「孤立する知的障害者に居場所を」フィリピンで支援施設を立ち上げた日本人
「できることがある」という光 社会資源のないボホール島で一隅を照らす

  • 2024/4/10

 フィリピン中部、ボホール島。自然豊かなリゾート地として注目を集めるこの島に、『バビタの家』という看板を掲げる一軒家がある。日本で障害児教育に携わってきた杉山明子(49)が8年前に開所した、島内唯一の知的障害者の通所支援施設だ。作業所や就労支援などの社会資源がないボホール島で、孤立しがちな知的障害者が集まり、手工芸作品の制作や、地域との交流などを行っている。フィリピンでは未だ知的障害への偏見が根強いが、生徒たちは屈託なく、家には笑い声が溢れている。施設を立ち上げた杉山の思いを追った。

バビタの家に通う生徒たち。 近所の生徒は自転車で、遠くに住む生徒は公共交通機関を乗り継いで、2時間かけて通って来る。 「バビタ」というのは、杉山が趣味のサンバを踊る時のダンサーネームだ。(2024年1月28日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影)

みんな違ってみんないい 個性に合わせた手仕事

 「ここは青で塗ろう」。バビタの家のベンチで、小筆を動かすのはレイモンド(40歳、男性)。彼は今、小さなマッチ箱を使い、5cmほどの三輪タクシーを製作している。デザインはレイモンド本人。ある日、「これ僕が作ったんだ」と杉山に見せに来たのだという。杉山はその精巧さに驚くと同時に、これは売れる、と確信。近所のリゾートホテルの土産物屋に置いてもらった。制作には何日もかかるが、1個売れると、レイモンドには150ペソ(約400円)の収入が入るという。

ミニチュアの三輪タクシーを制作するレイモンド。 彼は幼少期に左の眼球を失った。右目も弱視だが、模型や機械の組み立てなどの緻密な作業が得意だ。 お金の計算はうまくできないため、材料の購入や売上の管理は杉山がサポートする。(2024年1月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影)

 彼の隣では、リナト(39歳、男性)とマーシー(34歳、女性)が、木板で作られたパズルに色を塗っている。2人とも指先がうまく動かないため、パズルの絵付けは他の生徒に任せ、木板にヤスリをかけたり、背景を塗ったりと、できる仕事を担当する。「ほら、またインクをつけすぎてる」と隣のレイモンドにからかわれ、リナトがエヘヘと笑う。このパズルも、今後、地元の土産物屋に置いてもらう予定だ。

木製パズルの土台に色を塗るリナト(右)とマーシー(左)。 リナトはダイナミックに、マーシーはゆっくりと、各々のペースで作業が進む。 二人とも言葉は話せないが、言われたことは理解できるため、ジェスチャーを交えながら表情豊かにコミュニケーションをとる。(2024年1月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影)

 さらにその横では、シエナ(36歳、女性)が日本から寄付された洋服を次々に広げている。彼女が着るのではない。杉山から安く仕入れた服に、自分で値段をつけて近所の人に売り、差額を収入にするのだ。「先生、この服いくら?」「うーん、50ペソ(約130円)」「じゃあ、80ペソで売ってみようかな」。そんなやりとりが続く。「知的障害の程度は、人それぞれ。シエナのように計算ができる子は、こうした商売にも挑戦します。人気の高い日本製品を安値で仕入れることができるのは、ここに通う生徒の特権ですね」と、杉山は微笑む。

洋服の仕入れを終えたシエナが、木製パズルに絵をつける。 何時間もかけて丁寧に描いているのは、ボホール島の有名な教会。カラフルな色は彼女のオリジナルだ。 「何枚も描くうちに、シエナは本当に上手になりました」と杉山は嬉しそうに話す。 (2024年1月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影)

 バビタの家には、現在、6人の生徒が週1~3回、制作活動などのために通ってくる。杉山は「彼らは、ここに来なければ、一日中、家で過ごすしかありません。この島には、知的障害者が働ける場所が全くないからです。でも、ここには友達がいて、やることがある。ここで活動しながら、生活する力を身に付けてほしいと思います」と話す。

絵柄も生徒たちが考える。 なかには何の絵かよく分からないものもあるが、それはそれで味があって楽しい。 (2024年1月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影)

これぞ一石二鳥 大好きなボホール島に移住して居場所づくり

 杉山は日本で障害児教育に携わった後、2012年から2年間、青年海外協力隊(現在の海外協力隊)の養護教諭として、ボホール島最大の特別支援学校で活動していた。担当した知的障害クラスには70人ほどが通っており、中には30代の生徒もいたという。知的障害がある子どもは卒業してもやることがなく、卒業後に再入学を繰り返すケースが多いからだ。公立校とは思えない柔軟さに驚くが、学校側としても、年長の生徒が年少の生徒の面倒をみてくれるなど、ポジティブな側面があるらしい。実際、障害が軽度の生徒は、先生の不在時には教壇に立って勉強を教えることさえあったという。

レイモンドはマッサージも習得した。 杉山がインターネットで勉強して、やり方を教えたのだという。 砂時計を使って時間を測りながら、左右均等に全身を揉みほぐしていく。 なかなかの腕前だ。(2024年1月31日、フィリピン・ボホール島で筆者撮影)

 だが、そうした頼れる生徒たちも、30代になり再入学が難しくなると、行き場を失ってしまう。島には、知的障害がある生徒たちを受け入れてくれる職場も作業所や授産施設もまったくないからだ。一方、聴覚障害や視覚障害の生徒であれば、欧米系のドナーや支援団体のサポートで島内のマッサージ店やカフェなどに就職することができるそうで、同じ障害者の中にも支援格差があることに気づかされる。

 杉山も同僚から、卒業生の多くが社会との接点を失い、引きこもり状態に陥っていると聞き、胸を痛めた。しかし、すぐに「それなら私が彼らの居場所をつくろう」と思いついた。「私もボホール島での暮らしが気に入っていたし、そこに私が住めば一石二鳥だと思ったんです」。

 任期を終えてすぐにボホール島に戻り、土地を探して家を建てた。バビタの家の運営母体となるNGO「ボホール-日本 知的障害者協会」の設立には、特別支援学校の同僚たちが力を貸してくれた。開所式には、ボホール知事代理や日本の議員も駆け付けてくれ、そのおかげもあって、近所の人たちもポジティブに受け入れてくれた。こうして2016年、島で唯一の知的障害者の施設、バビタの家は誕生した。

合言葉は「ヒナイヒナイ」

  バビタの家は、不思議な場所だ。生徒にとっては収入を得るための職場だが、気分が乗らない日は何もしなくてもいい。そもそも、来ても来なくてもいい。その日の予定も、生徒たちのアイディア次第で柔軟に変わる。活動時間は10時から16時と一応決まっているが、家が遠い生徒や体が不自由な生徒は、お昼前にゆっくりやってくる。また、イベントがある時には、みんなバビタの家に泊まる。

 冒頭のパズルの制作活動中も、おやつを食べたり、犬と遊んだり、スマホを見せ合ったりといったマイペースな時間がはさまる。杉山は必要に応じて介入するが、基本的に各生徒のペースに委ね、時々、「ヒナイヒナイ(ビサヤ語で「ゆっくりね」)」と声をかける。杉山と生徒たちは「先生」「生徒」と呼び合うが、学校のような管理体制とはほど遠く、仲の良い家族のように、ゆるく、あたたかくつながっている。

バビタの家は7周年を迎えた2023年10月に、 お世話になった人を招いてささやかなパーティを催した。 生徒たちは同じ10月にある『先生の日』のお祝いを兼ねて杉山(右端)にケーキをプレゼントした。 (2023年10月9日撮影、バビタの家 提供)

 「以前は、文字や数字を教えたり、話せない子には舌の運動をさせたりしていました。でも、新型コロナのパンデミックの頃から、そういう訓練は重視しなくなりました。勉強は身に付かないことも多いし、多少、文字が書けたところで働き口があるわけでもない。それより、ここで仕事をして家族を助けたり生活が良くなったりする方が、彼らにとって価値があると思ったんです」

 パンデミック中、生徒のなかには、収入を失った家族のために、貯めていたお小遣いを渡したり、バビタの家に届いた寄付品を持って帰ったりする者もいた。彼らは、知的障害というハンディキャップを抱えながら、家族の生活を助けていたのだ。その姿を見た杉山は、「バビタチケット」というバビタの家だけで使える通貨を発案。掃除や草むしり、片付けなどを頑張った生徒が、バビタチケットを獲得し、コメや野菜、鶏などと交換して家族のために持ち帰ることができる仕組みをつくった。

ペンケース作りのワークショップで作品を完成させたマーシー。 「できることがある」という思いが彼女の世界を明るくする。 (2022年11月1日撮影、バビタの家 提供)

 また、生徒たちは地域の人々とも積極的に交流する。路上でのゴミ拾いや、地域住民を招いたパーティやバザー、浴衣のファッションショーなど、活動は多岐にわたる。杉山は、ゆくゆくはボホール島での日本フェスティバル開催を夢見る。生徒たちが主役になって、浴衣の着付け体験や、よさこい踊り、日本食の試食会などをしたいのだという。「楽しそうでしょう?それに、ボホールの人たちに日本や生徒たちのことをもっと知ってもらい、好きになってほしいんです」と杉山は笑う。

 生徒たちもそんなバビタの家が大好きだ。マーシーは数年前、バビタの家に通えなくなった時期がある。彼女は手足が不自由で、母親と一緒に2時間かけて通っていたのだが、父親が脳梗塞で倒れて介護が必要になり、母親が付き添えなくなったのだ。言葉を話せないマーシーは、泣いたり怒ったりして必死に抗議し、最終的に週1回の通所を勝ち取った。杉山は言う。「彼女は誰かの手助けなしで生きていけません。でも、ここに来ればできることがある。それが嬉しいようです」。

街をさまよう“狂女” フィリピンの精神・知的障害者の現実

 明るいバビタの家とは対照的に、フィリピンの知的障害者たちの置かれた現実は厳しい。特に農村部では、知的障害や精神疾患をもつ人々は、就労どころか、自宅の檻に閉じ込められるケースも珍しくない(筆者注:医学的には知的障害は精神遅滞と表され、広義の精神障害に含まれるため、ここでは両者をまとめて扱う)。

 例えば、イギリスの日刊紙ザ・サンは2020年、精神障害がある女性がセブ島で25年にわたり檻の中で暮らしていたと報じた。記事によると、一緒に暮らしていた両親が亡くなった後、女性が車に轢かれそうになったのを見た隣人たちが、彼女を檻に入れ、食事を運んで面倒をみていたという。また2013年には、大型台風ハイエンに見舞われたフィリピン中部で、精神障害のある男性が鎖につながれた状態で亡くなっているのが発見された。この問題については、イギリスの大手一般紙ガーディアンによりドキュメンタリーも制作されている。

25年にわたり檻の中で暮らす精神障害の女性を取り上げたザ・サンの記事。(https://www.thesun.co.uk/news/12524820/woman-locked-cage-years-philippines/

 ボホール島でも状況は同じだと話すのは、島内在住の地域開発ワーカー、リザだ。「ここでは、精神・知的障害者たちは家に閉じ込められています。島内には、入所施設どころか、精神科の病院も支援団体もなく、家族もどうすることもできないのでしょう」。
 国内の統計によると、フィリピンには20万人ほどの精神・知的障害者がいるとされる。しかし、現役の精神科医、心理学者、精神科看護師は、2020年時点で1,200人しかいないうえ、その多くは企業の人事部門などで働いていると世界保健機関(WHO)は報告している。
 リザは、こんなケースを紹介してくれた。「ボホール島の繁華街に、いわゆる“狂女”がいます。おそらく知的障害でしょう。身寄りがないのか、20年にわたり街を歩き回り続けています。彼女は時折、妊娠しますが、気づくとまた元の痩せた姿に戻っています。行政に保護されたと聞いたことはないし、口がきけないため誰かと話している姿を見たこともありません。みんな見て見ぬ振りなのです」

 杉山も、「知的障害のある人を、“悪魔の仕業”や“呪われている”などと言い、忌み嫌う人は少なくありません。バビタの生徒も、頭がおかしいなどと近所の子どもに揶揄されることもあります。そういう子は、私が叱りますけどね」と話す。

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