「全焼した村」

  • 2021/6/26
【編集部注:】
ミャンマー中央部の乾燥地帯にある村が全焼したそうです。周囲を巻き込み、見せしめにして恐怖を植え付ける軍の脅しが繰り返される現地の様子を伝えるFacebook投稿を紹介します。
 
~ 以下、Facebook投稿より ~

焼け出されたキンマ村。 ちなみに軍営メディアの記事にはこう書いてあった。 「反政府テロリスト(=市民側)が火を放った。治安部隊(=軍)は、平和な住民の家に火を放ったテロリストを逮捕するために頑張っています」 (c) Global New Light of Myanmar

最近ミャンマーで、いろんなものが燃やされている。
1週間ほど前には、避難民への支援物資であるお米や薬が燃やされた。
3日前には、ミャンマー中央部の乾燥地帯にあるキンマ村が全焼した。
焼け跡に座り込んで号泣する人たちの動画。
柵の中で黒焦げになった家畜の写真。
それにしても、なぜこの村が焼かれなければならなかったのだろう。
ミャンマー人の同僚に「何か特別な村なの?」と聞くと、
こんな事情を教えてくれた。
「数日前に別の村で、軍が交代させた村長(軍支持者)を
 PDF(反軍政の市民グループ)らしき人たちが襲撃に来たの。
 結局それは未遂だったんだけど、そのうちの一人が乗ってたバイクのナンバーを軍が調べたら
 バイクのオーナーとして登録されていたのが、キンマ村の人だったんだって」
はぁ? と、思わず耳を疑った。
そんな何の証拠もないようなことで、250軒あまりの家を灰にしたのか…。
それに、そもそもバイクのオーナーの名義は、使用者とは違うことも多い。 
だから仮に本当にオーナーの名義がキンマ村の住民だったとしても、
実際そのバイクに乗っていた人がオーナー本人かどうかはわからない。
というのは、ミャンマーではバイクは中国やタイからの輸入なので、
まず輸入業者などが名義登録をし、買った人があとで名義変更の手続きをしなければならない。
でも、手続きにはお金がかかるし、名義を変えなくてもあまり問題にならないので、
前の名義のまま使う場合が多いのだという。
外国人の私でも知っているそんな事情を、まさか軍が知らないわけはないと思う。
もちろん、もし本当にPDFの一員がキンマ村に住んでいたのだとしても、
村をまるごと燃やす理由には到底ならない。
それでも、こうして周囲の関係ない人を巻き込んで脅すのが軍のやり方だ。
軍による見せしめを、この数カ月、いったいどれほど見ただろう。
デモ隊をかくまっただけの人が殺され
CDM参加者の家族が拘束され
軍を攻撃した少数民族集団と、同じ民族の村々が空襲を受けた。
本当に、卑劣。
==
キンマ村の住民たちは、村を離れた。
ある人は市街地へ、ある人は近隣の村へ、ある人はジャングルの中へ逃げたという。
連日しのつく雨のミャンマーで、無事に暮らしていけるだろうか。
Facebookではすぐに、有志による寄附の呼びかけが始まった。
キンマ村に心を寄せる人たちによって、投稿は次々にシェアされていく。
ミャンマーはかつて、4年連続で世界寄附指数ランキング1位を誇った国。
世帯調査には、支出の欄に「食費」「教育費」などと並んで「寄付」があるほどだ。
きっとたくさんの人がお金を送ったのだろう、
しばらくすると、寄附を集めた近隣村の住民がFacebookに写真を投稿した。
「みんなのおかげで○○村にこんなに物資が集まりました!」
その投稿には、どんどんコメントがつき始めた。
喜びや感謝のコメントではない。
「村の名前は出さない方がいい」「早く投稿を消さないと軍が来る」
…もはや寄附さえも危険行為になってしまったのだ、と改めて思う。
軍はミャンマー人の精神や文化をも攻撃している。
==
田舎で暮らす両親をもつ知人は、キンマ村の話をしながら
ふと「私の村も、いつ燃やされるかわからない」と言った。
「えっ、どうして?何か特別な村なの?」と、私は同じ質問を繰り返す。
彼女は「特別なことはないんだけどね…」と、村の事情を話してくれた。
彼女の村は、500世帯ほどある大きな村で、小さな公立病院があるそうだ。
その病院の医療者は、クーデター後にCDM(軍への不服従運動)で病院を去った。
そこで、3月に近くの軍病院から軍医が派遣されてきたのだが、
同時に兵士も病院に駐屯し始めたため、村における軍の拠点ができてしまったのだという。
当然、ほとんどの村人はそれをよく思わない。
良く思われていないことをわかっている軍は、警察官を動員し
連日のように、夜中に村の人たちを逮捕して回るようになったという。 
先手必勝とばかりに、疑わしきを罰しているわけだ。
「もし村の人の怒りが頂点に達して、軍に対して何か行動に出れば
 私の村も一気に焼かれてしまうかもしれない」と、彼女は不安げに言う。
ミャンマーの農村部は、竹でできた家が多い。
一旦火がつけば、容赦なく燃え上がり、数分後にはすべて灰になるだろう。
「私の両親は高齢だし、特に父親は持病があるでしょう。
 もし村が焼かれたら、父はきっと逃げられないと思う」
以前、お父さんが入院したときには、故郷に飛んで帰っていた彼女。
その不安を思うと、胸が締め付けられる。
こういう思いをしている人が、
ミャンマー中にいったいどのくらいいるんだろう。
==
こんなやり方で、軍はこれからも支配を続けるのか。
これがこの国の政府だなんて、悪夢だ。
そんなガックリした気分になっていたのだが
その日、ミャンマー人の友達が元気をくれた。
久しぶりに会った彼女は、少し疲れた顔をしていたけれど
「今日は朝からお米と油を配ってきた」と笑顔で話してくれた。
(ミャンマーの食糧支援は、お米と油が基本です)
軍に目をつけられないよう、軍がこなさそうな場所を知人に聞き、
朝早くからトラックに食料を積みこんで、
バレないように配ってきたのだという。
彼女が見せてくれた写真には
低所得であろう人たちが、長い列をつくって支援を待っていた。
「量が足りなかったから、今度はもっとたくさん持っていく」
そう話す彼女も、このクーデターのせいで、仕事に大きな損失が出ているはずだ。
それでも「だって、この人たち可哀想でしょう。私は仕事があるから大丈夫」と言い
翌日も、別の困っている人たちにお金を渡しに出かけて行った。
その情の厚さと、見返りを求めない行動力に、ただすごいなぁと思う。
ひとりひとりが、今持っているものを進んで差し出す。
だから、困ったときは誰かが支えてくれる。
ずっとそうやって生きてきたのだろう。
そして、これからもミャンマーの人たちは
与え合い、支え合って、軍の弾圧下を生き抜いていくのだろう。
この人たちが負けるはずはない。
そう自分に言い聞かせて、前を向く。

キンマ村で起きたという出来事がTwitterでイラスト化されていた。「急いで逃げなきゃ」という息子や娘に「私たちは走れないから家に残るけど、年寄りは狙われないから大丈夫だよ」と答える夫婦。 息子・娘たちは、両親の食べ物を準備し、外から鍵を閉めて(おそらく誰もいないと思わせるため)赤ん坊を抱えて、走って逃げる。 そして逃げている途中で、村に火の手が上がるのが見える (c) Civil Disobedience Movement / Twitter

これも、カヤー州への支援物資の焼け跡。 医療への攻撃は人道に対する罪で、明確な国際条約の違反だ。 (c)The Irrawaddy

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