忘れられた「日本人」
戦後75年 フィリピン残留2世たちの今

  • 2020/8/2

 フィリピンには戦前、3万人をこえる日本人が移住し、豊かな社会を築いていた。フィリピン人女性と結婚して家族をもった者も多かったが、生まれた子どもたちは太平洋戦争の中で現地に取り残され、息をひそめるように生きてきた。15年にわたり数百人の身元確定と日本国籍の回復を支援してきた猪俣典弘氏(フィリピン日系人リーガルサポートセンター 事務局長)が、ある姉弟たちの半生と就籍が実現するまでの軌跡を通じ、残留2世たちを取り巻く環境を紹介する。

フィリピン残留2世に聞き取り調査を行う猪俣典弘氏(右) (筆者提供)

父の名はカトウ

 2013年8月。東京の家庭裁判所に9人のフィリピン残留日本人の姿があった。その中の一人、カトウ・イニア・ノブコさんは、フィリピンのミンダナオ島にある南コタバトの海沿いの町、キアンバから調査官による面接を受けに来ていた。

「父の名前はカトウ。母はチボリ族のマノン・トゥナン。私は2人の長女として1933年に生まれました。その下に妹のハルエ、末っ子が弟のカズオがいます。3人兄弟です」

フィリピン残留2世のカトウ・イニア・ノブコさん。後に、加藤イニア信子さんと判明する(筆者提供)

 1933年生まれのノブコさんは、戦前や戦中に父と過ごした日々を鮮明に覚えている。父、カトウさんは戦前、キアンバに入植し、チボリ族の女性と出会い結婚。以来、大工として働く傍ら、アバカ麻やラミー麻などを栽培して生計を立てていた。キアンバには、カトウさんのようにチボリ族の女性と結婚した日本人移民が大勢暮らしていたという。

 「父は、日本人の宴会によく連れていってくれました。とても歌が上手で、太ももくらいある緑色の大瓶に入った酒を飲んでは、よく歌っていましたね。でも、子どものしつけには厳しくて、食事中にご飯粒をこぼしたりすると叱られたものです」

 そんな穏やかな日々は、長く続かなかった。1941年12月に太平洋戦争が勃発すると、日本人移民が多いキアンバは、フィリピン人ゲリラの格好の標的となった。ノブコさんは、チボリ族の女性と結婚していた親せきのヒサツグヤヒチさんはじめ、サイトウさんやコジマさんら日本人が次々とフィリピン人ゲリラに殺されたのを覚えている。この時から父の祖国が母の国の敵となり、フィリピンで地元の人々と平和に共存していた日本人社会は、あっという間に崩壊した。

 「キアンバにいるのが危険になり、私たちはほかの日本人と一緒に、日本軍が駐屯していたコタバトの町に逃れました。コタバトに到着して一週間後に母が病気で亡くなったので、父は日本式に母を火葬しました」

ノブコさんは、母が亡くなった後、父がつくった母の位牌を今も大切に手元に置いている(筆者提供)

 カトウさんは、妻の遺灰を箱に入れ、木片で位牌を作ったという。箱はその後、ジャングルを逃避行中に落としてしまったが、位牌は大切に守り抜き、今なおノブコさんの手元に残っている。墨で書かれた「加藤……位牌」という黒い文字がうっすら残っているのを見るたび、食事のたびに位牌にご飯を供え、手を合わせていた父の姿を思い出すという。

ジャングルで衰弱死

 カトウさんはコタバトに移ってから日本軍のための飛行場建設の現場監督として働いていたが、戦局は日に日に厳しさを増していった。

「ゲリラの襲撃を恐れた日本人たちは、次々にジャングルに身を隠したので、私たちも日本人の夫を殺されたマミケルさんというチボリ族女性と一緒にそうしました。ジャングルには食べ物がなく、ひもじかったですが、木の実や芋など、マミケルさんが食べられるものを見極めてくれたのでなんとか食べつなぐことができました。でも、父は下痢がひどくなり、どんどん衰弱していきました」

ノブコさんらがジャングルで出会った元日本兵のワダさん。後に、和田栄四郎さんと判明し、奇跡的に再会を果たす(筆者提供)

 ある日、ノブコさんたちはジャングルでカトウさんと同じように衰弱し動けなくなっていた日本兵と出会う。ワダさんという日本兵だった。間もなく、カトウさんが息を引き取り、子どもたちはワダさんに手伝ってもらい、亡骸を埋葬した。時は1945年10月。すでに戦争は終わっていたが、ジャングルで息をひそめていたノブコさんたちに知らせは届いていなかった。

 投降を呼びかける元日本兵らの声を聞いて終戦を知り、ジャングルを出たのは、戦争が終わって半年以上経った頃のこと。日本に強制送還されたワダさんと別れ、収容所に入れられた子どもたちとマミケルさん。その後、交通費を工面してキアンバに戻ってみると、かつての故郷は一変し、反日感情が渦巻いていたため、マミケルさんは母親代わりとしてノブコさんたちをフィリピン人として育てた。生活に余裕はなく、ノブコさんは16歳の時にイスラム教徒の男性と結婚。11人の子どもを産み育てた。父の下の名前すら憶えていないノブコさんだったが、母の位牌だけは常に手元に置いて生きてきた。

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