「最後の秘境」を「失われた秘境」にしないための命懸けの闘い
フィリピンのパラワン島で生態系を守る警備隊を描いた映画『デリカド』が公開
- 2025/6/4
「世界で最も美しい島」「最後の秘境」と称されるフィリピンのパラワン島。その美しい自然やコバルトブルーに輝く海は人々を魅了し、世界各国から訪れる観光客やダイバーの姿が絶えません。しかし、アジア屈指のリゾート地であるパラワン島が近年、「失われた秘境」へと変わりつつあるといいます。背景には、森林の違法伐採や地下資源の乱開発があります。その実態を、現地で生態系の保護活動に取り組むNGOのネットワーク組織「パラワンNGOネットワーク」(PNNI)の活動を通じて描いたドキュメンタリー映画『デリカド』が5月末劇場公開されました。2023年に本作と出会い、日本で配給することを決めたユナイテッドピープルの関根健次さんが、2023年に現地を訪ねてPNNIの環境警備活動に同行した時の様子を振り返りながら、パラワン島の今と、映画『デリカド』に込められたメッセージを伝えます。
危機に瀕するアジア屈指のリゾート地
フィリピン西部に位置するパラワン島は、南北約400km、東西約40kmと極端に細長い形をした島である。首都マニラから飛行機で約70分という利便性に加え、世界遺産に登録されているプエルト・プリンセサ地底河川国立公園やトゥバタハ岩礁海中公園をはじめ、手付かずの大自然が多く残されているため、「最後の生態系フロンティア」として世界中から注目を集めてきた。
そんなパラワン島が近年、危機に瀕している。違法伐採により急速に森が減少し、多くの生物の生息地が破壊され、生態系が失われつつあるのだ。島の南部ではニッケルなどの鉱山開発が行われ、土壌の劣化や水質汚染、森林破壊が深刻化している。さらに、急速に進んだリゾート開発の影響で、道路や上下水道などインフラ整備に伴う土地改変やゴミ問題、海洋汚染などの問題も顕在化している。なお、そうしたパラワン島の現状は、決して日本と無関係ではない。いわゆる高度経済成長期と呼ばれた1960年代、日本が世界の中で最も多くの木材を輸入していた国がフィリピンだったし、フィリピンにとっても、当時、最大の木材の輸出先は日本だった。フィリピンにおける現在の森林率は20%台にまで落ち込んでいるが、その責任は日本にあるという事実をわれわれは知らなければならない。
待ったなしの現状を受け、現地の生態系を保護するために活動しているNGOネットワークがある。「パラワンNGOネットワーク」(以下、PNNI)だ。1991年に設立されたPNNIは、政策提言やソーシャルビジネス、人材育成に加え、フィリピン憲法に定められた「市民逮捕」の概念に基づいて環境警備隊を組織し、パラワン島で横行する違法伐採や違法漁業、密猟の取り締まりを行っている。
環境活動家にとってアジアで最も危険な場所
PNNIの活動は、命懸けだ。「これはある種の戦争だ」とメンバーが発言している通り、1991年の設立から、映画『デリカド』が撮影された2022年までに13人が殺害され、その後、さらに1人が殺された。国際NGOグローバル・ウィットネスも、2023年に発行した報告書の中で、フィリピンについて「2012年以降、281人の環境活動家が殺害された」と明らかにしたうえで、「土地や環境を守ろうとする警備隊にとって、アジアで最も危険な場所だ」と指摘している。
彼らは誰に殺害されたのか。実は、違法伐採者はライフルを所持しており、環境警備隊の取り締まりから逃れようとしばしば発砲するため、死者が出ているのだ。
筆者は、南米アマゾンで森林保護に取り組む環境活動家が次々に殺害されているという報道を目にしたことがあった。しかし、日本からそう離れていない、風光明媚なパラワン島が「アジアで最も危険な場所」であることは、にわかに信じがたかった。
映画『デリカド』を通じて有名リゾート地の知られざる現実に衝撃を受けた筆者は、日本での配給を決意すると同時に、自分の目で現状を確かめようと2023年3月、パラワン島を訪ねた。
押収物の中に政府要人の車両も
PNNIの事務所は、資料館として開放されていた。環境警備隊のチームリーダーを務めるダドさんが、敷地内を案内してくれた。パラワン島生まれのダドさんは、以前、ツアー会社でドライバーとして働いていたことがあるが、その仕事が好きになれず、やりがいを求めて2008年にPNNIの活動に加わったという。
まず目を引いたのが、玄関脇にクリスマスツリーのように積み上げられたチェーンソーだった。これまでに押収した700台あまりのごく一部だという(現在は撤去されて、ポスターが掲示されている)。
伐採した木材を運搬するためのトラックも展示されていた。驚いたことに、地元エルニド市の副市長をはじめ、政府要人が所有している車両が複数あった。政治が腐敗しているのだ。
チェーンソーや船舶、トラックといった押収物を展示している理由について、PNNI代表のロバート・“ボビー”・チャン弁護士は、「NGOに所属する普通の人間がこれだけの機材を押収し、違法伐採を取り締まっていることを知れば、政府が対策に乗り出してくれるのではないかと期待しているのです」と、インタビューの中で語っている。
チェーンソーの音を頼りに違法伐採者に遭遇
翌朝、違法伐採が行われている森へ、ダドさんら数人とパトロールに出かけた。見学程度の軽い気持ちで出発したものの、道なき山道を歩く片道約90分の行程は、実に険しかった。
まず、車で島の南部に移動し、違法伐採者の情報を通報してきた地元協力者と打ち合わせをした。その後、車が入れないところから歩いて山道を進み、橋のない川を渡り、森の奥へと進む。
途中、人の気配がすると茂みに隠れ、木々をかき分けつつ1時間ほど歩いたところで、伐採された大木に出くわした。樹齢数百年はあるだろうか。いったん切ってしまったら、元に戻らない。発見が早ければ防げたはずの伐採だ。
一行はさらに森の奥へと足早に歩みを進める。筆者も、撮影しながら必死について行く。突如、隊員の一人が後ろを振り返って「静かに!」と合図した。緊張が走る。音を立てないようにそっと歩いていると、遠くからかすかにチェーンソーの音が聞こえてきた。この森に違法伐採者がいるという地元民の情報は、正しかったのだ。
忍び足で近づいて行く。相手はライフルで武装している可能性もある。筆者が最後尾から隊員たちを撮影していると、ダドさんら先行隊員たちは足音を殺してぎりぎりまで接近してから一斉に走り始め、あっという間に違法伐採の現場を取り押さえた。相手は、ここで伐採から製材まで一人でこなしていたという。ダドさんたちは、手際よくチェーンソーを押収してから、ここでの伐採は違法であることを伝えていた。
ダドさんたちはこの日、この現場を含めて3カ所で違法伐採が行われていることを確認した。このうち2カ所で1本ずつチェーンソーを押収したものの、残る1つの現場では伐採者に逃亡されてしまった。
違法伐採をしていたのは、全員、仕事を求めてミンダナオ島から来た出稼ぎ労働者だったという。伐採された木材は高く売れるマレーシアに輸出されていると聞き、マレーシアから日本に輸出されていたりしないかと心配になった。
森林の伐採がなくならない背景には、前述の通り木材を販売するためという目的に加え、アブラヤシやココヤシなど単一植物の栽培を進めるプランテーション制度、過度の観光開発や鉱山開発などの要因が挙げられる。いずれも法律の適切な執行と取り締まりが不十分なことが問題である。PNNIのような組織が命懸けで森を守っているのは、そのためだ。
運良く違法伐採の現場を取り押さえることができれば、伐採される木の本数を一時的にせよ減らすことができる。とはいえ、伐採があちこちで行われていることを考えると、地道にチェーンソーを押収するPNNIの活動は、「大海の一滴」のようにも思えてくる。しかし、かつてマザー・テレサが「私たちのすることはたった一滴の水に過ぎないかもしれないが、その一滴の水が集まって大海となる」と言った通り、PNNIの一つ一つの取り締まりが蓄積されてこそ、森は守られるのだ。
PNNIの事務所を訪ね、森林パトロールに同行した時の様子をまとめた映像をご覧いただきたい。(次ページへ続く)