【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実①】写真家らが語る難民の果てなき逃避行
迫害を逃れ、安心して生きられる場所を求めて
- 2022/11/5
「ミャンマーを忘れないで」。10月8日、タイのバンコク芸術文化センターの一角に、若きミャンマー人の写真家の声が響いた。同会場で開催中の (果てなき逃避行:ミャンマーからタイへ)』の特別企画として行われたトークイベントでの一幕だ。登壇したのは、タイ・ミャンマー国境で活動する写真家や人権活動家ら4人。登壇者らは、2021年2月のミャンマー軍事クーデター後にタイに逃れてきた難民を、タイ政府が追い返していると批判。加えて、40年前から国境の難民キャンプに住む人々でさえ、今も基本的人権が保証されていないと語った。
ミャンマー国内では開催できない写真展
赤ちゃんを腕に抱き、こわばった顔であたりを見まわす祖母。竹とブルーシートでつくられた粗末な小屋が立ち並ぶ、川沿いの遠景。川の向こうにいるミャンマー国内避難民に、ボートで大量の弁当を運ぶタイ人の青年たち・・・。トークイベント会場の外のホールに展示された50枚ほどの写真には、ミャンマーの人々が軍からの迫害を逃れ、タイとの国境の川沿いで生きる日常が切り取られている。
これらの写真はすべて、ミャンマー人の写真家によって撮影されたものだ。だが、こうした写真展を、今、ミャンマー国内で開催することは、不可能に近い。たとえ婉曲的であっても、軍による統治を批判すれば、反逆罪が課され、当局に捕まる危険があるからだ。トークイベントに登壇した、ヤンゴン出身の写真家、アウンナインソー氏はこう話す。「もしミャンマーでこんな写真展を開催したら、その日が人生最後の日になるかもしれない」。
しかし彼は、ジャーナリストだけが特別にターゲットにされているわけではない、と強調する。「今のミャンマーでは、あらゆる人が危険と隣り合わせで生きているのです」。
ピンポンのように往来するミャンマー人
軍の迫害を逃れ、川を越えてタイに流入するミャンマー人の数は、2021年2月クーデター以降、激増した。2022年10月までの1年8カ月で、公式には2万2186人(10月3日、タイ政府発表)とされるが、タイ政府に隠れて越境する人数を合わせると、それをはるかに超える。
こうした人々の中には、国境に近いカレン州などから、戦闘や空爆などを逃れてきた人だけでなく、ヤンゴンなど国境から離れた都市部で、反軍政運動に参加し、ミャンマー当局から追われている人も多い。双方とも、ミャンマーに戻れば、安全な生存が保証されない人々だ。
しかし、本来こうした人々を保護すべきタイ政府は、彼らを難民として認めていない。登壇者の一人、国際人権NGOフォーティファイ・ライツ(Fortify Rights)の人権擁護の専門家、パトリック フォンサトロン氏は、タイ政府は難民条約を批准しておらず、難民の入国を認めなかったり、強制的にミャンマーに追い返したりしている、と批判した。
「タイの治安部隊は、クーデター以降ミャンマーから逃れてきたミャンマー人を、難民キャンプではなく、一時安全区域(Temporary Safety Area:TSA)と呼ばれる場所に収容します。しかし、このTSAの実態は、当局しか知りません。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)をはじめ、あらゆる国際機関の立ち入りが許可されていないからです。TSAがどのように運営され、難民がどのように保護されているのか・・・確かなことはわかりません。ただ、『刑務所より悪い』という話は漏れ聞こえてきます」。
TSAは、“Temporary”の名が示す通り、あくまで一時的な、避難所のような扱いだ。パトリック氏は、こう説明する。「タイ政府が難民として受け入れないために、ミャンマーの人々は強制的にミャンマーに押し戻され、空爆などが始まると再びタイに逃げてくる・・・川を越えてピンポンのように行ったり来たりする状況に陥っています」。
この発言を裏付けるような現状が、つい最近も起きている。タイ政府の発表によると、2022年9月、ターク県ポップラ郡に、川を越えて210人のミャンマー難民がたどり着き、TSAに収容された。だが、このTSAは、全ての難民が「ミャンマーに帰還」したとして、9月30日に閉鎖。すると10月2日、再びミャンマーから川を越えて、難民がタイ側に到着。UNHCRによると、政府は別の場所にある僧院に、新たにTSAをつくったという。
命がけの越境
タイの国境警備警察による強制送還を恐れて、難民たちは隠れて川を渡る。ブローカーに1万5000〜2万バーツ(約6万〜8万円)ほどを支払って越境する難民も多いという。トークイベントの登壇者の一人、ローラ シーゲル氏は、そうした中で起きた悲劇について語った。
「ちょうど昨日、悲しい事故が起きました。25歳の女性教師が、夫とともにカヤー州から国境を流れる川を渡りました。ところがタイ側に着くと、タイ警察が彼女たちを追ってきたのです。彼女はパニックに陥り、川に飛び込んで、命を落としました。こうした出来事は、毎日のように起きています。これは、人為的な事故です。もし迫害から逃れる人々に、きちんと避難先を探す手段が与えられていたなら、彼女は死なずに済んだでしょう」。
ミャンマーの避難民は、自国の軍による直接的な弾圧から逃れた先でも、なお生命の危険にさらされているのだ。仮に、タイ警察の目を逃れて無事にタイへと越境できたとしても、今度は「不法滞在者」として、警察に怯える暮らしを余儀なくされている。
もう1種類の難民
パトリック氏は、こうした厳しい状況の背景には、もう1種類の、いわば“古い難民”の存在があると指摘する。彼らの多くは、カレン族やシャン族などの少数民族で、40年ほど前からタイに定着し始めた。国際移住機関(IOM)の発表によれば、現在9つの難民キャンプに合計9万1,400人、さらにキャンプの外の町や村にも5,000人以上が住んでいる。彼らの多くは、ミャンマー軍と少数民族武装勢力との内戦から逃れてきた人々だが、のちに彼らを頼って、よりよい住環境や教育などを求めてタイ側に渡る人も増えた。
パトリック氏は、こうした状況が、2021年以降の“新しい難民”の受け入れを、タイ政府が拒否する原因になっているとの見方を示す。「タイ政府は、40年間続いてきた問題を、これ以上繰り返したくない。だから、ミャンマー難民が大量に流入・定着することを恐れて、彼らを難民と認めず、ミャンマーに追い返しているのです」。
さらに、シーゲル氏は、こうしたミャンマー難民を支援してきた国際社会の姿勢も、時を経て変化してきた、と指摘する。「40年前から、多くの援助機関が、難民キャンプに住むミャンマー人を支援してきました。ところが2015年にミャンマーで民主政権が誕生すると、多くの援助機関は『ミャンマーの状況は落ち着いた』と考え、一斉に国境から引き上げたのです。こうして支援が手薄になった状況下で起きたのが、2021年の軍事クーデターでした」。
つまり、国境地帯で暮らすミャンマーの人々は、皮肉にも、民主主義の5年間を経たために、より厳しい状況に置かれてしまったことになる。