【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実②】メソトに潜伏する民主派兵士の決意
「必要とされたとき、僕は再び前線に立つ」

  • 2022/11/30

 タイ西部、ミャンマーとの国境の町、メソト(Mae Sot)。タイ国内でありながら、ミャンマーからの移民が人口の7割を占めると言われる。2021年2月にミャンマーで軍事クーデターが起きると、メソトには、軍の弾圧などを逃れたミャンマー人が次々と流入。その人数は、もはや誰も正確に把握できないほど膨れ上がっている。今回はそんなメソトに潜伏する、ある民主派の兵士の声を届ける。

(c) Myanmar Now / Facebook

戦場から来た青年

 10月中旬、とある店で20代のミャンマー人と出会った。背が高く、知的な印象の青年だ。いつからメソトに?と聞くと、5カ月ほど前にミャンマーから来た、と流暢な英語で答える。二言、三言交わすうちに、彼が何らかの反クーデター運動に身を投じた結果、メソトに逃れてきたのだろう、と察せられた。筆者は、自分がミャンマーの民主化を支援していることを明かし、話を聞きたい、と告げた。彼は他の客の目を少し気にしながら、「仕事が休みの日に会おう」と連絡先を教えてくれた。

 約束の日、彼の住む寮を訪ねると、彼は昼寝から目覚めたところだった。約束の時間ぴったりに現れた私に、あくびをしながら、「時間に正確だね」と薄く笑う。片足をひきずっていることに、この時初めて気が付いた。

 メソトに来る前はどこにいたの?と切り出すと、「ジャングルにいた。僕はPDFだ」と答えた。穏やかな口調だが、視線はじっと床に向けられている。PDFとは、People’s Defence Force(人民防衛隊)。クーデターを起こしたミャンマー軍に対し、武力で抵抗する市民組織だ。つまり彼は、5カ月前まで、戦場で銃を持ち、国軍兵士と殺し合いをしていたことになる。

 それを聞き、にわかに緊張した。今から始めるインタビューは、戦場で負った心身の痛みを彼に思い出させてしまうかもしれない。だが、彼は「個人情報は書かないで」と念押しすると、淡々と語り出した。

 殺されないための武装

 クーデター前、僕はある地方都市で、金融関係の会社に勤めていた。クーデター後は、路上に出て反軍政デモに参加した。なぜ参加したかって?これが最後だと思ったからだ。今ここで軍を止めなければ、二度と民主主義は戻ってこない。クーデター直後から、そう思っていた。

 実際、そう考えた人が多かったから、あれだけ大規模な運動になったんだ。どの民族も、どの宗教を信じる人も、あるいはLGBTQのように差別されてきた人も、みんなで団結して立ち上がった。僕はムスリムで、宗教的にマイノリティだから、人々と連帯しようという気持ちは、より強かったかもしれない。

 デモ活動中、僕たちは暴力を一切使わなかった。それでも軍は1カ月ほどで本性を見せ始めた。デモ隊を武力で弾圧したんだ、ひどく残虐にね。3月中旬(クーデターから1カ月半後)の時点で、僕は「命を守るために最低限の武装をしなければ」と考えるようになった。

 それで、KNU(Karen National Union: カレン族の少数民族組織)のもとに行って、手榴弾をつくる方法を教えてもらったんだ。15日間のトレーニングで、実際に手榴弾をつくって、爆発させたりもした。もちろん、怖いと思うこともあった。僕はいったい何をしているんだろう、と思ったよ。でも、民主主義を取り戻すためだと思い出せば、恐怖はどこかに飛んで行った。

 4月のある日、僕らのデモ隊は、軍の徹底的な弾圧にあった。あの頃は銃なんて持っていなかった。こちらから攻撃を仕掛ける気なんかなかったからね。攻撃された時に抵抗するために、手製の手榴弾を隠し持っていたけれど、そんなものではどうしようもなかったよ。

 僕は何とか無傷で逃れたけれど、友達は銃で撃たれて死んだ。銃殺じゃない、失血死だ。撃たれた時は生きていたのに、動けなくなった体を軍が連行して、放置したんだ。手当ても受けられないまま、大量出血で死んだよ。ひどいよね。

 タケノコ!豆!

 虐殺を逃れた仲間と数週間、森で過ごした後、カレン州のレイケイコーという場所にたどり着き、6月にPDFを育成する軍事訓練に参加することを決めた。その頃は、CRPH(民主派の政治家らがオンライン上で結成した内閣)が訓練への参加を呼びかけていたし、僕自身、軍政を覆すためには、もう武力での反撃以外に方法はないと思ったんだ。ちゃんと申込書も書いたよ。

 訓練を受けた場所は、詳しくは言えないけれど、レイケイコーを朝6時に出て、KNLA(Karen National Liberation Army:カレン民族の少数民族組織KNUの軍事部門)の兵士の後をついて12時間歩き通した先にあった。本当は6時間しかかからない道だったことは、後で知った。僕らが道順を覚えられないように、わざとグルグル遠回りしていたんだ。僕らの誰かが外に情報を漏らさない保証はないからね。

 同じ理由から、訓練中のスマホも禁止だった。写真を撮ってSNSに勝手に投稿するのを防ぐためだ。家族とも連絡はとれなかったよ。

 軍事訓練は、とてもきつかった。というより、訓練の前に、まず生きていくことが大変なんだ。食料もなければ、住居もない。寝具も、電気も、トイレもない。だから自分たちで竹のバラックを建て、トイレを作った。KNLAの上官や、他の訓練生たちに教わりながら、四苦八苦して完成させた。

 訓練中は、毎朝4時半に起きて、5時から始まる早朝トレーニングに参加した。6時半に質素な朝ご飯を食べると、7時から正午まで午前のトレーニング。12〜13時までお昼休憩をとって、13〜17時まで午後のトレーニング。地元で昔、ジムに通った経験はあったけれど、環境が整った室内のマシントレーニングなんか比べ物にならないキツさだったよ。

 食べ物にも苦労したな。豆とタケノコしかなかったんだ。ほかには、魚のペースト(調味料)。毎日そればかりだ。軍事トレーニングでは、カレン語で「セイ!クエ!セイ!クエ!(右!左!右!左!)」と掛け声をかけながら行動するのだけど、僕たちは「ミィ!ペ!ミィ!ぺ!(タケノコ!豆!タケノコ!豆!)」と叫んでいたよ。

 ジャングルには、教養のある人がかなりいるんだ。ある時、KNLAの上官が「宗教や人種や性的指向に関係なく、みんな同じ仲間だ」と話してくれた。実際、訓練中も、戦っている時も、差別はなかったよ。ムスリムの僕は、幼い頃から「ケイワ」という蔑称で呼ばれ嫌な思いをしてきた。でも、クーデターが起きた後は、宗教や人種といった違いは取り去り、新しい国をつくるために団結しなければいけなくなったんだ。

戦闘の前線で即席爆発装置をつくるPDFの兵士たち (c)本人提供

 僕はこの手で仲間を埋葬した

 2カ月にわたる訓練を終えた後、僕はPDFとして戦闘の最前線に出た。といっても、戦場を経験したことがない僕らは、爆発や銃撃の音を聞いて死の恐怖に取り憑かれ、逃げ出したくなる時もあった。

 そんな僕らをKNLAが指揮してくれた。彼らは冷静だよ。長い間、軍と戦ってきたからね。もちろんKNLAも、軍が重火器を使えば逃げることもある。それでも彼らは、どんな時に逃げるべきか判断できるし、僕らPDFに的確に指示を出せる。KNLAに従うことが、僕らが戦場で命を守る唯一の方法だった。

 それでも、前線では大切な仲間たちを亡くしたよ。ちょうど去年の今ごろ、仲の良かったPDFメンバーたちが死んだ。3人の仲間の身体が爆弾でバラバラになったんだ。僕はこの手で残された遺体を燃やし、埋葬した。つらい思い出だ。

 国境を越えて

 メソトに来たのは、5カ月前だ。逃げて来たわけじゃない。仲間と手榴弾を作っている時に暴発して負傷し、川を越えてタイの病院に搬送されたんだ。メソトから1時間ほど離れた、国境近くにある公立病院だよ。「爆弾で負傷して密入国した」なんてもちろん言えないから、「機械が故障して火傷した」と説明した。もし怪我をしていなければ、今もまだジャングルにいただろう。

 治療費は、KNLAが支払ってくれた。治療後、数日で退院したけど、今も背中から足にかけて傷が残っていて、ときどき関節の痛みで動けなくなることがある。耳も、片方がよく聞こえない。でも、もう病院には行っていないんだ。医療保険なんてないし、僕のわずかな月給では、診療費はとてもまかなえないから。

 退院後は、クーデター前に貯めた貯金を切り崩して暮らしている。銀行のオンライン口座から、タイの現地通貨を引き出すことができたんだ。なけなしの2万バーツ(約8万円)で4カ月以上暮らしたよ。たまに建設現場や工場で日雇いの仕事もしたけれど、タイ語ができない僕が仕事を探すのは難しい。今の職場も、給料はタイの最低賃金レベル(日給1200円程度)だ。今着ているTシャツも、安い古着だよ。それでも、僕より厳しい生活をしている人がいるから、僕はまだ恵まれているんだ。

 メソトにいる間に、もう少し給料のいい仕事を見つけたいな。ジャングルにいる仲間たちを支えたいんだ。ちょっとしたお金、例えば食費や電話代くらいは払ってあげられたいしね。

 お金があれば何でも買える

 タイで武器を買ってミャンマーに送ったことがあるか、って?なぜそんなことを聞くんだ? なるほど、NUG(National Unity Government:民主派の亡命政府)からPDFに供給する武器が足りていないと誰かに聞いたんだね。そういう批判はあるかもしれない。

 タイでは、お金さえあれば何でも買えるよ。タイで「何か」を買い、川を越えればカレン州だ。そこにはその「何か」を必要としている人がいる。まぁ、そういう現実はある。

ミャンマーとの国境を隔てる川。彼はこの付近を渡ってタイの公立病院に搬送された (c) 筆者撮影

 僕がいたカレン州の部隊には、武器は十分にあった。足りないのは、ザガインやマグウェなど、ミャンマーの内陸部だ。輸送が問題なんだよ。タイとの国境沿いにあるカレン州はともかく、山ほどある軍のチェックポイントを抜けて内陸部まで武器を運び込むのは、かなり難しいからね。NUGのオペレーションに課題があるのも事実だけれど、簡単に武器を供給できない事情も理解する必要があると思うよ。

 今ここに生きる理由

 メソトに来てからは、故郷の家族にも連絡をとっているよ。でも、軍にマークされているから、家には帰れない。以前、兵士が僕の写真を持って自宅に来たこともあるし、両親も帰って来いとは言わないよ。

 それでも、後悔なんてしていない。仲間は無惨に殺され、自分も傷を負い、家族にも会えなくなったけれど、PDFをやめようと思ったことは一度もない。自分で決めたことだ。もし途中でやめたら、僕は一生、自分を恥じるだろう。

 いずれまたミャンマーに戻って戦うつもりだよ。今すぐじゃない。民主派が首都に攻勢をかけるような段階になったら、自分のPDF部隊に戻るんだ。心の準備は、もちろんできているよ。必要とされた時に前線に立つために、僕は今、ここで生きているんだ。

 

 彼は飾らない口調で、淡々と話した。つらい話をする時も、感情をあらわにすることはなく、ただ少し目を伏せるだけだった。それが彼の話し方なのだろうと思ったが、途中で話題が逸れた時に、そうではないことを知った。日本のアニメ、NARUTOの話になると、彼は「続編があるんだよ、知らないの?」と、目を輝かせて笑ったのだ。あぁ、これが彼の本来の表情なのだ、と知り、胸が詰まった。
 あの日、軍事クーデターが起きなければ、彼は今も会社に勤めながら、アニメや音楽を楽しんでいただろう。「後悔などしていない」と言い切った彼の現状を哀れみたくはない。しかし、軍事クーデターがどれほど大切なものを奪ったのか、その大きさを思うと、嘆息せずにいられなかった。

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