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	<title>西方ちひろ | dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</title>
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	<description>ドットワールドは、一般財団法人国際開発センター（IDCJ）が運営する国際ニュースの情報サイトです。基本姿勢は、「現地から見た世界を知る」です。開発途上国をはじめ、世界のさまざまな国で起きている事象やニュースについて、現地に精通した識者が背景を掘り下げ、社会的な文脈と併せて分かりやすく解説します。</description>
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	<title>西方ちひろ | dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</title>
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		<title>「尊厳なき生」を生き抜く ヨルダン川西岸 パレスチナ難民の祈り</title>
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		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 16 Sep 2024 01:35:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イスラエル]]></category>
		<category><![CDATA[パレスチナ]]></category>
		<category><![CDATA[中東]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　「すべてを我慢して、ただ食って、寝て、排泄して・・・それで『生きている』って言えるのか？」 　パレスチナ自治区、ヨルダン川西岸地区。絶望と希望の間で揺らぎながら、生きる人々がいる。冒頭の問いに現地で繰り返し直面した、と [&#8230;]</p>
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</div>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　「すべてを我慢して、ただ食って、寝て、排泄して・・・それで『生きている』って言えるのか？」</p>
<p>　パレスチナ自治区、ヨルダン川西岸地区。絶望と希望の間で揺らぎながら、生きる人々がいる。冒頭の問いに現地で繰り返し直面した、と話すのは、西岸地区に20年以上通い続ける日本人の写真家、高橋美香さんだ。西岸地区では長年、イスラエルによる苛烈な占領政策が続いてきたが、2023年10月のガザ侵攻以降、暴力が激化している。そうしたなか、高橋さんは同年12月より、親交のある難民キャンプの家庭に２カ月間にわたり「居候」し、苦しみや喜びを共にしてきた。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>破壊される難民キャンプ</strong></span></p>
<p>　西岸地区の北部にあるジェニン難民キャンプに入った高橋さんがまず体験したのは、数日おきの軍事侵攻だった。「あれほどの頻度は、私が経験したなかでは初めてでした」と振り返る。「イスラエル兵は、夜中にドンドン！と戸を叩き、玄関をこじ開けて侵入しては、“武器を隠しているだろう”と言いがかりをつけて家中の物を引っ張り出し、窓ガラスを割り、家具を倒して去っていく。そうした行為を、捜索と称してキャンプ中で繰り返していました」。</p>
<p>　自宅前の道路、水道や下水管も、軍用ブルドーザーで破壊された。「数日がかりでようやく修復しても、その夜にはまた壊される。私が滞在していた間中、それが延々と繰り返されていました」と高橋さんは話す。そのたびに人々は、「私たちが何をしたというのか」と悲痛な声を上げていたという。</p>

<div id="attachment_16082" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/2-scaled.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16082" class="wp-image-16082" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/2-scaled.jpg" alt="" width="600" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/2-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/2-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/2-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/2-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/2-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/2-2048x1365.jpg 2048w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></a><p id="caption-attachment-16082" class="wp-caption-text">一晩かけて破壊された難民キャンプの通りで遊ぶ子どもたち（2024年、ジェニン難民キャンプ）（高橋美香さん提供）</p></div>

<p>　なぜ難民の人々がこんな目に遭うのか。高橋さんによれば、この難民キャンプは、イスラエルに対する軍事抵抗組織の拠点と見なされているのだという。とはいえ、実際には高橋さんの「居候先」の家族をはじめ、明らかに民間人も標的にされているのが現実だ。</p>
<p>　「住民をみんなまとめて懲罰的に苦しめる、いわゆるドミサイド（住居の大規模かつ意図的な破壊）です。でも、すでに難民である彼らに、これ以上逃れる場所などないのです」</p>
<p>　インフラの破壊だけでなく、人命も容赦なく奪われている。国連によると、西岸地区では2023年10月７日から2024年９月２日までの11カ月間で、少なくとも652人のパレスチナ人が殺害され、その中には156人の子どもが含まれるという。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「真綿で首を絞められる」日々</strong></span></p>
<p>　だが、こうした状況は今に始まったことではない。「自治区」とは名ばかりで、西岸地区の６割以上の土地では、行政も警察もイスラエル軍が握っており、苛烈な占領政策が敷かれている。理由もなく屈辱的な取り調べを受けるなど、嫌がらせや暴力は日常茶飯事だ。</p>
<p>　何よりイスラエル軍は、パレスチナ人の土地、特に水源地や肥沃な土地をユダヤ人の入植地として奪い、それに抗議する人々を銃で弾圧してきた。しかも彼らは、罪なきパレスチナ人を殺害しても罪に問われることもない。なぜなら、イスラエル政府は「対テロ作戦」によって「パレスチナの戦闘員」あるいは「テロリスト」が死亡した、と発表し、国際社会もそれを鵜呑みにしてきたからだ。</p>
<p>　<a href="http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624411022">高橋さんの著書『それでもパレスチナに木を植える』（2016年、未来社）</a>では、西岸の人々の苦境が描かれている。例えば、イスラエル人の入植者と隣り合って暮らす家族の話だ。</p>
<p><em>　「一家は毎日のように近隣の入植者から脅され、暴力を振るわれている。お父さんは通りで兵士に捕まり、殺すと脅されたあと、電線に引っかかった旗を指さされ、『あれを取ってきたら許してやる』と言われて旗を取ろうとした瞬間に感電し、患部を切断するしかなくなったという過去をもつ。息子のユーセフは入植者の女に捕まり、口に石を詰められたことがある」</em></p>
<p>　こうした現状に必死で抗議するパレスチナ人もいる。高橋さんも以前は、彼らと共にデモの前線に立っていた。同著には、そこで目撃した光景も描写されている。</p>
<p><em>　「非暴力でのデモを自ら体現するために、幼い娘を片腕に抱いて、もう一方の手にパレスチナの旗を持ったファルハーン親子の至近距離にも、催涙弾が打ち込まれた。『ここには幼い子どもがいるんだぞ！アンタに心はあるのか？』と必死の形相で訴える彼の声が響く。そこに、家畜の排泄物と化学薬品を混ぜた緑色の汚水が浴びせられた。」</em></p>

<div id="attachment_16083" style="width: 610px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/1-scaled.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16083" class="wp-image-16083" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/1-scaled.jpg" alt="" width="600" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/1-scaled.jpg 2560w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/1-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/1-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/1-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/1-1536x1024.jpg 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/1-2048x1365.jpg 2048w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /></a><p id="caption-attachment-16083" class="wp-caption-text">分離壁建設予定地に張られたフェンスの前で分離壁反対デモをおこなう村人たち（2010年、ビリン）（高橋美香さん提供）</p></div>

<p>　イスラム組織ハマスが2023年10月７日にイスラエルを奇襲したのは、こうした不条理が、イスラエルの建国以来75年以上も続いた末のことだった。高橋さんはこう話す。「（ハマスの攻撃は）突然起きたことではなく、何十年もの間、毎日ずっと積み重なってきたことの結果です」</p>
<p>　「西岸地区は、ガザのように、毎日爆撃されたり、何万人も殺されたりするわけではありません。しかし、じわじわと住む場所を奪われ、生活を壊され…、真綿で首を絞められるような日々が続いてきました」</p>
<p>　昨年以来、さらに悪化した状況に、「もうウンザリだ、いつ終わるんだ」と嘆く現地の人々の声をよく聞いたという。「私も本当にウンザリです」と高橋さんは力なく笑う。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「停戦」に歓喜した家族</strong></span></p>
<p>　皮肉なことに、ガザで史上最悪のジェノサイドが起きたことで、パレスチナはようやく国際社会の注目を集めるようになった。だが、これまで数十年にわたって世界から見過ごされてきた人々の絶望は深い。</p>
<p>　高橋さんが、そのことを痛感したエピソードがある。2024年１月26日、国際司法裁判所がイスラエルに対してガザでのジェノサイドを防ぐ対策をとるように暫定命令を出した時のことだ。ジェニン難民キャンプで、ニュース番組を食い入るように見ていた高橋さんに、家族はこう言ったのだ。「茶番だよ。何かが本当に変わるとは思えない。そんなの見ていないで、さぁミカ、ご飯を食べよう」。</p>
<p>　「彼らはとても冷静でした。長年にわたりこれでもかというほど不条理を味わってきただけに、いちいち熱くなったり踊らされたりしないのでしょう」と高橋さんは振り返る。</p>
<p>　だが、そんな彼らが熱狂したことが一度だけあった。停戦の噂が流れた時だ。「本当だろうか」と訝しむ高橋さんを横目に、「家族」は「停戦だ！停戦だ！」と盛り上がり、踊り出したという。「信じたかったんだと思います。停戦になれば、これ以上、破壊されずに済むし、殺されずに済む。とにかくもう誰の命も奪われたくないという、切実な思いを感じました」</p>
<p><strong>&nbsp;</strong><span style="font-size: 14pt;"><strong>「占領されて終わる人生より、闘って終える人生を」</strong></span></p>
<p>　あまりに非人間的な日常を強いられる西岸地区のパレスチナの人々。彼らの中に、「殺されずに済むならイスラエルに併合されてもいい」と考える人はいないのかと高橋さんに尋ねると、こんな答えが返ってきた。</p>
<p>　「土地や家など、守るものがある人の中には、これ以上奪われないために併合もやむを得ない、と考える人が、絶対にいないとは言い切れません。しかし、そうした思考に陥らせること自体が、占領者の意図や思惑なのです。また、難民の人たちに至っては、もうすべてを奪われた後です。家も、生活も、人としての尊厳さえも」</p>
<p>　「難民キャンプの「弟」たちが、よく言うんです。『命があれば、それで生きているって言えるのか』って。『すべてを我慢して、すべてを飲み込んで、ただ食って、寝て、排泄して。それが生きている、ってことなのか』って」</p>
<p>　高橋さんの大切な友人の中にも、ハマスの戦闘員になった若者がいるという。彼らは占領によって農地を奪われ、家族や友達が殺されていく、その屈辱と絶望の中で苦しみ抜いた末に、抵抗することを選び、そして殺されていった。著書の中では、「弟」のこんな言葉が引用されている。「このままなんの意味もなく、占領されて人生を終えていくより、闘って終える人生を選びたい」。その言葉には、尊厳なき生への絶望と、抵抗が唯一の希望となる現状への悲嘆がにじむ。</p>

<div id="attachment_16084" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/4-scaled.jpg"><img decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-16084" class="wp-image-16084" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/4-scaled.jpg" alt="" width="400" height="600" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/4-scaled.jpg 1707w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/4-200x300.jpg 200w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/4-683x1024.jpg 683w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/4-768x1152.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/4-1024x1536.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/09/4-1365x2048.jpg 1365w" sizes="(max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-16084" class="wp-caption-text">「弟」たちの幼なじみで、高橋さんとも親しかったアブーアリーさん。2023年２月イスラエル軍の侵攻で射殺された（2023年、ジェニン難民キャンプ）（高橋美香さん提供）</p></div>

<p><p>The post <a href="https://dotworld.press/palestine_surviving_life_without_dignity/">「尊厳なき生」を生き抜く ヨルダン川西岸 パレスチナ難民の祈り</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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			</item>
		<item>
		<title>映画を武器に闘うミャンマー人監督「軍事独裁からの脱却に命を捧げる」</title>
		<link>https://dotworld.press/myanmar_movie_yoake/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 25 Apr 2024 14:30:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[西方ちひろ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　軍事クーデター後のミャンマーで撮影されたドキュメンタリー映画『夜明けへの道』が、４月27日より全国で順次、劇場公開される。撮影したのは、ミャンマーで著名な映画監督・俳優で、クーデター後に軍への抗議運動を先導したとして指 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　軍事クーデター後のミャンマーで撮影されたドキュメンタリー映画『夜明けへの道』が、４月27日より全国で順次、劇場公開される。撮影したのは、ミャンマーで著名な映画監督・俳優で、クーデター後に軍への抗議運動を先導したとして指名手配を受けているコ・パウ氏。軍の支配が及ばない「解放区」に逃れ、潜伏生活を続けながら、限られた機材を使いiPhoneなどで撮りためた映像を編集した。公開に先立ち、コ・パウ監督はこう語る。「子どもたちが空爆される毎日など、もうたくさん。映画を通し、日本のような民主主義の国が我々を支援してくれたら嬉しい」</p>

<div id="attachment_14943" style="width: 460px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14943" class="wp-image-14943" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-4.jpg" alt="" width="450" height="244" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-4.jpg 425w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-4-300x162.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 450px) 100vw, 450px" /></a><p id="caption-attachment-14943" class="wp-caption-text">『夜明けへの道』を制作したコ・パウ監督©Thaw Win Kyar Phyu Production</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>命がけで逃走する最中もスマホで撮影</strong></span></p>
<p>　映画は、笑い溢れるコメディ映像から始まる。2011年に民政移管が実現した後、経済成長まっただ中の明るいミャンマーで撮られたものだ。「お父さん大好き」と歌う二人の愛らしい息子たちに囲まれ、コ・パウ監督の笑顔が弾ける。<br>
　しかし2021年２月、突然のクーデターで状況は一変した。コ・パウ監督は「私たちのような有名人が声をあげなければ、軍事独裁は覆せない」と考え、反軍政デモの先頭に立った。</p>

<div id="attachment_14944" style="width: 460px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14944" class="wp-image-14944" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-2-1024x552.jpg" alt="" width="450" height="243" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-2-1024x552.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-2-300x162.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-2-768x414.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-2.jpg 1298w" sizes="auto, (max-width: 450px) 100vw, 450px" /></a><p id="caption-attachment-14944" class="wp-caption-text">クーデターが起きた直後、ミャンマー中央銀行の前でCDM（軍への不服従運動）への参加を呼び掛けるコ・パウ監督（2021年２月撮影）©Thaw Win Kyar Phyu Production</p></div>

<p>　映画の前半は、軍から指名手配を受け、家族と別れてヤンゴン市内で潜伏生活を送るコ・パウ監督の姿を伝える。途中、隠れ家が軍に突き止められて逃走するシーンは、思わず息をのむ。バイクの後部座席から、友人の車に乗り換えて逃げるシーンを、コ・パウ監督は自らのスマホで撮り続ける。縦に、横に、画面は揺れる。「奴らが怖くて逃げているんじゃない。自分にはやるべきことがある」と、自らを叱咤するコ・パウ監督。命がけの逃走中にも撮影を止めない姿に、「闘いの記録を残すのだ」という気迫が滲む。</p>
<p>　その一方で、コ・パウ監督の素の姿が垣間見える映像もある。潜伏生活による体調不良を改善すべく、中年太りの体でヨタヨタと室内を走ったかと思えば、家族との電話中、「武器を用意して練習しているよ」と伝える息子に、驚きを隠して「そうか、一緒に戦おう。薬を飲んでね」と優しく微笑む。クーデターがなければ、指名手配犯でも革命家でもなく、普通の父親だったのだ、と思い出す。</p>

<div id="attachment_14945" style="width: 460px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14945" class="wp-image-14945" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-2-1024x529.jpg" alt="" width="450" height="233" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-2-1024x529.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-2-300x155.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-2-768x397.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-2.jpg 1298w" sizes="auto, (max-width: 450px) 100vw, 450px" /></a><p id="caption-attachment-14945" class="wp-caption-text">2021年夏、解放区に向かう前にコ・パウ監督は束の間、家族との時間を過ごした。©Thaw Win Kyar Phyu Production</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>解放区の内情を伝える映像も</strong></span></p>
<p>　半年間の潜伏生活の後、コ・パウ監督はタイとの国境に近い「解放区」をめざす。軍と対立する少数民族の武装勢力が支配するこの地域では、軍の弾圧に対し武力闘争を決意した市民らが結成した「国民防衛隊（PDF）」が軍事訓練を受けている。映画の後半は、この解放区が舞台となる。PDFの若者たちの暮らしや訓練の様子など、ほとんど外部に流出することのない解放区の内情を伝える貴重な記録だ。<br>
　コ・パウ監督が料理の腕を振るってPDFに朝食を配るシーンでは、少年少女たちが屈託のない笑顔を見せる。コ・パウ監督はPDFをこう鼓舞する。「君たちは革命のエンジンだ」。だが、彼らもまた、クーデターがなければ、銃など触ることもなかった若者たちだ。</p>

<div id="attachment_14946" style="width: 460px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14946" class="wp-image-14946" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2-1024x552.jpg" alt="" width="450" height="243" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2-1024x552.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2-300x162.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2-768x414.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2.jpg 1298w" sizes="auto, (max-width: 450px) 100vw, 450px" /></a><p id="caption-attachment-14946" class="wp-caption-text">解放区のジャングルで軍事訓練を積むPDFの若者たち©Thaw Win Kyar Phyu Production</p></div>

<p>　また、軍の空爆に怯えて堀の中にうずくまる子どもたちの姿や、村を燃やされた人々の絶望も、長尺で伝える。自宅を焼かれた女性が、カメラに向かって泣き叫ぶ。「どんな気持ちで人々の家に放火したんですか。ミャンマー国民同士ですよ。聞きたいです、人の道とは何なのですか」。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">コ・パウ監督が選んだ「道」</span></strong></p>
<p>　「人の道とは何か」。この問いかけへの答えを、観客である我々もまた考えさせられる。なぜなら、このセルフ・ドキュメンタリーが一貫して映すのは、コ・パウという一人のミャンマー人が、時に混乱し、悩み、涙を堪えながら、人の道を歩もうとする姿だからだ。</p>

<div id="attachment_14947" style="width: 460px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14947" class="wp-image-14947" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-2.jpg" alt="" width="450" height="242" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-2.jpg 425w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-2-300x162.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 450px) 100vw, 450px" /></a><p id="caption-attachment-14947" class="wp-caption-text">コ・パウ監督は映画の中で、繰り返し「最後まで闘います」と決意を口にした。©Thaw Win Kyar Phyu Production</p></div>

<p>　コ・パウ監督はdot worldのインタビューに、こう語った。「ミャンマーが、軍事独裁という苦境から脱するプロセスに、命を投じたいと思います。死んでもいいとは思いませんが、自分の命よりも大切なことだと感じるのです」</p>
<p>　この心境にたどり着くまでには、葛藤もあっただろう。映画の中には、軍に怯えたり、家族を想って声を震わせたりする等身大の姿も写っている。コ・パウ監督は、こう吐露した。「武器を持つ部隊から追われ、恐怖を感じた時もあります。でも、人は一度しか生きられません。ならば、私は人間性高く生きたい。死を価値あるものにしたい。そう思った時、恐怖から脱することができました」</p>

<div id="attachment_14948" style="width: 460px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7adfed136bf50c6b1f5c23f5919c3a0a-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14948" class="wp-image-14948" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7adfed136bf50c6b1f5c23f5919c3a0a-1-1024x551.jpg" alt="" width="450" height="242" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7adfed136bf50c6b1f5c23f5919c3a0a-1-1024x551.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7adfed136bf50c6b1f5c23f5919c3a0a-1-300x162.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7adfed136bf50c6b1f5c23f5919c3a0a-1-768x414.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7adfed136bf50c6b1f5c23f5919c3a0a-1.jpg 1298w" sizes="auto, (max-width: 450px) 100vw, 450px" /></a><p id="caption-attachment-14948" class="wp-caption-text">コ・パウ監督は、兵士たちと前線を移動しながら、情報発信や映像作品の制作、PDFや避難民へのサポートなどを続けている。©Thaw Win Kyar Phyu Production</p></div>

<p>　インタビュー中、コ・パウ監督は前線近くの橋の下にいた。空爆から身を守るのに適した場所なのだという。「爆弾や銃の音はいつも聞こえるので、恐怖感もなくなりました」と笑う。そして、こう言い切った。「誰もが、良い家に住み、良い暮らしをしたいと思います。私もそうです。でも、私は前線から遠く離れた場所で生きることをよしとしませんでした。兵士たちとともに暮らし、最前線でこの革命を支援する。これが、私の選んだ道です」</p>
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		<title>徴兵制開始後のミャンマー　絵画や教育を通じて戦う人々の声を聞く</title>
		<link>https://dotworld.press/myanmar_mandatory_conscription_and_painting_exhibition/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 13 Apr 2024 00:02:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[西方ちひろ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　岩の隙間で眠る避難民の子ども、反軍政デモで弾圧に遭い流血する若者たち。淡く優しいタッチで描かれるのは、2021年の軍事クーデター後の、ミャンマーの現状だ。福岡市男女共同参画推進センターで３月14日〜17日、ミャンマー難 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　岩の隙間で眠る避難民の子ども、反軍政デモで弾圧に遭い流血する若者たち。淡く優しいタッチで描かれるのは、2021年の軍事クーデター後の、ミャンマーの現状だ。福岡市男女共同参画推進センターで３月14日〜17日、ミャンマー難民の画家、マウンマウンティン氏の絵画展が開かれた。最終日には「ミャンマーの人の声を聞く『ミャンマーは今どうなっている？』」と題した講演会も行われ、日本に縁のある４人のミャンマー人が登壇。祖国の窮状や、今年２月に発表された徴兵制への不安などを訴えた。</p>

<a href='https://dotworld.press/myanmar_mandatory_conscription_and_painting_exhibition/%e7%94%bb%e5%83%8f1-70/'><img loading="lazy" decoding="async" width="300" height="225" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-3-300x225.jpg" class="attachment-medium size-medium" alt="" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-3-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-3-768x577.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-3-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-3-150x112.jpg 150w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-3.jpg 855w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a>
<a href='https://dotworld.press/myanmar_mandatory_conscription_and_painting_exhibition/%e7%94%bb%e5%83%8f2-54/'><img loading="lazy" decoding="async" width="300" height="225" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1-300x225.jpg" class="attachment-medium size-medium" alt="" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1-150x112.jpg 150w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1.jpg 849w" sizes="auto, (max-width: 300px) 100vw, 300px" /></a>

<p><span style="font-size: 12pt;"><strong>絵筆で伝える平和の尊さ</strong></span></p>
<p>　マウンマウンティン氏は、ミャンマーと国境を接するタイ側の地方都市、メソトに暮らす画家だ。自身の絵を介してミャンマーの現実を知ってほしい、と願い、水彩画を描き続けている。また人権についての絵本も制作し、難民の子どもたちが通う学校での人権教育やワークショップなども精力的に行う。今回の絵画展を主催した、ミャンマー人と日本人の文化交流の会「福岡・ミャンマー友だちの会」代表で歯科医の松本敏秀さんと妻のさえさんは、昨年訪れたメソトでマウンマウンティン氏と出会い、その活動に感銘を受けて福岡で絵画展を開催することを決めたという。</p>

<div id="attachment_14524" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14524" class="wp-image-14524" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-1.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-1.jpg 857w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-1-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-1-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-1-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-1-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14524" class="wp-caption-text">反軍政デモに参加して弾圧され、負傷した少年を描いた１枚。軍への抵抗を示す３本指を立てたまま息を引き取った少年の写真を模写したものだ。絵の横には、マウンマウンティン氏が書いた詩も展示されており、来場者は一枚一枚に足を止め、じっと読み入っていた。（2024年３月17日、福岡市男女共同参画推進センターで著者撮影）</p></div>

<p>　現在50代のマウンマウンティン氏は、７歳の頃に故郷のカレン州でミャンマー軍とカレン族の軍との戦闘に巻き込まれ、命からがら森の中に逃れるという強烈な体験をしている。彼は以前、オンラインメディアSoutheast Asia Globeのインタビューでこう語っている。「戦争では、誰もが何らかの影響を受ける。たとえ肉体的には死ななくとも、心が死んでしまう人もいる」。だからこそ彼は平和の尊さを、その絵筆で伝え続けてきた。しかし今、祖国は平和とは程遠い現状に陥っている。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>来日して知った「人権」と「自由」</strong></span></p>
<p>　「軍事クーデターから３年が経ち、生活は苦しくなる一方です。自由も人権もありません。ミャンマーを助けてください」</p>
<p>　絵画展の最終日に開催された講演会で、４人の登壇者らが切実な思いを訴えた。全員が仮名を用いたうえ、３人は事前にメッセージを録画し、声を変えて顔にはモザイクをかけるなど、個人が特定されないよう慎重を期していた。万が一、軍政を批判したことが当局に知られると、自分のみならず家族が嫌がらせを受けたり、拘束されたりする危険があるからだ。４人のうち２人は現在、日本在住。残り２人はミャンマーに居住しているが、どちらも以前、日本に滞在していた経験がある。</p>
<p>　彼らは、一様に「日本に来て自由を知った」と言った。日本で介護の仕事をするハンナさんはこう語る。「ミャンマーでは、軍と仲のいい一握りの人に利益が集まるのが当たり前だった。来日して、人間が本来、得るべき人権や自由を知った」。また、ミャンマーから登壇したアウンさんは「軍事政権下では、平和や人権、自由が与えられなかった。しかし日本に留学した時、良い国は自分たちの手で作っていくものだと知った。絶対に軍事独裁に戻してはいけない」と主張した。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>殺し合いを強いる兵役から逃れようとする人々</strong></span></p>
<p>　登壇者らが繰り返し口にした「人権」や「自由」。それらが奪われている最たる例の一つが、２月10日に発表された徴兵制だ。18～35歳の男性に最低２年の兵役の義務を課すもので、拒否すれば禁錮刑が科される。民主派の攻勢や兵士の離脱などにより弱体化した軍が、兵力不足を補うために導入を決めたと見られる。しかし、徴兵対象となる若者の大多数が軍に反発している現状において、徴兵は実質的に、民主化を望む国民同士に殺し合いを強いるものだとも言える。徴兵を免れるため国外を目指す若者は激増し、２月19日には、国内のパスポート申請窓口に殺到した若者が２人、窒息死する群衆事故まで起きた。</p>

<div id="attachment_14525" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14525" class="wp-image-14525" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-1.jpg" alt="" width="400" height="304" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-1.jpg 851w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-1-300x228.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-1-768x583.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14525" class="wp-caption-text">会場には定員を超える45人が参加し、現地からの声に真剣に耳を傾けた。登壇者の懸命な訴えに、涙を流す人の姿も見られた。（2024年３月17日、福岡市男女共同参画推進センターで著者撮影）</p></div>

<p>　ヤンゴン在住の日本語教師、ケイさんは、徴兵制の発表以降、日本への留学希望者が増えたことを肌で感じているという。外国に逃げるしかない現状について、ケイさんは「ミャンマーの問題だから、本当は自分たちで解決しなければいけない。自分の無力さが恥ずかしい。でも、ミャンマーで本来死ぬ必要のない人が死んでいく現実は本当に辛い。助けてほしい」と涙ながらに訴えた。</p>
<p>　日本に住む技能実習生のジャスミンさんは「ミャンマーにいる兄弟のことが心配。みんな軍には絶対に入りたくないと思っているけれど、銃で脅されたら逆らえない」と不安な胸中を吐露する。「反政府軍に入って国軍と戦う人もいる。徴兵に絶望し、自殺する人もいる。私も不安で眠れず、ようやく眠っても、夢の中で徴兵のことばかり考えている」</p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong>空爆される民主派の大学</strong></span></p>
<p>　しかし、登壇者たちは現状を嘆いているばかりではない。クーデター前、国立大学の教授だったアウンさんは、現在、北部のカチン州ミッチーナにある「民主派の大学」で教鞭をとっている。</p>
<p>　アウンさんは軍事クーデター発生後、すぐに市民的不服従運動（CDM : Civil Disobedience Movement）と呼ばれる大規模ストライキに参加。大学に戻るよう再三通告を受けたが、軍政下で公務員として働くことはできない、と拒否し続けた。その後もSNSで軍への批判を発信し、当局に追われる身となったアウンさんが、最終的にたどり着いたのは、長年軍の弾圧に苦しんできた少数民族が暮らす国境地域の大学だった。</p>
<p>　この大学は、クーデター後に国外に逃れた民主派の議員らが樹立した亡命政府（NUG：National Unity Government）と、カチン民族の政治機構であるカチン独立機構が協力し、2022年９月に新設された。教壇に立つのはアウンさんのようにCDMに参加した教授らで、学んでいるのは主に、反軍政運動に身を投じた結果、大学に通えなくなった若者たちだ。</p>
<p>　アウンさんは校内の写真も見せてくれたが、その環境は「大学」という言葉のイメージからは程遠く、森の中に木製の椅子と机が並ぶ質素な教室があるだけ。設備も限られており、１台のパソコンの画面を数十人の生徒が覗き込む様子もあった。教職にあるアウンさんの給料もわずかで、ほぼボランティア状態だという。</p>
<p>　軍は当然、この大学に目をつけており、アウンさんの日常も命の危機と隣り合わせだ。「よく空爆などの攻撃を受ける。昨年の秋には、大学からわずか200mの距離に爆弾が落とされた。今も戦闘機の音が聞こえるたびに授業を中断し、教室と教室との間につくった防空壕に逃げこむ日々だ」</p>
<p>　こうした軍の行為に対し、アウンさんは日本からも声をあげてほしいと訴えた。「軍は村々を空爆し、人々をでっちあげの罪状で逮捕や殺害している。日本の人たちには、ミャンマーの正式な政府はこの軍政ではなく、大多数の国民が支持するNUGだと認め、NUGの政治家と対話するよう日本政府に働きかけてほしい」</p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong>恐怖の中で描く明るい未来</strong></span></p>
<p><strong>&nbsp;　</strong>日本語教師のケイさんも、軍事クーデターに絶望しながらも、ミャンマーに残って若者の教育に携わる一人だ。反軍政のデモ活動中、無抵抗の人々が無差別に撃たれる様子を目にした後遺症か、今でも銃を持つ軍人に踏み込まれて震えながら逃げる夢を見る、と話す。</p>
<p>　「それでもヤンゴンに残ると決めた理由は、みんなと同じ経験をして、同じ恐怖の中で、明るい未来を待ちたいからです。若者の命が失われるのを見るのは辛い。でも、だからこそ、この国を離れたいという若者を、ここで支援していきます」。ケイさんの流暢な日本語が、途中で何度も途切れる。涙を堪えて絞り出す声に、悲壮な決意が滲む。</p>
<p>　ケイさんは現在、10代の若者たちにオンラインで日本語を教えている。生徒の多くは、公立学校には通っていない。その理由の一つは、軍政下の学校に通う不安や恐怖感だ、とケイさんは言う。「自分たちと意見が違う、というだけで無差別に国民を殺すような政府の教育など、受けたくないのでしょう」</p>
<p>　こうした若者たちの希望となっているのが、海外渡航だ。日本を目指す場合、日本語学校や日本の大学に入学するか、特定技能ビザを取る必要がある。しかし、誰もが無条件にこれらにチャレンジできるわけではない。クーデターの影響で中学校を卒業できなかった生徒は、日本語学校や大学の申請はできないためだ。その一方で、特定技能ビザなら申請は可能であるものの、仕事ではなく勉強したいという子もいる。ケイさんは、「そういう子たちに日本の中学や高校への進学の機会を与えたい。日本人にも力を貸してほしい」と語る。</p>
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		<title>「孤立する知的障害者に居場所を」フィリピンで支援施設を立ち上げた日本人</title>
		<link>https://dotworld.press/philippines_babita_house/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Apr 2024 14:06:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[フィリピン]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[西方ちひろ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　フィリピン中部、ボホール島。自然豊かなリゾート地として注目を集めるこの島に、『バビタの家』という看板を掲げる一軒家がある。日本で障害児教育に携わってきた杉山明子（49）が８年前に開所した、島内唯一の知的障害者の通所支援 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　フィリピン中部、ボホール島。自然豊かなリゾート地として注目を集めるこの島に、『バビタの家』という看板を掲げる一軒家がある。日本で障害児教育に携わってきた杉山明子（49）が８年前に開所した、島内唯一の知的障害者の通所支援施設だ。作業所や就労支援などの社会資源がないボホール島で、孤立しがちな知的障害者が集まり、手工芸作品の制作や、地域との交流などを行っている。フィリピンでは未だ知的障害への偏見が根強いが、生徒たちは屈託なく、家には笑い声が溢れている。施設を立ち上げた杉山の思いを追った。</p>

<div id="attachment_14389" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14389" class="wp-image-14389" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-1024x768.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2-150x112.jpg 150w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-2.jpg 1215w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14389" class="wp-caption-text">バビタの家に通う生徒たち。 近所の生徒は自転車で、遠くに住む生徒は公共交通機関を乗り継いで、２時間かけて通って来る。 「バビタ」というのは、杉山が趣味のサンバを踊る時のダンサーネームだ。（2024年１月28日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 12pt;"><strong>みんな違ってみんないい　個性に合わせた手仕事</strong></span></p>
<p>　「ここは青で塗ろう」。バビタの家のベンチで、小筆を動かすのはレイモンド（40歳、男性）。彼は今、小さなマッチ箱を使い、５cmほどの三輪タクシーを製作している。デザインはレイモンド本人。ある日、「これ僕が作ったんだ」と杉山に見せに来たのだという。杉山はその精巧さに驚くと同時に、これは売れる、と確信。近所のリゾートホテルの土産物屋に置いてもらった。制作には何日もかかるが、１個売れると、レイモンドには150ペソ（約400円）の収入が入るという。</p>

<div id="attachment_14390" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14390" class="wp-image-14390" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.jpg 994w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14390" class="wp-caption-text">ミニチュアの三輪タクシーを制作するレイモンド。 彼は幼少期に左の眼球を失った。右目も弱視だが、模型や機械の組み立てなどの緻密な作業が得意だ。 お金の計算はうまくできないため、材料の購入や売上の管理は杉山がサポートする。（2024年１月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影）</p></div>

<p>　彼の隣では、リナト（39歳、男性）とマーシー（34歳、女性）が、木板で作られたパズルに色を塗っている。２人とも指先がうまく動かないため、パズルの絵付けは他の生徒に任せ、木板にヤスリをかけたり、背景を塗ったりと、できる仕事を担当する。「ほら、またインクをつけすぎてる」と隣のレイモンドにからかわれ、リナトがエヘヘと笑う。このパズルも、今後、地元の土産物屋に置いてもらう予定だ。</p>

<div id="attachment_14391" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14391" class="wp-image-14391" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg 944w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14391" class="wp-caption-text">木製パズルの土台に色を塗るリナト（右）とマーシー（左）。 リナトはダイナミックに、マーシーはゆっくりと、各々のペースで作業が進む。 二人とも言葉は話せないが、言われたことは理解できるため、ジェスチャーを交えながら表情豊かにコミュニケーションをとる。（2024年１月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影）</p></div>

<p>　さらにその横では、シエナ（36歳、女性）が日本から寄付された洋服を次々に広げている。彼女が着るのではない。杉山から安く仕入れた服に、自分で値段をつけて近所の人に売り、差額を収入にするのだ。「先生、この服いくら？」「うーん、50ペソ（約130円）」「じゃあ、80ペソで売ってみようかな」。そんなやりとりが続く。「知的障害の程度は、人それぞれ。シエナのように計算ができる子は、こうした商売にも挑戦します。人気の高い日本製品を安値で仕入れることができるのは、ここに通う生徒の特権ですね」と、杉山は微笑む。</p>

<div id="attachment_14392" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14392" class="wp-image-14392" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-1024x768.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-1024x768.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-150x112.jpg 150w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269.jpg 1032w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14392" class="wp-caption-text">洋服の仕入れを終えたシエナが、木製パズルに絵をつける。 何時間もかけて丁寧に描いているのは、ボホール島の有名な教会。カラフルな色は彼女のオリジナルだ。 「何枚も描くうちに、シエナは本当に上手になりました」と杉山は嬉しそうに話す。 （2024年１月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影）</p></div>

<p>　バビタの家には、現在、６人の生徒が週１～３回、制作活動などのために通ってくる。杉山は「彼らは、ここに来なければ、一日中、家で過ごすしかありません。この島には、知的障害者が働ける場所が全くないからです。でも、ここには友達がいて、やることがある。ここで活動しながら、生活する力を身に付けてほしいと思います」と話す。</p>

<div id="attachment_14393" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14393" class="wp-image-14393" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-1024x767.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-1024x767.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-768x575.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-150x112.jpg 150w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73.jpg 1093w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14393" class="wp-caption-text">絵柄も生徒たちが考える。 なかには何の絵かよく分からないものもあるが、それはそれで味があって楽しい。 （2024年１月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影）</p></div>

<p><strong><span style="font-size: 12pt;">これぞ一石二鳥　大好きなボホール島に移住して居場所づくり</span></strong></p>
<p>　杉山は日本で障害児教育に携わった後、2012年から２年間、青年海外協力隊（現在の海外協力隊）の養護教諭として、ボホール島最大の特別支援学校で活動していた。担当した知的障害クラスには70人ほどが通っており、中には30代の生徒もいたという。知的障害がある子どもは卒業してもやることがなく、卒業後に再入学を繰り返すケースが多いからだ。公立校とは思えない柔軟さに驚くが、学校側としても、年長の生徒が年少の生徒の面倒をみてくれるなど、ポジティブな側面があるらしい。実際、障害が軽度の生徒は、先生の不在時には教壇に立って勉強を教えることさえあったという。</p>

<div id="attachment_14395" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/6d58f877a83b152a3c3b13756107b189.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14395" class="wp-image-14395" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/6d58f877a83b152a3c3b13756107b189.jpg" alt="" width="400" height="299" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/6d58f877a83b152a3c3b13756107b189.jpg 314w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/6d58f877a83b152a3c3b13756107b189-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/6d58f877a83b152a3c3b13756107b189-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/6d58f877a83b152a3c3b13756107b189-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14395" class="wp-caption-text">レイモンドはマッサージも習得した。 杉山がインターネットで勉強して、やり方を教えたのだという。 砂時計を使って時間を測りながら、左右均等に全身を揉みほぐしていく。 なかなかの腕前だ。（2024年１月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影）</p></div>

<p>　だが、そうした頼れる生徒たちも、30代になり再入学が難しくなると、行き場を失ってしまう。島には、知的障害がある生徒たちを受け入れてくれる職場も作業所や授産施設もまったくないからだ。一方、聴覚障害や視覚障害の生徒であれば、欧米系のドナーや支援団体のサポートで島内のマッサージ店やカフェなどに就職することができるそうで、同じ障害者の中にも支援格差があることに気づかされる。</p>
<p>　杉山も同僚から、卒業生の多くが社会との接点を失い、引きこもり状態に陥っていると聞き、胸を痛めた。しかし、すぐに「それなら私が彼らの居場所をつくろう」と思いついた。「私もボホール島での暮らしが気に入っていたし、そこに私が住めば一石二鳥だと思ったんです」。</p>
<p>　任期を終えてすぐにボホール島に戻り、土地を探して家を建てた。バビタの家の運営母体となるNGO「ボホール-日本 知的障害者協会」の設立には、特別支援学校の同僚たちが力を貸してくれた。開所式には、ボホール知事代理や日本の議員も駆け付けてくれ、そのおかげもあって、近所の人たちもポジティブに受け入れてくれた。こうして2016年、島で唯一の知的障害者の施設、バビタの家は誕生した。</p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong>合言葉は「ヒナイヒナイ」</strong></span></p>
<p><strong>&nbsp;　</strong>バビタの家は、不思議な場所だ。生徒にとっては収入を得るための職場だが、気分が乗らない日は何もしなくてもいい。そもそも、来ても来なくてもいい。その日の予定も、生徒たちのアイディア次第で柔軟に変わる。活動時間は10時から16時と一応決まっているが、家が遠い生徒や体が不自由な生徒は、お昼前にゆっくりやってくる。また、イベントがある時には、みんなバビタの家に泊まる。</p>
<p>　冒頭のパズルの制作活動中も、おやつを食べたり、犬と遊んだり、スマホを見せ合ったりといったマイペースな時間がはさまる。杉山は必要に応じて介入するが、基本的に各生徒のペースに委ね、時々、「ヒナイヒナイ（ビサヤ語で「ゆっくりね」）」と声をかける。杉山と生徒たちは「先生」「生徒」と呼び合うが、学校のような管理体制とはほど遠く、仲の良い家族のように、ゆるく、あたたかくつながっている。</p>

<div id="attachment_14396" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7adfed136bf50c6b1f5c23f5919c3a0a.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14396" class="wp-image-14396" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/7adfed136bf50c6b1f5c23f5919c3a0a.jpg" alt="" width="400" height="321"></a><p id="caption-attachment-14396" class="wp-caption-text">バビタの家は７周年を迎えた2023年10月に、 お世話になった人を招いてささやかなパーティを催した。 生徒たちは同じ10月にある『先生の日』のお祝いを兼ねて杉山（右端）にケーキをプレゼントした。 （2023年10月９日撮影、バビタの家 提供）</p></div>

<p>　「以前は、文字や数字を教えたり、話せない子には舌の運動をさせたりしていました。でも、新型コロナのパンデミックの頃から、そういう訓練は重視しなくなりました。勉強は身に付かないことも多いし、多少、文字が書けたところで働き口があるわけでもない。それより、ここで仕事をして家族を助けたり生活が良くなったりする方が、彼らにとって価値があると思ったんです」</p>
<p>　パンデミック中、生徒のなかには、収入を失った家族のために、貯めていたお小遣いを渡したり、バビタの家に届いた寄付品を持って帰ったりする者もいた。彼らは、知的障害というハンディキャップを抱えながら、家族の生活を助けていたのだ。その姿を見た杉山は、「バビタチケット」というバビタの家だけで使える通貨を発案。掃除や草むしり、片付けなどを頑張った生徒が、バビタチケットを獲得し、コメや野菜、鶏などと交換して家族のために持ち帰ることができる仕組みをつくった。</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/b12c8b7e401505670006e9aa6ee0e2d0.tif"><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-14397" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/b12c8b7e401505670006e9aa6ee0e2d0.tif" alt=""></a></p>

<div id="attachment_14402" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/150959d4ab52349cdf0bcb83e72c980e.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14402" class="wp-image-14402" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/150959d4ab52349cdf0bcb83e72c980e.jpg" alt="" width="400" height="309" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/150959d4ab52349cdf0bcb83e72c980e.jpg 669w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/150959d4ab52349cdf0bcb83e72c980e-300x232.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14402" class="wp-caption-text">ペンケース作りのワークショップで作品を完成させたマーシー。 「できることがある」という思いが彼女の世界を明るくする。 （2022年11月１日撮影、バビタの家 提供）</p></div>

<p>　また、生徒たちは地域の人々とも積極的に交流する。路上でのゴミ拾いや、地域住民を招いたパーティやバザー、浴衣のファッションショーなど、活動は多岐にわたる。杉山は、ゆくゆくはボホール島での日本フェスティバル開催を夢見る。生徒たちが主役になって、浴衣の着付け体験や、よさこい踊り、日本食の試食会などをしたいのだという。「楽しそうでしょう？それに、ボホールの人たちに日本や生徒たちのことをもっと知ってもらい、好きになってほしいんです」と杉山は笑う。</p>
<p>　生徒たちもそんなバビタの家が大好きだ。マーシーは数年前、バビタの家に通えなくなった時期がある。彼女は手足が不自由で、母親と一緒に２時間かけて通っていたのだが、父親が脳梗塞で倒れて介護が必要になり、母親が付き添えなくなったのだ。言葉を話せないマーシーは、泣いたり怒ったりして必死に抗議し、最終的に週１回の通所を勝ち取った。杉山は言う。「彼女は誰かの手助けなしで生きていけません。でも、ここに来ればできることがある。それが嬉しいようです」。</p>
<p><span style="font-size: 12pt;"><strong>街をさまよう“狂女” フィリピンの精神・知的障害者の現実</strong></span></p>
<p>　明るいバビタの家とは対照的に、フィリピンの知的障害者たちの置かれた現実は厳しい。特に農村部では、知的障害や精神疾患をもつ人々は、就労どころか、自宅の檻に閉じ込められるケースも珍しくない（筆者注：医学的には知的障害は精神遅滞と表され、広義の精神障害に含まれるため、ここでは両者をまとめて扱う）。</p>
<p>　例えば、イギリスの日刊紙ザ・サンは2020年、精神障害がある女性がセブ島で25年にわたり檻の中で暮らしていたと報じた。記事によると、一緒に暮らしていた両親が亡くなった後、女性が車に轢かれそうになったのを見た隣人たちが、彼女を檻に入れ、食事を運んで面倒をみていたという。また2013年には、大型台風ハイエンに見舞われたフィリピン中部で、精神障害のある男性が鎖につながれた状態で亡くなっているのが発見された。この問題については、イギリスの大手一般紙ガーディアンによりドキュメンタリーも制作されている。</p>

<div id="attachment_14408" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://www.thesun.co.uk/news/12524820/woman-locked-cage-years-philippines/"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-14408" class="wp-image-14408" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/f470ecac932000fe5a8dfd123084d891.jpg" alt="" width="400" height="291" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/f470ecac932000fe5a8dfd123084d891.jpg 318w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2024/04/f470ecac932000fe5a8dfd123084d891-300x218.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-14408" class="wp-caption-text">25年にわたり檻の中で暮らす精神障害の女性を取り上げたザ・サンの記事。（<a href="https://www.thesun.co.uk/news/12524820/woman-locked-cage-years-philippines/">https://www.thesun.co.uk/news/12524820/woman-locked-cage-years-philippines/</a>）</p></div>

<p>　ボホール島でも状況は同じだと話すのは、島内在住の地域開発ワーカー、リザだ。「ここでは、精神・知的障害者たちは家に閉じ込められています。島内には、入所施設どころか、精神科の病院も支援団体もなく、家族もどうすることもできないのでしょう」。<br>
　国内の統計によると、フィリピンには20万人ほどの精神・知的障害者がいるとされる。しかし、現役の精神科医、心理学者、精神科看護師は、2020年時点で1,200人しかいないうえ、その多くは企業の人事部門などで働いていると世界保健機関（WHO）は報告している。<br>
　リザは、こんなケースを紹介してくれた。「ボホール島の繁華街に、いわゆる“狂女”がいます。おそらく知的障害でしょう。身寄りがないのか、20年にわたり街を歩き回り続けています。彼女は時折、妊娠しますが、気づくとまた元の痩せた姿に戻っています。行政に保護されたと聞いたことはないし、口がきけないため誰かと話している姿を見たこともありません。みんな見て見ぬ振りなのです」</p>
<p>　杉山も、「知的障害のある人を、“悪魔の仕業”や“呪われている”などと言い、忌み嫌う人は少なくありません。バビタの生徒も、頭がおかしいなどと近所の子どもに揶揄されることもあります。そういう子は、私が叱りますけどね」と話す。</p>
<p><p>The post <a href="https://dotworld.press/philippines_babita_house/">「孤立する知的障害者に居場所を」フィリピンで支援施設を立ち上げた日本人</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<title>【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実③】人権侵害を伝えるAAPP、不屈の闘い</title>
		<link>https://dotworld.press/thailand_myanmar_border_inconvenient_truth3_aapp/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 21 Dec 2022 23:29:33 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[西方ちひろ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　タイ西部、ミャンマーとの国境の町、メソト。その住宅街の一角に、人権団体「ミャンマー政治囚支援協会」（AAPP：Assistance Association for Political Prisoners）の本部がある。 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　タイ西部、ミャンマーとの国境の町、メソト。その住宅街の一角に、人権団体「ミャンマー政治囚支援協会」（AAPP：Assistance Association for Political Prisoners）の本部がある。2021年２月のクーデター後、軍政下で殺害・拘束された人の情報などが、連日ここから発信され、国連や報道機関からも重要視されている。元政治囚のAAPP職員、Kさんは、こう語る。</p>
<p>　「私たちは、いつか必ずクーデターが起きると思い、軍による人権侵害を記録するために準備をしてきました。軍が情報を隠しても、インターネットを遮断しても、真実は必ず我々のもとに届くのです」</p>

<div id="attachment_12231" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5.png"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12231" class="wp-image-12231" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5.png" alt="" width="400" height="334"></a><p id="caption-attachment-12231" class="wp-caption-text">AAPPが毎日発表する、死者や拘束者数の累計 （写真は2022年11月18日時点のもの）。クーデターから１年10カ月が経った今も、軍の弾圧による死者の数（一番上の赤いグラフ）は増え続けている。</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>人権侵害を正しく記録する</strong></span></p>
<p>　ミャンマーにおける人権侵害について、信頼できる情報源となること。2000年の設立当初から、AAPPが掲げるミッションのひとつだ。実際、2021年２月のクーデター後、連日発表されるデータの正確さには、定評がある。地元のオンラインメディアなどが「○人死亡」などとセンセーショナルに報じても、AAPPの発表は必ずしもそれに追従しない。時間がかかっても、死亡したとされる人と近しい人や、状況をよく知る人に確認をとるからだ。</p>
<p>　自らも政治囚として収容された経験をもつAAPP職員のKさんは、こう話す。「SNSやニュースの情報を鵜呑みにせず、現地の情報ネットワークを使って、事実と確認できたものだけを発表しています。私たちは、2011年にミャンマーが民主化した後も、いつかクーデターが起きることを警戒し、ミャンマー国内で情報を正しく扱える人材を育成してきたのです」</p>
<p>　Kさんの言う「人材」とは、AAPPの研修を受けたミャンマー市民たちだ。AAPPは、ミャンマー国内で活動を許可された2013年から、クーデターが起きるまでの８年間にわたりアメリカ国務省関連の助成金などを受け、ミャンマー国内で、実に200回以上に上る研修を実施してきた。</p>
<p>　中でも力を入れてきたのは、NGOや市民団体などを対象とした、「人権に関する記録」を扱う14日間の研修だという。Kさんはこう語る。</p>
<p>　「人権が侵害された場合、それが人権侵害だと認識し、証拠となる写真や、日時や場所などの正確な情報を記録する必要があります。研修で適切な記録方法を学んだ受講者たちは、今、軍事クーデター後のミャンマーで何が起きているかを日々記録し、AAPPを通して世界に伝えてくれているのです」</p>

<div id="attachment_12232" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12232" class="wp-image-12232" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.jpg" alt="" width="400" height="292" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.jpg 1021w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-300x219.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-768x561.jpg 768w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-12232" class="wp-caption-text">AAPP本部の建物に隣接する展示室で、ミャンマーでの人権侵害の状況などについて語るKさん。机上には、ミャンマーで最大のインセイン刑務所の模型が置かれている。Kさんの口調は穏やかで慎ましく、彼が「政治犯」であったことを微塵も感じさせない（筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>証拠がない！</strong></span></p>
<p>　正確な記録への信念は、Kさんをはじめとする民主活動家たちの、苦い経験に根ざしている。ミャンマーでは1962年以降、繰り返し民主化運動が起き、その度に軍政に弾圧されてきた歴史があるが、その証拠となる写真や書類は、ほとんど残されてこなかったのだ。</p>
<p>　KさんはAAPPの展示室内にある、1988年の大規模な民主化運動（通称8888運動）のパネルの前で立ち止まった。</p>
<p>　「このとき軍事政権は、ライフルを使い、3000人以上のデモ参加者を殺害しました。しかし、軍の蛮行の証拠になるような写真や書類はほとんどなく、軍が罪を認めることもありませんでした」</p>
<p>　Kさんも当時、ミャンマー北部の町で、軍の暴力的な弾圧を経験した。だが、その暴力の記録はどこにもなく、殺傷された仲間を思うと、悔やしくてたまらなかったという。</p>

<div id="attachment_12233" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12233" class="wp-image-12233" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg 931w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-768x576.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-12233" class="wp-caption-text">展示室には、1962年以降の民主化運動と弾圧の歴史を示す写真が所狭しと並べられる。2007年以前の写真は、インターネットが使える時代になってから、色々な伝手をたどって手に入れたものがほとんどだという（筆者撮影）</p></div>

<p>　こうした状況が変わったのは、2007年に僧侶が先導した民主化運動（通称サフラン革命）がきっかけだった。「ミャンマーの人々がハンディカムで撮った映像が、初めてリアルタイムで国外に伝えられたのです」とKさんは微笑んだ。当時、軍に隠れて撮影された、軍による武力弾圧の記録は、秘密裏に国外に持ち出され、BBCなど世界の主要メディアの国際ニュースで報じられたのだ。その奮闘ぶりはドキュメンタリー映画『ビルマVJ 消された革命』として、アカデミー賞候補にもなった。</p>
<p>　Kさんも当時、ハンディカムとコンパクトカメラを入手し、隠し撮りした映像や写真をCD-ROMに焼いて、地域住民に配ったという。Kさんはこう述懐する。</p>
<p>　「危険な行為でした。住民の中には軍の支持者もいましたから。それでも、今ミャンマーで起きていることの真実を伝え、一人一人がどう行動すべきか考えてほしかったのです」</p>
<p>　事実、この時一緒に活動していた友人は逮捕され、次は自分の番だと思ったKさんは、国境を越えてメソトに逃れることになる。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>語り継がれた軍事独裁の記憶</strong></span></p>
<p>　話を聞きながら、ある疑問が頭をよぎった。Kさんが民主化運動に身を投じた学生時代、過去の民主化運動や弾圧についての記録はほとんど存在しなかったはずだ。それにも関わらず、Kさんはなぜ熱烈に、軍政の打倒や民主主義の樹立を目指すことができたのだろう。</p>
<p>　Kさんは微笑んで答えた。「記録がなくても、軍政下で罪のない人が投獄されたり殺されたりしてきたことは知っていました。母親が話してくれたからです。同世代の学生の多くは、親からそうした事実を聞いていたため、既存の社会構造や法律を変えなければ、という共通認識を持っていたのです」</p>
<p>　とはいえ、Kさんの両親は当初、Kさんが民主化運動に参加することに猛反対だった。かつて軍政が政権に反対する学生たちを爆殺するなど、残酷な手段で弾圧してきたことを覚えていたからだ。だがKさんは、「これは私たち世代の問題だ。次世代のためにも自由な国をつくりたい」と両親を説得したという。その言葉に、思わずため息が漏れた。2021年２月のクーデター以降、軍と闘い続けている10代の若者たちもまた、「次世代のために、自由な未来を」と、自らを鼓舞し続けているからだ。繰り返す、ミャンマーの歴史。</p>
<p>　Kさんは若者たちに思いを馳せ、こう話した。</p>
<p>　「軍政をあまり体験していなかった若者たちが、今、我がこととして軍に激しく抵抗しているのは、語り継がれてきた軍政時代の記憶や、活動家が命懸けで残した記録が、若者世代にきちんと伝わっていた証拠でしょう。彼らが今、武器をとって軍に反撃しているのも、人々がどれほど平和的な抗議活動をしたところで、軍がそれを無視して武力で弾圧してきた歴史を知っているためです。彼らは正しい方法で闘っていると思います」</p>

<div id="attachment_12235" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12235" class="wp-image-12235" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73.jpg 312w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/12/7d6fddc4d5f4457e598413974089fe73-300x200.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-12235" class="wp-caption-text">AAPPの展示室入り口。赤い壁の上部には、「ミャンマーに政治犯が存在する限り、和解はありえない」と書かれている。民主主義のために闘う人たちを「政治犯」として拘束・殺害する軍政に対し、一歩も譲らない決意に満ちた一文だ（筆者撮影）</p></div>

<p><p>The post <a href="https://dotworld.press/thailand_myanmar_border_inconvenient_truth3_aapp/">【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実③】人権侵害を伝えるAAPP、不屈の闘い</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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			</item>
		<item>
		<title>【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実②】メソトに潜伏する民主派兵士の決意</title>
		<link>https://dotworld.press/thailand_myanmar_border_inconvenient_truth2_pdf/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Nov 2022 00:00:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[タイ]]></category>
		<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[西方ちひろ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=12136</guid>

					<description><![CDATA[<p>　タイ西部、ミャンマーとの国境の町、メソト（Mae Sot）。タイ国内でありながら、ミャンマーからの移民が人口の７割を占めると言われる。2021年２月にミャンマーで軍事クーデターが起きると、メソトには、軍の弾圧などを逃れ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　タイ西部、ミャンマーとの国境の町、メソト（Mae Sot）。タイ国内でありながら、ミャンマーからの移民が人口の７割を占めると言われる。2021年２月にミャンマーで軍事クーデターが起きると、メソトには、軍の弾圧などを逃れたミャンマー人が次々と流入。その人数は、もはや誰も正確に把握できないほど膨れ上がっている。今回はそんなメソトに潜伏する、ある民主派の兵士の声を届ける。</p>

<div id="attachment_12154" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/315532016_1576268849470160_2123428794264751822_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12154" class="wp-image-12154" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/315532016_1576268849470160_2123428794264751822_n.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/315532016_1576268849470160_2123428794264751822_n.jpg 720w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/315532016_1576268849470160_2123428794264751822_n-300x225.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/315532016_1576268849470160_2123428794264751822_n-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/315532016_1576268849470160_2123428794264751822_n-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-12154" class="wp-caption-text">(c) Myanmar Now / Facebook</p></div>

<h1><span style="font-size: 14pt;">戦場から来た青年</span></h1>
<p>　10月中旬、とある店で20代のミャンマー人と出会った。背が高く、知的な印象の青年だ。いつからメソトに？と聞くと、５カ月ほど前にミャンマーから来た、と流暢な英語で答える。二言、三言交わすうちに、彼が何らかの反クーデター運動に身を投じた結果、メソトに逃れてきたのだろう、と察せられた。筆者は、自分がミャンマーの民主化を支援していることを明かし、話を聞きたい、と告げた。彼は他の客の目を少し気にしながら、「仕事が休みの日に会おう」と連絡先を教えてくれた。</p>
<p>　約束の日、彼の住む寮を訪ねると、彼は昼寝から目覚めたところだった。約束の時間ぴったりに現れた私に、あくびをしながら、「時間に正確だね」と薄く笑う。片足をひきずっていることに、この時初めて気が付いた。</p>
<p>　メソトに来る前はどこにいたの？と切り出すと、「ジャングルにいた。僕はPDFだ」と答えた。穏やかな口調だが、視線はじっと床に向けられている。PDFとは、People’s Defence Force（人民防衛隊）。クーデターを起こしたミャンマー軍に対し、武力で抵抗する市民組織だ。つまり彼は、５カ月前まで、戦場で銃を持ち、国軍兵士と殺し合いをしていたことになる。</p>
<p>　それを聞き、にわかに緊張した。今から始めるインタビューは、戦場で負った心身の痛みを彼に思い出させてしまうかもしれない。だが、彼は「個人情報は書かないで」と念押しすると、淡々と語り出した。</p>
<div style="background: #F2EAD4; padding: 15px; border: 0px solid #F2EAD4; border-radius: 10px; word-break: break-all;">
<h1><span style="font-size: 12pt;">　殺されないための武装</span></h1>
<p>　クーデター前、僕はある地方都市で、金融関係の会社に勤めていた。クーデター後は、路上に出て反軍政デモに参加した。なぜ参加したかって？これが最後だと思ったからだ。今ここで軍を止めなければ、二度と民主主義は戻ってこない。クーデター直後から、そう思っていた。</p>
<p>　実際、そう考えた人が多かったから、あれだけ大規模な運動になったんだ。どの民族も、どの宗教を信じる人も、あるいはLGBTQのように差別されてきた人も、みんなで団結して立ち上がった。僕はムスリムで、宗教的にマイノリティだから、人々と連帯しようという気持ちは、より強かったかもしれない。</p>
<p>　デモ活動中、僕たちは暴力を一切使わなかった。それでも軍は１カ月ほどで本性を見せ始めた。デモ隊を武力で弾圧したんだ、ひどく残虐にね。３月中旬（クーデターから１カ月半後）の時点で、僕は「命を守るために最低限の武装をしなければ」と考えるようになった。</p>
<p>　それで、KNU（Karen National Union: カレン族の少数民族組織）のもとに行って、手榴弾をつくる方法を教えてもらったんだ。15日間のトレーニングで、実際に手榴弾をつくって、爆発させたりもした。もちろん、怖いと思うこともあった。僕はいったい何をしているんだろう、と思ったよ。でも、民主主義を取り戻すためだと思い出せば、恐怖はどこかに飛んで行った。</p>
<p>　４月のある日、僕らのデモ隊は、軍の徹底的な弾圧にあった。あの頃は銃なんて持っていなかった。こちらから攻撃を仕掛ける気なんかなかったからね。攻撃された時に抵抗するために、手製の手榴弾を隠し持っていたけれど、そんなものではどうしようもなかったよ。</p>
<p>　僕は何とか無傷で逃れたけれど、友達は銃で撃たれて死んだ。銃殺じゃない、失血死だ。撃たれた時は生きていたのに、動けなくなった体を軍が連行して、放置したんだ。手当ても受けられないまま、大量出血で死んだよ。ひどいよね。</p>
<h1><span style="font-size: 12pt;">　タケノコ！豆！</span></h1>
<p>　虐殺を逃れた仲間と数週間、森で過ごした後、カレン州のレイケイコーという場所にたどり着き、６月にPDFを育成する軍事訓練に参加することを決めた。その頃は、CRPH（民主派の政治家らがオンライン上で結成した内閣）が訓練への参加を呼びかけていたし、僕自身、軍政を覆すためには、もう武力での反撃以外に方法はないと思ったんだ。ちゃんと申込書も書いたよ。</p>
<p>　訓練を受けた場所は、詳しくは言えないけれど、レイケイコーを朝６時に出て、KNLA（Karen National Liberation Army：カレン民族の少数民族組織KNUの軍事部門）の兵士の後をついて12時間歩き通した先にあった。本当は６時間しかかからない道だったことは、後で知った。僕らが道順を覚えられないように、わざとグルグル遠回りしていたんだ。僕らの誰かが外に情報を漏らさない保証はないからね。</p>
<p>　同じ理由から、訓練中のスマホも禁止だった。写真を撮ってSNSに勝手に投稿するのを防ぐためだ。家族とも連絡はとれなかったよ。</p>
<p>　軍事訓練は、とてもきつかった。というより、訓練の前に、まず生きていくことが大変なんだ。食料もなければ、住居もない。寝具も、電気も、トイレもない。だから自分たちで竹のバラックを建て、トイレを作った。KNLAの上官や、他の訓練生たちに教わりながら、四苦八苦して完成させた。</p>
<p>　訓練中は、毎朝４時半に起きて、５時から始まる早朝トレーニングに参加した。６時半に質素な朝ご飯を食べると、７時から正午まで午前のトレーニング。12〜13時までお昼休憩をとって、13〜17時まで午後のトレーニング。地元で昔、ジムに通った経験はあったけれど、環境が整った室内のマシントレーニングなんか比べ物にならないキツさだったよ。</p>
<p>　食べ物にも苦労したな。豆とタケノコしかなかったんだ。ほかには、魚のペースト（調味料）。毎日そればかりだ。軍事トレーニングでは、カレン語で「セイ！クエ！セイ！クエ！（右！左！右！左！）」と掛け声をかけながら行動するのだけど、僕たちは「ミィ！ペ！ミィ！ぺ！（タケノコ！豆！タケノコ！豆！）」と叫んでいたよ。</p>
<p>　ジャングルには、教養のある人がかなりいるんだ。ある時、KNLAの上官が「宗教や人種や性的指向に関係なく、みんな同じ仲間だ」と話してくれた。実際、訓練中も、戦っている時も、差別はなかったよ。ムスリムの僕は、幼い頃から「ケイワ」という蔑称で呼ばれ嫌な思いをしてきた。でも、クーデターが起きた後は、宗教や人種といった違いは取り去り、新しい国をつくるために団結しなければいけなくなったんだ。</p>

<div id="attachment_12140" style="width: 360px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12140" class="wp-image-12140" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1.jpg" alt="" width="350" height="157" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1.jpg 567w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-1-300x135.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 350px) 100vw, 350px" /></a><p id="caption-attachment-12140" class="wp-caption-text">戦闘の前線で即席爆発装置をつくるPDFの兵士たち (c)本人提供</p></div>

<h1><span style="font-size: 12pt;">　僕はこの手で仲間を埋葬した</span></h1>
<p>　２カ月にわたる訓練を終えた後、僕はPDFとして戦闘の最前線に出た。といっても、戦場を経験したことがない僕らは、爆発や銃撃の音を聞いて死の恐怖に取り憑かれ、逃げ出したくなる時もあった。</p>
<p>　そんな僕らをKNLAが指揮してくれた。彼らは冷静だよ。長い間、軍と戦ってきたからね。もちろんKNLAも、軍が重火器を使えば逃げることもある。それでも彼らは、どんな時に逃げるべきか判断できるし、僕らPDFに的確に指示を出せる。KNLAに従うことが、僕らが戦場で命を守る唯一の方法だった。</p>
<p>　それでも、前線では大切な仲間たちを亡くしたよ。ちょうど去年の今ごろ、仲の良かったPDFメンバーたちが死んだ。３人の仲間の身体が爆弾でバラバラになったんだ。僕はこの手で残された遺体を燃やし、埋葬した。つらい思い出だ。</p>
<h1><span style="font-size: 12pt;">　国境を越えて</span></h1>
<p>　メソトに来たのは、５カ月前だ。逃げて来たわけじゃない。仲間と手榴弾を作っている時に暴発して負傷し、川を越えてタイの病院に搬送されたんだ。メソトから１時間ほど離れた、国境近くにある公立病院だよ。「爆弾で負傷して密入国した」なんてもちろん言えないから、「機械が故障して火傷した」と説明した。もし怪我をしていなければ、今もまだジャングルにいただろう。</p>
<p>　治療費は、KNLAが支払ってくれた。治療後、数日で退院したけど、今も背中から足にかけて傷が残っていて、ときどき関節の痛みで動けなくなることがある。耳も、片方がよく聞こえない。でも、もう病院には行っていないんだ。医療保険なんてないし、僕のわずかな月給では、診療費はとてもまかなえないから。</p>
<p>　退院後は、クーデター前に貯めた貯金を切り崩して暮らしている。銀行のオンライン口座から、タイの現地通貨を引き出すことができたんだ。なけなしの２万バーツ（約８万円）で４カ月以上暮らしたよ。たまに建設現場や工場で日雇いの仕事もしたけれど、タイ語ができない僕が仕事を探すのは難しい。今の職場も、給料はタイの最低賃金レベル（日給1200円程度）だ。今着ているTシャツも、安い古着だよ。それでも、僕より厳しい生活をしている人がいるから、僕はまだ恵まれているんだ。</p>
<p>　メソトにいる間に、もう少し給料のいい仕事を見つけたいな。ジャングルにいる仲間たちを支えたいんだ。ちょっとしたお金、例えば食費や電話代くらいは払ってあげられたいしね。</p>
<h1><span style="font-size: 12pt;">　お金があれば何でも買える</span></h1>
<p>　タイで武器を買ってミャンマーに送ったことがあるか、って？なぜそんなことを聞くんだ？ なるほど、NUG（National Unity Government：民主派の亡命政府）からPDFに供給する武器が足りていないと誰かに聞いたんだね。そういう批判はあるかもしれない。</p>
<p>　タイでは、お金さえあれば何でも買えるよ。タイで「何か」を買い、川を越えればカレン州だ。そこにはその「何か」を必要としている人がいる。まぁ、そういう現実はある。</p>

<div id="attachment_12142" style="width: 360px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12142" class="wp-image-12142" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2.jpg" alt="" width="350" height="263" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2.jpg 443w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2-300x226.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2-280x210.jpg 280w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-2-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 350px) 100vw, 350px" /></a><p id="caption-attachment-12142" class="wp-caption-text">ミャンマーとの国境を隔てる川。彼はこの付近を渡ってタイの公立病院に搬送された (c) 筆者撮影</p></div>

<p>　僕がいたカレン州の部隊には、武器は十分にあった。足りないのは、ザガインやマグウェなど、ミャンマーの内陸部だ。輸送が問題なんだよ。タイとの国境沿いにあるカレン州はともかく、山ほどある軍のチェックポイントを抜けて内陸部まで武器を運び込むのは、かなり難しいからね。NUGのオペレーションに課題があるのも事実だけれど、簡単に武器を供給できない事情も理解する必要があると思うよ。</p>
<h1><span style="font-size: 12pt;">　今ここに生きる理由</span></h1>
<p>　メソトに来てからは、故郷の家族にも連絡をとっているよ。でも、軍にマークされているから、家には帰れない。以前、兵士が僕の写真を持って自宅に来たこともあるし、両親も帰って来いとは言わないよ。</p>
<p>　それでも、後悔なんてしていない。仲間は無惨に殺され、自分も傷を負い、家族にも会えなくなったけれど、PDFをやめようと思ったことは一度もない。自分で決めたことだ。もし途中でやめたら、僕は一生、自分を恥じるだろう。</p>
<p>　いずれまたミャンマーに戻って戦うつもりだよ。今すぐじゃない。民主派が首都に攻勢をかけるような段階になったら、自分のPDF部隊に戻るんだ。心の準備は、もちろんできているよ。必要とされた時に前線に立つために、僕は今、ここで生きているんだ。</p>
</div>
<p>&nbsp;</p>
<p>　彼は飾らない口調で、淡々と話した。つらい話をする時も、感情をあらわにすることはなく、ただ少し目を伏せるだけだった。それが彼の話し方なのだろうと思ったが、途中で話題が逸れた時に、そうではないことを知った。日本のアニメ、NARUTOの話になると、彼は「続編があるんだよ、知らないの？」と、目を輝かせて笑ったのだ。あぁ、これが彼の本来の表情なのだ、と知り、胸が詰まった。<br>
　あの日、軍事クーデターが起きなければ、彼は今も会社に勤めながら、アニメや音楽を楽しんでいただろう。「後悔などしていない」と言い切った彼の現状を哀れみたくはない。しかし、軍事クーデターがどれほど大切なものを奪ったのか、その大きさを思うと、嘆息せずにいられなかった。</p><p>The post <a href="https://dotworld.press/thailand_myanmar_border_inconvenient_truth2_pdf/">【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実②】メソトに潜伏する民主派兵士の決意</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<item>
		<title>【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実①】写真家らが語る難民の果てなき逃避行</title>
		<link>https://dotworld.press/thailand_myanmar_border_inconvenient_truth_photo_exhibition/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 05 Nov 2022 02:30:45 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[タイ]]></category>
		<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[西方ちひろ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://dotworld.press/?p=12070</guid>

					<description><![CDATA[<p>　「ミャンマーを忘れないで」。10月８日、タイのバンコク芸術文化センターの一角に、若きミャンマー人の写真家の声が響いた。同会場で開催中の （果てなき逃避行：ミャンマーからタイへ）』の特別企画として行われたトークイベントで [&#8230;]</p>
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<div id="attachment_12071" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5.png"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12071" class="wp-image-12071" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5.png" alt="" width="400" height="264" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5.png 359w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/29d3bc99193cb0b837fb8cc53f050ae5-300x198.png 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-12071" class="wp-caption-text">写真家のアウンナインソー氏（写真手前から３人目）。「ミャンマーの苦しみは世界から忘れられている。私たちは皆そのことに傷ついている」と語る言葉に、涙をぬぐう聴衆の姿もあった（筆者撮影）</p></div>

<p><strong><span style="font-size: 14pt;">ミャンマー国内では開催できない写真展</span></strong></p>
<p>　赤ちゃんを腕に抱き、こわばった顔であたりを見まわす祖母。竹とブルーシートでつくられた粗末な小屋が立ち並ぶ、川沿いの遠景。川の向こうにいるミャンマー国内避難民に、ボートで大量の弁当を運ぶタイ人の青年たち・・・。トークイベント会場の外のホールに展示された50枚ほどの写真には、ミャンマーの人々が軍からの迫害を逃れ、タイとの国境の川沿いで生きる日常が切り取られている。</p>
<p>　これらの写真はすべて、ミャンマー人の写真家によって撮影されたものだ。だが、こうした写真展を、今、ミャンマー国内で開催することは、不可能に近い。たとえ婉曲的であっても、軍による統治を批判すれば、反逆罪が課され、当局に捕まる危険があるからだ。トークイベントに登壇した、ヤンゴン出身の写真家、アウンナインソー氏はこう話す。「もしミャンマーでこんな写真展を開催したら、その日が人生最後の日になるかもしれない」。</p>
<p>　しかし彼は、ジャーナリストだけが特別にターゲットにされているわけではない、と強調する。「今のミャンマーでは、あらゆる人が危険と隣り合わせで生きているのです」。</p>

<div id="attachment_12072" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.png"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12072" class="wp-image-12072" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.png" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429.png 331w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/cbf5b9f60da99bf791c0aa12a770f429-300x200.png 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-12072" class="wp-caption-text">会場となったバンコク芸術文化センターのSEA-Junctionには、国籍や年代を問わず多くの聴衆が集まった(c) SEA-Junction</p></div>

<p><span style="font-size: 18.6667px;"><b>ピンポンのように往来するミャンマー人</b></span></p>
<p>　軍の迫害を逃れ、川を越えてタイに流入するミャンマー人の数は、2021年２月クーデター以降、激増した。2022年10月までの１年８カ月で、公式には２万2186人（10月３日、タイ政府発表）とされるが、タイ政府に隠れて越境する人数を合わせると、それをはるかに超える。</p>
<p>　こうした人々の中には、国境に近いカレン州などから、戦闘や空爆などを逃れてきた人だけでなく、ヤンゴンなど国境から離れた都市部で、反軍政運動に参加し、ミャンマー当局から追われている人も多い。双方とも、ミャンマーに戻れば、安全な生存が保証されない人々だ。</p>
<p>　しかし、本来こうした人々を保護すべきタイ政府は、彼らを難民として認めていない。登壇者の一人、国際人権NGOフォーティファイ・ライツ（Fortify Rights）の人権擁護の専門家、パトリック フォンサトロン氏は、タイ政府は難民条約を批准しておらず、難民の入国を認めなかったり、強制的にミャンマーに追い返したりしている、と批判した。</p>
<p>　「タイの治安部隊は、クーデター以降ミャンマーから逃れてきたミャンマー人を、難民キャンプではなく、一時安全区域（Temporary Safety Area：TSA）と呼ばれる場所に収容します。しかし、このTSAの実態は、当局しか知りません。国連難民高等弁務官事務所（UNHCR）をはじめ、あらゆる国際機関の立ち入りが許可されていないからです。TSAがどのように運営され、難民がどのように保護されているのか・・・確かなことはわかりません。ただ、『刑務所より悪い』という話は漏れ聞こえてきます」。</p>
<p>　TSAは、“Temporary”の名が示す通り、あくまで一時的な、避難所のような扱いだ。パトリック氏は、こう説明する。「タイ政府が難民として受け入れないために、ミャンマーの人々は強制的にミャンマーに押し戻され、空爆などが始まると再びタイに逃げてくる・・・川を越えてピンポンのように行ったり来たりする状況に陥っています」。</p>
<p>　この発言を裏付けるような現状が、つい最近も起きている。タイ政府の発表によると、2022年９月、ターク県ポップラ郡に、川を越えて210人のミャンマー難民がたどり着き、TSAに収容された。だが、このTSAは、全ての難民が「ミャンマーに帰還」したとして、９月30日に閉鎖。すると10月２日、再びミャンマーから川を越えて、難民がタイ側に到着。UNHCRによると、政府は別の場所にある僧院に、新たにTSAをつくったという。</p>

<div id="attachment_12073" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12073" class="wp-image-12073" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg" alt="" width="400" height="300" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf.jpg 252w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/5e4896966c9944fcf00890f4502605bf-150x112.jpg 150w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-12073" class="wp-caption-text">ポップラ郡にある国境の川。手前がミャンマー側、奥がタイ側。対岸に国境警備警察がいなければ、ボートで往来することもできるが、向こうで見つかればTSAに収容されたり、追い返されたりする危険がある（筆者撮影）</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>命がけの越境</strong></span><br>
　タイの国境警備警察による強制送還を恐れて、難民たちは隠れて川を渡る。ブローカーに１万5000〜２万バーツ（約６万〜８万円）ほどを支払って越境する難民も多いという。トークイベントの登壇者の一人、ローラ シーゲル氏は、そうした中で起きた悲劇について語った。</p>
<p>「ちょうど昨日、悲しい事故が起きました。25歳の女性教師が、夫とともにカヤー州から国境を流れる川を渡りました。ところがタイ側に着くと、タイ警察が彼女たちを追ってきたのです。彼女はパニックに陥り、川に飛び込んで、命を落としました。こうした出来事は、毎日のように起きています。これは、人為的な事故です。もし迫害から逃れる人々に、きちんと避難先を探す手段が与えられていたなら、彼女は死なずに済んだでしょう」。</p>
<p>　ミャンマーの避難民は、自国の軍による直接的な弾圧から逃れた先でも、なお生命の危険にさらされているのだ。仮に、タイ警察の目を逃れて無事にタイへと越境できたとしても、今度は「不法滞在者」として、警察に怯える暮らしを余儀なくされている。</p>
<p><span style="font-size: 18.6667px;"><b>もう１種類の難民</b></span></p>
<p>　パトリック氏は、こうした厳しい状況の背景には、もう１種類の、いわば“古い難民”の存在があると指摘する。彼らの多くは、カレン族やシャン族などの少数民族で、40年ほど前からタイに定着し始めた。国際移住機関（IOM）の発表によれば、現在９つの難民キャンプに合計９万1,400人、さらにキャンプの外の町や村にも5,000人以上が住んでいる。彼らの多くは、ミャンマー軍と少数民族武装勢力との内戦から逃れてきた人々だが、のちに彼らを頼って、よりよい住環境や教育などを求めてタイ側に渡る人も増えた。</p>
<p>　パトリック氏は、こうした状況が、2021年以降の“新しい難民”の受け入れを、タイ政府が拒否する原因になっているとの見方を示す。「タイ政府は、40年間続いてきた問題を、これ以上繰り返したくない。だから、ミャンマー難民が大量に流入・定着することを恐れて、彼らを難民と認めず、ミャンマーに追い返しているのです」。</p>
<p>　さらに、シーゲル氏は、こうしたミャンマー難民を支援してきた国際社会の姿勢も、時を経て変化してきた、と指摘する。「40年前から、多くの援助機関が、難民キャンプに住むミャンマー人を支援してきました。ところが2015年にミャンマーで民主政権が誕生すると、多くの援助機関は『ミャンマーの状況は落ち着いた』と考え、一斉に国境から引き上げたのです。こうして支援が手薄になった状況下で起きたのが、2021年の軍事クーデターでした」。</p>
<p>　つまり、国境地帯で暮らすミャンマーの人々は、皮肉にも、民主主義の５年間を経たために、より厳しい状況に置かれてしまったことになる。</p>

<div id="attachment_12074" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-12074" class="wp-image-12074" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269.jpg" alt="" width="400" height="290" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269.jpg 355w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2022/11/1efad1b5aa917a846fa5b3fc11367269-300x217.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-12074" class="wp-caption-text">会場の外に展示された、９つの難民キャンプのうちで最大規模のメラ難民キャンプの写真。写っているのは“古い難民”の子どもや孫たちだ。現在、推定４万人に上るメラ難民キャンプの住民のうち、半数が18歳未満の子どもだという（展示中の写真を筆者が撮影）</p></div>

<p><p>The post <a href="https://dotworld.press/thailand_myanmar_border_inconvenient_truth_photo_exhibition/">【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実①】写真家らが語る難民の果てなき逃避行</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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		<title>医療が崩壊したミャンマーで命を救い続ける医師</title>
		<link>https://dotworld.press/myanmar_medical_treatment_cdm/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[dotworld_admin]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Apr 2021 14:47:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ミャンマー]]></category>
		<category><![CDATA[社会を読み解く]]></category>
		<category><![CDATA[西方ちひろ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>　クーデター後のヤンゴンで、軍の目をかいくぐり、けが人の治療を続けてきた医療者がいる。「軍政のもとでは働かない」と公立病院を去った医師たちだ。負傷したデモ隊を治療する傍ら、応急処置の研修も行い、暴力や銃撃など軍の弾圧によ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>　クーデター後のヤンゴンで、軍の目をかいくぐり、けが人の治療を続けてきた医療者がいる。「軍政のもとでは働かない」と公立病院を去った医師たちだ。負傷したデモ隊を治療する傍ら、応急処置の研修も行い、暴力や銃撃など軍の弾圧による被害を最小限に食い止めようと奮闘している。起訴や逮捕など軍からのあからさまな弾圧が相次ぎ、彼ら自身にも大きな危険が迫る中、緊急医療チームで活動を続けるT医師に話を聞いた。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>鎖につながれる患者　</strong></span></p>
<p>　「医療設備のない場所での応急処置なので、大したことはできません。傷の洗浄や、簡単な縫合、あとは傷から菌が入らないように抗生物質や破傷風ワクチンを打ったりします」</p>
<p>　デモ現場から少し離れた急ごしらえの診療拠点に次々と運び込まれる若者たちのけがの処置方法について、T医師がそう説明した。拠点と言っても、たいていは住民がこっそり貸してくれる自宅の一室か、救急車の車内かのどちらかだ。どうしても手術しなければ ならないか、レントゲンなどの画像検査が必要な場合（例えば、銃弾が体内のどこにあるか調べなければならない時など）は、私立病院に搬送する。</p>

<div id="attachment_8757" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178390517_250118820240202_6614747000526363998_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-8757" class="wp-image-8757" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178390517_250118820240202_6614747000526363998_n.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178390517_250118820240202_6614747000526363998_n.jpg 1600w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178390517_250118820240202_6614747000526363998_n-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178390517_250118820240202_6614747000526363998_n-1024x683.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178390517_250118820240202_6614747000526363998_n-768x512.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178390517_250118820240202_6614747000526363998_n-1536x1024.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-8757" class="wp-caption-text">治療イメージ© The NY Times/Redux</p></div>

<p>　ミャンマーでは、公立病院か私立病院かによって医療費に雲泥の差がある。にもかかわらず、あえて高額な私立病院を選ぶのはなぜか。その理由について、T医師は「今、ヤンゴン市内のすべての公立病院は軍の支配下に置かれているからです」と指摘した。「もし、デモの最中に銃撃を受けて公立病院に運び込まれると、その若者はデモに参加していた＜犯罪者＞として軍政府に登録されてしまうのです」</p>
<p>　「犯罪者登録」という言葉に筆者が首をかしげていると、T医師は１枚の写真を見せてくれた。公立病院のベッドにぐったりと横たわり、腕に包帯を巻かれた患者の写真だ。そして足首には、足枷と鎖。愕然とした。これでは、まるで刑務所ではないか。</p>

<div id="attachment_8758" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/177654850_292865319107619_573630768498637883_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-8758" class="wp-image-8758" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/177654850_292865319107619_573630768498637883_n.jpg" alt="" width="400" height="277" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/177654850_292865319107619_573630768498637883_n.jpg 331w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/177654850_292865319107619_573630768498637883_n-300x208.jpg 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-8758" class="wp-caption-text">デモ参加中に負傷して公立病院に運び込まれた患者は、 ベッド上で鎖につながれていた（情報源の秘匿のため、写真の一部を切り取っている）©T医師提供</p></div>

<p>　T医師たちは、負傷したデモ隊がこうした目に遭わずにすむよう、限られた医療資源で軍の目をかいくぐって医療を行っている。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">マイノリティへの優しいまなざし</span></strong></p>
<p>　ミャンマーにはもともと各地域に急病人の搬送や防災活動を行う住民のボランティア組織がある。クーデター後、軍政に従わないという意思を示すために公立病院を去ったT医師が地元の組織に入って緊急医療チームとして活動するようになったのも、ごく自然のことだった。<br>
　３月のある日、ヤンゴン郊外で抗議行動を行うデモ隊の後方で救急車を停め待機していたT医師の下へ、ゴム弾を撃たれた人が運び込まれてきた。顔に３発、胴体にも何発か被弾していた。<br>
　「彼…、いや彼女は、いわゆるレディボーイでした。私はこれまでトランスジェンダーの人々は女々しくて弱々しいという先入観を持っていました。でも、彼…、いや彼女は勇敢でした。デモの最前線に立ち、顔にゴム弾を受けた後も“怖くない”と言いました。さらに、周りのデモ参加者にも恐がらずに抗議を続けるよう励まし続けていたのです」<br>
　何度も「彼」と言いかけては「彼女」と言い直すT医師の姿から、彼女のセクシャリティを肯定しようとする気持ちが芽生えつつあることが感じられた。<br>
　こうした価値観の転換は、２カ月半におよぶ抗議活動の中でしばしば見られる。セクシュアルマイノリティ（LGBT）や、少数派イスラム教徒ロヒンギャなど、これまで社会から虐げられ、抑圧されてきた少数者グループの主張が「反軍政」という点で多数派と一致し、仲間として受け入れられ始めているのだ。</p>

<div id="attachment_8759" style="width: 313px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178979563_773571883326548_6365835173670374133_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-8759" class="wp-image-8759" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178979563_773571883326548_6365835173670374133_n.jpg" alt="" width="303" height="400" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178979563_773571883326548_6365835173670374133_n.jpg 720w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178979563_773571883326548_6365835173670374133_n-228x300.jpg 228w" sizes="auto, (max-width: 303px) 100vw, 303px" /></a><p id="caption-attachment-8759" class="wp-caption-text">民間の日刊紙ミャンマータイムズの一面を飾ったLGBTの写真©Luna Lic / Twitter</p></div>

<p>　２月上旬には、毎年恒例のレインボーパレードを楽しむはずだったLGBTたちが華やかに着飾り、反軍政のプラカードを持って町を練り歩いた。ヤンゴン市民は彼らをあたたかく受け入れ、翌日にはカラフルな写真が民間紙の一面を飾った。<br>
　また、軍の凄惨な弾圧を目の当たりにして、「これまでロヒンギャの皆さんの訴えに耳を傾けてこなかったことをお詫びします」というメッセージも相次いでいる。写真のような段ボールにマジックで書かれたロヒンギャへの謝罪文も、好意的なコメントと共に、日々、SNS上で拡散されている。<br>
　急速に育まれる他者への共感と連帯のうねりを、民主派の政治家たちもしっかり受け止めている。軍政府に対抗して4月16日に結成された国民統一政府（NUG）は、設立にあたり自らを「史上最も多様性のある政府」だと述べ、胸を張った。その言葉通り、NUGの首相はカレン族、副大統領はカチン族であり、他のメンバーもクーデター前の与党議員や多数派のビルマ族に偏らないよう配慮されている。抗議活動のリーダーとして活躍する20代の女性人権活動家も閣僚入りした。</p>

<div id="attachment_8760" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178172624_391731421808783_7843244651991184789_n.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-8760" class="wp-image-8760" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178172624_391731421808783_7843244651991184789_n.jpg" alt="" width="400" height="267" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178172624_391731421808783_7843244651991184789_n.jpg 2048w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178172624_391731421808783_7843244651991184789_n-300x200.jpg 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178172624_391731421808783_7843244651991184789_n-1024x684.jpg 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178172624_391731421808783_7843244651991184789_n-768x513.jpg 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178172624_391731421808783_7843244651991184789_n-1536x1026.jpg 1536w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-8760" class="wp-caption-text">「これまでロヒンギャ危機に関心を持ってこなかったことを後悔しています」 と書かれた紙を持つ若者（２月13日、ヤンゴンで撮影）© Reuters /Twitter。 コメント欄には「その通りだ」という反省や、ロヒンギャからの感謝の言葉が寄せられた。</p></div>

<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>背中に火？驚きの応急処置研修</strong></span></p>
<p>　治療と並行してT医師が力を注ぐのが、応急処置法の研修だ。デモに参加するヤンゴンの若者たちの要望を受けて開始した。１回の参加者は目立たないように５〜10人に抑え、消毒方法や包帯の巻き方など、一通りの応急処置を２時間で伝える。「もっと丁寧に教えたいのですが、時間をかければかけるほど警察や軍に踏み込まれるリスクも上がるため、２時間が限界です」とT医師は明かす。参加者らは受講後、応急処置に必要な包帯や消毒液など約40種類の救急物品が入ったファーストエイドキットを持ち帰り、緊急時に備える。</p>
<p>　その後、一次医療が受けられない山岳部など辺境地域からの要望も高まり、オンライン研修も開始した。T医師が見せてくれた資料には、「背中に火がついたら寝転がって消しましょう」といった、日本では決して学ぶことのない内容が載っていた。これが実践的だと評価されるのが、今のミャンマーの現実だ。</p>
<p><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/174195218_3930577343695948_4563992151895981434_n.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8761" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/174195218_3930577343695948_4563992151895981434_n.png" alt="" width="400" height="239" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/174195218_3930577343695948_4563992151895981434_n.png 3141w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/174195218_3930577343695948_4563992151895981434_n-300x179.png 300w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/174195218_3930577343695948_4563992151895981434_n-1024x611.png 1024w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/174195218_3930577343695948_4563992151895981434_n-768x458.png 768w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/174195218_3930577343695948_4563992151895981434_n-1536x917.png 1536w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/174195218_3930577343695948_4563992151895981434_n-2048x1223.png 2048w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a></p>

<div id="attachment_8762" style="width: 410px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178930080_2852616518296402_7492448384601883841_n.png"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-8762" class="wp-image-8762" src="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178930080_2852616518296402_7492448384601883841_n.png" alt="" width="400" height="230" srcset="https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178930080_2852616518296402_7492448384601883841_n.png 750w, https://dotworld.press/cms_wp/wp-content/uploads/2021/04/178930080_2852616518296402_7492448384601883841_n-300x172.png 300w" sizes="auto, (max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a><p id="caption-attachment-8762" class="wp-caption-text">（上下とも）オンライン研修の画面と、胸部を刺された時の対処法。 応急処置にしてはあまりに物騒な、胸を突かれる内容だ©T医師提供</p></div>

<p><p>The post <a href="https://dotworld.press/myanmar_medical_treatment_cdm/">医療が崩壊したミャンマーで命を救い続ける医師</a> first appeared on <a href="https://dotworld.press">dotworld｜ドットワールド｜現地から見た「世界の姿」を知るニュースサイト</a>.</p><div class='yarpp yarpp-related yarpp-related-rss yarpp-template-list'>
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