医療が崩壊したミャンマーで命を救い続ける医師
軍の弾圧を逃れながら描く夢
- 2021/4/30
クーデター後のヤンゴンで、軍の目をかいくぐり、けが人の治療を続けてきた医療者がいる。「軍政のもとでは働かない」と公立病院を去った医師たちだ。負傷したデモ隊を治療する傍ら、応急処置の研修も行い、暴力や銃撃など軍の弾圧による被害を最小限に食い止めようと奮闘している。起訴や逮捕など軍からのあからさまな弾圧が相次ぎ、彼ら自身にも大きな危険が迫る中、緊急医療チームで活動を続けるT医師に話を聞いた。
鎖につながれる患者
「医療設備のない場所での応急処置なので、大したことはできません。傷の洗浄や、簡単な縫合、あとは傷から菌が入らないように抗生物質や破傷風ワクチンを打ったりします」
デモ現場から少し離れた急ごしらえの診療拠点に次々と運び込まれる若者たちのけがの処置方法について、T医師がそう説明した。拠点と言っても、たいていは住民がこっそり貸してくれる自宅の一室か、救急車の車内かのどちらかだ。どうしても手術しなければ ならないか、レントゲンなどの画像検査が必要な場合(例えば、銃弾が体内のどこにあるか調べなければならない時など)は、私立病院に搬送する。
ミャンマーでは、公立病院か私立病院かによって医療費に雲泥の差がある。にもかかわらず、あえて高額な私立病院を選ぶのはなぜか。その理由について、T医師は「今、ヤンゴン市内のすべての公立病院は軍の支配下に置かれているからです」と指摘した。「もし、デモの最中に銃撃を受けて公立病院に運び込まれると、その若者はデモに参加していた<犯罪者>として軍政府に登録されてしまうのです」
「犯罪者登録」という言葉に筆者が首をかしげていると、T医師は1枚の写真を見せてくれた。公立病院のベッドにぐったりと横たわり、腕に包帯を巻かれた患者の写真だ。そして足首には、足枷と鎖。愕然とした。これでは、まるで刑務所ではないか。
T医師たちは、負傷したデモ隊がこうした目に遭わずにすむよう、限られた医療資源で軍の目をかいくぐって医療を行っている。
マイノリティへの優しいまなざし
ミャンマーにはもともと各地域に急病人の搬送や防災活動を行う住民のボランティア組織がある。クーデター後、軍政に従わないという意思を示すために公立病院を去ったT医師が地元の組織に入って緊急医療チームとして活動するようになったのも、ごく自然のことだった。
3月のある日、ヤンゴン郊外で抗議行動を行うデモ隊の後方で救急車を停め待機していたT医師の下へ、ゴム弾を撃たれた人が運び込まれてきた。顔に3発、胴体にも何発か被弾していた。
「彼…、いや彼女は、いわゆるレディボーイでした。私はこれまでトランスジェンダーの人々は女々しくて弱々しいという先入観を持っていました。でも、彼…、いや彼女は勇敢でした。デモの最前線に立ち、顔にゴム弾を受けた後も“怖くない”と言いました。さらに、周りのデモ参加者にも恐がらずに抗議を続けるよう励まし続けていたのです」
何度も「彼」と言いかけては「彼女」と言い直すT医師の姿から、彼女のセクシャリティを肯定しようとする気持ちが芽生えつつあることが感じられた。
こうした価値観の転換は、2カ月半におよぶ抗議活動の中でしばしば見られる。セクシュアルマイノリティ(LGBT)や、少数派イスラム教徒ロヒンギャなど、これまで社会から虐げられ、抑圧されてきた少数者グループの主張が「反軍政」という点で多数派と一致し、仲間として受け入れられ始めているのだ。
2月上旬には、毎年恒例のレインボーパレードを楽しむはずだったLGBTたちが華やかに着飾り、反軍政のプラカードを持って町を練り歩いた。ヤンゴン市民は彼らをあたたかく受け入れ、翌日にはカラフルな写真が民間紙の一面を飾った。
また、軍の凄惨な弾圧を目の当たりにして、「これまでロヒンギャの皆さんの訴えに耳を傾けてこなかったことをお詫びします」というメッセージも相次いでいる。写真のような段ボールにマジックで書かれたロヒンギャへの謝罪文も、好意的なコメントと共に、日々、SNS上で拡散されている。
急速に育まれる他者への共感と連帯のうねりを、民主派の政治家たちもしっかり受け止めている。軍政府に対抗して4月16日に結成された国民統一政府(NUG)は、設立にあたり自らを「史上最も多様性のある政府」だと述べ、胸を張った。その言葉通り、NUGの首相はカレン族、副大統領はカチン族であり、他のメンバーもクーデター前の与党議員や多数派のビルマ族に偏らないよう配慮されている。抗議活動のリーダーとして活躍する20代の女性人権活動家も閣僚入りした。
背中に火?驚きの応急処置研修
治療と並行してT医師が力を注ぐのが、応急処置法の研修だ。デモに参加するヤンゴンの若者たちの要望を受けて開始した。1回の参加者は目立たないように5〜10人に抑え、消毒方法や包帯の巻き方など、一通りの応急処置を2時間で伝える。「もっと丁寧に教えたいのですが、時間をかければかけるほど警察や軍に踏み込まれるリスクも上がるため、2時間が限界です」とT医師は明かす。参加者らは受講後、応急処置に必要な包帯や消毒液など約40種類の救急物品が入ったファーストエイドキットを持ち帰り、緊急時に備える。
その後、一次医療が受けられない山岳部など辺境地域からの要望も高まり、オンライン研修も開始した。T医師が見せてくれた資料には、「背中に火がついたら寝転がって消しましょう」といった、日本では決して学ぶことのない内容が載っていた。これが実践的だと評価されるのが、今のミャンマーの現実だ。