香港から始まる米中ブロック経済化の行方は
敗色濃厚な中国共産党の「賭け」に注進できる側近なし
- 2020/8/24
2020年7月1日、香港に国家安全維持法(国安法)が導入され、一国二制度が崩壊した。1997年7月に英国から返還された際に中国が約束した高度の自治が50年を待たず失われたことは、中国経済にも、中国共産党(中共)のハイレベル官僚ら個人の資産防衛にも、マイナスでしかないはずだ。にも関わらず香港を破壊する選択をしたのは、習近平総書記にとって大いなる賭けであった。そして、総書記はその賭けに負けた。
香港金融が死んだ日
「香港の金融は死んだ。僕もこの業界から手を引き、移住先を探そうと思う」。外資系銀行に勤める知人のマイケル氏は、ため息交じりで訴えた。「法治も自由もないところで国際金融取引が成立するはずがない」
香港に拠点を置く金融企業は、今後、中国市場と香港を捨てるか、米ドル基軸の西側国際経済市場から排除されるか、選択を迫られるが、いずれにせよ明るい展望は望めない。
犯罪容疑者の中国本土引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改定を強引に推進しようとする香港政府に抵抗し、2019年春に「反送中」デモを始めた民主派人士たちは、1年後、国安法によって大量の逮捕者が出ることなど想像していなかっただろう。心のどこかで、「香港の一国二制度は中国共産党の利益とも合致しており、中国も最悪の事態を避けるはず」だと考えていたのではないか。実際、2003年に胡錦涛政権(当時)が国安法を成立させようと香港政府に圧力をかけた時は、香港市民51万人の抵抗を前に断念した経緯がある。香港の安定を損なうことが中国共産党にも不利益であることを分かった上での賢明な判断だった。
では、習近平政権はなぜ、反送中デモに一切妥協せず抵抗をエスカレートさせた上で、かろうじて体裁を保っていた一国二制度にとどめをさすかのごとく、最高権力機関の全国人民代表大会(全人代)で国安法を制定したのか。政権は、中国にとっての香港の経済価値を理解していなかったのだろうか。
党内で孤立深める習近平総書記
8月12日、ニューヨークタイムズ紙が興味深いネタを暴露した。中国共産党で序列三位の栗戦書・常務委員の長女が1500万米ドル相当の不動産を香港に持っていると報じたのだ。習近平氏の姉である斉橋橋氏とその娘、さらに、序列四位の汪洋・常務委員の親族もそれぞれ香港に巨額の不動産を有していることがすでに明らかになっており、彼らの資産総額は5100万米ドル(約54億円)に上るという。
ちなみに、習近平総書記には、党内に頼れる友達がほとんどいない。近年、同氏への不満は声高にささやかれるようになり、以前にも増して孤立している様子がうかがえる。
実際、朱鎔基・元首相や田紀雲・元副総理、胡啓立・元政治局常務委員ら長老たちは、習近平批判の立場を隠しておらず、2019年夏には「香港という鄧小平路線の輝ける果実を台無しにした」と涙を浮かべて総書記に詰め寄ったことが報じられた。
党の青年組織である「共青団」の間でも、党籍剥奪覚悟で非難の声が相次いでいる。高級幹部の子弟グループ「太子党」の中でもエリート中のエリートとされる企業家集団「紅二代」(革命二世世代)の代表格、任志強氏は「習近平は化けの皮がはがれても皇帝の座にしがみつく道化だ」と辛らつに批判。中央党校で党官僚を育成してきた蔡霞・元教授もYou Tube上で「習近平はマフィアの大ボスだ」と批判し、どちらも党籍を剥奪された。
こうした中、栗戦書・常務委員は総書記にとって唯一の側近中の側近だ。総書記の命令には常に忠実で、国安法の可決もその意を受けて粛々と行った。栗戦書氏はなぜ、肉親が巨額の資産を有する香港に国安法の導入を決めたのか。
まず挙げられるのは、習近平氏も栗戦書氏も、デモをエスカレートさせるよりも国安法を導入した方が、資産防衛に利すると判断した、との見方だ。デモの抑え込みさえできれば、香港が再び安定すると考えたのだ。
一方、国際情勢とは関係なく、党中央内の論理で強引に進められたものだ、との見方もある。国安法の骨子は、新型コロナの感染が拡大する直前の今年1月に米中貿易協議で第一弾の合意にこぎつけたのに先駆け、2019年11月に開かれた党の重要会議(四中全会)で決定されていたが、党内の反対が予測されたため全人代の直前まで法案が提出されず、施行まで条文が公開されないという異例の形になった。これほど強引に国安法を導入したことは、習近平政権にとっておそらく一種の賭けだっただろう。
だとすれば、習近平政権はその賭けに負けた。米国は掛け金を上乗せし、中国に勝負を挑んできたのだから。
し烈化する米中の掛け金コール
実際、米国は、香港の優遇措置を廃止する大統領令「香港自治法」に基づいて香港の貿易関税や査証の優遇を撤廃した上、メードインホンコンの表記をメードインチャイナに変え、香港を中国の一都市と同等の扱いにした。さらに、林鄭月娥 (キャリー・ラム)行政長官ら11人に金融制裁や米国への渡航制限を実施した上で、香港との犯罪人引渡協定を廃止し、国際船舶所得の免税措置も撤廃した。
制裁リストに名を連ねた官僚に加え、取引銀行も対象とされるこの香港自治法によって、国際金融センターに集う銀行は、一様に大きな選択を迫られることになる。今後も米国との取引継続を望む銀行は、外資であれ、中国資本であれ、制裁リストに載った香港や中国官僚との付き合いを躊躇せざるを得ない。
他方、中国側も、国安法の施行翌日から違反者の逮捕を開始し、その運用が国際社会の予想を超えて厳しいことを見せつけた。特に、在米歴25年の米国公民、朱牧民(サメイル・チュー)氏がSNS上で香港独立を支持したとして「国家分裂煽動」の容疑で指名手配されたことと、香港ジャーナリズムの象徴的存在で、ペンス米副大統領やポンペオ米国務長官に直接面会し香港問題への支援を訴えてきた民主派人士の黎智英(ジミー・ライ)氏を逮捕し、同氏が経営するネクスト・デジタル社に強制捜査(ガサ入れ)を行ったことは、明らかに米国への挑発であった。
国安法では、国家政権転覆、国家分裂、テロ、外国勢力との結託による国家安全危害の四項目について、資金供与も含めて罪に問われる。資産家でもあるジミー・ライ氏は、民主化運動を資金面でも支援していたため、有罪判決が下りれば銀行は口座を凍結し、資産を没収して中国共産党に引き渡すとみられている。そうなれば、中国市場で業務拡大を狙う銀行が今後、国安法容疑に問われる民主化活動家との取引を敬遠するようになるのは間違いない。実際、英国資本のHSBC銀行はすでに国安法の支持を表明しており、香港警察の指示に従って送中デモへの寄付金口座も凍結した。
米中の掛け金コールの応酬のような勝負は、それを見守る国際社会の金融機関・資本を巻き込み、香港を起点にして西側の自由主義陣営と中国の全体主義・権威主義陣営にブロック化する流れを形成しつつある。
香港米国商会が8月中旬に会員企業154社に行ったアンケートによると、香港を近々離れると答えた企業は9%、中長期的に離れると答えた企業は44%、離れるつもりはないと答えた企業は46%だった。また、香港の行く末については、悲観的な見方が44%、短期的には楽観的だが中長期的には悲観的だという見方が10%、楽観的だという見方が14%だった。国安法施行前の6月時点と比べると悲観的な回答が増え、全体の8割が中長期的な撤退を視野に入れていることが明らかになった。