノウはチェンマイに移動した。隣国を拠点にしつつも、ミャンマーに入り、PDFの活動などを写真に収めてきた。<br>
　「ミャンマー国内は軍の弾圧で自由な発信ができない。国外にいる私たちが力を尽くさないといけない」とマーノウは言う。それは戦闘地域で国軍の非人道的な行為に接してきた経験と絡む。<br>
　「軍は学校や病院、宗教施設など、人が集まっている場所を戦闘機やドローンで空爆する。殺されたり、やけどを負ったりした人を見てきた。なぜ、武器を持たない市民を傷つけるのか。受け入れられない」<br>
　国軍は2025年12月28日から2026年１月にかけ総選挙を実施する。NLDは排除され、USDPの勝利が確実視されている。マーノウは「見せかけの選挙だとみんな分かっている」と突き放す。<br>
　マーノウはけがからの回復途上だが、これまで撮影した写真を活用して、ミャンマーについて伝えたいという。体調が戻ったら、撮影活動を再開する考えだ。「私はどの国にいようとミャンマー人だ。母国の実情を世界の人が知るように力を傾けたい」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>避難民の苦難に光を</strong></span></p>
<p>　ニン（30）はフリーのジャーナリストとしてチェンマイを拠点に活動する。独立系メディアを通じ、母国の情勢を発信している。</p>

<div id="attachment_18883" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/32bd3acd704ff48eb44e9e2768e69f05.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18883" class="wp-image-18883" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/32bd3acd704ff48eb44e9e2768e69f05.jpg" alt="" width="400" height="253" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/32bd3acd704ff48eb44e9e2768e69f05.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/32bd3acd704ff48eb44e9e2768e69f05-300x190.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/32bd3acd704ff48eb44e9e2768e69f05-768x486.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18883" class="wp-caption-text">クーデター後を振り返るニン。家族の安全のため顔は出せない（2025年11月 筆者撮影）</p></div>

<p>　もともとはシャン州で、父母らと家族で喫茶店を開いていた。クーデター後、喫茶店はデモ参加者らのたまり場となった。軍政下での職務をボイコットする「市民不服従運動（CDM）」に参加した公務員らには、無料で食事を提供した。<br>
　だが、国軍がデモを弾圧し、強硬姿勢を露わにするにつれ、ニンを取り巻く環境は緊張感が増していった。兄はPDFに入り、民主派の武力闘争に加わった。弟も闘争への参加を希望し、少数民族武装勢力のもとでの軍事訓練に向かったが、途中で拘束された。危険を感じたニンと両親は、親せきの家などに身を寄せた。その間に自宅は差し押さえられた。<br>
　ニンは2022年６月ごろ、兄の所属するPDFがいるシャン州南部に逃れた。同年12月、メディア関係者がSNSで開いていたジャーナリスト講習を受け、報道の道に進んだ。「周りにいる避難民たちがどれだけ大変な暮らしをしているかを伝えたかった」と語る。<br>
　ミャンマーではクーデター後、国連推計で300万人を超える国内避難民が生じている。ニンはIDPキャンプにいる人々の苦境を報じた。「報道することでキャンプに支援が集まるのが、本当にうれしかった。だからジャーナリストを続けていこうと決めた」<br>
　2024年５月、知人の勧めでチェンマイに移動してからも、ミャンマー国内の避難民らと連絡を取り、報道を続けている。</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/cd8830fd813cb58131f7769c21d180c1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-18940" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/cd8830fd813cb58131f7769c21d180c1.jpg" alt="" width="414" height="450" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/cd8830fd813cb58131f7769c21d180c1.jpg 681w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/cd8830fd813cb58131f7769c21d180c1-276x300.jpg 276w" sizes="auto, (max-width: 414px) 100vw, 414px" /></a></p>
<p>　ニンが一時逃れていたシャン州南部は、国軍とPDFとの戦闘が激化している。総選挙を前に、国軍はPDFに制圧された地域を奪還しようと攻勢を強めているためだ。<br>
　「シャン州南部からカヤ州のデモーソー周辺に避難民らが逃れている。デモーソー周辺にも既に避難民がいたのに、さらに数が増え、食料が不足している」<br>
　ニンは国軍に強く憤る。「軍は国民を苦しめ、殺しておきながら、総選挙で自分たちの息がかかった政権を樹立し、国民に選ばれたようにアピールしようとしている」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>民主主義を生かし続ける</strong></span></p>
<p>　少数民族シャン人のサイカンプー（45）は、民族色を持った独立系メディア「シャン・ニュース」のジャーナリストだ。シャン人が多く住むシャン州などの出来事を伝えている。シャン州都タウンジーとチェンマイの２カ所を拠点にしていたが、クーデターを受け、チェンマイに拠点を集約した。<br>
　サイカンプーはシャン州での若者の薬物汚染を主要テーマとする調査報道の担当者だった。クーデター後、国軍と民主派や少数民族との内戦が広がり、報道機関への圧力も顕著になった。安全を考え、サイカンプーは妻と３人の子どもを連れ、2022年５月、チェンマイに移動。同僚らとともにミャンマーの情勢を伝え続けている。</p>

<div id="attachment_18886" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/ed53dfcf31405cea8491de40486e940c.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18886" class="wp-image-18886" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/ed53dfcf31405cea8491de40486e940c.jpg" alt="" width="400" height="291" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/ed53dfcf31405cea8491de40486e940c.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/ed53dfcf31405cea8491de40486e940c-300x218.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/ed53dfcf31405cea8491de40486e940c-768x559.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18886" class="wp-caption-text">各民族の平等が保障されなければ、戦いは終わらないと話すサイカンプー（2025年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　隣国からの発信について、サイカンプーは「長年かけてミャンマー国内に築いたネットワークと、研修で育てた市民ジャーナリストの力に支えられている」と説明する。</p>
<p>　総選挙について、サイカンプーも「見せかけ」と言い表す。「内戦が続くなか、シャン州の55郡区のうち、選挙を完全に実施できるのは12郡区ほどだろう」と予測する。そして「選挙後も戦闘は終わらない」と断言した。</p>
<p>　そこには、少数民族が多数派民族ビルマ人の支配層に向ける厳しい視線がある。「私たちは独自の言語や文化があるのに、ビルマ語を使い、ビルマ人の文化を受け入れる『ビルマ化』を強いられてきた」</p>
<p>　サイカンプーは、「少数民族が戦うのは、各民族が平等で自己決定権を持った連邦制の国をつくるためだ。中央集権的な権威主義国家は求めていない」と主張し、ビルマ人主体で強権的な国軍を批判。「中央集権的な権威主義と戦っているのはPDFも同じだ」として、少数民族やPDFの反軍闘争は収束しないという見方を示した。</p>
<p>　総選挙後の混迷を予想するサイカンプーは、国際社会の関与を求めるなかで、日本政府に望んだ。「もっとミャンマーの問題に関与し、各勢力間の対話や政治的な解決を長期的視点で支援してほしい。国境沿いのメデイアへの支援も忘れないでほしい。メディアには人々の思いを明らかにし、ミャンマーの民主主義を生かし続ける役割がある」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>事実の目撃者</strong></span></p>
<p>　ベテランジャーナリストのモンモンミャット（55）は独立系メディア「ビルマ民主の声（DVB）」のチェンマイ支局長を2025年６月まで務め、現在も上級経営顧問としてチェンマイに滞在している。</p>
<p>　DVBは1988年にミャンマーで広がった民主化運動に参加し、亡命したミャンマー人らが、ノルウェー政府の支援を受けて1992年に設立した。2011年の民政移管後、ミャンマー国内での活動が認められたが、クーデター後は報道免許を剥奪され、チェンマイを拠点としている。</p>

<div id="attachment_18887" style="width: 277px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/5a0553769fd481e99e9e793f8b685db3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18887" class="wp-image-18887" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/5a0553769fd481e99e9e793f8b685db3.jpg" alt="" width="267" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/5a0553769fd481e99e9e793f8b685db3.jpg 533w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/5a0553769fd481e99e9e793f8b685db3-200x300.jpg 200w" sizes="auto, (max-width: 267px) 100vw, 267px" /></a><p id="caption-attachment-18887" class="wp-caption-text">メディアの使命について語ったモンモンミャット</p></div>

<p>　モンモンミャットはフィリピン大学でジャーナリズムを学び、2004年、フランスのAFP通信のミャンマー駐在スタッフとして仕事を始めた。いくつかの海外メディアで働いた後、フリージャーナリストとして活動した。<br>
　2007年の「サフラン革命」と呼ばれる民主化要求運動、2008年に国軍主導で実施された新憲法の国民投票、2011年の民政移管―。今世紀に入ってミャンマーで起きた大きな事象を追ってきた。<br>
　クーデター後、モンモンミャットは国軍の弾圧を報じた。2021年３月、ヤンゴン北部で、軍政に抗議するデモの参加者ら60人以上が治安部隊に殺されたとされる事件も扱った。<br>
　「何が現場で起きているのかを自ら目撃し、伝えたい」。ジャーナリストになった時からの一貫した思いをモンモンミャットは語る。<br>
　ただ、現在のミャンマーでそれを実行するのは危険と隣り合わせだ。記者らの逮捕が相次ぎ、ジャーナリストとして活動するリスクを感じていた時、DVBからオファーを受け、2023年６月、チェンマイ支局長に就いた。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">チェンマイに数百人以上</span></strong></p>
<p>　DVB、イラワジ、ミッジマ、ミャンマー・ナウ、ビルマ・ニュース・インターナショナル（BNI）。クーデター後、ミャンマーの５大独立系メディアが、チェンマイを主要拠点とする状況になった。<br>
　ほかにも、シャン・ニュースのような地域メディアや、ニンのようなフリージャーナリストも、チェンマイを拠点にしている。<br>
　モンモンミャットは「チェンマイでDVBに限っても、約50人を雇っている。全体で数百人以上のミャンマー人ジャーナリストがチェンマイにいるだろう」と見積もる。タイでは、ミャンマーと接する北西部メソトや首都バンコクにも、多くのミャンマー人ジャーナリストがいるという。<br>
　こうしたジャーナリストらは安定した雇用や収入の面で困難を抱えている。<br>
　モンモンミャットは、2025年１月に発足したアメリカのトランプ政権による対外援助の削減が、メディア関係者に急激な打撃を与えたと指摘する。<br>
　トランプ大統領は対外援助を担う政府機関「国際開発局（USAID）」を解体した。USAIDの事業には、途上国のメディアに対する支援も含まれていた。<br>
　「タイに拠点を置くいくつかのメディアで、スタッフ全員に賃金を支払う余裕がなくなり、人員を削減した。そのため無職やフリーランスになり、定期的な給与を失ったジャーナリストたちがいる」<br>
　DVBも例外ではない。「アメリカの対外援助削減が、運営費の20～30％に影響を与えた。ノルウェー政府が穴埋めを図ってくれたが、収入は減少した」とモンモンミャットは明かす。<br>
　解雇を避ける苦肉の策として、健康保険料やビザ取得費用の支給などの各種手当てを減らざるを得なくなった。<br>
　モンモンミャットは「海外からの援助への依存度を下げ、自己収入を増やす計画を準備している」と話す。ユーチューブ番組などのオンライン上のサブスクリプション（定額制）やコンテンツの販売で収益を上げる仕組みの強化を目指すという。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">メディアの務め</span></strong></p>
<p>　母国の現状と今後に対するモンモンミャットの視線は厳しい。<br>
　「軍はクーデターから５年近くたっても国を統治できないため、規制をより厳しくして、人々の管理を図っている」と指摘する。<br>
　軍政は2025年、公衆の閲覧に不適切と判断される情報を流す行為に禁錮刑などを科す「サイバーセキュリティー法」を発効させるなど、統制を強めている。<br>
　「市民の考え方を含めて全てをコントロールしようとしている。表現の自由はおろか、思考の自由さえ許さない。全体主義のナチス政権のようだ」<br>
　混迷のなか、国軍が今月28日から実施する総選挙を「出口戦略」に位置付けているとモンモンミャットは見ている。<br>
　「軍は2010年と同じ戦術を使い、合法的政府という名の下での権力維持を図っている」と話す。2011年の民政移管前年の2010年も、NLDが不参加の形で総選挙が実施され、USDPのテインセイン政権が発足した。</p>

<div id="attachment_18889" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/57b530ce70437463d2a951d4698e3877.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18889" class="wp-image-18889" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/57b530ce70437463d2a951d4698e3877.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/57b530ce70437463d2a951d4698e3877.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/57b530ce70437463d2a951d4698e3877-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/57b530ce70437463d2a951d4698e3877-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18889" class="wp-caption-text">北部ザガイン地域で、軍政反対のデモ行進をする市民ら（2022年２月、マーノウ撮影）</p></div>

<p>　しかしながら「国内の状況は2010年とは違う」とモンモンミャットは強調する。「今回は、若者たちが政治闘争だけでなく、武力闘争もしている。CDMに参加した公務員らもいる。抵抗が国民全体に広がっている」</p>
<p>　ミャンマー人の９割以上が総選挙に反対という民間のオンライン調査もある。だが、軍政は2025年７月、総選挙の妨害を罰する新法を制定。最高刑は死刑で、市民が表立って異を唱えるのは難しい。</p>
<p>　「私たちには二つの責務がある」。モンモンミャットはメディアの使命について力を込める。「一つは真の情報をミャンマー国民や海外のミャンマー人コミュニティーに伝えること。もう一つは、声を上げられないミャンマーの人々に代わって、国際社会の関心を喚起することだ」</p>
<p>　その姿勢は総選挙でも変わらない。「軍が投票を強制していないか。人々の権利を侵害していないか。何が起きているかを伝え、務めを果たしていく」</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>見せかけの民政移管 ミャンマー総選挙を前に聞く（上）</title>
		<link>https://dotworld.press/myanmar_sham_general_election_1/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 26 Dec 2025 05:29:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[北川成史]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　2021年２月のクーデターで国軍が全権を握ったミャンマーで、今月28日から2026年１月にかけて、総選挙が実施される。だが、多くの国民が支持する「国民民主連盟（NLD）」など民主派勢力は排除され、指導者のアウンサンスー [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　2021年２月のクーデターで国軍が全権を握ったミャンマーで、今月28日から2026年１月にかけて、総選挙が実施される。だが、多くの国民が支持する「国民民主連盟（NLD）」など民主派勢力は排除され、指導者のアウンサンスーチーは拘束されたままだ。国軍と民主派や少数民族との間で続く内戦も収束していない。国民不在の総選挙が何をもたらすのか。民主派や少数民族組織、ジャーナリストらの話を聞き、現状を見渡しながら考えた。</p>

<div id="attachment_18858" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0021055b7f722735c958c420fb7c1ce4-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18858" class="wp-image-18858" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0021055b7f722735c958c420fb7c1ce4-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0021055b7f722735c958c420fb7c1ce4-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0021055b7f722735c958c420fb7c1ce4-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0021055b7f722735c958c420fb7c1ce4-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0021055b7f722735c958c420fb7c1ce4-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0021055b7f722735c958c420fb7c1ce4-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0021055b7f722735c958c420fb7c1ce4-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18858" class="wp-caption-text">ミャンマー東部カヤ州デモーソー郡区の前線で、負傷した仲間を運ぶKNDFの兵士ら（2022年９月、マーノウ撮影）</p></div>

<p><br>
<span style="font-size: 14pt;"><strong>秘匿の療養センター</strong></span></p>
<p>　タイの地方都市の郊外、幹線道路から離れた一角に平屋が２棟建っている。平日の午後、屋内ではベッドや床に敷いたマットレスに若者たちが横たわっていた。多くはスマートフォンで動画などを見ながら、時間を過ごしている。<br>
　ミャンマー東部カヤ州を中心に活動する民主派武装組織「カレンニー国民防衛隊（KNDF）」の療養センター。2025年11月上旬現在、国軍との内戦で重いけがを負った約20人が暮らす。<br>
　KNDFのために料理を作っていたという女性１人を除くと、皆、若い男性たちだ。敷地内で軽い運動をしたり、病院に通ったりしながら、治癒を図っている。</p>
<p>　ミャンマー国内の前線から搬送されて来た若者らは、タイでの正規の在留資格を持たない。そのため、彼らを収容するセンターの所在地や入所者の実名は秘匿されている。入所者は通院など特段の理由がない限り、外出を控えている（記事中の入所者名は仮名かニックネーム）。<br>
　カヤ州や、隣接するシャン州南部で最近、国軍がKNDFに奪われた領域を奪還しようと、攻勢を強めている。その影響か、センターでは今年に入ってからの戦傷者が目についた。けがの原因は、空爆、砲撃、地雷などさまざまだ。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>命落とした仲間のためにも</strong></span></p>
<p>　居間のマットレスの上でスマホの画面を眺めていたアンジェロ（21）は2025年６月、砲弾の爆発で脳に損傷を負った。タイで開頭手術を受けたが、左半身は動かない。</p>
<p>　アンジェロはカヤ州で農業をしていた。2021年２月１日、国軍がミンアウンフライン総司令官の下でクーデターを起こし、アウンサンスーチー率いるNLDから政権を奪った。翌年、10代後半でアンジェロはKNDFに入った。「ミンアウンフラインの独裁が許せなかった」と入隊理由を説明する。</p>

<div id="attachment_18859" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/75793065fc91bc1e0175071eeefa8902.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18859" class="wp-image-18859" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/75793065fc91bc1e0175071eeefa8902.jpg" alt="" width="400" height="291" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/75793065fc91bc1e0175071eeefa8902.jpg 1000w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/75793065fc91bc1e0175071eeefa8902-300x218.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/75793065fc91bc1e0175071eeefa8902-768x559.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18859" class="wp-caption-text">スマホを見つめるKNDFのアンジェロ。頭にけがの痕が残る＝（2025年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　ウェイ（20）は2025年２月、国軍のドローンによる空爆に遭った。爆弾が右足近くに落ち、腹部や背骨を損傷。歩くこともできない。<br>
　シャン州でバイクの修理業をしていたウェイ。アンジェロと同様に「ミンアウンフラインが許せなかった」という理由でKNDFに入った。<br>
　重い症状にかかわらず、ウェイは「回復した元の部隊に戻りたい」と決意を示した。「内戦で多くの友人やいとこを亡くした。この２年で10人以上だ。彼らの分まで戦いたい」<br>
　元農民のジョー（26）は2025年６月、戦場で地雷を踏み、片足を無くした。それでも、「軍政に反対する。また戦いに戻りたい」と、戦線復帰の意志を表す。</p>

<div id="attachment_18860" style="width: 331px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0d5b2d5880746ed8428bf74ab75082f3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18860" class="wp-image-18860" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0d5b2d5880746ed8428bf74ab75082f3.jpg" alt="" width="321" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0d5b2d5880746ed8428bf74ab75082f3.jpg 1653w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0d5b2d5880746ed8428bf74ab75082f3-241x300.jpg 241w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0d5b2d5880746ed8428bf74ab75082f3-822x1024.jpg 822w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0d5b2d5880746ed8428bf74ab75082f3-768x956.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0d5b2d5880746ed8428bf74ab75082f3-1234x1536.jpg 1234w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/0d5b2d5880746ed8428bf74ab75082f3-1645x2048.jpg 1645w" sizes="auto, (max-width: 321px) 100vw, 321px" /></a><p id="caption-attachment-18860" class="wp-caption-text">左目に砲弾の破片が残るシットゥーのエックス線写真（2025年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　ほかにも、深刻なけがを抱える若者が何人もいた。<br>
　ベッドの上で半身を起こしたシットゥー（21）は、両目の視線が宙に浮いている。爆発した砲弾の破片で目を損傷し、視力を失った。左目の中にはまだ、破片の一部が残っているという。</p>
<p>　入所者で最年少のジョセフ（18）はクーデター当時、学生だった。KNDFに入って２カ月後の2025年１月、戦場で就寝中に空爆を受けた。建物の屋根を貫通した爆弾が爆発。両足を切断した。</p>

<div id="attachment_18862" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/3679a1a48808e24d920b6ba450fb7743-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18862" class="wp-image-18862" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/3679a1a48808e24d920b6ba450fb7743-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/3679a1a48808e24d920b6ba450fb7743-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/3679a1a48808e24d920b6ba450fb7743-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/3679a1a48808e24d920b6ba450fb7743-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/3679a1a48808e24d920b6ba450fb7743-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/3679a1a48808e24d920b6ba450fb7743-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/3679a1a48808e24d920b6ba450fb7743-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18862" class="wp-caption-text">KNDFの療養センターで最年少のジョセフ（2025年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　　シャイな話しぶりのジョセフは、平和になった後の世界に思いをはせた。「タトゥーアーティストになりたい。だから、今もタトゥーを教えてくれる人を探しているんだ」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>最大の抵抗組織</strong></span></p>
<p>　回復への足がかりとして重要な療養センターだが、立地や資金など困難は多い。<br>
　KNDF関係者のマウン（仮名）は、「病院に近い町中にセンターを開きたいが、適当な物件を借りられない」と嘆く。「手や足を失ったり、顔に傷を負ったりした入所者が朝、体を動かしていると、登校途中の地元の子供たちが怖がり、親からクレームが来る。人が多い場所に開設するのは難しい」<br>
　現在、市街地からセンターまで車で約50分かかる。それでも、家賃は月５万バーツ（約24万円）。ほかに電気代や水道代がかかり、費用負担は重い。<br>
　マウンは「入所者のために栄養のある食べ物を得ようと、日々探し回っている」と苦労をにじませた。</p>
<p>　ここで、KNDFの成り立ちを振り返りたい。<br>
　2021年２月のクーデター後、全国に広がった抗議デモを国軍が武力で弾圧したのに対し、民主派の武装組織「国民防衛隊（PDF）」が各地で結成された。同年５月、カヤ州内の複数のPDFを結集してできたのがKNDFだった。<br>
　マウンによると、メンバーは設立時の5000人弱から、現在は１万人近くに増え、30の大隊がある。「全国のPDFの中でも最も大きな組織の一つだ」とマウンは胸を張る。<br>
　KNDFは国軍に対する武力闘争を展開し、支配地域を広げた。2023年６月には、そうした「解放区」を統治する行政組織として「カレンニー州暫定執行評議会（IEC）」が発足した。さらに同年11月、KNDFは「1111作戦」を実施し、カヤ州やシャン州南部のいくつかの町を制圧した。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>支配地奪還目指す国軍</strong></span></p>
<p>　ただ、ここに来て守勢に回っている。国軍は2025年７～８月、要衝であるシャン州のモービエやカヤ州のデモーソーをKNDFから奪い返したと発表した。<br>
　マウンは「われわれは数カ月前まで、カヤ州の85％を支配していた。少し失ったが、今も75％は支配している。デモーソーにしても軍が支配しているのは主要道路だけだ」と主張するが、戦いに厳しさが増しているのは間違いない。</p>

<div id="attachment_18863" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/29a34711256d03ea2ec15e6e8e52fd99.png"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18863" class="wp-image-18863" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/29a34711256d03ea2ec15e6e8e52fd99.png" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/29a34711256d03ea2ec15e6e8e52fd99.png 1600w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/29a34711256d03ea2ec15e6e8e52fd99-300x200.png 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/29a34711256d03ea2ec15e6e8e52fd99-1024x683.png 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/29a34711256d03ea2ec15e6e8e52fd99-768x512.png 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/29a34711256d03ea2ec15e6e8e52fd99-1536x1024.png 1536w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18863" class="wp-caption-text">銃を手に仲間と写真に収まるタエソー（中央）</p></div>

<p>　国軍が攻勢に出るのはなぜか。関係者の間で一致するのは今月28日に始まる「総選挙」だ。<br>
　KNDFでスポークスパーソンを務めるタエソーは「軍は選挙を実施する領域を必要としている。特に都市部を支配しようとしている」と話す。<br>
　人口が多い都市部を中心に総選挙を実施し、民政移管を国際社会に印象付け、統治の正当化を図る。しかし実態は、民主派を排除して樹立された国軍の傀儡政権でしかない―という指摘だ。タエソーは「見せかけの選挙」と突き放す。<br>
　カヤ州の人口は30万人ほどだが、激戦地のため、国連推計で約14万人の国内避難民（IDP）が生じている。</p>

<div id="attachment_18864" style="width: 332px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/a839dc18319df4eec1d388d821fd58da-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18864" class="wp-image-18864" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/a839dc18319df4eec1d388d821fd58da-scaled.jpg" alt="" width="322" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/a839dc18319df4eec1d388d821fd58da-scaled.jpg 2060w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/a839dc18319df4eec1d388d821fd58da-241x300.jpg 241w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/a839dc18319df4eec1d388d821fd58da-824x1024.jpg 824w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/a839dc18319df4eec1d388d821fd58da-768x954.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/a839dc18319df4eec1d388d821fd58da-1236x1536.jpg 1236w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/a839dc18319df4eec1d388d821fd58da-1648x2048.jpg 1648w" sizes="auto, (max-width: 322px) 100vw, 322px" /></a><p id="caption-attachment-18864" class="wp-caption-text">国軍の分断策を批判するカレンニー州IECのパルレー事務局長（2025年11月、筆者撮影）</p></div>

<p>　カレンニー州IECのパルレー事務局長は「軍はIDPキャンプに空爆や砲撃を加え、避難民を元の居住地に戻し、投票させようとしている。総選挙を大々的に実施したとアピールする狙いだ」と、非戦闘員を巻き込む国軍の攻撃を非難する。<br>
　ミャンマーは1948年の独立直後から、自治拡大を求める少数民族などと国軍の間で内戦が続いた。国軍は少数民族内の強硬派に苛烈な攻撃を加え、妥協するグループを取り込んできた。<br>
　その歴史を踏まえ、パルレーは現在の国軍の手法に憤る。「革命勢力（抵抗勢力）の側に立つと標的になるという情報をSNSを通じて流し、コミュニティーを分断しようとしている。軍が長年使ってきた戦術と同じ狙いだ」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>中国の圧力、明確に</strong></span></p>
<p>　なりふり構わぬ国軍の攻勢を可能にしている要素がいくつかある。まず、中国の存在だ。</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/7e5484a434f2dc01f976967f2e9d22d7.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-18876" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/7e5484a434f2dc01f976967f2e9d22d7.jpg" alt="" width="400" height="361" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/7e5484a434f2dc01f976967f2e9d22d7.jpg 876w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/7e5484a434f2dc01f976967f2e9d22d7-300x271.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/7e5484a434f2dc01f976967f2e9d22d7-768x693.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a></p>
<p>　中国はクーデター直後、ミャンマーの国内情勢を半ば様子見していたが、2024年以降、国軍側に立つスタンスを鮮明にし、総選挙を支援する意向を示している。<br>
　国軍寄りの姿勢の一端が、自国との国境地域に存在する少数民族武装勢力への圧力だ。<br>
　コーカン人の「ミャンマー民族民主同盟（MNDAA）」とパラウン人の「タアン民族解放軍（TNLA）」は、ともに中国と接するシャン州を拠点とする。<br>
　MNDAAとTNLAは、ミャンマー西部ラカイン州を拠点とするラカイン人の「アラカン軍（AA）」と「３兄弟同盟」を組み、2023年10月に「1027作戦」を展開。シャン州で国軍の拠点を一斉攻撃し、KNDFの「1111作戦」をはじめ、国軍に対する武力闘争を各地で勢い付かせた。<br>
　ところが、MNDAAは2025年１月、TNLAは10月、国軍との停戦協定に署名した。両勢力は国境貿易などを通じ、中国との関係が深い。停戦協定の背景には中国からの働きかけがあった。両勢力の停戦は、国軍に他の戦線へ兵力を投入する余地を与えた。<br>
　また、中国はミャンマーの少数民族武装勢力で最大の兵力を持つワ州連合軍（UWSA）にも圧力をかけた。<br>
　UWSAは一定の自治権を与えられたシャン州ワ自治管区を拠点とする。クーデター後、中立を宣言したが、武器工場を有し、国軍に抵抗する勢力への武器供給源の一つになってきた。<br>
　中国はUWSAに対し、他勢力に武器を供給しないように要求。UWSAがこれに応じた結果、抵抗勢力の武器調達に影響を及ぼしている。<br>
　一方で、中国はミャンマー国軍に対しては、ロシアとともに、戦闘機やドローンなど主要な武器の供給源となっている。<br>
　さらに、国軍が2024年から開始した徴兵制も、攻勢を支える要因に挙げられる。<br>
　国軍は兵士が内戦で死亡したり、クーデターに反発して離脱したりした結果、兵力が減少した。しかし、強制的な徴兵で人員を補充し、数カ月の訓練で前線に投入している。徴兵した若者の命を尊重する態度は見られない。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>激しい攻撃</strong></span></p>
<p>　こうした国軍の標的の一つが、３兄弟同盟のうち停戦合意をしていないAAだ。総選挙を前に支配地域を空爆されるなど、激しい攻撃にさらされている。もっとも、AA関係者のミョー（仮名）は「軍は支配地域を取り戻そうとしているが、反撃に遭っている。ラカイン州の17郡区のうち、AAは約８割に当たる14郡区を支配している」と主張する。<br>
　同盟を組むMNDAAとTNLAの停戦合意についても、「両勢力は物資を中国からの輸入に頼っている。彼らは地政学的な事情を考慮し、中国の仲介に応じた。地理的に離れたわれわれとは違う」と述べたうえで、「両勢力のそれぞれと軍との１対１の停戦であり、同盟自体は引き続き密接に連携している」と強調した。<br>
　そして、「停戦といっても暫定的だ。安定した状況が生まれたわけではない」と、今後の不透明さに言及した。</p>

<div id="attachment_18865" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/849fee3d7f2640d96fe70da4c45ad02b-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18865" class="wp-image-18865" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/849fee3d7f2640d96fe70da4c45ad02b-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/849fee3d7f2640d96fe70da4c45ad02b-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/849fee3d7f2640d96fe70da4c45ad02b-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/849fee3d7f2640d96fe70da4c45ad02b-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/849fee3d7f2640d96fe70da4c45ad02b-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/849fee3d7f2640d96fe70da4c45ad02b-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/12/849fee3d7f2640d96fe70da4c45ad02b-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18865" class="wp-caption-text">ミャンマーで迫害され、バングラデシュに逃れたロヒンギャ難民のキャンプ（2017年10月、筆者撮影）</p></div>

<p>　ラカイン州ではクーデター以前からの懸案がある。仏教徒のラカイン人と、イスラム教徒で少数派のロヒンギャとの根深い対立だ。<br>
　クーデター後、国軍とAAの内戦にロヒンギャが巻き込まれているという事例が報告され、国軍とAAの双方に批判が向けられている。　<br>
　「軍がロヒンギャの武装勢力を利用し、AAと戦わせている。軍はラカイン人とロヒンギャに対し、古くからの分断統治政策を使っている」と、ミョーは反論した。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>戦いは終わらず</strong></span></p>
<p>　こうした混沌とした情勢下で、国軍は総選挙を実施しようとしている。<br>
　「ラカイン州で言えば、軍が総選挙をできるのは３郡区だけだろう」。17郡区中14郡区をAAが支配しているとするミョーは、冷ややかに言う。<br>
　では、総選挙後はミャンマーにどのような状況が生まれるのか。<br>
　ミョーは、内戦が激化し、混乱が深まる恐れについて次のように指摘する。<br>
　「今も各地に強力な抵抗勢力がいる。だが、軍は抵抗勢力との間で、何の政治的な和解もしていない。総選挙後、軍は統治の正当性を得たとして、より攻撃的になる可能性がある」<br>
　前出のカレンニー州IECのパルレーは、「軍は総選挙後、革命勢力に停戦交渉を持ちかけてくるだろう」と予想する。国軍が総選挙を機に、またも分断策を用いて、抵抗勢力間の連携を断ち、弱体化をもくろむという見方だ。だが、それでも「内戦は続く」とパルレーも見通す。<br>
　「軍は総選挙を実施し、国が通常の状態に戻ったと宣言するだろう。しかし、実際には国土の多くの領域を革命勢力が支配している。中国やロシアを除けば、国際社会の大半は総選挙の結果を認めない。ミャンマー国内の対立が強まり、状況はさらに悪化していくと考えられる」</p>
<p>&nbsp; &nbsp; （<a href="https://dotworld.press/myanmar_sham_general_election_2/">下に続く</a>）</p>
<p>&nbsp;</p>
<div>
<div style="height: 12px;"><span style="background: #91D8AC; padding: 6px 10px; border-radius: 5px; color: #ffffff; font-weight: bold; margin-left: 10px;">著者プロフィール</span></div>
<div style="padding: 30px 15px 10px; border-radius: 5px; border: 2px solid #91D8AC;">
<p><span style="font-size: 10pt;">（きたがわ・しげふみ）　東京新聞（中日新聞東京本社）記者。1995年入社。2017年から３年間、バンコク支局特派員。アジア・オセアニアを担当し、ミャンマーの民主化や民族問題を取材した。現在、社会部。帰国後もクーデターが起きたミャンマーの動きを追い、「ミャンマーの声」のタイトルで連載を続けている。著書に「ミャンマー政変―クーデターの深層を探る」（ちくま新書）、「ミャンマーの矛盾―ロヒンギャ問題とスーチーの苦難」（明石書店）、共著に「報道弾圧―言論の自由に命を賭けた記者たち」（ちくま新書）がある。趣味はランニング。フルマラソンは10回ほど完走。好きなミャンマー料理はブーディージョー（夕顔のてんぷら）。</span></p>
</div>
</div>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>【藤元明緒監督 独占手記】第82回ベネチア国際映画祭で感じた芸術の価値</title>
		<link>https://dotworld.press/lost_land_venezia_film_festival_2025/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 Nov 2025 05:23:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[藤元明緒]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=18618</guid>

					<description><![CDATA[<p>　日本に住むミャンマー人家族の物語を描いた『僕の帰る場所』や、ベトナム人技能実習生を題材にした『海辺の彼女たち』など、アジアを舞台に合作映画の制作を行う藤元明緒監督の最新作『LOST LAND／ロストランド』が、８月末か [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">
<p>　<span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">日本に住むミャンマー人家族の物語を描いた『僕の帰る場所』や、ベトナム人技能実習生を題材にした『海辺の彼女たち』など、アジアを舞台に合作映画の制作を行う藤元明緒監督の最新作『LOST LAND／ロストランド』が、８月末から９月初旬にイタリアで開かれた第82回ベネチア国際映画祭でオリゾンティ・コンペティション部⾨の審査員特別賞を受賞しました。併せて、独⽴賞である最優秀アジア映画賞特別表彰とビサート・ドーロ賞（⾦の鰻賞）最優秀監督賞も受賞し、三冠を達成したこの作品は、世界で最も迫害されているとも言われる少数派イスラム教徒ロヒンギャの人々の証言を基に紡がれたもの。ミャンマーから逃れ、バングラデシュの難民キャンプで暮らしていた無国籍の幼い姉弟が家族との再会を願っていくつもの国境を命懸けで越えていく旅路を描いています。</span></p>
<p><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">　主演の姉弟をはじめ、総勢200人を超えるロヒンギャの出演者たちとともに作り上げた藤元明緒監督が独占手記を寄せ、ベネチア国際映画祭の会場で考えた映画という芸術と現実社会の関係性について綴りました。</span></p>
</div>

<div id="attachment_18678" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18678" class="wp-image-18678" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/1-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18678" class="wp-caption-text">映画『LOST LAND／ロストランド』のワンシーンより©2025 E.x.N K.K.</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>ロヒンギャ難民を描いた映画</strong></span></p>
<p>　私は、主に東南アジアのミャンマーを舞台に映画監督として活動しています。今年の春、長きにわたり迫害を受け続けている少数派イスラム教徒ロヒンギャを題材にした作品『LOST LAND／ロストランド』を制作しました。<br>
　『LOST LAND／ロストランド』は、ミャンマーから逃れたロヒンギャの幼い姉弟がバングラデシュの難民キャンプから抜け出し、仲間たちと共に安住の地を求めて東南アジアを旅する物語です。主演を務めたのは、本物のロヒンギャの姉弟。スクリーンに映る彼らの姿は、物語の一部であると同時に、現実そのものでもあります。</p>
<p>　これまで十数年にわたってミャンマーに関わるなかで、ロヒンギャの人々が受けてきた迫害の話について幾度となく耳にする機会がありました。しかし、ミャンマーではロヒンギャの話題を口にすること自体がタブー視される風潮があり、私自身、仕事を失うことへの恐れもあって声を上げることができずにいました。身近で異常な出来事が起きているのに見て見ぬふりをしていた罪悪感こそが、『LOST LAND／ロストランド』を撮ろうと決意したきっかけです。「あの時に無視してしまった彼らの声を、映画に乗せて世界に届けたい」。そんな想いに突き動かされて制作を始め、大勢のロヒンギャの人々の協力を得て完成した作品は、第82回ベネチア国際映画祭のオリゾンティ・コンペティション部門に選出され、世界初上映となるワールドプレミアを迎えることになりました。</p>

<div id="attachment_18679" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18679" class="wp-image-18679" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/2.jpg" alt="" width="500" height="375" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/2.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/2-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/2-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/2-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/2-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18679" class="wp-caption-text">ベネチア国際映画祭のオリゾンティ・コンペティション部門のプレミア上映会場の外観（藤元監督提供）</p></div>

<p>　ベネチア国際映画祭は1932年に創設された世界最古の映画祭で、カンヌ、ベルリンと並ぶ世界三大映画祭の一つです。毎年９月に水の都ベネチアのリド島に世界中から映画人たちが集まり、世界初披露の最新作が上映されます。映画を世界に届ける発信地としてはまたとない舞台です。『LOST LAND／ロストランド』が選出されたオリゾンティ・コンペティション部門は、メインコンペティション部門に次ぐ位置付けとされ、イタリア語の「地平線」（オリゾンティ）が冠されている通り、革新性のある作品や、新しい表現に挑戦する作品が選出されるセクションです。過去には、塚本晋也監督の『ほかげ』など日本映画の傑作もこの部門から生まれています。</p>
<p>　とはいえ、私はこれまでベネチア映画祭に対し、ハリウッドスターがレッドカーペットを練り歩く華やかさも相まって、商業エンターテイメント的な作品がラインナップされているイメージを抱いており、自分とは遠い場所だと感じていました。ましてや、私たちの映画にはスター俳優も出演していないうえ、ヨーロッパの映画界ではあまり知られていないロヒンギャの人々を題材にしています。いったいどれぐらいの人が観に来てくれるのだろうか、と心配しながら８月末、イタリアに飛びました。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>出演者不在のワールドプレミア</strong></span></p>
<p>　しかし、心配は杞憂に終わりました。オリゾンティ・コンペティション部門のプレミア上映のメイン会場となったリド島内のサラ・ダルセーナは、世界に先駆けて上映される私たちの映画を見ようと集まった1500人近い人々でほぼ満席になったのです。日本では経験したことがない、圧巻の光景でした。<br>
　ロヒンギャたちがバングラデシュの難民キャンプを出てタイを経由し、マレーシアへと向かう旅の日々が、大きなスクリーンに映し出されていきます。大海原を進む密航船やブローカーからの搾取、仲間の死といった過酷な状況が続くなか、未来に向かって進む主人公の幼い姉弟の力強い眼差し。それを見つめる観客たちからは、まるで彼らもロヒンギャと一緒に旅をしているかのような息遣いが伝わってきました。実に緊張感あふれる時間でした。</p>

<div id="attachment_18680" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18680" class="wp-image-18680" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b.jpg" alt="" width="500" height="333" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/3b-768x512.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18680" class="wp-caption-text">上映会場の様子（藤元監督提供）</p></div>

<p>　映画が終わってエンドロールが流れ始めると、会場は熱狂的なスタンディングオベーションに包まれました。社交辞令などではない、嘘偽りのない拍手が鳴り響いていました。長く映画業界にいますが、こんな上映に立ち会ったのは初めてです。映画のメッセージが、そしてロヒンギャたちの声が、遠く離れた人々に届いたという実感がありました。</p>
<p>　上映が終わると、多くの観客に取り囲まれました。ほとんどの方が、ロヒンギャもミャンマーで起きていることも知らない様子でしたが、「主演の姉弟の演技が圧倒的で、ドキュメンタリーだと思って観ていた」「彼らの存在を身近に感じた」と口々に感想を話してくれました。その声に励まされながらも、私は深い無力感を感じていました。主演の幼い姉弟の演技が賞賛されればされるほど、当の二人が映画祭に来られなかったという事実を思い知らされたからです。<br>
　国籍がなく、パスポートを取得することもできない二人には、海外に行く手段がありません。いわば、地球上のどこにも正式な滞在が認められない存在なのです。二人だけでなく、出演してくれたロヒンギャの方々が全員、同じです。世界最高峰の映画祭で自分たちの演技が称賛されているその瞬間も、彼らは不安定な立場を強いられ、私たちはスクリーン越しでしかつながれないのが現実です。</p>
<p>　「ロヒンギャの声を世界に届けたい」という当初の目的は、ワールドプレミアの成功によって良いスタートを切ることができました。しかし、それが何になるというのでしょう。現に彼らは今も、ベネチアだけでなく、他の国で続々と開かれている映画祭に行くことができずにいます。映画では即効性を持って世界を変えることができないということを否応なく突きつけられる思いです。<br>
　せめてもの気持ちにと映画祭側にかけ合い、上映に来られなかった主演の二人の席を用意してもらいました。上映後、二つの空席に向かって観客たちが拍手を送ってくれました。自分だけが今、この場所にいることへの後ろめたさと、人々のあたたかな気持ちへの感謝が入り混じり、言葉にはしづらいとても複雑な心境でした。</p>

<div id="attachment_18681" style="width: 510px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18681" class="wp-image-18681" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/4.jpg" alt="" width="500" height="375" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/4.jpg 800w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/4-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/4-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/4-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/11/4-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 500px) 100vw, 500px" /></a><p id="caption-attachment-18681" class="wp-caption-text">主演二人の空白の席（藤元監督提供）</p></div>

<p>　そうしたなか、ロヒンギャ側の共同プロデューサーであるスジャウディン・カリムディ さんがベネチアに来てくれたことは、たいへん意義があると感じました。撮影中は現場で通訳をしてくれ、その後も映画を多くの人々に届けるためにフォローし続けてくれている友人です。すでに帰化し、国籍を取得しているために移動が可能で、今回、参加が実現しました。上映後に登壇したスージャさんが「故郷に帰りたい」と訴えかけた切実な言葉は観客の心に強く響いたようで、この日一番の大きな拍手が客席から沸き起こりました。ロヒンギャの方が登壇し、当事者として声を届けたのは、ベネチア映画祭史上、初めてのことだったそうです。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>表現と現実の交差点</strong></span></p>
<p>　ベネチア国際映画祭で上映される作品は、映画として優れているかどうかというだけでなく、国やコンセプトのバランスを考えて選出されます。実際に参加してみると、渡航前に抱いていた華やかなイメージとは異なり、政治的なことや社会的に重要だと思われるメッセージもオープンに発言していこうというムードに満ちていたのが印象的でした。監督たちは授賞式や質疑応答の場で自由に政治的な話題を口にし、観客たちの側にも広い世界観で映画を受け止め語り合おうという意識がありました。<br>
　例えば、今年のベネチア国際映画祭ではパレスチナ問題が中心的なテーマの一つとされ、期間中はパレスチナ支援を訴えるデモが続いていました。そんななか、最優秀監督賞である銀獅子賞を受賞したのは、2024年１月にイスラエル軍がガザ地区を攻撃した際、車内に取り残された５歳のパレスチナ人少女 、ヒンドゥ・ラジャブが救助を求めて人道支援組織 にかけた緊急通話の内容を描いたドキュ・フィクション『ザ・ボイス・オブ・ヒンドゥ・ラジャブ 』でした。上映後はパレスチナの国旗が客席に掲げられ、史上最長の23分間にわたりスタンディングオベーションが続くなど、とてつもない熱気にあふれていました。また、ロシアとウクライナの戦争下で生きる人々を扱った『ショートサマー』や、気候変動危機を描いた『ビロウ・ザ・クラウズ』など、各国の社会派映画が数多く上映され、映画祭が政治的・社会的なメッセージを発信する重要な場として機能していることが明確でした。これほど社会派の作品が一堂に会する場で『LOST LAND／ロストランド』が上映されたことは、とても幸運でした。 「ミャンマー」や「ロヒンギャ」と聞いてピンとくる人はおそらく多くはなかったと思いますが、多くの人が映画に描かれた現実に目を向け、当事者としてメッセージを受け止めてロヒンギャの行く末を案じてくれたことに、救われる思いがしました。と同時に、映画には見えない存在を可視化し、遠い場所で起きている出来事を私たちの日常へと引き寄せる力があるのだと改めて実感しました。<br>
　これらのことを踏まえると、映画祭とは単に映画を鑑賞する場にとどまらず、社会の中で議論を呼び起こす「声」を積み上げていくパワーを秘めた場でもあることに気付かされます。映画という芸術を、日常と切り離された娯楽として見るのではなく、芸術が現実社会に何をもたらし、どのような対話を生み出すのか問いかけ、たとえ映画そのものに現実社会や世界を変える即効性がなくとも、作り手も観客も共にその問いに向き合うことができる――。それが映画祭という場の本質的な意義だと感じたのです。<br>
　もっとも、こういう話を日本ですると「政治的だ」「映画は面白ければいい」と、揶揄されることは少なくありません。もちろん、映画を娯楽として楽しむことは大切です。しかしベネチアでは、そうした映画論に閉じこもったまま作品に触れる人に出会うことはなく、居心地の良さを感じました。<br>
　ベネチア国際映画祭で審査員特別賞など三冠を獲得したことによって、『LOST LAND／ロストランド』が多くの国に広がっていく機運は一気に高まりました。実際、これ以降、この映画は世界各地の映画祭に招待され、すでに15カ国以上で上映が決定しました。来春には日本とフランスでの公開も予定しています。</p>
<p><iframe loading="lazy" title="YouTube video player" src="//www.youtube.com/embed/UIN7Ub1mPwI?si=UN_IdnM7cNLLNFNa" width="560" height="315" frameborder="0" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: 8pt;">『LOST LAND／ロストランド』海外版予告編</span></p>
<p>　また、映画祭とは違う形での普及にも力を入れていきます。単に興行的な成功を目指すにとどまらず、映画を通じて社会的な変化を生み出すことを目指す「インパクトキャンペーン」という取り組みを世界各地で展開しているイギリスの専門組織シンク・フィルムと提携して上映後にディスカッションやワークショップを開き、観客が実社会で何らかのアクションを起こすように働きかけるのです。今後、ロヒンギャのコミュニティや難民支援の現場、教育機関、国際機関の会合などで上映会を予定しています。この活動を通じて映画を観る人々が当事者として何かを感じ取り、対話し、行動を起こすことによって少しずつでも現実社会を変えていく力になればと願います。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>原題の「ハラ・ワタン」に込められた故郷への思い</strong></span></p>
<p>　「LOST LAND／ロストランド」には、原題があります。ロヒンギャ語で「ハラ・ワタン」（Harà Watan）です。今回、ロヒンギャ側のプロデューサーを務めたスージャさんがベネチア国際映画祭の受賞式でその意味について語った言葉を引用して、本稿を締めくくりたいと思います。<br>
　「ハラ（Harà）はロヒンギャ語で“失われた”という意味を表し、ワタン（Watan）は「故郷」や「祖国」という意味を表します。一方、ワタン（Watan）の中にあるタン（Tan）は、“身体”を意味します。故郷とは、単に自分が生まれた場所というだけでなく、自分自身の一部でもあるというロヒンギャの考え方がよく表れている表現だと言えるでしょう。<br>
　つまり、“失われた故郷”を意味する「ハラ・ワタン」という言葉には、自分の身体の一部を失ってしまったような感覚を伴う、深い感情が込められています。私たちは、そこが自らの一部である土地だからこそ、故郷に帰りたいと願い続けているのです」</p>
<div>
<div style="height: 12px;"><span style="background: #91D8AC; padding: 6px 10px; border-radius: 5px; color: #ffffff; font-weight: bold; margin-left: 10px;">筆者プロフィール</span></div>
<div style="padding: 30px 15px 10px; border-radius: 5px; border: 2px solid #91D8AC;">
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/bfd3d4dd1708940e30d6cb334c74dbf7.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-18011 aligncenter" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/bfd3d4dd1708940e30d6cb334c74dbf7.png" alt="" width="300" height="169" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/bfd3d4dd1708940e30d6cb334c74dbf7.png 1918w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/bfd3d4dd1708940e30d6cb334c74dbf7-300x169.png 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/bfd3d4dd1708940e30d6cb334c74dbf7-1024x577.png 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/bfd3d4dd1708940e30d6cb334c74dbf7-768x432.png 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/07/bfd3d4dd1708940e30d6cb334c74dbf7-1536x865.png 1536w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a><span style="font-size: 10pt; font-family: arial, helvetica, sans-serif;">（ふじもと・あきお）1988年、大阪府に生まれ、ビジュアルアーツ専門学校大阪で映画制作を学ぶ。在日ミャンマー人家族を描く初の長編『僕の帰る場所』（2017年)は、第30回東京国際映画祭アジアの未来部門 作品賞＆国際交流基金アジアセンター特別賞を受賞。ベトナム人技能実習生を描く長編第二作『海辺の彼女たち(日本ベトナム国際共同製作 2020)』は、PFF第3回「大島渚賞」、2021年度「新藤兼人賞」金賞、第13回TAMA映画賞最優秀新進監督賞、第31回日本映画批評家大賞・新人監督賞などを受賞した。</span><br>
<span style="font-size: 10pt; font-family: arial, helvetica, sans-serif;">　ロヒンギャ難民を題材にした最新作『ロストランド』は、第82回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門で審査員特別賞を受賞。2026年春、全国公開が決まっている。</span></p>
</div>
</div>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/lost_land_venezia_film_festival_2025/">【藤元明緒監督 独占手記】第82回ベネチア国際映画祭で感じた芸術の価値</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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			</item>
		<item>
		<title>ミャンマー避難民らに教育を</title>
		<link>https://dotworld.press/education_for_myanmar_refugees/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 02 Nov 2025 14:55:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[北川成史]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　2021年２月にミャンマー国軍が起こしたクーデター後、タイ北西部のメソトやその周辺に、多数の避難民が流入した。クーデター前からいた移民労働者らを含め、数十万人のミャンマー人が住んでいると言われる。非正規の形で滞在し、経 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　2021年２月にミャンマー国軍が起こしたクーデター後、タイ北西部のメソトやその周辺に、多数の避難民が流入した。クーデター前からいた移民労働者らを含め、数十万人のミャンマー人が住んでいると言われる。非正規の形で滞在し、経済的にも厳しい生活を送るなかで、懸念されるのが子どもたちの教育だ。避難民や移民のための学校を開いている女性たちに胸の内を聞いた。</p>

<div id="attachment_18644" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8fd1250394326e5e3a10800d3c90ed80-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18644" class="wp-image-18644" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8fd1250394326e5e3a10800d3c90ed80-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8fd1250394326e5e3a10800d3c90ed80-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8fd1250394326e5e3a10800d3c90ed80-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8fd1250394326e5e3a10800d3c90ed80-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8fd1250394326e5e3a10800d3c90ed80-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8fd1250394326e5e3a10800d3c90ed80-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8fd1250394326e5e3a10800d3c90ed80-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18644" class="wp-caption-text">ホワイト・ラーニング・センターを訪れると、子どもたちが手を合わせて迎えてくれた（筆者撮影）</p></div>

<p><strong><span style="font-size: 14pt;">倍増した生徒</span></strong></p>
<p>　タイ北西部の国境貿易の町メソトから南東に約40キロ、途中農地や林に囲まれた風景を車で走る。休憩を挟み１時間半ほどで、ポップラ郡内にある移民学校「ホワイト・ラーニング・センター」に着いた。到着するとすぐ、子どもたちが両手を合わせ、筆者を迎え入れてくれた。<br>
　校長を務めるのはミャンマー出身のカインカイントゥン（50）。同校はミャンマーにルーツを持つ子どもたちのため、カインカイントゥンが2011年に創設した。８月中旬時点で、保育園・幼稚園児から９年生まで184人が通っていた。<br>
　2021年２月にミャンマーで国軍のクーデターが起きる前、同校の生徒は90人台だった。クーデター後に生徒が倍増。創設当初の生徒数55人と比べると、３倍を超えている。</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b2462f71c0ac06783b45a7d2c2b129fa.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-18645" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b2462f71c0ac06783b45a7d2c2b129fa.jpg" alt="" width="400" height="291" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b2462f71c0ac06783b45a7d2c2b129fa.jpg 894w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b2462f71c0ac06783b45a7d2c2b129fa-300x218.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b2462f71c0ac06783b45a7d2c2b129fa-768x559.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a>　生徒の急増はクーデターと、その後の内戦が影響している。国軍はクーデターへの抗議活動を弾圧し、多数の市民を拘束した。反発する若者らは民主派の武装組織「国民防衛隊（PDF）」に加わり、一部の少数民族と連携して、武装闘争を始めた。<br>
　こうしたなかで、民主派の活動家、軍政下での仕事をボイコットする「市民不服従運動（CDM）」に参加した公務員、戦闘地域の住民など、国軍の弾圧や内戦から逃れた人々がタイに押し寄せたのだ。<br>
　地元NGOによると、ポップラ郡にはミャンマー人が推定で７万人以上いるという。「クーデター前、周りにいるミャンマー人は中部のバゴー地域からの移民が中心だったが、クーデター後はミャンマー各地からポップラに逃れてきている」。カインカイントゥンは変化の大きさについて語った。</p>

<div id="attachment_18646" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/f875b697a4154c39515bbc62d49119ba-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18646" class="wp-image-18646" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/f875b697a4154c39515bbc62d49119ba-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/f875b697a4154c39515bbc62d49119ba-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/f875b697a4154c39515bbc62d49119ba-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/f875b697a4154c39515bbc62d49119ba-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/f875b697a4154c39515bbc62d49119ba-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/f875b697a4154c39515bbc62d49119ba-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/f875b697a4154c39515bbc62d49119ba-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18646" class="wp-caption-text">生徒らの厳しい生活環境について話したカインカイントゥン（筆者撮影）</p></div>

<p>　カインカイントゥンはもともと、ミャンマーの国境省職員だった。タイ沿いの国境地域で徴税業務を担当していた。<br>
　だが、納税を嫌がる商店主も多く、穴埋めに身銭を切ることもあったため、新天地を求め、タイで活動するNGOの仕事に応募。審査に通り、2010年にNGOスタッフとしてポップラに来た。<br>
　傷病患者や妊婦を病院に送迎したり、住民に予防接種を受けさせたり、地域で医療や保健分野の仕事をする傍らで、自身の蓄えや給与を原資に小さな学校を開いたのが、移民への教育支援の始まりだった。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>半数近くが授業料を支払えず</strong></span></p>
<p>　学校の規模拡大は、必ずしも喜ばしい話ではない。<br>
　授業料は年300バーツ（約1400円）だが、「支払えるのは184人中100人ぐらい」とカインカイントゥンは明かす。「生徒らの親の大半は安定した職がないから」<br>
　生徒らの親は、主に、タイ人の雇用主のもと、周辺のトウモロコシやジャガイモの畑で働く。ただ、季節労働のうえ、避難民が増加したため、仕事を得にくくなっている。<br>
　正規のタイ在留資格がない人も多い。タイの法定最低賃金は現在、１日400バーツ（約1900円）だが、足元をみられ、それ以下の賃金で雇われている。<br>
　困窮家庭には授業料を強いていないにもかかわらず、９年生まで続ける生徒は限られ、例年、10人以下にとどまる。６、７年生で学校をやめ、仕事をする生徒が多い。昨年も、成績のよかった４年生の男子が通学せず、建設現場で働くようになった。「生計を立てるため、４年生の子どもにさえ頼らざるを得ない家庭がある」<br>
　９年生を終え、メソトなどにある高校に進む生徒はさらに少なく、年２～３人だという。<br>
　学校を離れた子どもたちは、10歳前後だと、家族とともに近くの農場や建設現場で働く。10代後半になると、働き口が多く、比較的高めの収入が得られるタイの首都バンコクに行くケースが大半だという。</p>

<div id="attachment_18647" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/d121a745382517f108cfcad62d74344f-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18647" class="wp-image-18647" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/d121a745382517f108cfcad62d74344f-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/d121a745382517f108cfcad62d74344f-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/d121a745382517f108cfcad62d74344f-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/d121a745382517f108cfcad62d74344f-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/d121a745382517f108cfcad62d74344f-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/d121a745382517f108cfcad62d74344f-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/d121a745382517f108cfcad62d74344f-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18647" class="wp-caption-text">ホワイト・ラーニング・センターの生徒たち（筆者撮影）</p></div>

<p>　ホワイト・ラーニング・センターには、CDM参加者を含めて13人の教師がいる。生徒増に合わせ、昨年の10人から３人増員した。給与は月2000バーツ（約9400円）に抑えているが、授業料を払えない生徒が半数近いなかで教師を増やしたため、人件費の確保に苦労している。<br>
　生活のため、よりよい報酬を求めて、学校を後にする教師もいる。<br>
　ミャンマー側の国境地域には、中国系のカジノが点在する。犯罪組織が入り込み、オンライン詐欺の拠点になって国際問題化する一方で、雇用の場にもなっている。<br>
　ホワイト・ラーニング・センターにいた男性の英語教諭は2020年、同校を辞め、国境地域のカジノのホテルで働き始めた。英語力を生かし、学校の５倍に当たる月１万バーツ（約４万7000円）の収入を得ているという。</p>

<div id="attachment_18648" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/33864523bac2a508fe2c6eb938854a3e-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18648" class="wp-image-18648" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/33864523bac2a508fe2c6eb938854a3e-scaled.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/33864523bac2a508fe2c6eb938854a3e-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/33864523bac2a508fe2c6eb938854a3e-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/33864523bac2a508fe2c6eb938854a3e-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/33864523bac2a508fe2c6eb938854a3e-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/33864523bac2a508fe2c6eb938854a3e-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/33864523bac2a508fe2c6eb938854a3e-2048x1365.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18648" class="wp-caption-text">ホワイト・ラーニング・センターのトタン屋根の校舎（筆者撮影）</p></div>

<p>　クーデターから４年半あまりが経過したが、内戦の先行きは見えない。混迷するミャンマーから国外を目指す市民は後を絶たない。一方で、ミャンマーへの国際的な関心は低下している。<br>
　「学校への寄付は限られ、困難は多い」。カインカイントゥンは取り巻く環境の厳しさに触れ、こう切望した。「生徒が増えるなか、教師の数も減らしたくない。どなたでも、援助してもらえればありがたい」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>シンガーと学校</strong></span></p>
<p>　雨季の８月中旬、小雨混じりの夜、タイ北西部メソトにあるレストランの屋外ステージで、生バンドが軽快なポップスを奏でていた。その中央で歌う女性が、ミャンマー人のフライデー（35）だった。<br>
　フライデーはシンガーとして夜間にバーやレストランで歌う一方で、ミャンマーからの移民や避難民向けに２年半あまり前から私的な学校を開いている。「出演料は学校の運営資金に充てている」と話す。</p>

<div id="attachment_18649" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18649" class="wp-image-18649" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/b94b0d63d63166a6cde1a27e47c86b63-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18649" class="wp-caption-text">「私たちの学校」で教えるフライデーと生徒たち（2023年８月、筆者撮影）</p></div>

<p>　学校名は「Our School（私たちの学校）」。生徒の子どもたちが名付けた。場所はミャンマーとの国境近く。町の中心部から離れ、サトウキビ畑や水田に囲まれている。<br>
　学校というより、「寺子屋」と呼んだ方が実態に近いかもしれない。タイの地方でよく見かける高床式の木造家屋を教室に使い、近隣に住む約70人が通う。<br>
　昨年までは、８人がボランティアで先生を務め、通勤に要する費用はフライデーが出していた。だが、その費用負担が重くなってきたことなどから、今年はフライデーが１人で教師を務める。</p>
<p>　科目はミャンマー語やタイ語、英語、算数、美術、音楽のほか、人権や環境についてなど。月２回ほど、CDMに参加してタイに逃れた医師の協力を得て、健康についての教育も実施している。<br>
　メソトやその周辺には、タイ当局に認められた移民のための学校が60校以上ある。規模はフライデーの学校より大きい。<br>
　それでもなぜ、フライデーの学校に通う生徒がいるのか。フライデーは「生徒や親の多くは、タイの在留資格を持たない。親は総じて非正規の農業労働者で、在留資格を取得する費用を支払う余裕がなく、公式の学校に通うのは難しい」と説明する。<br>
　フライデーによると、不法滞在の生徒の親たちは、タイの法定最低賃金を下回る１日50～250バーツ（約200円～1200円）で働く。<br>
　在留資格を持たず、家から離れた学校に通うのは、警察に拘束される危険があり、交通費もかかる。<br>
　困窮のしわ寄せは子どもにも及ぶ。少しでも世帯の実入りを増やすため、子どもまで農場での労働に駆り出される。また、ある程度成長した子どもが、親が働きに出た日中、乳幼児の世話をさせられる。<br>
　こうしたことから、正規の在留資格がなくても学べる場所が、避難民らの生活拠点の近くに必要だという。</p>

<div id="attachment_18650" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/5ac19fc538a8f8505599ee2cd714d5f3-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18650" class="wp-image-18650" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/5ac19fc538a8f8505599ee2cd714d5f3-scaled.jpg" alt="" width="400" height="316" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/5ac19fc538a8f8505599ee2cd714d5f3-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/5ac19fc538a8f8505599ee2cd714d5f3-300x237.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/5ac19fc538a8f8505599ee2cd714d5f3-1024x809.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/5ac19fc538a8f8505599ee2cd714d5f3-768x607.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/5ac19fc538a8f8505599ee2cd714d5f3-1536x1213.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/5ac19fc538a8f8505599ee2cd714d5f3-2048x1618.jpg 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18650" class="wp-caption-text">手づくりのアクセサリーの前でほほ笑むフライデー。こうした売り上げも学校の資金となる（筆者撮影）</p></div>

<p>　通常の学校は朝から午後までが授業時間だが、フライデーの学校は午後４時半～同７時にしている。仕事の手伝いや乳幼児の世話が終わってから、生徒が通学できるようにするためだ。入学金や授業料も求めていない。フライデーは前記の出演料のほか、生徒らが描いた絵をプリントしたＴシャツを売るなどして、教育用品を購入する資金にしている。<br>
　親しい友達が文房具を支援してくれたり、日本のNGOがクラウドファンディングで資金集めをしてくれたりしたこともある。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>壊された夢</strong></span></p>
<p>　メソトに学校を開いたフライデーだが、出身地は600キロ以上離れたミャンマー中部の古都マンダレーだ。フードデリバリー業を営みつつ、ビジネススクールで指導者を務めていた。音楽が好きで、自己流ながら小さなイベントで歌っていた。<br>
　「とてもたくさんの夢があった。旅をするのが好きで、冒険家にもなりたかった」。フライデーは笑みを浮かべ、当時を懐かしむ。</p>
<p>　フライデーを取り巻く環境は2021年２月、国軍が起こしたクーデターで暗転した。「夢は全て壊された。軍の独裁で、私たちの国や社会は後退してしまった」<br>
　クーデター後、フライデーは抗議デモに参加した。国軍の弾圧で大規模なデモができなくなると、若者の一部は武装闘争に身を投じた。フライデーもマンダレーの若者らでつくるPDFに加わった。<br>
　PDFで活動を続けるうちに、フライデーは国軍に目を付けられるようになった。PDFの上官は、マンダレーを離れ、国軍に対抗する勢力が支配する「解放区」に行くように命じた。<br>
　少数民族カレン人の血を引くフライデーは2021年８月、カレン人が多く暮らすミャンマー東部カイン（カレン）州を選び、移動した。カレン人武装勢力のもとで軍事訓練を受け、現地で活動するPDFの一員になった。<br>
　だが約１年後、フライデーは心のバランスを崩し、自殺まで図った。マンダレーでともに活動したPDFの「同志」たちの大半が、国軍に殺されたり、拘束されたりしたためだった。前線を離れ、密かに精神科で治療を受けた後、メソトに移り、2023年１月、学校を開いた。<br>
　「私はいったん、人生をあきらめかけた。だからこそ、自分の人生に意味を持たせたかった。メソトで多くの子どもを見かけた時、私にはなすべき務めがあると気付いた」</p>

<div id="attachment_18651" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18651" class="wp-image-18651" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/8775960e4ad6e4fabbd14fc10e8af44b-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18651" class="wp-caption-text">「私たちの学校」の生徒たち（2023年８月、筆者撮影）</p></div>

<p>　創設最初、生徒は９家族13人。図書スペースをつくったり、建物の修繕をしたりしながら、学校を育てていった。<br>
　「私はプロの教師ではない。学校というより、コミュニティーをつくっている」。フライデーは強調する。「私も子どもたちも、みんなクーデターの影響を被った。厳しい状況を共有し、一緒に立ち向かいたい」<br>
　フライデーは自身と生徒が上下の関係ではなく、対等の仲間だと考えている。「私はたくさんの同志を失い、孤独を感じた。そうした思いを子どもたちと分かち合っている。彼らと触れ合うと、心が温まり、エネルギーを得られる。私が彼らに与えているのではなく、彼らから与えられている」</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>深い傷痕</strong></span></p>
<p>　教育を巡る母国の現状を語る時、フライデーの言葉には厳しさが増す。<br>
　ミャンマーではクーデター後、軍政下での教育に反発し、多くの教師や生徒がCDMに加わり、学校を離れた。フライデーは「クーデターが教育の基礎を全面的に壊した」と非難する。「軍は自分たちのアジェンダ（行動計画）に合う形に、教育を置き換えようとしている。まるで洗脳だ。ミャンマーの社会のあらゆる面に悪影響を与え、極めて危うい」<br>
　国軍に対抗する民主派や少数民族の勢力圏にある学校は、より直接的な危険にさらされている。<br>
　民主派が樹立した並行政府「挙国一致政府（NUG）」によると、クーデター後、戦闘機やドローン、モーター付きパラグライダーなどを使った国軍の空爆が、10月上旬までに全国で７千回を超え、370校以上の学校が破壊された。現地報道によると、９月にも西部ラカイン州で、国軍が高校を空爆し、生徒ら20人以上が死亡している。<br>
　フライデーは「軍は学校にすら空爆を加える。学校が安全な場所ではなくなっている」と憤る。</p>

<div id="attachment_18652" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-scaled.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-18652" class="wp-image-18652" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-scaled.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-1536x1152.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-2048x1536.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2025/10/1929ba3fe38f79907715d004a843c5ef-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-18652" class="wp-caption-text">「私たちの学校」の校舎。周囲は農地が広がる（筆者撮影）</p></div>

<p>　クーデターがミャンマー社会に残した傷痕は深い。フライデーは国軍支配の終焉を願いつつ、再生の道のりの険しさも口にした。<br>
　「社会のあらゆる側面の再建と修復のため、私たち国民の大きな労力が必要になる。教育、経済、マインドセット（思考様式）の再構築など、多くの努力をしなければならない」</p>
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