「尊厳なき生」を生き抜く ヨルダン川西岸 パレスチナ難民の祈り
日本人カメラマン 高橋美香さんのまなざし

  • 2024/9/16

 「すべてを我慢して、ただ食って、寝て、排泄して・・・それで『生きている』って言えるのか?」

 パレスチナ自治区、ヨルダン川西岸地区。絶望と希望の間で揺らぎながら、生きる人々がいる。冒頭の問いに現地で繰り返し直面した、と話すのは、西岸地区に20年以上通い続ける日本人の写真家、高橋美香さんだ。西岸地区では長年、イスラエルによる苛烈な占領政策が続いてきたが、2023年10月のガザ侵攻以降、暴力が激化している。そうしたなか、高橋さんは同年12月より、親交のある難民キャンプの家庭に2カ月間にわたり「居候」し、苦しみや喜びを共にしてきた。

破壊される難民キャンプ

 西岸地区の北部にあるジェニン難民キャンプに入った高橋さんがまず体験したのは、数日おきの軍事侵攻だった。「あれほどの頻度は、私が経験したなかでは初めてでした」と振り返る。「イスラエル兵は、夜中にドンドン!と戸を叩き、玄関をこじ開けて侵入しては、“武器を隠しているだろう”と言いがかりをつけて家中の物を引っ張り出し、窓ガラスを割り、家具を倒して去っていく。そうした行為を、捜索と称してキャンプ中で繰り返していました」。

 自宅前の道路、水道や下水管も、軍用ブルドーザーで破壊された。「数日がかりでようやく修復しても、その夜にはまた壊される。私が滞在していた間中、それが延々と繰り返されていました」と高橋さんは話す。そのたびに人々は、「私たちが何をしたというのか」と悲痛な声を上げていたという。

一晩かけて破壊された難民キャンプの通りで遊ぶ子どもたち(2024年、ジェニン難民キャンプ)(高橋美香さん提供)

 なぜ難民の人々がこんな目に遭うのか。高橋さんによれば、この難民キャンプは、イスラエルに対する軍事抵抗組織の拠点と見なされているのだという。とはいえ、実際には高橋さんの「居候先」の家族をはじめ、明らかに民間人も標的にされているのが現実だ。

 「住民をみんなまとめて懲罰的に苦しめる、いわゆるドミサイド(住居の大規模かつ意図的な破壊)です。でも、すでに難民である彼らに、これ以上逃れる場所などないのです」

 インフラの破壊だけでなく、人命も容赦なく奪われている。国連によると、西岸地区では2023年10月7日から2024年9月2日までの11カ月間で、少なくとも652人のパレスチナ人が殺害され、その中には156人の子どもが含まれるという。

「真綿で首を絞められる」日々

 だが、こうした状況は今に始まったことではない。「自治区」とは名ばかりで、西岸地区の6割以上の土地では、行政も警察もイスラエル軍が握っており、苛烈な占領政策が敷かれている。理由もなく屈辱的な取り調べを受けるなど、嫌がらせや暴力は日常茶飯事だ。

 何よりイスラエル軍は、パレスチナ人の土地、特に水源地や肥沃な土地をユダヤ人の入植地として奪い、それに抗議する人々を銃で弾圧してきた。しかも彼らは、罪なきパレスチナ人を殺害しても罪に問われることもない。なぜなら、イスラエル政府は「対テロ作戦」によって「パレスチナの戦闘員」あるいは「テロリスト」が死亡した、と発表し、国際社会もそれを鵜呑みにしてきたからだ。

 高橋さんの著書『それでもパレスチナに木を植える』(2016年、未来社)では、西岸の人々の苦境が描かれている。例えば、イスラエル人の入植者と隣り合って暮らす家族の話だ。

 「一家は毎日のように近隣の入植者から脅され、暴力を振るわれている。お父さんは通りで兵士に捕まり、殺すと脅されたあと、電線に引っかかった旗を指さされ、『あれを取ってきたら許してやる』と言われて旗を取ろうとした瞬間に感電し、患部を切断するしかなくなったという過去をもつ。息子のユーセフは入植者の女に捕まり、口に石を詰められたことがある」

 こうした現状に必死で抗議するパレスチナ人もいる。高橋さんも以前は、彼らと共にデモの前線に立っていた。同著には、そこで目撃した光景も描写されている。

 「非暴力でのデモを自ら体現するために、幼い娘を片腕に抱いて、もう一方の手にパレスチナの旗を持ったファルハーン親子の至近距離にも、催涙弾が打ち込まれた。『ここには幼い子どもがいるんだぞ!アンタに心はあるのか?』と必死の形相で訴える彼の声が響く。そこに、家畜の排泄物と化学薬品を混ぜた緑色の汚水が浴びせられた。」

分離壁建設予定地に張られたフェンスの前で分離壁反対デモをおこなう村人たち(2010年、ビリン)(高橋美香さん提供)

 イスラム組織ハマスが2023年10月7日にイスラエルを奇襲したのは、こうした不条理が、イスラエルの建国以来75年以上も続いた末のことだった。高橋さんはこう話す。「(ハマスの攻撃は)突然起きたことではなく、何十年もの間、毎日ずっと積み重なってきたことの結果です」

 「西岸地区は、ガザのように、毎日爆撃されたり、何万人も殺されたりするわけではありません。しかし、じわじわと住む場所を奪われ、生活を壊され…、真綿で首を絞められるような日々が続いてきました」

 昨年以来、さらに悪化した状況に、「もうウンザリだ、いつ終わるんだ」と嘆く現地の人々の声をよく聞いたという。「私も本当にウンザリです」と高橋さんは力なく笑う。

「停戦」に歓喜した家族

 皮肉なことに、ガザで史上最悪のジェノサイドが起きたことで、パレスチナはようやく国際社会の注目を集めるようになった。だが、これまで数十年にわたって世界から見過ごされてきた人々の絶望は深い。

 高橋さんが、そのことを痛感したエピソードがある。2024年1月26日、国際司法裁判所がイスラエルに対してガザでのジェノサイドを防ぐ対策をとるように暫定命令を出した時のことだ。ジェニン難民キャンプで、ニュース番組を食い入るように見ていた高橋さんに、家族はこう言ったのだ。「茶番だよ。何かが本当に変わるとは思えない。そんなの見ていないで、さぁミカ、ご飯を食べよう」。

 「彼らはとても冷静でした。長年にわたりこれでもかというほど不条理を味わってきただけに、いちいち熱くなったり踊らされたりしないのでしょう」と高橋さんは振り返る。

 だが、そんな彼らが熱狂したことが一度だけあった。停戦の噂が流れた時だ。「本当だろうか」と訝しむ高橋さんを横目に、「家族」は「停戦だ!停戦だ!」と盛り上がり、踊り出したという。「信じたかったんだと思います。停戦になれば、これ以上、破壊されずに済むし、殺されずに済む。とにかくもう誰の命も奪われたくないという、切実な思いを感じました」

 「占領されて終わる人生より、闘って終える人生を」

 あまりに非人間的な日常を強いられる西岸地区のパレスチナの人々。彼らの中に、「殺されずに済むならイスラエルに併合されてもいい」と考える人はいないのかと高橋さんに尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「土地や家など、守るものがある人の中には、これ以上奪われないために併合もやむを得ない、と考える人が、絶対にいないとは言い切れません。しかし、そうした思考に陥らせること自体が、占領者の意図や思惑なのです。また、難民の人たちに至っては、もうすべてを奪われた後です。家も、生活も、人としての尊厳さえも」

 「難民キャンプの「弟」たちが、よく言うんです。『命があれば、それで生きているって言えるのか』って。『すべてを我慢して、すべてを飲み込んで、ただ食って、寝て、排泄して。それが生きている、ってことなのか』って」

 高橋さんの大切な友人の中にも、ハマスの戦闘員になった若者がいるという。彼らは占領によって農地を奪われ、家族や友達が殺されていく、その屈辱と絶望の中で苦しみ抜いた末に、抵抗することを選び、そして殺されていった。著書の中では、「弟」のこんな言葉が引用されている。「このままなんの意味もなく、占領されて人生を終えていくより、闘って終える人生を選びたい」。その言葉には、尊厳なき生への絶望と、抵抗が唯一の希望となる現状への悲嘆がにじむ。

「弟」たちの幼なじみで、高橋さんとも親しかったアブーアリーさん。2023年2月イスラエル軍の侵攻で射殺された(2023年、ジェニン難民キャンプ)(高橋美香さん提供)

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