「迫害される弱者への、共感のまなざし」
軍事クーデターによってもたらされた、前向きな変化の兆し
- 2021/7/3
【編集部注:】
クーデタ―に反対する市民に対して軍による弾圧が続くミャンマーですが、クーデターを機に、人々に前向きな変化も生まれているそうです。少数派イスラム教徒ロヒンギャへのまなざしが変わりつつある現地の様子を伝えるFacebook投稿を紹介します。
~ 以下、Facebook投稿より ~
「正直言うと、私はクーデターが起きるまで
少数民族の人たちよりも国軍の方に親近感を持ってた」
ビルマ族の友人が、そう打ち明けてくれた。
「でも今は違う。
クーデター後の軍の仕打ちを見て、少数民族の人たちがどんな目に遭ってきたか、ようやく理解したの」
クーデターなど起こらなければどんなに良かったかと思う。
でもクーデターのおかげで、良い方向に変わったことがあるとしたら
それは迫害される弱者への、共感のまなざしかもしれない。
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雨季のミャンマー。
この国でこの季節を体験するのはもう数回目だけれど
今年になって初めて耳にするようになった言葉がある。
「避難民の人たち、雨の中どうやって過ごしてるんだろう」
「ジャングルに逃げたカチン族の人たち、大丈夫かな」
ミャンマーでは、独立後から70年以上ずっと内戦が起きていた。
だから国境近くのエリアには、今ほどではないにせよ、いつもどこかに国内避難民がいたのだ。
にもかかわらず、ヤンゴンに住む多数派のビルマ族の人たちが
こうして少数民族を慮る言葉を自然に口にすることは、以前はなかったように思う。
まして、ロヒンギャにまで同情的になるなんて、誰が予想しただろう。
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あくまで私の感覚だが、少数派イスラム教徒ロヒンギャは
多数派のビルマ族からはもちろん、他の少数民族にすら嫌がられていた。
私は以前、シャン族やカイン族などの少数民族の友人に、
ロヒンギャに対する思いを聞いたことがある。
反応はすべて、否定的だった。
「あの人達はミャンマー人じゃない。移民だからバングラデシュに帰るのが筋だ」
「男性は女性にたくさん子どもを生ませるけど、女性も子どもも大事にしない」
「軍に攻撃されて追い出された、というけど、あれはやつらの自作自演」
などなど。
基本的に「超」がつくほど優しいミャンマーの人たちが、ロヒンギャには厳しかった。
私が反論しようものなら「外国人にはわからない」とシャッターをおろされた。
確かに、それはそうなのかもしれない。
(ちなみにスーチーさんは、ロヒンギャを保護する方向で動いていたけれど
こういう国民意識と、軍との微妙なパワーバランスよって、なかなか効果を上げられなかった)
そんなロヒンギャに対してクーデター後、FacebookやTwitterで
「今までごめんなさい」というコメントが出てきたときには、心底驚いた。
そして実を言うと、疑った。本当に、本気で言ってるの?と。
それでも、ミャンマー市民の唯一の希望であるNUG(民主派の政府)が
「ロヒンギャに市民権を与える」と約束し、それに文句を言う人もいない。
いったい、本当に本気で、ミャンマーの人たちは
ロヒンギャを受け入れようとしているんだろうか?
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疑り深い私は、ふたたび同僚や友人を捕まえて聞いてまわった。
ある人はこう話してくれた。
「軍がロヒンギャにジェノサイドをしてきたことを、私は、自作自演だと信じていたの。
でも、違った。同じ立場になってみて、軍の仕業だとわかった。
全く同じことが私たちにも起きて、ようやく真実がわかったの。
私だけじゃなくて、彼らに謝りたいと思う人はたくさんいると思う」
じゃぁ、彼らがミャンマー国籍をもつようになってもいいと思う?
「うーん、、、そこはイコールではないんだよね。
だって、ミャンマー人とロヒンギャは、あまりに違いすぎるでしょう。
言葉が違う。文化が違う。宗教が違う。
子どもをたくさん生むから、家族観も違う。
そして、彼らが移民であることには変わりない。
何をもって彼らを <ミャンマー人> と認められるんだろう?」
彼女の指摘はもっともだと思う。
公式に認められているだけで135もの民族が、独自の言語や文化を持つミャンマー。
ロヒンギャをミャンマー国民として認めるかどうかというのは、
「ミャンマー国民とは何か」という壮大な問いに、答えを見つける作業でもある。
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別の友人にも聞いてみた。
NUG(民主派政府)が、ロヒンギャに「兄弟姉妹のみなさん」と語りかけて
市民権を与えると約束してるけど、それはやりすぎ、という批判はないの?
「ないと思う。少なくとも僕は見たことがない。
もしそういう投稿があったら、それは軍側の罠だろうね。
多くの人が、<これは軍の支持者だ、だまされるな> とコメントすると思うよ。
そうやって人々の中に分断を生むのは、軍の得意技なんだよ。
今までそうやって何度も、ムスリムと仏教徒との対立がつくりだされてきたんだ」
・・・うーん、でも、もしかしたら
「反軍政だけどロヒンギャは認めない」という人だっているかもしれないじゃない?
「うん、確かに民主派の人たちの中にも
ロヒンギャを受け入れるところまでは気持ちがついていかない人もいると思う。
でも、たとえ意見が違っても、今はNUGを批判すべきじゃないと、皆思ってるんじゃないかな。
僕もそう思うよ。今は1つ1つの政策を取り沙汰して仲間割れすべき時じゃない。
とにかく団結して軍を排除するのが最優先なんだ」
じゃぁ、軍を排除してNUG政府になったら、そういう政策の違いで揉めたりする?
「そうだね。NUG政府になったら、今は見えない意見の対立が表に出てくるかもね。
それは残念なことではあるけど、でも今仲間割れして軍政に屈するよりはずっといい。
ロヒンギャの問題には、長い歴史があるんだ。
僕たちは誤ったことを信じてきたし、ロヒンギャだってそんな僕らに不信感があるだろう。
どういう風にロヒンギャを受け入れるかは、NUG政府のもとで、みんなで考えていかなきゃいけないよね」
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その後、ある友人が「こんな記事を読んだよ」と教えてくれた。
ビルマ語で書かれたそのオンライン記事には、こんなことが書いてあったという。
もしNUG政権になって、ロヒンギャに正式に市民権が与えられたら、
(地理的に同じエリアに暮らす)ラカインの人々は、
「NUGが受け入れるなら、そちらで引き受けて下さい」と
ロヒンギャをビルマ族のエリアに追い出すかもしれない。
そのときNUGは、どうするだろう?
ロヒンギャをラカインの問題にしてはならない。
これは新しい「ミャンマー連邦」の課題だ。
ロヒンギャもラカイン族も、その他の民族も、みんなで頭を寄せて話し合おう。
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奇しくも、軍事クーデターによってもたらされた、前向きな変化の兆し。
クーデターがなければ、ここまで劇的な変化は起きなかっただろう。
民主主義を取り戻して、連邦制を築いたら、
ミャンマーはきっと以前よりもっと優しい国になる。
がんばれ、ミャンマー。