ヤンゴンからシリアへ 遠い国を知る入り口
ニュースの影に隠れがちな「暮らし」への招待状
- 2026/7/1
ミャンマーの街角や人々の暮らしを伝える「Yangonかるた」と、その発想に触発されて誕生した「シリアかるた」。今年5月末、二つのかるたが初めて出会うコラボイベントが開かれました。遠く離れた二つの国を結び付けたのは、「危ない国なんでしょう?」「帰ってこられてよかったね」という周囲の言葉への違和感と、「戦争や貧困だけでは語れない、その土地の豊かさを立体的に伝えたい」という、共通する思いでした。
違和感から生まれたYangonかるた
ミャンマーで2021年2月1日にクーデターが起きて半年あまりが過ぎた同年秋、一人の高校生が手作りのかるたを完成させた。その名も「Yangonかるた」。当時高校1年生だった野中優那さんが制作した(「かるたで広がれ、ミャンマーへの共感 | dotworld|ドットワールド|現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト」2022年1月16日付参照)。
父親の仕事の都合で、中学2年生に進級した2019年の春から2年間の予定でミャンマー最大都市ヤンゴンに家族で暮らし、現地の日本人学校に通っていた野中さんは、ウィンミン大統領やアウンサンスーチー国家顧問、国民民主連盟(NLD)幹部らを拘束したミャンマー軍への抗議デモが町に広がるなか、それまでごく普通に暮らしていた若者たちが、平和的、かつユニークな方法で整然と抗議の意思を示す姿に胸を打たれたという。
新しい未来とエネルギーすら感じつつ、高校進学のために帰国した野中さんを待っていたのは、「危ない国から帰って来られてよかったね」という周囲からの言葉だった。悪気がないのは理解しながらも、「ずれている」という違和感が拭えなかった。
確かに、現地の情勢はみるみる悪化し、日本の新聞やテレビは非暴力で抵抗する市民を次々と拘束し、容赦なく銃口を向けるミャンマー軍の様子を繰り返し伝えた。しかし、野中さんが知っているミャンマーはそれだけではなかった。日常的に民族衣装を着る人々、市場の賑わい、夕日に輝くお寺の美しさ—。ニュースでは伝わらないミャンマーの魅力や文化、人々の日常を日本の人たちに伝え、ミャンマーに関心を持つきっかけを提供したい。そんな思いから考案したのが、「Yangonかるた」だった。
兄や弟、さらに、ミャンマー語を学ぶ大学生らとともに絵札の写真を選び、読み札の表現を考えたかるたは、クラウドファンディングによって約300万円を集め、700部が制作された。時にミャンマー関係者の講演も交えながら、かるたを通じてミャンマーの魅力を伝えることで世界の問題を考えてもらおうと開催したイベントは、これまでに100回を超える。
ミャンマーの食べ物や伝統文化、人々の価値観を織り込んだかるたは、多くの人にとって遠い存在だった国を身近に感じるきっかけとなった。
海を越えた違和感
5年後、そのアイデアは思いがけない形で海を越える。Yangonかるたに触発されて「シリアかるた」が誕生したのだ。制作したのは、NPO法人Piece of Syria代表理事の中野貴行さん。彼もまた、自分が知っている国と、ニュースなどで一面的に語られる国との隔たりに戸惑い、その違和感を基に活動を続けている。
中野さんが初めて中東を訪れたのは、大学4年の時だった。イギリスに留学していた時に知り合った友人を訪ねつつ、トルコからシリア、レバノン、ヨルダンを経由してエジプトまで旅をした。アメリカを中心とした多国籍軍とイラクの間で戦争が続いていた時期でもあり、中東地域は危険だというイメージで不安だったが、訪ねてみると魅了された。
- シリアの小学生たち。同国の就学率は99.6%を誇っていた(2010年撮影)(Piece of Syria提供)
- 食料自給率108%を誇るシリアの市場には、自国産の野菜と果物があふれていた(2010年撮影)(同)
卒業後、民間企業を経て、青年海外協力隊(現在の海外協力隊)を受験。2008年から2年間、シリアの母子保健プロジェクトの一員として村落開発に携わった。人々の価値観を知ろうと村を訪ねては話を聞く日々を過ごすなかで見えてきたのは、日本で想像していた「支援を必要とする国」とは異なる姿だった。教育は大学まで無償で、女性の高等教育進学率も高い。人々は穏やかで、来客をあたたかく迎える文化が根付いていた。村を歩けば誰かが声を掛け、食事を振舞ってくれる。「安全で豊かな、いい国だなという印象しかなかった」と、中野さんは振り返る。
しかし、日本に帰国すると「シリアなんて危ない国、大丈夫だった?」としか言われず、違和感を覚えた。それは、10年後に「危ないミャンマーから帰って来られてよかったね」と言われて野中さんが感じた戸惑いに通じるものだった。
二人が出会うのはだいぶ先のことだが、「戦争や紛争のイメージだけでは伝わらない、その土地の暮らしや文化を伝えたい」という思いに通底する原体験は、こうして二人の中にそれぞれ刻まれた。
シリアを未来へ手渡すために
2011年、「アラブの春」を契機にシリアで内戦が始まった。最初は民主化を求めるデモだった。しかし、政権側と反体制派の衝突は次第に激化。そこに「イスラム国(IS)」をはじめとする武装勢力や周辺国が介入したことで、事態は複雑化していく。
かつて中野さんが暮らした地域も、戦火に巻き込まれた。テレビには、見慣れた街並みが瓦礫の山になって映し出された。村の小学校は処刑場として使われたという。自分が歩いた道や出会った人々の暮らしが壊されていく様子を、日本から見つめるしかなかった。
ただ、報道の一面的な切り取り方には違和感があった。戦争が起きたのは事実だが、それ以前のシリアには人々の日常があったことを知る者としては、瓦礫の山だけでなく、戦争に隠れて語られなくなっていく人々のさまざまな声やシリアの美しさを伝え、「行ってみたい」と思ってほしかった。そのためには、支援を呼びかける悲惨な写真ではなく、シリアの文化や暮らしに触れる入り口が必要だった。
そんな時、中野さんの目に留まったのが「Yangonかるた」だった。ミャンマーの食べ物や街並み、人々の価値観を遊びながら学べるその仕組みに、「これならシリアも伝えられるかもしれない」と感じたという。
プレゼンテーションは、その場では伝わる。だが、終われば忘れられてしまう。一方で、かるたは家に残る。子どもが遊び、家族が話題にし、友人に見せることで、シリアが家の中にある状態が生まれる。そして、かるたを通じてシリアを知った人が、今度は誰かにシリアを語ることができる。
さらに中野さんは、シリアかるたにはもう一つの役割があると考えている。長引く戦争によって国外へ逃れたシリア人は数百万人に上る。日本で生まれ育った子どもたちの中には、祖国を訪れたことがない世代も少なくない。「シリアのことを知らないのは、日本人だけじゃないんです」
かるたに描かれているのは、伝統料理や市場の風景、人々の暮らしなど、戦争のニュースではなかなか伝わらないシリアの日常だ。中野さんは、そうした札を通じて、若い世代のシリア人にも、自分たちのルーツや文化に触れてほしいと願っている。失われつつある記憶を、次の世代へ手渡したい。そんな思いから、中野さんは今、東京大学の研究者らと共にシリアの記憶を記録・保存するアーカイブ事業にも関わっている。
かるたづくりも、アーカイブも、根底にあるのは同じ問いだ。戦争のイメージだけでは見えてこないシリアの暮らしや文化を、未来へどう手渡していくのか――。模索は続く。
ニュースの向こう側へ
5月末に東京都内で開かれたYangonかるたとシリアかるたのコラボイベントには、学生や社会人ら約20人が集まった。札を取りながら、ミャンマーやシリアの食文化、街並み、人々の暮らしに触れる参加者たち。イベントの最後には「ミャンマーもシリアも、めちゃめちゃ行きたくなった」という声が上がった。
それに応えるように、野中さんは「5年後、10年後、ミャンマーやシリアが平和になった時、そこに生きていた人たちをなかったことにしないための種まきならできると信じています」と語った。かるたによって戦争を止めることはできない。しかし、一人の誰かがその国を好きになり、もっと知りたいと思うきっかけを提供することはできる。
ミャンマーとシリア。遠く離れた両国を結んだのは、「その国を、もっと立体的に伝えたい」という共通の願いだった。伝えること。知ること。そしてまた誰かに伝えること――。二つのかるたは、そんな小さな循環を生み出そうとしている。
(たまがけ・みつえ)国際開発センター(IDCJ)研究員/「ドットワールド」編集長。大学教授だった父の研究室の留学生たちとの交流を通じて世界に関心を抱く。東京大学教育学部卒、同大学院修了。カンボジアに渡って日本大使館や国際協力機構(JICA)で勤務後、国際開発ジャーナル社に入社し、2014年から編集長を務めた。2018年より現職。国内外の事業で意識啓発や広報関連業務に携わる傍ら、「現地から見た世界の姿」をテーマに発信を続けている。趣味はチェロ。

























