フィリピン・マニラの最貧地区で始まった挑戦(上)
格差社会が抱える矛盾とコロナ禍を生きる人々の苦悩

  • 2020/12/2

世界中で猛威をふるう新型コロナウイルス。フィリピンでは今年3月初旬に初の国内感染が確認された後、すぐに厳しいロックダウンが実施されたが、8月上旬からは第二波に見舞われている。本稿では、深刻な影響を受けているマニラ首都圏の貧困層の暮らしを紹介する。

 途方に暮れる人々 ~トライシクルドライバー、ロニーの場合~

 真夏の太陽が照りつける4月のマニラ。今年30歳になったロニーは3000ペソ(約6000円)かけて取得した業務用免許証を握りしめながら、トライシクルの影を見つめていた。バイクの横に客車を据え付けたトライシクルは、庶民の日常生活に欠かせない足だ。ドライバーの後ろに2人、客車に3人、無理をすれば4人、時にはそれ以上のお客や、荷物を屋根や後部にも満載にして、大気汚染と渋滞にまみれたマニラの市街地を走り回る…平時であれば。

ロックダウンで動きを止めた市民の足、トライシクル(マニラで4月中旬、筆者撮影)

 しかし、生計の基盤となるはずのトライシクルは3月16日から動きを止めたままだ。フィリピン政府がルソン島全域を対象に課したロックダウンにより、あらゆる交通機関―電車、バス、ジプニー、タクシー、そして配車アプリのGrab(グラブ)からトライシクルまで―の運行が禁止されたからだ。銀行口座も貯蓄もなく、育ちざかりの4人の子どもたちと夫婦の食費、月1500ペソ(約3000円)の家賃、500~600ペソ(約1000円)の光熱費を支払えるあてもない。

 大家は、家賃の延滞を認めてくれた。政府からは、2週間分の缶詰やコメが配給された。一家庭あたり7000ペソ(約1万4000円)の補助金が支払われるという話もあった。しかし、役所に赴くと、申請書類が足りないため後日来るよう言われ、日を改めると、支給期間は終わったと告げられた…。

~建築作業員、ドナルドの場合~

 7月中旬、激しい夕立がトタン屋根を叩きつける音が響く中、36歳のドナルドは部屋を照らす小さな豆電球の下で頭を抱えていた。隣には、腎不全で弱った妻ルセルが横たわっている。これまでは建築の現場作業員として月2万ペソ(約4万円)を稼いできたが、ロックダウン開始と同時に現場は閉鎖され、収入も途絶えた。仕事を見つけようと走り回ったが、見つかったのは、自分と同じように職を求める人々だけだった。

 妻の容態を保つには、週3回の透析が欠かせないが、一回の費用は950ペソ(約2000円)。月に1万ペソ(約2万円)以上かかる。政府の保険プログラムがカバーしてくれる上限額は、先月突破した。コロナ対応のための経済対策で財政赤字が激増した政府には、透析費用の補助を拡大する余裕もなさそうだ。2年前に3歳で亡くなった長男の笑顔が頭をよぎる。「俺は、日々弱っていく妻を見ていることしかできないのか…」。ドナルドは壁に掛けられたイエスの肖像を眺めながら、自分の無力を呪った。8歳の長女ステファニーは、そんな父の背中を柱の陰から見つめていた。

ロックダウンと終わりの見えない感染拡大

 フィリピンで初めて新型コロナウイルスの感染者が出たのは、1月30日だった。中国武漢からの旅行者で、一人は回復したが、もう一人は死去。中国国外でコロナによる死亡が確認された初のケースとなった。ドゥテルテ大統領は翌31日、中国湖北省からの旅行者の入国を禁止。2日後には対象を中国、香港、マカオからの全ての外国人へと拡大したが、一カ月後の3月5日に国内感染が確認された。

入店制限のためにスーパーの前にできる長蛇の列(マニラで5月中旬、筆者撮影)

 筆者を含め約2000人が勤務するアジア開発銀行(ADB)の本部も、来訪者に感染者が出たことが判明したため、3月12日に急遽、閉鎖された。その週末にはフィリピン全土で76人の新規感染者が確認され、6人の死者が出て、政府はロックダウンに踏み切った。以来、マニラでの生活と風景は一変した。

 交通機関は全面的に運休。商店も、銀行、スーパー、薬局など、生活に不可欠なサービスを除き営業が停止され、普段は賑わう巨大モールはシャッター通りとなった。スーパーも、営業時間に加え、一度に入店できる人数が制限され、入り口には社会的距離を保ちながら入店を待つマスク姿の客の列ができた。教育機関もすべて閉鎖。生活必需品の調達や医療機関の受診、銀行やガス、電気、インターネットなど生活インフラを提供する企業への出社以外、外出も禁じられた。マニラを擁するルソン島と、それ以外の島々とを結ぶ飛行機や船も欠航となり、国際線はごく限られた出国と、海外で働くフィリピン人とその家族の帰国に限定された。

病床不足を解消するためスポーツ競技場を軽症者用病棟に変える作業が急ピッチで進む(マニラで4月初旬、筆者撮影)

 厳格なロックダウンは、脆弱な医療体制と裏腹の関係にあった。1億600万人の人口を擁するフィリピンだが、保健省によると、4月頭時点で利用可能な人工呼吸器は、国中かき集めても1263個で、重症患者向けICUは4300床。医療従事者を守る防護服なども圧倒的に不足していた。新規感染者数が3~4日ごとに倍増する中、マニラ市内の大病院は相次いで新規患者の受け入れを断らざるを得なくなり、ひとたび重症化すれば、ろくな治療も受けられないまま、運を天に任せるしかない状況になった。

 ロックダウンは、5月30日まで2カ月にわたり続いた。その後、マニラ首都圏はおそるおそる制限を緩和したが、感染者数や死者数の減少と軌を一にしたわけではなかった。状況はむしろ逆で、特に7月以降、疫学上の不幸指数はいずれも上昇。8月6日には累積の新規感染者がインドネシアを抜いて東南アジア最高となり、8月10日には一日の感染者数が6871人を記録した。

 これを受け、フィリピン政府は8月半ば、経済活動の制限の再強化に踏み切った。過去10年間、年平均6%の経済成長を続けてきたフィリピンだが、アジア開発銀行の今年9月の発表によると、2020年の経済成長率は東南アジアで最悪となるマイナス7.3%と見込まれ、失業などで新たに約150万人が貧困の底に沈んでいる。

ショッピング・モールの入り口に設置された検温・消毒システム。入館にはマスク及びフェイスシールドの着用が必須だ(マニラで9月中旬、筆者撮影)

 10月末には新規感染者は一日平均1500人~2000人に「落ち着き」、政府や医療従事者の努力と世界からの支援もあって、医療崩壊と言うべき状況は脱しつつあるが、終息はほど遠い。前出の保健省統計によると、10月末時点の累計感染者は37万6935人に上り、7147人が命を落としている。

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