「命の危険にさらされ続けてもミャンマーの真実を伝え続ける」
匿名フォトジャーナリスト、タ・ムウェ氏への独占インタビュー

  • 2024/7/12

 かつて恵比寿の東京写真美術館で、毎年開催されていた「世界報道写真展」。その拠点となるオランダ・アムステルダムで、5月下旬に受賞写真家が登壇するイベントが開催された。同イベントに参加していたミャンマー出身の受賞フォトジャーナリストが、ドイツ在住の筆者の独占インタビューに応じた。

軍事クーデターに抗議するために数千人が集まった。(ミャンマー・ヤンゴンで2021年2月7日撮影) © Ta Mwe, Sacca Photo, VII Foundation, Frontline Club, W. Eugene Smith Grant

ジャーナリストを迫害するミャンマー

 2024年の世界報道写真コンテストでは、東南アジア・オセアニア部門の長期プロジェクトでミャンマーのフォトジャーナリスト、タ・ムウェ氏が受賞した。彼は2021年2月にミャンマーで軍事クーデターが起きた後、ミャンマーの様子を記録し続けており、29枚の写真から成る『ミャンマーの革命』というプロジェクトを出展した。

 報道の自由が失われたミャンマーでは、ジャーナリストとして真実を伝えることで、本人や家族が迫害される可能性が高い。今も55人以上のジャーナリストがミャンマーの刑務所におり、拘束中に殺害された人がこれまでに5人いる。彼の友人でもあった写真家、ソー・ナイン氏もその一人だ。2021年にヤンゴンでの反政府デモの様子を撮影し、逮捕された直後、一晩中尋問されて命を落としたという。

 今もジャーナリストは迫害の対象となっており、2023年に逮捕された者の大半は20年の禁固刑を言い渡された。彼自身はすでにミャンマーを離れ、本名と身分を隠して仕事をしている。タ・ムウェという名前は写真家としてのものに過ぎない。

 タ・ムウェ氏は隣国に逃れているが、撮影のためにミャンマーに2カ月おきに戻っているのだという。陸路で国境を越え、国軍に攻撃された村などを訪問し、国民防衛隊(PDF)に同行するなどして2カ月間写真を撮って回る。そんな暮らしを2年ほど続けているそうだ。

 楽な暮らしではなさそうだったが、それにもかかわらず落ち着いた姿からは、強い使命感を感じた。

クーデターに反対するデモ隊が機動隊に「あなたたちは人民の警察だ」と花束を手渡した。(ミャンマー・ヤンゴンで2021年2月6日撮影)© Ta Mwe, Sacca Photo, VII Foundation, Frontline Club, W. Eugene Smith Grant

危険と隣り合わせの撮影

 ──受賞作品はモノクロ写真ですが、いつも白黒写真を撮っているわけではないですよね。なぜモノクロにしたのでしょう。

 かつてミャンマーで起きた軍事クーデターについて、モノクロ写真から学びました。最初は1962年、続いて1988年と、2回ありました。だから今回のクーデターも白黒のフィルム写真で撮影し、連続したストーリーとなるようにしたかったのです。過去に写真を撮った写真家たちへのオマージュでもあります。でも、過去に撮っていたのは、デジタルのカラー写真です。

クーデターに反対するデモ隊は、治安部隊との対立のなかで、向かってくる催涙弾を受け止めるために濡れた布を用意した。(ミャンマーで2021年3月2日撮影) © Ta Mwe, Sacca Photo, VII Foundation, Frontline Club, W. Eugene Smith Grant

 2020年には新型コロナパンデミックの様子を撮影していたのですが、そのときにも白黒で撮影しました。その年の後半に行動規制が緩和され、11月に総選挙がありました。その後、2021年2月1日のクーデターの前日から軍が行動を起こすかもしれないとの噂があったのですが、翌日に目を覚ますと、携帯電話の電波もインターネットも使えなくなっていました。それでクーデターが起きたのだとすぐに分かり、カメラを持ってヤンゴン市役所の周辺に行きました。それからクーデター後の写真を撮ることに決めたのです。

 このモノクロ写真シリーズは、私に写真を教えてくれた、アメリカ人フォトジャーナリストのギャリー・ナイトのスタイルに実はとても似ています(筆者注:ナイトは、世界中のジャーナリストをトレーニングする、「VIIファンデーション」のCEO)。彼も、ほとんどモノクロフィルムで撮影し、アジアで広く活動してきました。

 私はもともとジャーナリストではなく、コンピュータの仕事をしていました。しかし、2007年のサフラン革命を目の当たりにして、僧侶たちの抗議デモについて写真を撮り、匿名でブログに投稿するようになりました。それ以来、ジャーナリズムに興味を持ち始め、2010年以降、本格的に始めることにしたのです。

──どうやって写真を学んだのですか。

 最初は独学です。他のフォトグラファーの作品を見て勉強しました。それから、ヤンゴンに外国人写真家がやって来て指導するワークショップにいくつか参加する機会を得たのです。VIIファンデーションなどのプログラムを通じて学び、スキルを向上させました。

──PDFとともに行動して写真を撮影しているようですが、これまで危険な目に遭われたことはありますか?

 軍隊に逮捕されそうになったり、射殺されそうになったりしたことは何度もありました。(クーデター直後の)抗議運動の時でさえ、私の隣で何人もの人が撃たれてしまいました。

 さらにこの1年間、銃撃戦に巻き込まれそうになったり、国軍による空爆で爆破された場所のそばに居合わせたりして、生命の危険にさらされるようなことはたくさんありました。

 なかでも、今、一番危険なのは、地雷です。ミャンマーでは地雷が広い地域に埋められているので、非常に危険です。ミャンマー国軍はPDFなどから攻撃を受けた際、うまく対応できないと、その周辺の民間人の住んでいる地域に空襲をします。人々は村を離れてジャングルなどに逃げ込みますが、その間に国軍兵士はあちこちに地雷を仕掛けるのです。特に、村では家の入り口付近によく埋められ、物を取りに帰った人たちが、その地雷を踏んで、苦しめられているのです。私は、そういう地域では草や地面の上をなるべく避け、コンクリートの歩道やアスファルトの道を歩きます。とはいえ、PDFについて最前線に行っても、一人でできることには限界があります。

3児の母であるドー・フラ・ウィン(34)は、戦闘の激しい地域の国内避難民キャンプから、毛布を集めるために村に戻る際に地雷を踏んで右足を失った。(ミャンマー・シャン州で2023年7月29日撮影) © Ta Mwe, Sacca Photo, VII Foundation, Frontline Club, W. Eugene Smith Grant

──生命の危険が、写真を撮影するうえで最も大変なことでしょうか。

 それだけではありません。この生活を続けるうえでもう一つ大きな課題は、経済的な不安定さです。ミャンマーにあった私の銀行口座は、国軍によって閉鎖されてしまいました。写真のプロジェクトのために、国際的な助成金は受けていますが、生活費は自分で稼がなければなりません。さらに今、2カ月おきに現場に行き、家に戻るという暮らしをしているため、安定した仕事はできません。フリーランスとして写真や映像、翻訳などの仕事をして多少の収入を得ていますが、なかなか十分な収入を確保しにくいです。

 また、外国での滞在許可を延長するのも簡単ではなく、パスポートが切れたら更新できるかもわかりません。ミャンマー当局は、かつてジャーナリストとして働いていた私の本名を知っていますし、今後、どうなるかは分かりません。

──それほどの危険と困難にさらされながら、ミャンマーで写真を撮影し続けるのはなぜでしょうか。極端に言えば、ヨーロッパで庇護申請をすることもできるわけですよね。

 この写真プロジェクトを続けたいからです。ミャンマーの状況はあまり報道されていないので、私は写真を通じて、何が起きているのか、国際社会に伝えたいのです。イスラエルとパレスチナの紛争や、ウクライナとロシアの戦争などと違い、ミャンマーの状況はあまり報道されていません。国際社会の盲点になっているからこそ、国軍は大量虐殺や市民への空爆をよりしやすくなっているのでしょう。だから軍がやっていることにスポットライトを当てられるように写真を撮り続けています。

 この写真プロジェクトを続ければ、どんな結果になるかはもう分かっていたけれど、とにかくそれを選んだのです。その決断に後悔はありません。でも、ミャンマーに残る母を危険にさらしているかもしれないことを、ときどき申し訳なく思います。

前線に出る準備をする反政府民兵組織カレンニ民族防衛軍のメンバー。(ミャンマー・カヤー(カレンニ)州デモソ・タウンシップで2023年8月7日撮影) © Ta Mwe, Sacca Photo, VII Foundation, Frontline Club, W. Eugene Smith Grant

──昨年10月に3つの民族武装勢力が数多くの軍事拠点を制圧した直後は報道が多少増えたように思いますが、確かにミャンマーに関する国際報道は少ないですね。でも、ミャンマーでは逮捕されてしまったジャーナリストもいますし、ミャンマー国内で活動できる人も数少なくなっているのですよね。

 軍はすでに自由な報道の発行を停止していますから、国内で仕事を続けられるジャーナリストは多くありません。多くのメディアは報道し続けるために近隣諸国に亡命せざるを得ず、オンラインでのみ情報を発信しています。

 一方、家族を守るためにジャーナリストとしての仕事を諦めた人もいます。報道を続けるなら、隣国や、少数民族が支配する一部の解放区に行く必要があります。でも、それができない人もいるのです。

 私は、逮捕されたジャーナリストたちのために仕事を続けたいんです。彼らが獄中にいる間、私が彼らに誇りを持てるようにし続けたいのです。

──今回の受賞作品の中には、遺体や負傷した市民など、辛い写真もありました。どんな気持ちで撮影されているのでしょうか。

 軍部の残忍さに触れるたびに、非常に悲しく、大きな怒りを感じます。彼らは民間人を残酷に殺します。彼らは抵抗勢力と戦う力もなく、武装勢力と一般市民を分断するために、わざと民間人を標的にしているのです。

 また、紛争地域にいると、知り合った人たちが、毎日死んでいきます。たとえば、前日に一緒に食事をしたPDFの兵士が翌日には死ぬということがあります。とても辛い気持ちになり、人間のもろさを思い知らされます。

 同時に、この残虐行為を記録することで、私たちが行動を起こせるよう、あるいは他の国際社会に対して行動を促せるようにと、自分自身を励ましています。

前線の木の下で休むカレンニ民族防衛軍の反乱軍戦闘員、ポール・ドゥ(19)。(ミャンマーで2023年8月7日撮影) © Ta Mwe, Sacca Photo, VII Foundation, Frontline Club, W. Eugene Smith Grant

──写真を見る人に何を感じてもらいたいですか?

 何が起きているかを知ると同時に、どうすればいいのか考えてもらいたいです。ミャンマーでこのようなことが起きている、それに対して何ができるのか、どうすれば国軍に圧力をかけ、罪のない人々が毎日死ぬのを防ぐことができるのかと。

 これは、ミャンマーだけの問題ではありません。ミャンマー国軍とその関係者は国際社会から制裁を受けており、人手も資金も不足しています。そのために犯罪行為に走っており、オンライン詐欺センターが作られ、危険な合成麻薬が生産され、世界に悪影響を与えています。

 ミャンマーでは今、アヘンの栽培が再び急増しています。たとえばカヤー州のロイコーでは、激しい戦闘があり、街は破壊されてしまいました。周辺地域に逃れた人が多いのですが、すべてを失った国内避難民は、あまりにも困難なためにケシを再び作ることを決めたようです。かつてはコーヒーや米などさまざまな作物を栽培していた地域です。私は昨年11月に現地に行ったのですが、あちこちでケシ畑を見ました。

 また、ミャンマー国軍は、ロシアなどの国に弾薬を供給しています。ロシアはウクライナとの戦争で弾薬が不足しているため、資金を得るために供給しているのでしょう。

象の力を借りて氾濫した小川を渡る村人たち。軍当局は食料、医療、燃料の供給を断ち、村人たちはジャングルのルートで物資を運ぶことを余儀なくされていた。(2023年7月18日撮影) © Ta Mwe, Sacca Photo, VII Foundation, Frontline Club, W. Eugene Smith Grant

──ミャンマーにとって一番の希望は何ですか。

 武装組織による国軍への抵抗活動がうまくいっていることです。彼らは国中で多くの領土を掌握し、軍に多大な圧力をかけています。

 他方、追い詰められた軍が、PDFや市民に圧力をかけるためにさらなる戦争犯罪を行わないかが心配です。抵抗軍にうまく対抗できない時に、民間人を攻撃して恐怖を与えるのが、彼らの常套手段ですから。

──将来、成し遂げたいことはありますか?

 まずは、クーデター後のミャンマーを記録し続ける現在の写真プロジェクトを続けたいです。それを今回のように公開して、展示したいです。ゆくゆくは「革命」の写真集を作りたいですね。

 でも、当面の問題は、プロジェクトをいかに続けるかです。パスポートやビザを延長できなければ、不法滞在者になってしまいます。経済的な問題もありますし、継続的に写真を撮り続けるためには、それらの問題を乗り越える必要があります。

──長時間にわたりお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。

午後8時、道端で物を売る人が鍋を叩く。全国に広がった抗議行動だ。(2021年2月5日撮影)© Ta Mwe, Sacca Photo, VII Foundation, Frontline Club, W. Eugene Smith Grant

タ・ムウェ @tamwephoto

 ヤンゴン育ちのミャンマー人フォトジャーナリスト。ミャンマーの匿名写真家集団Sacca Photo所属。フォトグラファー、ビデオグラファー、ビデオエディターとして国内外の出版物や組織に数年間従事。その後、アナログのスチール写真に重点を置き、新型コロナウイルス危機を取材した後、反クーデター後のミャンマーを取材している。

 2024年世界報道写真コンテストでは、東南アジア・オセアニア部門で Revolution in Myanmarが長期プロジェクトとして受賞。2022年の同コンテストでは、Uprising in Myanmarという写真シリーズが審査員特別賞を受賞している。

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