「私はインセイン刑務所に入っていた」
50人部屋で過ごした3週間

  • 2021/3/28

【編集部注】

市民への弾圧を強めるミャンマー軍。ここでは、3週間の拘束の後に仮釈放された若者が刑務所内の様子を振り返り語った内容を記録したFacebook投稿をご紹介します。

~ 以下、Faceboo投稿より ~

ヤンゴン市内でデモ隊の動きを見張る軍と警官の混成部隊 (c) 筆者撮影

 3日前(3月24日)、朝早く友人宅に向かった。そこには3週間インセイン刑務所に入っていた若い女性が待っていた。
 彼女はNさん。笑顔が印象的なやさしい雰囲気の女性だ。
 Nさんは3月の初めの午前中、某所にて若者たちと一緒にデモをやっていた。その地区を1時間ほどデモ隊と一緒に歩いているうちに、軍(警察)に包囲されてしまった。出口を失った彼女たちは軍から催涙弾とゴム弾を浴びせられた。彼女は痛みと苦しさでその場を動けなくなり逮捕されてしまった。
 逮捕時に抵抗していた人たちもいたが、警棒でなぐられるので大人しくせざるを得なかった。結局、逮捕されたのは全員で300人ほどだった。
 300人はデモ現場近くの役所前に集められ、所持品チェックが始まった。スマホはパスワードを教えるように命じられ、彼女はその時に持っていたバックも全て彼らが持っていった。
 所持品チェックが終わった後は、広いグラウンドに連れて行かれ、そこで夜まで待機させられた。その間、監視役は軍だった。若い兵士たちは少数民族ではなくアニャー(ミャンマー中央部)訛りのビルマ人たちで、汚い言葉でNさんたちを侮辱したりアウンサンスーチーを罵っていたという。彼女は反論したかったが、相手は暴力に飢えた兵士たちだ。我慢するしかなかった。
 結局、インセイン刑務所に到着したのは夜9時頃だった。警察官と刑務所の刑務官による取り調べがすぐに始まった。刑務官からは名前や住所などの基本的な情報を聞かれただけだった。警察官からは、なぜデモに参加したのか、リーダーは誰かなどを脅されながら聞かれたという。300人の取り調べが終わったのは夜中の2時だった。
 後でわかったことだが、インセイン刑務所は軍から言われた300人の入所を最初は断ったという。設備や人員が足りなくて対応できないためだ。しかし軍は、1日3食を1食にしてもいいから収容しろと、結局無理を通してしまった。また、軍は300人に対して嫌がらせをしろと刑務所に命じたという。しかし、刑務官たちがこの命令を実行することはなかった。
 インセイン刑務所では女性政治犯の大部屋として、50人部屋、80人部屋、90人部屋の3部屋あった。Nさんは50人部屋に入ることになった。ベッドなどはない。床はコリアコーゾーと呼ばれるクッション性が少しだけあるビニールシートがコンクリートの上に敷かれていた。そこに直寝であるが、上掛けはあった。男性政治犯用の大部屋の床はもっとひどくて、コンクリートの上にアンペラが敷かれただけで上掛けも何もなかった。
 彼女が横になると、隣との隙間はほんの少ししかなく、寝返りを打つのも大変だった。季節は3月、日中は40度近くなる頃だ。天井には扇風機が回っていたが、50人が隙間なく寝ている部屋はとても蒸し暑かった。
 大部屋の四方は細い渡り廊下のようになっていて、そこにはトイレや水浴び場も設置されていてた。トイレは上半身は丸見えで、臭いは部屋に漂ってきた。水浴び場もブルーシートで覆われているだけで、シャワーなどなく桶で体に水をかけていた。
 食事は1日3食。朝は6時から食べることは可能だった。メニューは毎日同じで、白湯と豆入りごはんだ。昼は豆と大根とごはんだ。夜は週3回だけ卵や肉が出た。米はNさんにとって今まで食べたことのないようなまずい米だったという。料理の味付けも塩味しかなく、食べるのに苦労した。ただ、差し入れは可能だった。彼女も差し入れがあり、友人たちと分け合った。
 彼女の一日はお祈りから始まった。仏教徒である彼女は朝5時からの読経を欠かさなかった。あとは、友人たちとのおしゃべりだ。それに飽きると、部屋の周りの狭い渡り廊下を歩くのが日課となった。
 彼女はこうした生活がいつまで続くか不安だった。しかし、3週間後に突然刑務所での生活が終わった。仮釈放されたのだ。仮釈放なので、将来裁判により3年間の懲役になる可能性もある。
 一緒に逮捕された300人の仲間の中で、男性10人と、女性3〜4人が仮釈放を許されず、今もインセイン刑務所にいるという。
 刑務所から戻ったNさんだが、自宅では3週間分の疲れがどっとやってきた。刑務所にいたときは気が張っていたので疲れを感じなかったのだ。ゆっくり自宅で休んでほしい。
 これからのことを聞くと、しばらくは様子を見ると言う。次に捕まると確実に懲役3年が言い渡される。彼女の笑顔を見ると、また活動を始めそうだった。
 ところで、彼女が連れて行かれたのがインセイン刑務所で幸運だったと思う。刑務所の刑務官はデモで捕まった人たちに対してひどい扱いはしない。同情的とも言える。しかし、逮捕後どこに連れ去られたのか未だにわからない人たちも多い。もし、軍の施設に連れて行かられると何をされるか分からない。実際、逮捕後にレイプや拷問などが行われているという情報がある。また、逮捕後に虐殺された人たちもいる。

 

 

関連記事

ランキング

  1. (c) 米屋こうじ バングラデシュの首都ダッカ郊外の街で迷い込んだ市場の風景。明るいライトで照…
  2. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  3.  ミャンマーで2021年2月にクーデターが発生して丸3年が経過しました。今も全土で数多くの戦闘が行わ…
  4.  2024年1月13日に行われた台湾総統選では、与党民進党の頼清徳候補(現副総統)が得票率40%で当…
  5.  台湾で2024年1月13日に総統選挙が行われ、親米派である蔡英文路線の継承を掲げる頼清徳氏(民進党…

ピックアップ記事

  1. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  2. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  3.  フィリピン中部、ボホール島。自然豊かなリゾート地として注目を集めるこの島に、『バビタの家』という看…
ページ上部へ戻る