【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実③】人権侵害を伝えるAAPP、不屈の闘い
民主主義と人権を、次世代のために守り抜け
- 2022/12/22
タイ西部、ミャンマーとの国境の町、メソト。その住宅街の一角に、人権団体「ミャンマー政治囚支援協会」(AAPP:Assistance Association for Political Prisoners)の本部がある。2021年2月のクーデター後、軍政下で殺害・拘束された人の情報などが、連日ここから発信され、国連や報道機関からも重要視されている。元政治囚のAAPP職員、Kさんは、こう語る。
「私たちは、いつか必ずクーデターが起きると思い、軍による人権侵害を記録するために準備をしてきました。軍が情報を隠しても、インターネットを遮断しても、真実は必ず我々のもとに届くのです」
人権侵害を正しく記録する
ミャンマーにおける人権侵害について、信頼できる情報源となること。2000年の設立当初から、AAPPが掲げるミッションのひとつだ。実際、2021年2月のクーデター後、連日発表されるデータの正確さには、定評がある。地元のオンラインメディアなどが「○人死亡」などとセンセーショナルに報じても、AAPPの発表は必ずしもそれに追従しない。時間がかかっても、死亡したとされる人と近しい人や、状況をよく知る人に確認をとるからだ。
自らも政治囚として収容された経験をもつAAPP職員のKさんは、こう話す。「SNSやニュースの情報を鵜呑みにせず、現地の情報ネットワークを使って、事実と確認できたものだけを発表しています。私たちは、2011年にミャンマーが民主化した後も、いつかクーデターが起きることを警戒し、ミャンマー国内で情報を正しく扱える人材を育成してきたのです」
Kさんの言う「人材」とは、AAPPの研修を受けたミャンマー市民たちだ。AAPPは、ミャンマー国内で活動を許可された2013年から、クーデターが起きるまでの8年間にわたりアメリカ国務省関連の助成金などを受け、ミャンマー国内で、実に200回以上に上る研修を実施してきた。
中でも力を入れてきたのは、NGOや市民団体などを対象とした、「人権に関する記録」を扱う14日間の研修だという。Kさんはこう語る。
「人権が侵害された場合、それが人権侵害だと認識し、証拠となる写真や、日時や場所などの正確な情報を記録する必要があります。研修で適切な記録方法を学んだ受講者たちは、今、軍事クーデター後のミャンマーで何が起きているかを日々記録し、AAPPを通して世界に伝えてくれているのです」
証拠がない!
正確な記録への信念は、Kさんをはじめとする民主活動家たちの、苦い経験に根ざしている。ミャンマーでは1962年以降、繰り返し民主化運動が起き、その度に軍政に弾圧されてきた歴史があるが、その証拠となる写真や書類は、ほとんど残されてこなかったのだ。
KさんはAAPPの展示室内にある、1988年の大規模な民主化運動(通称8888運動)のパネルの前で立ち止まった。
「このとき軍事政権は、ライフルを使い、3000人以上のデモ参加者を殺害しました。しかし、軍の蛮行の証拠になるような写真や書類はほとんどなく、軍が罪を認めることもありませんでした」
Kさんも当時、ミャンマー北部の町で、軍の暴力的な弾圧を経験した。だが、その暴力の記録はどこにもなく、殺傷された仲間を思うと、悔やしくてたまらなかったという。
こうした状況が変わったのは、2007年に僧侶が先導した民主化運動(通称サフラン革命)がきっかけだった。「ミャンマーの人々がハンディカムで撮った映像が、初めてリアルタイムで国外に伝えられたのです」とKさんは微笑んだ。当時、軍に隠れて撮影された、軍による武力弾圧の記録は、秘密裏に国外に持ち出され、BBCなど世界の主要メディアの国際ニュースで報じられたのだ。その奮闘ぶりはドキュメンタリー映画『ビルマVJ 消された革命』として、アカデミー賞候補にもなった。
Kさんも当時、ハンディカムとコンパクトカメラを入手し、隠し撮りした映像や写真をCD-ROMに焼いて、地域住民に配ったという。Kさんはこう述懐する。
「危険な行為でした。住民の中には軍の支持者もいましたから。それでも、今ミャンマーで起きていることの真実を伝え、一人一人がどう行動すべきか考えてほしかったのです」
事実、この時一緒に活動していた友人は逮捕され、次は自分の番だと思ったKさんは、国境を越えてメソトに逃れることになる。
語り継がれた軍事独裁の記憶
話を聞きながら、ある疑問が頭をよぎった。Kさんが民主化運動に身を投じた学生時代、過去の民主化運動や弾圧についての記録はほとんど存在しなかったはずだ。それにも関わらず、Kさんはなぜ熱烈に、軍政の打倒や民主主義の樹立を目指すことができたのだろう。
Kさんは微笑んで答えた。「記録がなくても、軍政下で罪のない人が投獄されたり殺されたりしてきたことは知っていました。母親が話してくれたからです。同世代の学生の多くは、親からそうした事実を聞いていたため、既存の社会構造や法律を変えなければ、という共通認識を持っていたのです」
とはいえ、Kさんの両親は当初、Kさんが民主化運動に参加することに猛反対だった。かつて軍政が政権に反対する学生たちを爆殺するなど、残酷な手段で弾圧してきたことを覚えていたからだ。だがKさんは、「これは私たち世代の問題だ。次世代のためにも自由な国をつくりたい」と両親を説得したという。その言葉に、思わずため息が漏れた。2021年2月のクーデター以降、軍と闘い続けている10代の若者たちもまた、「次世代のために、自由な未来を」と、自らを鼓舞し続けているからだ。繰り返す、ミャンマーの歴史。
Kさんは若者たちに思いを馳せ、こう話した。
「軍政をあまり体験していなかった若者たちが、今、我がこととして軍に激しく抵抗しているのは、語り継がれてきた軍政時代の記憶や、活動家が命懸けで残した記録が、若者世代にきちんと伝わっていた証拠でしょう。彼らが今、武器をとって軍に反撃しているのも、人々がどれほど平和的な抗議活動をしたところで、軍がそれを無視して武力で弾圧してきた歴史を知っているためです。彼らは正しい方法で闘っていると思います」