10.7 ハマスがイスラエルを越境攻撃した地を訪ねて
グラウンドゼロで見た悲劇の痕跡とかすかな希望

  • 2025/5/13

 2023年10月7日にハマスなどの武装勢力がイスラエルに対する大規模なロケット攻撃や越境攻撃を行い、同日のうちにイスラエル軍がガザ地区に対する報復に踏み切って1年半が経過しました。今年の1月には双方とも一度は6週間の停戦に合意し、双方が人質の一部を解放したものの、その後、恒久的な停戦に向けた協議が難航。3月18日にはイスラエル軍が大規模な攻撃を再開し、死者が増え続けています。

 こうしたなか、映画を通じて世界と日本をつなぐユナイテッドピープルの関根健次さんは3月末、イスラエルを訪問しました。「グラウンドゼロ」の今を目の当たりにした関根さん自身が、率直な思いを綴ります。

ニールオズからわずか2キロ先にがれきと化したガザの街並みが見えた(2025年3月28日、筆者撮影)

廃墟と新芽 フェンスを挟んで広がる対照的な景色

 イスラエルとガザ地区の境目の地。ガザからわずか2キロしか離れていないイスラエルの領内に僕は立っていた。フェンスの向こう側に見えるガザ地区は、灰色の廃墟と化していることが遠目にも分かった。一方、手前のイスラエル側は、春を迎えてトラクターが畑を耕していた。芽吹きつつある植物の緑色が目に鮮やかだった。そこは文字通り、生と死、あるいは天国と地獄の境界だった。フェンスを挟んで広がる景色の違いに愕然としつつ、ただ呆然と眺めることしかできないもどかしさを嚙みしめていた。

 本当は、ガザに行きたかった。しかし、イスラエルが境界を閉ざしているため、それは叶わない。そこで今回は、2023年10日7日にハマスがフェンスを破ってイスラエル側に侵入し、奇襲をかけたグラウンドゼロをいくつか訪ねることにした。出くわす人々に躊躇なく銃口を向けたハマスによって約1,200人が殺害され、251人が人質として連れ去られるという凄惨な事件が起きたノヴァ音楽フェスティバルの会場と、キブツ(共同生活体)のニールオズである。イスラエルは同日、すぐにガザ地区への報復攻撃に踏み切った。犠牲者はこれまでに少なくとも5万人以上に上る。

 今回の訪問の間中、僕は「どうすれば境界の両側をともに平和にできるのか」と、かつてないほどに悩み続けた。

多くの若者が命を落とした音楽フェス会場

 イスラエルの首都、テルアビブからまず向かったのは、ノヴァ音楽フェスティバルが開かれていた会場の跡地だ。ガザから突如として侵入したハマスの武装メンバーは、ここにいた378人(うち344人が市民)を見境もなく殺し、44人を人質にした。10月7日の朝、ここに世界中から集い、踊っていた若者たちが突然命を奪われた。

ノヴァ音楽フェスティバルのメインステージ前には、殺害されたり拉致されたりした若者たちの顔写真が掲示されている(2025年3月28日、筆者撮影)

 跡地には、殺害されたり、人質として拉致されたりした若者たちの顔写真が掲示され、一人一人の名前や年齢がそれぞれの看板に書き込まれていた。多くが未来ある20代だった。あの日、自由や喜びを求めて世界中から集まった若者たちが、突如、現れたハマスにより、残酷な形でここで命を奪われた。彼らはなぜ殺されなければならなかったのか。看板の横に追悼の木が植えられていたり、本人が生前、好きだったものが供えられたりしているのを見ながら、彼らの魂はどこに向かったのか、そして残された家族や友人、恋人らは今、どんな思いで生きているのか。

ハマスによる奇襲で、多くの若者たちが犠牲になった(2025年3月28日、筆者撮影)

 何の物音もしない、フェスティバル会場となったこの草原で、その瞬間を想像した。大音量のダンス・ミュージックが聞こえてくるようだった。ビールを片手に、頭を、体を揺らし、踊り狂っている若者たちが見えるようだった。僕だって、若い頃同じように無心に踊っていたことがある。突然銃で撃たれるなんて、想像しても、想像しても、本当に起きたなんて受け入れられない。

ノヴァ音楽フェスティバルの会場跡地には、若者たちの写真とともに、本人が好きだったものや思い出の品が飾られている(2025年3月28日、筆者撮影)

 ハマスによる奇襲から2カ月あまり経った2023年12月、僕はあの会場で音楽祭のボランティアをしていたイスラエル人のマヤさんに話を聞く機会があった(「ハマスの襲撃を生き延びたイスラエル人女性の言葉に世界が共感」、ドットワールド2024年1月18日掲載)。6時間にわたり茂みに身を潜め、ハマスが人々を次々と銃殺するのを目の当たりにした彼女の壮絶な経験を追体験することは、とてもできない。それでも、彼女があの日、隠れていた茂みの前に立って初めて、僕は彼女の恐怖を以前よりもリアルに想像できた気がした。とても「理解できた」とは言えないが、悲しくて涙があふれ、叫び出したい衝動に襲われた。

 この悲しみが今も続いていることを忘れてはならない。あの日、ハマスによって連れ去られ、今も囚われたままの人々がガザにはいて、多くのご遺体もかの地にある。一刻も早い彼らの帰還を待ち望んでいる家族や友人たちがここにいる。すべての人質は、即刻、解放されなければならない。とはいえ、このような惨事が起きたからといって、イスラエルによる見境のない攻撃は、決して正当化できるものではない。

バーさんの解放を訴えるリタ・リフシッツさん(2025年3月28日、筆者撮影)

 僕を案内してくれたリタ・リフシッツさんも、あの日、義理の祖父母を連れ去られ、友人を殺された。彼女は、現在もガザでハマスに囚われたままの若者、バー・クペルシュタインさんの解放を涙ながらにこう訴えた。

 「彼を父親の元に返さねばなりません。彼は逃げることもできたのですが、周りのみんなを救っていたんです。そして、とらわれてしまったのです」

 会場の跡地を後にして、僕はこみ上げる思いを込めて手記を書いた。

グラウンドゼロ。
みんな、死んでしまったあの場所へ。
みんな、殺されてしまったあの場所へ

2023年10月7日朝、
突然やって来たハマスによって、
ノヴァ音楽フェスティバルに参加していた360人以上が、
残酷にも銃殺されてしまった。

ここで踊っていた彼女たちや彼らの写真が
「私たちはここにいた」と
無言で生きていた証を訴えかけてくる。

誰もいない、物音もしないけれど、
ダウンミュージックが聞こえてくるようだ。
耳をすまして、心の眼であの日のことを観ようとした。

無念だっただろう。
怖かっただろう。
逃げ切りたかっただろう。
最後に会って話したかった家族や恋人がいただろう。
人生でやりたかったこともあっただろう。
旅したかった場所もあっただろう。

あの日の朝、あそこにいた全員が、
まさか自分が今日、死ぬなんて思っていなかっただろう。
何が起きているのか分からない
命を落とした人もいただろう。
不条理だ。酷すぎて、意味が分からない。
なぜ、彼ら彼女たちは殺されなければいけなかったのか?

一方、ここにいた40人がガザに連れ去られた。
遺体すら、取引に使えるとして持ち去られた。

だが、その中の一人、バー・クペルシュタインさん(23歳)は
最近解放された人質の証言により、生きていることが確認された。
解放されなければならない。

ここに来なければ、
痛みを、苦しみを、悔しさを、無念を
身体と魂で感じることができなかっただろう。

そして、その苦しみを
解放を待ち続ける家族は今も味わい続けている。

 
 

惨状が生々しく残る境界から2キロの村

 もう一つのグラウンドゼロであるニールオズのキブツも訪ねた。あの日、ガザ地区との境界から2キロほどしか離れていないこの地にイスラエル国防軍(IDF)が駆け付けたのは、ハマスが引き上げた後だった。それまでにほとんどの家屋が破壊されたうえ、約400人の住民のうち41人が殺され、76人が連れ去られたと言われている。

ニールオズの入り口に掛けられた看板(2025年3月28日、筆者撮影)

 ニールオズには、あの日の惨状が今なお生々しく残され、時が止まっているかのようだった。案内してくれたのは、ニールオズの立ち上げメンバーの一人で、あの日までここで暮らしていたリタ・リフシッツさんだ。リタさんによれば、ここには平和活動家が多く暮らしていたという。

義父のオデッド・リフシッツさんが暮らしていた家を訪ねるリタさん(2025年3月28日、筆者撮影)

 リタさんの義理の父、オデッド・リフシッツさん(83歳)もその一人だった。ジャーナリストで平和活動家でもあったオデッドさんは、毎週、ガザ地区との境界に出向いては、抗がん剤治療が必要なガザの患者のために、イスラエル領内の病院まで送迎ボランティアを行っていたそうだ。

 また、過去にはガザ地区に入り、パレスチナ自治政府の初代議長を務めた故アラファト氏に面会し、イスラエルとパレスチナの平和を実現するためには教育が重要だと訴えたこともあったとリタさんは言う。

オデッドさんの解放を求めるポスター(2025年3月28日、筆者撮影)

 そんなオデッドさんはあの日、ハマスの奇襲を知って妻のヨへベッドさんとともにシェルターに身を潜めたが、すぐに見つかり、引きずられるようにガザ地区へ連れ去られた。17日後、ヨへベッドさんは無事に帰ってくることができたものの、オデッドさんはガザで帰らぬ人となった。ご遺体が返還されたのは、囚われてから500日後のことだった。

オデッドさんが住んでいた家は、鉄骨がむき出しになるほど破壊されていた(2025年3月28日、筆者撮影)

 リタさんが、夫妻が住んでいた家を案内してくれた。どの部屋も真っ黒に焦げ、破壊されていた。割れた窓ガラスや食器の破片、崩れた壁のがれきが床に散らばり、歩く度に音を立てた。

 その中に、ピアノ線がむき出しになった無残な形のピアノがあった。リタさんは、オデッドさんが生前、家族のためによくピアノを弾いてくれたことを懐かそうに話しながら、スマートフォンに残っている演奏を繰り返し再生して僕に聞かせてくれた。

オデッドさんが家族のためによく弾いていたというピアノも、無残に破壊されていた(2025年3月28日、筆者撮影)

 ピアノの部屋から奥に進むと、寝室があった。あまりに焦げていたため、すぐにはそうと分からなかったが、リタさんは部屋の隅にある骨組みを指さして、「孫が泊まりに来た時のためのベッドです」と説明してくれた。夫妻は孫をたいそう可愛がっていたという。

オデッドさんの写真を囲むリタさんと筆者(左端)(2025年3月28日、筆者撮影)

 一方、家の前の庭では、手仕事が大好きだったというオデッドさんが制作した多くのオブジェが、そのままの状態で残されていた。

オデッドさんが制作した多くのオブジェが庭に残されていた(2025年3月28日、筆者撮影)

 また、オデッドさんが大切に育てていたさまざまな種類のサボテンも、元気に育っていた。「義父は殺されてしまいましたが、彼が愛情を注いでいたサボテンは、きれいな花を咲かせてくれました」と、リタさんは喜びながら見せてくれた。

オデッドさんが大切に育てていたサボテンが花を咲かせていた(2025年3月28日、筆者撮影)

憎しみを乗り越え平和の実現を模索する人々

 義父を拉致されて殺されるという凄惨な経験をし、「天国のようだったニールオズが地獄へと一変した」と感じているリタさんは、ハマスについて「排除されるべき存在」だと話す。それでも彼女の願いは、いずれパレスチナ人とイスラエル人の間に平和が訪れることだという。「状況が落ち着き次第、私も義父の遺志を受け継いでがん治療を必要としているガザの子どもたちをイスラエルの病院に送り届ける活動をしたいと思っています」と、リタさんは話す。

シェルターの扉には、銃痕が生々しく残っていた(2025年3月28日、筆者撮影)

 悲しみを乗り越え、平和のために貢献することを願う彼女の言葉に、僕は心を揺さぶられずにはいられなかった。彼女の勇気と決意、そして強さは、2024年10月に公開したドキュメンタリー映画『私は憎まない』に登場するガザ出身の医師、イゼルディン・アブラエーシュ博士に近いものを感じる(「真の平和を提唱し、憎しみの連鎖を断つガザ出身の医師の決意」、ドットワールド2024年9月11日掲載)。 

リタさんにニールオズ内を案内いただいた(2025年3月28日、筆者撮影)

 当然のことながら、家族や友人を失う心の痛みに立場の違いはない。イスラエルの住民か、ガザ地区の住民かによらず、憎しみを超越して両者の平和を願い、実現を模索している人々は確かに存在しているという事実にかすかな希望の兆しを感じた訪問となった。

 とはいえ、現在、状況は深刻を極めている。このままイスラエルが報復攻撃としてガザ地区に対する空爆や完全封鎖を続ける限り、ガザ地区の人々はますます死の淵に追いやられていく。それだけではない。あの日、人質としてハマスによって拉致されたイスラエル人の生存も、一層、危うくなるのだ。ともあれ、即時停戦の実現と、ガザ地区への緊急支援物資の搬入、そして、いまだ囚われたままの人質の解放を、強く求めている。

 以下は、今回、ニールオズを訪問中に撮影したショートドキュメンタリーである。「あの日」の悲劇がそのまま残るグラウンドゼロの今を、ぜひご覧いただきたい。

 

 

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