【藤元明緒監督 独占手記】第82回ベネチア国際映画祭で感じた芸術の価値
『LOST LAND/ロストランド』が世界最古の映画祭で三冠を受賞 ロヒンギャの声を世界に届ける新たな挑戦
- 2025/11/5
日本に住むミャンマー人家族の物語を描いた『僕の帰る場所』や、ベトナム人技能実習生を題材にした『海辺の彼女たち』など、アジアを舞台に合作映画の制作を行う藤元明緒監督の最新作『LOST LAND/ロストランド』が、8月末から9月初旬にイタリアで開かれた第82回ベネチア国際映画祭でオリゾンティ・コンペティション部⾨の審査員特別賞を受賞しました。併せて、独⽴賞である最優秀アジア映画賞特別表彰とビサート・ドーロ賞(⾦の鰻賞)最優秀監督賞も受賞し、三冠を達成したこの作品は、世界で最も迫害されているとも言われる少数派イスラム教徒ロヒンギャの人々の証言を基に紡がれたもの。ミャンマーから逃れ、バングラデシュの難民キャンプで暮らしていた無国籍の幼い姉弟が家族との再会を願っていくつもの国境を命懸けで越えていく旅路を描いています。
主演の姉弟をはじめ、総勢200人を超えるロヒンギャの出演者たちとともに作り上げた藤元明緒監督が独占手記を寄せ、ベネチア国際映画祭の会場で考えた映画という芸術と現実社会の関係性について綴りました。
ロヒンギャ難民を描いた映画
私は、主に東南アジアのミャンマーを舞台に映画監督として活動しています。今年の春、長きにわたり迫害を受け続けている少数派イスラム教徒ロヒンギャを題材にした作品『LOST LAND/ロストランド』を制作しました。
『LOST LAND/ロストランド』は、ミャンマーから逃れたロヒンギャの幼い姉弟がバングラデシュの難民キャンプから抜け出し、仲間たちと共に安住の地を求めて東南アジアを旅する物語です。主演を務めたのは、本物のロヒンギャの姉弟。スクリーンに映る彼らの姿は、物語の一部であると同時に、現実そのものでもあります。
これまで十数年にわたってミャンマーに関わるなかで、ロヒンギャの人々が受けてきた迫害の話について幾度となく耳にする機会がありました。しかし、ミャンマーではロヒンギャの話題を口にすること自体がタブー視される風潮があり、私自身、仕事を失うことへの恐れもあって声を上げることができずにいました。身近で異常な出来事が起きているのに見て見ぬふりをしていた罪悪感こそが、『LOST LAND/ロストランド』を撮ろうと決意したきっかけです。「あの時に無視してしまった彼らの声を、映画に乗せて世界に届けたい」。そんな想いに突き動かされて制作を始め、大勢のロヒンギャの人々の協力を得て完成した作品は、第82回ベネチア国際映画祭のオリゾンティ・コンペティション部門に選出され、世界初上映となるワールドプレミアを迎えることになりました。
ベネチア国際映画祭は1932年に創設された世界最古の映画祭で、カンヌ、ベルリンと並ぶ世界三大映画祭の一つです。毎年9月に水の都ベネチアのリド島に世界中から映画人たちが集まり、世界初披露の最新作が上映されます。映画を世界に届ける発信地としてはまたとない舞台です。『LOST LAND/ロストランド』が選出されたオリゾンティ・コンペティション部門は、メインコンペティション部門に次ぐ位置付けとされ、イタリア語の「地平線」(オリゾンティ)が冠されている通り、革新性のある作品や、新しい表現に挑戦する作品が選出されるセクションです。過去には、塚本晋也監督の『ほかげ』など日本映画の傑作もこの部門から生まれています。
とはいえ、私はこれまでベネチア映画祭に対し、ハリウッドスターがレッドカーペットを練り歩く華やかさも相まって、商業エンターテイメント的な作品がラインナップされているイメージを抱いており、自分とは遠い場所だと感じていました。ましてや、私たちの映画にはスター俳優も出演していないうえ、ヨーロッパの映画界ではあまり知られていないロヒンギャの人々を題材にしています。いったいどれぐらいの人が観に来てくれるのだろうか、と心配しながら8月末、イタリアに飛びました。
出演者不在のワールドプレミア
しかし、心配は杞憂に終わりました。オリゾンティ・コンペティション部門のプレミア上映のメイン会場となったリド島内のサラ・ダルセーナは、世界に先駆けて上映される私たちの映画を見ようと集まった1500人近い人々でほぼ満席になったのです。日本では経験したことがない、圧巻の光景でした。
ロヒンギャたちがバングラデシュの難民キャンプを出てタイを経由し、マレーシアへと向かう旅の日々が、大きなスクリーンに映し出されていきます。大海原を進む密航船やブローカーからの搾取、仲間の死といった過酷な状況が続くなか、未来に向かって進む主人公の幼い姉弟の力強い眼差し。それを見つめる観客たちからは、まるで彼らもロヒンギャと一緒に旅をしているかのような息遣いが伝わってきました。実に緊張感あふれる時間でした。
映画が終わってエンドロールが流れ始めると、会場は熱狂的なスタンディングオベーションに包まれました。社交辞令などではない、嘘偽りのない拍手が鳴り響いていました。長く映画業界にいますが、こんな上映に立ち会ったのは初めてです。映画のメッセージが、そしてロヒンギャたちの声が、遠く離れた人々に届いたという実感がありました。
上映が終わると、多くの観客に取り囲まれました。ほとんどの方が、ロヒンギャもミャンマーで起きていることも知らない様子でしたが、「主演の姉弟の演技が圧倒的で、ドキュメンタリーだと思って観ていた」「彼らの存在を身近に感じた」と口々に感想を話してくれました。その声に励まされながらも、私は深い無力感を感じていました。主演の幼い姉弟の演技が賞賛されればされるほど、当の二人が映画祭に来られなかったという事実を思い知らされたからです。
国籍がなく、パスポートを取得することもできない二人には、海外に行く手段がありません。いわば、地球上のどこにも正式な滞在が認められない存在なのです。二人だけでなく、出演してくれたロヒンギャの方々が全員、同じです。世界最高峰の映画祭で自分たちの演技が称賛されているその瞬間も、彼らは不安定な立場を強いられ、私たちはスクリーン越しでしかつながれないのが現実です。
「ロヒンギャの声を世界に届けたい」という当初の目的は、ワールドプレミアの成功によって良いスタートを切ることができました。しかし、それが何になるというのでしょう。現に彼らは今も、ベネチアだけでなく、他の国で続々と開かれている映画祭に行くことができずにいます。映画では即効性を持って世界を変えることができないということを否応なく突きつけられる思いです。
せめてもの気持ちにと映画祭側にかけ合い、上映に来られなかった主演の二人の席を用意してもらいました。上映後、二つの空席に向かって観客たちが拍手を送ってくれました。自分だけが今、この場所にいることへの後ろめたさと、人々のあたたかな気持ちへの感謝が入り混じり、言葉にはしづらいとても複雑な心境でした。
そうしたなか、ロヒンギャ側の共同プロデューサーであるスジャウディン・カリムディ さんがベネチアに来てくれたことは、たいへん意義があると感じました。撮影中は現場で通訳をしてくれ、その後も映画を多くの人々に届けるためにフォローし続けてくれている友人です。すでに帰化し、国籍を取得しているために移動が可能で、今回、参加が実現しました。上映後に登壇したスージャさんが「故郷に帰りたい」と訴えかけた切実な言葉は観客の心に強く響いたようで、この日一番の大きな拍手が客席から沸き起こりました。ロヒンギャの方が登壇し、当事者として声を届けたのは、ベネチア映画祭史上、初めてのことだったそうです。
表現と現実の交差点
ベネチア国際映画祭で上映される作品は、映画として優れているかどうかというだけでなく、国やコンセプトのバランスを考えて選出されます。実際に参加してみると、渡航前に抱いていた華やかなイメージとは異なり、政治的なことや社会的に重要だと思われるメッセージもオープンに発言していこうというムードに満ちていたのが印象的でした。監督たちは授賞式や質疑応答の場で自由に政治的な話題を口にし、観客たちの側にも広い世界観で映画を受け止め語り合おうという意識がありました。
例えば、今年のベネチア国際映画祭ではパレスチナ問題が中心的なテーマの一つとされ、期間中はパレスチナ支援を訴えるデモが続いていました。そんななか、最優秀監督賞である銀獅子賞を受賞したのは、2024年1月にイスラエル軍がガザ地区を攻撃した際、車内に取り残された5歳のパレスチナ人少女 、ヒンドゥ・ラジャブが救助を求めて人道支援組織 にかけた緊急通話の内容を描いたドキュ・フィクション『ザ・ボイス・オブ・ヒンドゥ・ラジャブ 』でした。上映後はパレスチナの国旗が客席に掲げられ、史上最長の23分間にわたりスタンディングオベーションが続くなど、とてつもない熱気にあふれていました。また、ロシアとウクライナの戦争下で生きる人々を扱った『ショートサマー』や、気候変動危機を描いた『ビロウ・ザ・クラウズ』など、各国の社会派映画が数多く上映され、映画祭が政治的・社会的なメッセージを発信する重要な場として機能していることが明確でした。これほど社会派の作品が一堂に会する場で『LOST LAND/ロストランド』が上映されたことは、とても幸運でした。 「ミャンマー」や「ロヒンギャ」と聞いてピンとくる人はおそらく多くはなかったと思いますが、多くの人が映画に描かれた現実に目を向け、当事者としてメッセージを受け止めてロヒンギャの行く末を案じてくれたことに、救われる思いがしました。と同時に、映画には見えない存在を可視化し、遠い場所で起きている出来事を私たちの日常へと引き寄せる力があるのだと改めて実感しました。
これらのことを踏まえると、映画祭とは単に映画を鑑賞する場にとどまらず、社会の中で議論を呼び起こす「声」を積み上げていくパワーを秘めた場でもあることに気付かされます。映画という芸術を、日常と切り離された娯楽として見るのではなく、芸術が現実社会に何をもたらし、どのような対話を生み出すのか問いかけ、たとえ映画そのものに現実社会や世界を変える即効性がなくとも、作り手も観客も共にその問いに向き合うことができる――。それが映画祭という場の本質的な意義だと感じたのです。
もっとも、こういう話を日本ですると「政治的だ」「映画は面白ければいい」と、揶揄されることは少なくありません。もちろん、映画を娯楽として楽しむことは大切です。しかしベネチアでは、そうした映画論に閉じこもったまま作品に触れる人に出会うことはなく、居心地の良さを感じました。
ベネチア国際映画祭で審査員特別賞など三冠を獲得したことによって、『LOST LAND/ロストランド』が多くの国に広がっていく機運は一気に高まりました。実際、これ以降、この映画は世界各地の映画祭に招待され、すでに15カ国以上で上映が決定しました。来春には日本とフランスでの公開も予定しています。
『LOST LAND/ロストランド』海外版予告編
また、映画祭とは違う形での普及にも力を入れていきます。単に興行的な成功を目指すにとどまらず、映画を通じて社会的な変化を生み出すことを目指す「インパクトキャンペーン」という取り組みを世界各地で展開しているイギリスの専門組織シンク・フィルムと提携して上映後にディスカッションやワークショップを開き、観客が実社会で何らかのアクションを起こすように働きかけるのです。今後、ロヒンギャのコミュニティや難民支援の現場、教育機関、国際機関の会合などで上映会を予定しています。この活動を通じて映画を観る人々が当事者として何かを感じ取り、対話し、行動を起こすことによって少しずつでも現実社会を変えていく力になればと願います。
原題の「ハラ・ワタン」に込められた故郷への思い
「LOST LAND/ロストランド」には、原題があります。ロヒンギャ語で「ハラ・ワタン」(Harà Watan)です。今回、ロヒンギャ側のプロデューサーを務めたスージャさんがベネチア国際映画祭の受賞式でその意味について語った言葉を引用して、本稿を締めくくりたいと思います。
「ハラ(Harà)はロヒンギャ語で“失われた”という意味を表し、ワタン(Watan)は「故郷」や「祖国」という意味を表します。一方、ワタン(Watan)の中にあるタン(Tan)は、“身体”を意味します。故郷とは、単に自分が生まれた場所というだけでなく、自分自身の一部でもあるというロヒンギャの考え方がよく表れている表現だと言えるでしょう。
つまり、“失われた故郷”を意味する「ハラ・ワタン」という言葉には、自分の身体の一部を失ってしまったような感覚を伴う、深い感情が込められています。私たちは、そこが自らの一部である土地だからこそ、故郷に帰りたいと願い続けているのです」
(ふじもと・あきお)1988年、大阪府に生まれ、ビジュアルアーツ専門学校大阪で映画制作を学ぶ。在日ミャンマー人家族を描く初の長編『僕の帰る場所』(2017年)は、第30回東京国際映画祭アジアの未来部門 作品賞&国際交流基金アジアセンター特別賞を受賞。ベトナム人技能実習生を描く長編第二作『海辺の彼女たち(日本ベトナム国際共同製作 2020)』は、PFF第3回「大島渚賞」、2021年度「新藤兼人賞」金賞、第13回TAMA映画賞最優秀新進監督賞、第31回日本映画批評家大賞・新人監督賞などを受賞した。
ロヒンギャ難民を題材にした最新作『ロストランド』は、第82回ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門で審査員特別賞を受賞。2026年春、全国公開が決まっている。
















