ミャンマークーデター4年半 抗い続ける人々(上)
「国軍の洗脳にくさびを」 元兵士の願い

  • 2025/10/10

 2021年2月にクーデターを起こしてから4年半以上にわたり、ミャンマー国軍は自国民に銃を向けている。その振る舞いに耐えられず、離反して声を上げる兵士がいる。職を捨て、国軍と戦う道を選んだ若者もいる。武力を振りかざす相手に立ち向かい続けるのはなぜか。彼らの胸の内を2回に分けて伝える。

国軍兵士やその妻への働きかけについて話す元大尉のテッミャッ(左)とスティットサーゾー(筆者撮影)

「国を守りたい」という使命感から入職 

 タイ北西部の町外れ、丘の中腹に、草木に囲まれて一軒家が立っていた。玄関を入るとすぐ、照明器具の置かれた撮影用スペースがある。筆者が8月に訪れた時、数人が作業のために動き回り、辺ぴな立地と対照的な活気に包まれていた。
 元ミャンマー国軍大尉テッミャッ(35)はここを拠点に「Breaking Brainwashed(洗脳を解く)」と名付けた活動を率いている。ユーチューブやフェイスブック、ティックトックなどSNSを通じ、国軍兵士らに離脱を呼びかける取り組みだ。
 10月上旬現在、ユーチューブチャンネルの登録者は70万人を超え、制作した動画は約2000本に上る。

 テッミャッはミャンマー中部の古都マンダレー出身。高校を卒業し、2006 年、マンダレー東方のピンウールウィンにある国軍の将校養成機関「国軍士官学校(DSA)」に入った。「国を守りたい」という使命感からだったという。

 国軍内でエリートコースを歩むはずの人生は、クーデターで一変した。

 2021年2月1日、ミンアウンフライン総司令官ら国軍上層部は、部隊を首都ネピドーに展開させ、アウンサンスーチー国家顧問ら与党「国民民主連盟(NLD)」の幹部らを拘束。全権を掌握した。

 この時、テッミャッは任地の北部カチン州バモーを離れ、DSAで研修中だった。クーデターの発生は上官から簡単に聞いた。当初、テッミャッはこう考えていた。「軍が国を抑えたというだけの話。民間人に対して深刻なことはしないだろう」

 国軍はクーデター後、ネット接続を制限した。研修中でDSAに隔離され、情報が遮断された状態のテッミャッに、電話で推移を知らせたのが妻スティットサーゾー(38)だった。スティットサーゾーはピンウールウィンから約600キロ南に離れた最大都市ヤンゴンのホテルで、営業やマーケティングのマネジャーを務めていた。

結婚したテッミャッ(左)とスティットサーゾー(テッミャッ提供)

 テッミャッの予想と現実は違った。国軍はNLDが大勝した2020年の総選挙で不正があったとして、クーデターを正当化しようとした。だが、民意を反映した選挙結果を覆した国軍への国民の怒りは強大だった。抗議活動は、スティットサーゾーのいるヤンゴンをはじめ全国に広がった。
 これに対し、国軍は歩み寄るどころか、武器を使って抗議活動を弾圧。市民の死者が増えていった。

 スティットサーゾーは毎日、テッミャッに電話し、エスカレートしていく情勢を伝えた。スティットサーゾーは「市民は平和的にデモをしていた。国軍がそうした市民を殺したことを伝える時には、涙を流さずにはいられなかった」と明かす。

平然と市民殺した上司

 テッミャッは3月15日、訓練を終え、バモーに戻った。抗議の炎は各地で収まっていなかった。テッミャッは国軍の一員であることに、次第に後ろめたさを感じるようになった。
 同月27日、テッミャッはバモーで抗議デモの鎮圧を命じられた。この日は国軍記念日だった。第二次世界大戦中の1945年3月27日、ミャンマーを占領した旧日本軍に対し、国軍の前身「ビルマ国民軍」が一斉蜂起した出来事にちなむ。
 国軍にとって特別な日で、毎年、首都ネピドーでは軍事パレードが披露される。上司の中佐は神経質になっていた。

国軍にいたころのテッミャッ(テッミャッ提供)

 デモ隊と国軍や警察がにらみあう中で、中佐はあちこちで発砲した。デモ隊は散り散りになったが、中佐は残っていた若い女性に狙いを付け、銃を撃った。
 女性はいったん物陰に隠れたものの、全身を覆うほどの大きさではない。女性は物陰から飛び出し、中佐に罵声を浴びせた。中佐は2発目を発砲。弾は女性の胸から背中へ貫通した。
 血を流し、倒れていた女性の救命をテッミャッらは試みたが、既に手遅れだった。テッミャッは女性の死亡を中佐に報告した。
 中佐はみじんも動揺せず言い捨てた。「死体を警察に渡せ。あとは警察が処理する」。その反応にテッミャッはショックを覚えた。「人を殺したのに、なぜそんなに落ち着いているのか」
 デモは暴力的ではなかった。この日、バモーだけでなく、抗議活動に参加した市民が各地で国軍に殺害された。死者の総数は100人以上とみられている。

 テッミャッにとって、中佐の行動や態度は決定打になった。「こんな人間と組織には憎悪すら感じる。軍にはもういられない」
 国軍の強硬姿勢で、大規模なデモは次第に見られなくなっていった。国軍への反発を抑えきれない若者らは、民主派の武装組織「国民防衛隊(PDF)」に参加し、武装闘争を選んだ。PDFは「カレン民族同盟(KNU)」など一部の少数民族武装勢力とも連携。国軍との内戦が拡大していった。

兵士の妻に働きかけて小規模事業の立ち上げも支援

 女性の死から約2カ月半後の2021年6月中旬、テッミャッは国軍を離脱した。別の町に隠れ住んだ後、ヤンゴンでスティットサーゾーと合流。東部カイン(カレン)州のKNUの支配地に一緒に移動した。
 KNU支配地にいたころから、テッミャッは携帯電話を使って国軍の現役兵士らに離脱を働きかけ始めた。2022年3月、国境を越えてタイ北西部に腰を落ち着けると、さまざまなチャンネルを使った「Breaking Brainwashed」の活動を本格化させた。
 「Breaking Brainwashed」は、現在、テッミャッ夫婦を含めてスタッフは約10人。うち3人が元国軍兵士だという。国軍離脱者やPDF隊員、民主活動家へのインタビューのほか、ミャンマー情勢に関するニュースを発信しながら、国軍兵士らに離脱を呼びかけている。
 「活動を通じて、これまで100~150人の離脱を手助けした」とテッミャッは話す。

国軍からの離脱などについて語るテッミャッ(筆者撮影)

 スティットサーゾーも歩調を合わせ、「Blooming Padauk(咲きほこるパダウ)」という団体をつくり、活動している。パダウとはミャンマーを代表する黄色い花だ。
 スティットサーゾーの団体はSNSを通じて、国軍兵士の妻たちに夫の離脱を後押しするよう訴えている。兵士が離脱を考える際、配偶者に相談するケースが多く、影響力が大きいからだ。テッミャッもスティットサーゾーから伝えられた国軍による弾圧の情報に接しながら、考え方を変えていった。

 同団体は国軍を離脱してタイに逃れた元兵士の妻に、経済的な支援 もしている。食料品店や雑貨店など小規模事業の立ち上げを希望する女性に1万5000バーツ(約6万円)を援助する。これまでの対象者は計約200人 。Breaking Brainwashedが離脱を手助けした以外の元兵士の妻を含む。団体はこうした資金を国際NGOから得ている。
 また、裁縫、せっけんづくり、アクセサリー製作など、収入を得る手段として生かせる技術のトレーニングも開催している。

国軍が掲げる三つの大義

 名前の通り、テッミャッの活動は兵士らの「洗脳を解く」のを主眼とする。それは16歳で国軍に入ってから、そのプロパガンダをたたき込まれた自身の経験と反省を踏まえている。
 テッミャッのユーチューブチャンネルにはこんな説明がある。「軍内部にいる兵士のほとんどとその家族は、国家主義的、独裁主義的、軍国主義的なプロパガンダで何十年にもわたって洗脳されてきた。その結果、論理的に自分自身で結論を出せない。彼らは将軍たちの命令や気まぐれに何も考えずに従う」

ユーチューブチャンネル「Breaking Brainwashed」でインタビューするテッミャッ(左) (同チャンネルより)

 国軍が使う代表的なプロパガンダに「国家の三つの大義」がある。三つの大義は「連邦の分裂の回避」「国民統合の維持」「国家主権の永続」を指す。
 国軍は大義のために活動しているという意識を組織内に浸透させる「洗脳」が長年施されてきた。この大義は、国家や国民の分裂を防ぐ名目で、国軍が特権的な地位に立ち、少数民族武装勢力や民主化運動を弾圧する行為を正当化する論理にも転換可能だった。
 ミャンマーは1948年に独立後、議会制民主主義の体制となった。しかし、権力争いで政治が安定せず、自治を求める少数民族の武装闘争が広がるなかで、前述の「ビルマ国民軍」の流れをくむ国軍が1962年、クーデターで実権を奪った。その後、国軍は多くの期間で政治に関わり、民主化運動や少数民族の闘争を押さえ付けてきた。2011年に民政移管したものの、その10年後、クーデターで文民政権を転覆させた。国軍の根幹に染みついた独善性は消えていなかった。
 ユーチューブチャンネルの説明は、さらに続く。「私たちは兵士たちの心に深く刻まれたプロパガンダを解きほぐし、善悪の区別ができるようにすることを使命とする。彼らがそれをできるようになれば、独裁政権を離れ、民衆の側に立つと私たちは信じている」

抵抗運動を勝利に導くために

 すでに、自国民を傷つける姿勢に嫌気が差し、国軍を離れる兵士は相当数に上っている。テッミャッは「タイ北西部だけで1000人以上の離脱兵がいるのではないか」と推し量る。
 クーデター前、国軍の兵力は推定30万~40万人と言われていた。米シンクタンク「米国平和研究所」のイェミョーヘイン客員研究員は、その推定は過大としながら、2021年初め時点で約15万人だった兵力が、クーデター後の戦死や離脱のため、2023年末には13万人以下に減ったと分析している。
 国軍の現有兵力について、テッミャッは「ミンアウンフライン(総司令官)でも正確にわからないだろう」と皮肉交じりに笑う。戦死者や離脱者が出ても、部隊の長が上部に報告せず、実際の人数分より多い給与の支給を受け、懐に入れるようなケースがあるからだという。
 しかし、国軍の兵力が今後も減退の一途をたどるのかというと、そう単純ではない。内戦で民主派や少数民族武装勢力に押されていた国軍は、昨年から徴兵制を実施している。
 テッミャッは「戦死や離脱が相次ぎ、国軍は弱体化した。だが、徴兵制を実施し、経験がないため有用ではないものの、マンパワーの補充をしている」と話す。市民の意向を無視して、人員不足を無理やり穴埋めする手法に出ている。
 さらに国軍は今年12月28日以降、NLDを排除した形で総選挙を順次実施し、親軍政党の政権をつくろうとしている。7月には総選挙の妨害を罰する新法を制定。現地メディアによると、10月上旬までに、新法に基づき市民64人が起訴された。このうち、総選挙をフェイスブックで批判したとされる男性は9月、懲役7年を言い渡された。テッミャッは「ミンアウンフラインは総選挙で支配の合法化を図っている。だが、総選挙を強行すれば、抵抗はもっと強くなるだろう」と見る。

活動拠点の前で肩を組むテッミャッ(左)とスティットサーゾー(筆者撮影)

 内戦がさらに泥沼化し、市民の犠牲者が増えていく恐れがある。だからこそ、国軍内にはびこる独善的な価値観にくさびを打ち、兵士らの離脱を促す努力が不可欠だと考えている。
 テッミャッは願いを込めて強調する。「この『革命(抵抗運動)』を早く成功させることが何より重要だ。そのために活動を続ける」

下に続く

 

関連記事

 

ランキング

  1.  ドットワールドと「8bitNews」のコラボレーションによって2024年9月にスタートした新クロス…
  2.  日本に住むミャンマー人家族の物語を描いた『僕の帰る場所』や、ベトナム人技能実習生を題材にした『…
  3.  2021年2月にミャンマー国軍が起こしたクーデター後、タイ北西部のメソトやその周辺に、多数の避難民…
  4.  現代アートの世界的な拠点として知られるドイツの首都ベルリンでは、1998年から隔年で現代美術の国際…
  5.  中国の習近平国家主席が9月25日、新疆ウイグル自治区のウルムチ市で開催されたウイグル自治区設立70…

ピックアップ記事

  1.  現代アートの世界的な拠点として知られるドイツの首都ベルリンでは、1998年から隔年で現代美術の国際…
  2.  ドットワールドと「8bitNews」のコラボレーションによって2024年9月にスタートした新クロス…
  3.  2021年2月1日未明にクーデターが発生したミャンマー。アウンサンスーチー国家顧問やウィンミン大統…
  4.  2021年2月1日に発生した軍事クーデター後、ミャンマー各地で国軍と民主派や少数民族との内戦が繰り…
  5.  2016年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍」(FARC)と政府の和平合意が実現し、約60年にわたる…
ページ上部へ戻る