ミャンマー(ビルマ)知・動・説の行方(第15話)
〈シャン文化圏〉で考えるとは

 民族をどうとらえるか―。各地で民族問題や紛争が絶えない世界のいまを理解するために、この問いが持つ重みがかつてないほど高まっているなか、文化人類学者で広島大学名誉教授の髙谷紀夫さんが、多民族国家であるにもかかわらず民族の観点から語られることが少ないミャンマー社会について立体的、かつ柔軟に読み解いてきた連載も、いよいよ今回が最終回です。
 現地では、2021年2月のクーデター後、国内の混乱が続いているなか、今年3月末には未曾有の大地震に見舞われ、深刻な被害が出ています。さまざまな民族が、時に国境を超えて特異な関係を築きつつ、民族、宗教、言語のさまざまな≪多≫の交錯の中で独特な文化と歴史を築いてきた人々の平和と安寧の日々が一日も早く戻ってくることを願いながらお届けします。

ミャンマーと中国との国境の街ムセーで開かれた「シャン新年祝賀会」の開会式の様子。 神獣に扮するトー踊りと、神話上の鳥に扮した踊り手が鳥の動きや羽をはばたかせて舞うキナラ・キナリ踊りという 形式化・儀礼化・標準化された二種の「シャン」のパフォーマンスが披露された(2019年11月28日、筆者撮影)

ムセーで開かれたシャン新年祝賀会(2019年11月27~28日)

 連載の最終回は、シャン文芸文化協会のムセー支部から招待を受け、中国国境の街ムセーで2019年に開かれた新年祝賀会に参加した時のことを振り返りたい。

 ムセーは、筆者にとって憧れの地だった。中部に位置する古都マンダレーから車で北部シャン州内を移動していると、道路脇に立てられた標識に「ムセーまであと何マイル」と記されているのを何度も目にしたためだ。中国とシャン州を結ぶこの陸路、現国道3号線(アジアハイウェー14号線)は、歴史的には、かつて日中戦争で大日本帝国と中華民国国民政府が対立した際、主にイギリス、アメリカ、ソ連が国民政府を軍事援助するために用いた輸送路、いわゆる「援蒋ルート」の一つだ。特に、北部シャン州の中心地ラショーと中国雲南省の昆明を結ぶ幹線道路は、通称「ビルマ公路」とも呼ばれ、時代に翻弄されてきた物資往来の大動脈である。

 このビルマ公路の沿線地帯では、1948年にイギリスから独立後も国軍と少数民族武装勢力の抗争が断続的に勃発し、政情不安が払拭されることはなかった。実際、この年、ラショーからムセーに向かう車窓からは、爆破されて焼け焦げた車が道端に放置されているのが何台か見えた。

ムセー市内の様子(2019年11月27日、筆者撮影)

 ムセー市内に入ると、中国・雲南省ナンバーの車が当たり前のように行き交い、中国との往来や交流が盛んな様子が伝わってきた。そうしたなか、シャン系の人々は多様性と共通性を併せ持ちながら〈シャン文化圏〉を形成してきた。

 このうち多様性は、たとえば新年を祝う時期の違いに見ることができる。ミャンマーやタイ王国、そして中国雲南省西双版納(シーサンパンナ)タイ族自治州では西暦の4月中旬の水掛け祭りを年の変わり目としているのに対し、ミャンマー国内と中国雲南省徳宏(デーホン)地区に住むシャン系の人々は、シャン暦の1月、すなわち西暦の11〜12月に新年を祝うといった具合だ。

 一方、共通性としては、仏教信仰の強さが挙げられる。2019年にムセーで開かれたシャン新年祝賀会がルウェテインカン寺院(シャン語でワット・ロイトゥンカン)という仏教寺院で開かれたことにも、それがよく表れている。集まりやすく、宿泊しやすいという立地上の理由に加え、人々にとって共通の神聖な場所であるため、会場として受け入れられやすかったのだ。事実、シャン族の中で仏教徒の割合は99%に上り、キリスト教徒はわずか1%に過ぎない。

ムセーで開かれたシャン仏教徒による新年祝賀会に参加した仏教徒たち(2019年11月27日、筆者撮影)

 祝賀会の式次第にもシャン僧侶を迎えた仏教行事が組み込まれ、かつてマンダレーやパンロンで開かれたシャン文芸遺産(リックロン)会議(第11話、第12話参照)で出会ったシャンの高僧が司祭を務めていた。ムセーで出会ったシャンのバプティスト宣教師も、「シャン族にとって宗教的(仏教的)なアイデンティティと民族的なアイデンティティには重なり合う部分が大きい」と話していた。

「シャンになる」ための仕掛けの具現化

 ムセーでは、シャン新年祝賀会の歴史に関するワークショップも開かれた。外国人研究者である筆者を招いたことが一つのきっかけとなって僧俗両方の関係者が資料を持ち寄り、意見交換が行われたのだ。これにより、以前はそれぞれの地元で開かれていた新年祝賀会が、1970年頃よりムセーで合同で祝われるようになった歴史を皆で確認し、共有した。

 時代が前後するが、第7話で紹介した通り、1968年にシャン州都タウンジーでシャンの民族意識の復興と継承を目指す「シャン文芸功労者の日」の祝賀会(シャン語でポイ・クーモー・タイ)が初めて開かれた。近年は北部シャン州が開催の中心地となっているようだが、第13話で紹介した通り、2018年にラショーで開かれた新年祝賀会には、「シャン文芸功労者」を顕彰する50周年記念行事が組み込まれていた。

 この1968年は、ヤンゴンとマンダレーの学生を中心とする新シャン字体普及ボランティアたちが、「五つのシャン基本的技能(シャン語でマ・ハ・トゥ)」をスローガンに掲げて活動を開始した年でもあった。1960年代後半から1970年代は、シャンの民族意識を継承しようという動きが芽生え、「シャンになる」ための仕掛けの具現化に積極的に取り組み始めた時期だったのではないだろうか。

 また、ヤンゴン大学のリーダー格の学生4人のうち一人は、ムセー出身だった。ムセーが中国との国境に位置しているという地理的な条件が、物資の輸送のハブとしてシャンの民族意識を醸成する文化イベントを開催する財政基盤を支えていたという経済面も見逃せない。

ムセーからマンダレーに向かう道中で見かけたオートバイの運び屋(2019年11月29日、筆者撮影)

 なお、ムセーの新年祝賀会が終わると、マンダレーまで知人の車に同乗した。直前にピンウールウィンの国軍士官学校付近に砲弾が撃ち込まれたということで、検問は厳しかったが、シャン新年行事の関係者であることがお墨付きになったのか、問題なく通行できた。道中、中国からマンダレーに向かうオートバイの運び屋がわれわれの車にしばらく並走した。二千年にわたり脈々と受け継がれてきた物流が現代に息づいていることを目の当たりにした思いだった。

民族を越えた共存関係 自民族史をアピールする動きも

 シャンとその周辺民族の交流については、2018年にラショーで出席した全国シャン新年祝賀会(第13話参照)で紹介した通り、シャン系ではない人々、たとえばカチン系の諸民族も祝賀会に参加していた事実が注目される。第5話で引用した英国人類学者リーチの指摘の通り、特にシャン系の人々とカチン系の人々は、現在のカチン州からムセー周辺の北部シャン州、そして国境を挟んだ中国雲南省徳宏タイ族ジンポー族自治州にかけて、長年にわたり民族を越えた共存関係を当たり前のように築いてきた。

 もっとも、筆者が2012年と2018年に全国シャン新年祝賀会に参加した際、ヤンゴンから同行してくれたタイ・カムティ族の男性は、こうしたシャンとカチンの共存関係が薄れつつあるのを憂いていた。彼は、1996年にヤンゴンで第48回「カチン州の日」が開かれた際、息子と娘にカチン風の服装を着せたという。後日、彼からその映像を送ってもらったが、それ以降はそうした話を耳にすることがなかった。シャンとカチンの間には、両者を隔てる透明なガラスの壁があるように感じる。

ムセーで開かれたシャン新年祝賀会の開会式に出席したカチン系の来賓(2019年11月28日、筆者撮影)

 一方、ムセー近隣の街の中で特筆すべきなのは、セーランの成り立ちだ。シャンの年代記に登場するムアン・マオ王国ゆかりの地で、11~13世紀に栄えたバガン王国時代にアノーヤター王の妻となったソーモンフラを記念するパゴダも建立されている。

バガン王国時代にアノーヤター王の妻となったソーモンフラを記念するパゴダ(2019年11月27日、筆者撮影)

 ソーモンフラの出自には、諸説ある。19世紀後半から編集されたビルマ王統記『玻璃王宮大王統史』ではムアン・マオの9つの国の王女だと記されている一方、英領植民地期の調査報告書ではシポー(ビルマ語でティボー)・ツァオパーの娘だとされている。

 もっとも、ソーモンフラがどのツァオパーの娘であるかは問題ではない。伝承を形成するうえで重要なのは、彼女がシャンの伝統的な首長であるツァオパーの娘で、ビルマ宮廷とも関わりがあるという経歴であり、そうした彼女の背景は、ビルマとシャンという異なる民族間の関係史の文脈から解釈されるべきなのである。

シャンの歴史上、重要なスーカンファ―大王の偉業を讃えて2017年に造営された石碑(左)とパビリオン(右)(2019年11月27日、筆者撮影)

 

 なお、セーランには2008年、シャンの歴史上、重要なスーカンファー大王の偉業を讃えるパビリオンが建設され、2017年には石碑も造営された。2019年にはソーモンフラの博物館も開館するなど、同地ではシャンの自民族史を来訪者に視覚的にアピールする動きが高まっている。

共存と対立の中で展開してきた≪多≫の座標系のリアリティ

 《多》民族国家ミャンマー(ビルマ)の文化と社会のリアリティに迫ろうとすると、民族の団結を謳う国家の枠組みを前提にした横並びの民族観と、それを超えた民族観の両方を考慮する大切さを痛感する。

 第3話では、2月7日を「シャン民族の日」と呼ぶのか、「シャン州の日」と呼ぶのかで見解が分かれることを紹介した。歴史を遡ると「シャン民族の日」という呼称が1947年に決定されたが、国軍のプレゼンスを背景にした〈ビルマ化〉のモーメントの下、公的には「シャン州の日」が用いられる一方、「シャン民族の日」という呼称を堅持する少数民族武装勢力もいる。
 また、第5話では、カチン州とザガイン管区に多数のタイ・リェン(ビルマ語でシャン・ニー)と呼ばれる人々が居住していることを紹介した。その後、筆者は2025年2月、彼らのウェブサイトに2月7日の呼称に関するコラムが掲載されたのを目にした。「もともと2月7日は<シャン民族の日>として祝賀していたが、軍事政権によってシャン文芸文化組織が解体されて<シャン州の日>と呼ばれることになったことから、シャン州に住んでいないシャン民族は疎外感を抱いている」という内容で、軍事政権が主導する〈ビルマ化〉の影響と、シャン州を舞台にした〈シャンのシャン化〉(第7話参照)に対するタイ・リェンの人々の焦燥感と危機感が伝わってきた。シャン系の人々の自民族意識には、苦悩を伴う多様性がある。

ムセー市内では、中国雲南省ナンバーの車をしばしば見かけた(2019年11月26日、筆者撮影)

 一方、シャン州内でも近年、新たな動きが見られる。内務省傘下の総務局が出した2019年の報告書に、1983年の国勢調査で類別されたシャン群の33民族には含まれていなかった民族がいくつか新たに加わったのだ。主に北部シャン州クッカイ郡に居住するモンワン族がその一つである。彼らは、文化的には33民族の一つであるコーカン族に近い中国系の民族であり、公定民族として認めてほしいと1980年に政府に請願書を出していた。その後、政府の許可を得て2006年に出版されたモンワン民族誌には、国軍との蜜月ぶりを示す写真が多く掲載されている。

 さらに、タノー民族も新たに加わった。筆者は2025年3月、南部シャン州で第1回「タノー民族の日」の祝賀会が開かれたことをインターネット上の記事で知った。記事によれば、タノー族は言語学的にはパラウン族や“ワ”族と同系で、パラウン族とシャン族の混血だという。

 こうした事実は、モンワン族やタノー族の存在が政府に認知されつつあることを示している。民族誌の出版も、民族の日の祝賀も、〈シャン文化圏〉における多様化と細分化した民族意識の萌芽であり、新たな自己主張の動きだと筆者は見ている。

ムセーでシャン新年祝賀会が開かれた翌29日からは、雲南省徳宏(デーホン)タイ族ジンポー族自治州でも2日間にわたり祝賀会が開かれると聞いた。写真は、ムセーのシャン文芸文化協会に届いた招待状。国境を越えて互いに行き来し、交流している様子が伝わってきた(2019年11月26日、筆者撮影)

 しかし、多様化・細分化した民族意識が今後、連帯や共存より、民族自治地域の拡大や新たな民族州の獲得へと向かった場合は、民族間の分断や対立が激化する危険性がある。特に、2021年2月にクーデターが起きて以降、その傾向が強まっていると筆者は感じる。軍事政権と民主派勢力の間にとどまらず、民族間や同系の民族同士でも、戦闘や抗争が断続的に起きている。今後も、国境をまたぐ中国の存在感と影響力を考慮しつつ、〈シャン文化圏〉の諸民族の動向から目が離せない。

ムセーで開かれたシャン新年祝賀会の参加者と筆者(右端)(2019年11月28日、筆者提供)

 これまで見てきたように、ミャンマー(ビルマ)における民族・宗教・言語の《多》の座標系のリアリティは、マジョリティである「ビルマ語を母語とするビルマ族仏教徒」の存在を基軸に、マジョリティとマイノリティの共存と対立、そしてマイノリティ同士の共存と対立という構図の中で展開してきた。〈ビルマ化〉の流れの中でマイノリティの文化と社会だけが変化してきたのではなく、時に取り込まれ、時に抗い、時に競い合いながら相克してきたのだ。そう考えると、「Aという民族はA語を母語とし、A文化を保持している」という横並びの民族の見方は、民族同士の共存と対立の歴史をまったく考慮しない、表層的なものだと言えよう。

 筆者は、ミャンマー(ビルマ)とその周辺地域において、《多》の座標系と交錯する〈シャン文化圏〉の多様性と動態を念頭に置きつつ、「シャンである」ことと「シャンになる」ことのリアリティについて「知・動・説」のサイクルで考え続けている。今回の連載が、読者の皆さんにとって、立体的で柔軟な民族観を構築し、ミャンマー(ビルマ)を理解する一助になったなら幸いである。 【連載完】

 

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