「ミャンマーの人々の底力」
創意工夫で続く抵抗
- 2021/3/27
【編集部注】
今日3月27日、ミャンマーは国軍記念日を迎えました。首都ネピドー郊外で開かれた式典で軍事パレードが行われた一方、クーデターに抗議する市民らが各地でデモを実施。武力鎮圧によって100人以上が亡くなったと報じられています。2月1日のクーデター後、1日の犠牲者としては最多の人数です。悲しいニュースを前に、ここではミャンマー人の強さと底力を伝えるFacebook投稿をご紹介し、改めて彼らに敬意を表したいと思います。
~ 以下、Facebook投稿より ~
先日たまたま、公務員のCDMをサポートしているという青年と話す機会があった。
年齢は聞かなかったが、二十歳そこそこの優しそうな男の子だ。
彼は、デモに参加するかたわら、
軍政の下で働くことを拒否して宿舎にもいられなくなった公務員を
仲間と一緒に何十世帯もサポートしているのだという。
「危ないから自宅には帰っていない」と、彼はカラッとした表情で話した。
悲壮感もなければ、怒りに燃えている風でもない。
寄付を申し出ると、彼は申し訳なさそうに、こう言って断った。
「アパートの家賃はタダなんです。
ご飯も3食、食べさせてもらってる。
交通手段は友達のご両親が、この車を使って、と僕たちに貸してくれました。
デモのプラカードも、誰かが印刷して僕らにくれるんです。
みんなチャリティで、応援してくれている。
だから、お金は大丈夫です」
あぁ、ミャンマー人だなぁ、と思う。
私の同僚のミャンマー人スタッフは、
たまに外にご飯を食べに行くと、必ずおごってくれる。
明らかに彼らよりお金をもっている私に「次は払ってもらうから」と言いながら。
(もちろん「次」はなかなかこない)
そして、前もって「私が全部出すから飲みに行こう」と誘うと
「予算はいくら?」と、どストレートな質問をし、
私のお財布事情に合わせて店を選んでくれる。
「もらえるもんはもらっとこう」的な卑しさが本当にないのだ。
(観光地の商売人はまた違うかもしれないが)
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今や、抗議活動をしている人であろうと、していない人であろうと
見境なく拘束・逮捕(そしてたぶん拷問)している国軍。
CDMのサポートをする彼はもちろん、
彼をかくまっている大家さんや、車を貸してくれる大人たち
ご飯を配る人や、プラカードを印刷する人・・・
無数の市民が、決して小さくないリスクを背負いながら
自分にできることをやっている。
その姿を見た人がまた、列に加わる。
表面上は、軍の信じられないようなアナウンス(※)に従って
NLDの旗をしまい、築いたバリケードを撤去した。
デモの数も減った。
(※)軍のアナウンスとは、例えば「軍政への不信感をあおったら(最高)死刑」、「バリケード張ったら周辺住民を撃つ」など。
だけど、ミャンマーの人たちは、強い。
正直、これまで私は何度か「もうダメなんじゃないか」と思った。
抗議活動を弾圧することを軍が宣言したとき。
大勢の若者が傷つき、殺されていったとき。
インターネットが遮断されたとき。
だけど、ミャンマーの人たちはいつも、あっと驚くような方法で
「その手があったか!」という創意工夫で、対抗し続けてきたのだ。
故障車(のように見せかけた車)を町中に放置して交通を止め、
兵士が近寄れないように、道にロンジーを吊るした。
夜間の銃声には、打ち上げ花火で応えた。
選挙で選ばれた(けど解散させられた)議員たちは、
自分たちで臨時政府(CRPH)をつくった。
反逆罪で指名手配を受けたCRPHのリーダーたちは、
「軍政に反対し、正義のために闘っていることが認められて、誇りに思う」と胸を張った。
国連では、国連大使がまさかの3本指で反軍政を示し、
今も国際社会に、反軍政を訴え続けている。
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状況はすこぶる悪い。
だけど私は、ミャンマーの人々の底力を、心から信じている。
Dr.Sasaの写真:https://www.scmp.com/news/asia/southeast-asia/article/3126234/myanmar-doctors-path-rural-village-leading-resistanceより