ミャンマークーデター4年半 抗い続ける人々(下)
「独裁が終わるまで」国軍との戦いに身を投じた若者の思い

  • 2025/10/11

 2021年2月にクーデターを起こして以降、自国民を武力で押さえつけようとするミャンマー国軍に、立ち向かう人々がいる。前回は国軍の振る舞いに耐えられず、離脱した元大尉と妻の活動を取り上げた。今回は都市での生活を捨て、民主派の武装組織「国民防衛隊(PDF)」やその支援組織の一員として、国軍と戦う若者らの思いに耳を傾けた。

DRPDNの拠点の壁に掛かっていた3本指を掲げる市民の絵(筆者撮影)

コンビニ経営から一転、前線への物資支援へ

 8月中旬、タイ北西部の町中にある2階建て住宅の1階で、テイン=仮名=は、衣服をビニール袋に詰める作業に力を注いでいた。
 国境を接するミャンマー東部カイン(カレン)州で国軍と戦うPDFの隊員らに届けるためだ。
 テインはPDFの部隊「コブラコラム」の一員。同時に、PDFに物資などを支援するグループ「DRPDN」にも属している。住宅はグループの拠点だ。部屋の壁には、手を縛られながら、圧政への抵抗を表す「3本指」を掲げる市民を描いた絵が掛けられていた。

 「今日も車で片道1時間半かけて、ワーレーに支援物資を届けてきた」。テインは筆者に話した。ワーレーとはタイとの国境沿いに位置するカイン州内の集落で、国軍の拠点がある。PDFと少数民族カレン人の武装勢力「KNU(カレン民族同盟)」が拠点を制圧するため、攻撃をしかけている最中だった。
 「国軍は拠点を守ろうと必死で、この3日間、戦闘機による空爆や『カミカゼドローン(自爆型ドローン)』での攻撃が激しくなっている」。テインは緊迫した前線の様子を説明した。「戦闘機やドローンが来たときは、塹壕に身を隠さないといけない。いつ、何が起こるか分からない状況だ」

 テインは正確な年齢は明かさなかったが、30 歳前後だという。もともとはミャンマーの最大都市ヤンゴンで、コンビニエンスストアを営んでいた。軍事とはほど遠い仕事だった。

 転機をもたらしたのは2021年2月1日のクーデターだった。国軍がアウンサンスーチーなど与党「国民民主連盟(NLD)」の幹部らを拘束し、全権を掌握した。

 NLDが大勝した前年の総選挙で不正があったというのが、国軍のクーデターの口実だった。テインを含め多くの国民が、民意の反映である選挙結果を覆した国軍に怒り、抗議デモを繰り広げた。

 これに対し、国軍は市民に死者が出るのも厭わず、武力で弾圧。活動家らを多数拘束し、大規模な抗議デモが困難になっていった。国軍の振る舞いを受け入れられないテインは、武器を取る選択をした。「軍は人々の抗議の声に耳を傾けなかった。話し合いはできない。戦うしかない」

「戦死した仲間の決意を背負って戦い続ける」

 2021年5月、テインは抵抗勢力の拠点になっていたカイン州のレイケイコーに行き、軍事訓練を受け、PDFの隊員になった。
 同年12月中旬、国軍がレイケイコーを襲撃した際も、テインはいた。
 「未明の3時から4時ごろ、叩き起こされて、塹壕に飛び込んだ。壕の底に体がつく直前、近くで500ポンド(約227キロ)爆弾が破裂した。退避が少し遅ければ危なかった」。テインは当時を振り返る。「最初に砲弾の爆発音や銃声を聞いた時は、想像した以上に大きな音や振動で恐ろしさを感じた。しかし、その後は慣れていった」

 前述のPDF「DRPDN」は、レイケイコーで創設された。テインはそこにも加わり、活動に深く関わるようになった。

 2023年8月、テインはDRPDNの活動のためタイ北西部に移動。前線の各部隊に武器や弾薬、食料を供給している。負傷したPDF隊員らの療養センターも設けており、負傷者らに生活や治療、義足購入の費用、食料や衣服を支援している。

 PDFに対してだけでなく、国内避難民(IDP)キャンプの人々や、軍政下での業務をボイコットする「市民不服従運動(CDM)」に参加し、タイ・ミャンマー国境地域に逃れた公務員らも、食料などの支援対象にしている。

DRPDNの拠点に掛かっていた3本指の絵(筆者撮影)

 また、DRPDNはミャンマー側では、PDFに入る若者への軍事訓練も実施している。

 DRPDNには30人以上のメンバーがいる。メンバーはテインのように、「コブラコラム」や「ライオン大隊」といったPDFの部隊にも属している。後方支援が中心とはいえ、戦場と行き来するなかで、危険と無縁ではいられない。最近でも5月上旬に、カイン州側の国境の町ミャワディ西方で、20代後半の男性メンバーが死亡した。拠点の住宅には、こうしたメンバーらが残した腕時計などの遺品が、額縁に入れて大切に保管されている。

 テインの腕には入れ墨があり、15人の名前が彫られていた。PDF隊員を含め、命を落とした仲間たちの名前だ。「あと5人彫らなくてはならない」。入れ墨を彫ってから、さらに5人が死亡したという。「私は彼らの決意も背負っている」

 その20人ですら、クーデター後に命を失った人々のごく一部でしかない。人権団体「政治犯支援協会」によると、クーデター後、7000人以上の市民が国軍に殺害されている。

 「クーデターから4年半余りの間に、何人もの若者が亡くなった。クーデターさえなければ、彼らは才能を生かし、それぞれの道でキャリアを積んでいたはずだった」と、テインは憤りをあらわにする。「軍は国を壊し、民主主義を崩壊させ、人々の命や子どもたちの未来を奪った。私たちは軍の独裁を終わらせ、こうした行為を止めなくてはならない」

 国民が力で抑圧される現状をテインは「悲劇」と言い表し、「少しでも早く終わらせたい」と望む。「日ごとに犠牲者や収監される政治犯が増え、若者の未来が奪われていく。悲劇が終わるまで戦い続ける」

「空爆さえなければ…」

 テインとは別に、コブラコラムのキンライン(33)と妻のプーンゲル(29)もタイ北西部を拠点に、前線に物資を供給する役割を担っている。

 8月中旬の昼過ぎ、筆者がキンラインの家を訪れた際、軒先にはこれから前線に届ける靴やベストが置いてあった。

 「ミャンマー側に10日間入り、3日前に戻ってきた。ワーレーまで行き、食料や医薬品を仲間たちに届けてきた」と話すキンライン。「今日も朝から物を運ぶ作業をして、何も食べていないのでちょっと待って」と、プーンゲルが用意した食事をかきこんだ。

前線に届けるベストを見せるキンライン(筆者撮影)

 かつてキンラインは、ミャンマーで宝石を売る仕事をしていた。クーデター後、国軍に抵抗するためPDFに入り、コブラコラムの一員として前線で戦っていた。そのころ、同じくコブラコラムに入った元看護師のプーンゲルと出会った。

 コブラコラムに入った当初は戦闘員だったキンラインだが、内臓の病気を患い、手術のためタイに移動した。それからは後方支援に携わるようになった。

 カイン州でコブラコラムなどのPDFは国軍に対し、カレン人の武装勢力「KNU」と共闘している。KNUは七つの旅団で構成される軍事部門「カレン民族解放軍(KNLA)」を持つ。

 キンラインはこの時点でのPDFとKNUの優勢を強調し「特に第5、第6旅団の管内では私たちが勝っている。軍は戦意が欠けている」と胸を張った。

 ただ、国軍は中国やロシアから戦闘機や兵器の供給を受けている。PDFなど抵抗勢力と違って空軍を持ち、装備で上回る。キンラインは悔しさを込めて言う。「気にしなければならないのは空爆だけだ。軍に戦闘機がなければ、昨年の段階で私たちが完全に勝利している」

 国軍はNLDを排除した形で、12月28日以降に総選挙を順次実施し、親軍政党による政権を樹立して統治を正当化しようとしている。

 「総選挙に何の意味もない。軍の息のかかった政権をつくり、総司令官のミンアウンフラインが大統領になりたいだけ。汚いやり方だ」。キンラインは突き放す。「総選挙をやりたければやればいい。独裁者をミャンマーから追い出すまで、戦いは終わらない」

キンラインの後ろの壁にはプーンゲルと撮った写真が掛かっている(筆者撮影)

 筆者がキンラインに話を聞いた後、8月下旬ごろから、カイン州のタイ国境地域で国軍が攻勢に転じているようだ。総選挙に向け、支配領域を広げる狙いの一環とみられる。これに伴う避難民も発生しており、戦況は余談を許さない。

宗教、民族超えた平和を

 タイ北西部で「コムラッド・アリ」というニックネームを名乗る25歳の男性に会った。鼻筋が通り、はっきりした顔立ち。インド系の血が入っているという。

 「アリ」という名が示すようにイスラム教徒だ。仏教徒が約9割を占めるミャンマーで少数派に当たる。「コムラッド」は英語で「同志」。アリもまた、PDFに参加している。

 PDFの部隊「プラックパンサーコラム」の一員として前線で戦っていたが、現在は後方支援を担当している。アリの場合、主な支援対象はイスラム教徒のPDF隊員ら。宗教的な制約を踏まえて、ハラル食品などを支援している。

 「部隊でイスラム教徒は私が初めてだったが、後に2人入ってきた。今、ミャンマー全国で、イスラム教徒のPDF隊員は1000人以上いる。彼らを助けるようにと上官に言われ、後方支援に回った」とアリは説明し、宗教を越えた抵抗運動の広がりを示唆する。

イスラム教徒のPDF隊員を支援するコムラッド・アリ(筆者撮影)

 アリはヤンゴンのインセイン郡区で、日本製中古バイクの販売業をしていた。多数の政治犯が収容されているインセイン刑務所がある地域だ。

 クーデターが起きた日、母親に「気を付けて」と言われた。西部ラカイン州に住む少数派イスラム教徒ロヒンギャへの迫害が象徴するように、国軍はイスラム教徒に反感を持っている。国軍が実権を握ったら弾圧の対象になりやすいため、慎重に行動した方がいいという忠告だった。

 だが、国民が選んだ政権を転覆させた国軍を許せなかったアリは、クーデター後にインセイン刑務所に収容された政治犯らの釈放を求め、デモに参加した。

 しかし、母親が懸念した通り、警察などが身辺を嗅ぎ回るようになった。動きを察知したアリは2021年5月ごろ、カイン州に逃れ、民主派の武装闘争に加わるため、KNUの軍事訓練を受けた。ブラックパンサーコラムに組み入れられ、後方支援担当になるまで前線で戦っていた。

 「クーデターが起きるまでは政治に特別興味はなかった」とアリは言う。だが「朝起きたら突然、軍事政権になって、軍の下で生きなければならないなんて、理解できない」と語気を強める。

 「軍は兵器や戦闘技術を支援してもらう見返りに、大規模開発事業の権利を中国やロシアに売り渡している」と、アリは非難する。「総選挙も中国やロシアの支持があるから可能だと思っているかもしれないが、実態はミンアウンフライン(総司令官)が自分の左手から右手に権力を移すようなもの。不当な選挙なので日本政府は認めないでほしい」

 内戦が長期化し、ミャンマー国内の混迷は深まっている。ラカイン州では、仏教徒の少数民族ラカイン人の武装勢力「アラカン軍(AA)」が国軍に対して攻勢に出て、支配エリアを広げるなかで、ロヒンギャとの軋轢が、再び強まっていると伝えられる。

 そうしたなか、自身も戦いに関わりながらも、アリは願う。「どんな宗教や民族であろうが、幸せに暮らせるように。そんな自由で平和な民主主義の国にしたい」

 

 

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