中国がベトナム重視の周辺外交を始動
米中新冷戦のカギ握るASEANに日本はどう働きかけるか

  • 2025/5/25

 中国の習近平国家主席は4月、「周辺運命共同体」という新しいフレーズを外交方針として打ち出した。習氏はもともと「人類運命共同体」というスローガンを掲げてきたが、これからは「周辺」、つまり近隣諸国との外交関係の強化に向けて外交資源を傾斜していくということらしい。

ベトナムを訪問し、トー・ラム書記長中(右)と会談した中国の習近平国家主席(左) (2025年4月15日撮影)© 新華社/アフロ

「人類全体」より近隣国家の取り込みへ

 習近平国家主席は4月8日から2日間、北京で急遽、開催された中央周辺工作会議に出席した。これは、周辺地域に関する活動方針を話し合うために開かれたもの。会議の席上、習氏は重要演説を行い、「周辺国との運命共同体の構築に焦点を当て、周辺工作、すなわち周辺国家や近隣国家への外交活動、工作、任務などにおいて新局面を展開するよう努力せよ」と訴えた。
 具体的には、まず「隣国がなぜ重要なのか?」と問いかけ、「我が国は国境が長く、広大な国である」と指摘。「地理的、自然環境、相互関係のいずれにおいても、近隣諸国はわが国にとって戦略的に非常に重要である」「平和が門前にあれば、我々は安心して、しっかりと自分のことをうまくできる」「周辺は中国が背中を任せて安心を得られる場所であり、ともに発展と繁栄の基盤である」「アジアは私たちの共通の故郷であり、周辺は離れることのできない隣人である」「周辺のために成功を収めることは、私たち自身を助けることである」などと述べた。さらに、「運命共同体の構築はアジアから始まる」として、アジアの重要性を強調した。
 特に注目されるのが、周辺外交の戦略的な意義を強調していた点である。習氏は周辺地域について、「中国にとって発展と繁栄のための重要な基盤であるとともに、国家の安全保障のカギを握る外交上の最優先事項であり、人類運命共同体の構築を促進するカギも握っている」「グローバルな視点から周辺国家との関係を見直し、周辺工作の改善に向けて責任感と使命感を高めるべきだ 」「今日、わが国と周辺国家の関係は、近代が始まって以来、最も良好であると同時に、周辺国の枠組みと世界の政局が連動する重要な段階に入っている」とも発言した。

 中国はこれまで、国境を接する隣国とは緊張関係にあり、遠方の国家とは協力関係を築くという「多極外交」を伝統的に重視してきた。それが、2025年に入って、外交の軸足をより周辺国家にシフトしようとしている。これはおそらく、アメリカのトランプ政権による対中デカップリング政策を受けた対応だと言えよう。つまり、中国は、米国や西側諸国との融和を図るよりも、近隣国家を味方の陣営に取り込み、来たる米中新冷戦に備えようとしていると解釈できる。

三角関係のただなかにあるベトナム

 この演説を行った後、習近平国家主席は4月14日から18日にかけてインドシナ半島を回り、ベトナム,マレーシア、そしてカンボジアの三カ国を国事訪問した。ベトナムは2025年初の外遊先となったことから、習氏が周辺国家の中で最も意識しているのは、ベトナムをはじめとする東南アジア諸国であると見られる。

ベトナムのトー・ラム書記長(2024年5月22日撮影) © Truyền hình Hưng Yên – HYTV / Wikimedia commons

 ベトナムは中国と同じ共産党政権の、いわば兄弟国である。同国のトー・ラム現書記長は、ベトナム共産党内で親米派の粛清を進めてきた独裁者気質の人物であり、習近平とも気が合う。さらに、ベトナムは東南アジアで最も人口が多く、経済成長ポンテンシャルも高い。そのため、アメリカで2017年に発足した一期目のトランプ政権との間で貿易戦争が勃発した際は、関税を回避するために多くの中国企業がベトナムに工場を移転した。

 さらに言えば、ベトナムは東南アジアで最も強力な軍事力を持つ国家でもある。ベトナムに対して中越戦争(1978年)、中越国境紛争(1984年)と、二度にわたり戦争を仕掛けた中国は、その底力をよく知っているうえ、南シナ海の島々の領有権をめぐり、現在も激しい衝突を繰り返している。ベトナム側にしてみれば、中国はいまなお信用できない国だという警戒がぬぐえないだろう。

ベトナムのトー・ラム書記長(左)とニューヨークで会談したアメリカのジョー・バイデン前大統領(2024年9月25日撮影)© / wikimediacommons

 一方、アメリカは、東南アジア随一の経済大国予備軍であると同時に東南アジア随一の軍事力を誇るベトナムを西側に取り込むことが、対中デカップリング政策のカギを握ると見ている。実際、アメリカの民主党政権は、アジアへのリバランス政策に舵を切った後、ベトナムに急接近した。その後、共和党のトランプ政権もベトナムに対して高い関税率を発表したうえで、ベトナムと積極的に交渉し、対中デカップリングに協力させようとしている。ベトナムにとってすでに最大貿易相手国は米国であり、ベトナム経済の米国依存度は高まっている。

 つまり、ベトナムは今、米国と中国の双方から猛烈にアプローチを受けて選択を迫られている、三角関係のただなかにあると言えよう。

 もっとも、ベトナムは「小中華」と呼ばれる通り、中国の文化や考え方とかなり通じる部分がある。プライドが高く、メンツを重んじるのも、中国と同じだ。このため、中国が軍事的な恫喝や経済制裁などで圧力をかけても、簡単に屈することはないだろう。

 他方、ベトナムではまがりなりにも選挙が実施されており、自由主義経済の恩恵を享受している人々の、豊かさと自由さに対する要求はこれまで以上に強まっている。こう考えると、ベトナムが米国陣営に取り込まれる可能性は、ロシアが米国陣営に取り込まれる可能性よりも高いと見られている。

ターゲットが変わった「逆キッシンジャー戦略」

 とはいえ、中国にしてみれば、ベトナムを絶対に米国陣営に行かせるわけにはいかない大きな理由がある。その背景には、過去の歴史がある。

 中国の毛沢東・初代国家主席は晩年、当時のソ連と対抗するために米国との接近を図り、ソ連に対する国民の敵愾心を高めた。その後、1980年代に主席となった鄧小平氏は、米国資本と市場に完全に依存して中国経済を成長させ、強国化する方針へと舵を切った。これが世界の変局をもたらし、旧ソ連の崩壊が現実となったのだが、この米国の外交戦略を推し進めたのが、キッシンジャー米国務長官(当時)だったと言われている。

 もしも今、ベトナムのトー・ラム書記長や、その後継者らがかつての毛沢東氏や鄧小平氏と同じ決断をしたら、世界はどうなるか――。社会主義国家として中国の弟分であったベトナムが、米国と協力して中国共産党を崩壊させるというシナリオもあり得るのではないか。

第二次世界大戦におけるナチス・ドイツに対する勝利から80周年を記念してモスクワ中心部の赤の広場で開かれた戦勝記念日の軍事パレードに出席したプーチン大統領(右)と、中国の習近平国家主席(左)(2025年5月9日撮影)(c)Ivan Sekretarev/Mikhail Korytov/Host agency RIA Novosti/ロイター/アフロ

 トランプ政権がロシア・ウクライナ戦争において、ウクライナに対して厳しい態度に出る一方、ロシアに対して甘いのは、「逆キッシンジャー戦略」、すなわちロシアを西側陣営に引き込み、中国を孤立させることで中国共産党体制を崩壊させることを狙っているためだと多くの人々は信じている。もっとも、習近平国家主席がロシアの戦勝80周年記念式典に合わせて5月にロシアを訪問した際に行われた首脳会談とその後の共同声明を見る限り、両国の蜜月関係は強固であり、長期にわたって続くと見られ、トランプ大統領の「逆キッシンジャー戦略」は挫折しかかっている印象を受ける。だが、仮にそのターゲットが、ロシアからベトナムに変わったとしても、逆キッシンジャー戦略の目的には近付けるのではないか。

 ベトナムは、当時の中国より国としての規模は小さいが、ポテンシャルは高い。かつて米国と戦争もあったが、その歴史は今日に引きずってはいない。こう考えると、ベトナム人が一層の豊かさと発展を求めた時に、中国陣営と米国西側陣営のどちらに就くかという選択が、今後の世界の新たな秩序と枠組みを決める可能性がある。

中ロの蜜月で日台に迫る安全保障リスク

 5月上旬にモスクワで会談した習近平国家主席とプーチン大統領の共同声明には、軍事協力関係のレベルアップが盛り込まれた。このなかで、ロシア側は台湾を中国領土であると承認すると同時に、日本に対して中ロが連携して歴史戦を仕掛けることを表明した。これを受け、もしも中国が台湾を併合しようとしたり、その先にある尖閣諸島、沖縄に対する日本の主権を侵害したりする行為に出た場合は、ロシアが中国の準同盟国として振る舞う可能性がこれまで以上に高まった。日本にとってみれば、中国とロシアに挟まれ、安全保障上のリスクに直面することになる。

固い握手を交わすロシアのウラジミール・プーチン大統領(左)と中国の習近平国家主席(右) (2024年5月16日、北京で撮影)© Kremlin.ru / wikimediacommons

 そのリスクを軽減するうえでカギを握るのは、東南アジア諸国連合(ASEAN)との連携だ。東南アジアの国々が米国陣営について中国を牽制する勢力になれば、日本や台湾のリスクはそれだけ小さくなる。経済的に軍事的にもか弱い東南アジア諸国が、米中対立のはざまで極めて慎重に、風見鶏のように外交のかじ取りを行っているなか、域内最強の軍を有し、経済的なポテンシャルが高いベトナムが米中のデカップリングに参加すれば、ASEAN全体の選択にも大きな影響を与えるものと思われる。

 その意味から、アメリカも中国も、今後、国際社会の経済・安全保障の枠組みを再構築するキーマンとして、ベトナムの存在を大いに意識せざるを得ない。

 中国とロシアの間の蜜月が再確認されたタイミングで、アメリカと中国は、関税戦争に90日のモラトリアム期間を設けることで合意した。これが米中融和につながるのか、それとも新たな戦いに入る前の一時的な「凪」に過ぎないのかを判断するためには、まだ材料が十分にそろっていない。しかし、外交を語る際は常に最悪の状態を想定する必要があるというのであれば、日本には、ベトナムをはじめ東南アジアの国々を親米路線にまとめる役割があると私は見ている。

 

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