シリアに放置される「“敵”の子どもたち」
ISIS掃討作戦後の難民キャンプに残された子どもたちに国際社会はどう向き合うのか

  • 2023/8/28

 イラクからシリアにかけて広範囲を支配したイスラム教原理主義過激派の武装組織、ISIS(イスラム国)。2014年には、指導者のアブー・バクル・バグダディーが「預言者の後継者」を意味する「カリフ」を名乗り、国境地帯に国家の樹立を一方的に宣言して世界中を恐怖に陥れました。その一方で、「カリフ国家」の理想に共感し、世界各国からシリアに移り住む人々もまた、数多くいました。その後、米国主導の有志連合軍による掃討作戦によって、ISISは2017年に崩壊したとされているものの、シリア北東部の難民キャンプには多くの子どもたちが取り残されており、彼らの帰還は進んでいません。

 あまり知られていないこの問題について描いたドキュメンタリー映画『“敵”の子どもたち』(2021年、スウェーデン、デンマーク、カタール)が今年9月、日本でも公開されます。人と人をつなぎ、世界の課題を解決することを掲げて映画の配給を行うユナイテッドピープル株式会社の関根健次さんが、本作との出会いと、配給を決めた理由について綴ります。

孫たちの救出に奮闘する男のドキュメンタリー

 世界には、報道で取り上げられていなくても、信じがたい状況に追い込まれている人々が数多く存在している。そうした人々に光を当てる役割も担っているのが、映画だ。2002年にユナイテッドピープルを設立して以来、長年にわたり映画の配給を手掛けてきた筆者は、相当数の作品を観ていると自負しており、正直、どんな映画を見てもそう簡単には驚いたりしないと常々思っている。しかし、映画『“敵”の子どもたち』(原題:Children of the Enemy)を初めて見た時には度肝を抜かれ、「心を揺さぶられるドキュメンタリーとまた出会ってしまった」と感じた。

 映画の舞台は、シリアの難民キャンプだ。シリアやイラクでISISが「カリフ国家」の建設に向けて勢力を拡大していた頃、その主張に賛同する人々が、欧州をはじめ世界各地から移り住んだが、ISIS掃討作戦を受けて死亡。幼いうちに彼らに連れて行かれたり、現地で生まれたりした子どもたちが、母国に帰ることができず劣悪な環境下で取り残されている実態を描いている。

パトリシオの孫たち (映画のワンシーンより) ©Gorki Glaser-Müller/筆者提供

 主人公のパトリシオ・ガルヴェスは、チリで生まれ、スウェーデンに移住したミュージシャンだ。娘のアマンダは、パトリシオの元妻とともにイスラム教徒に改宗し、その後、国内で最も悪名高いISISメンバーの男性と結婚。2014年には、カリフ国家の建設に参加する夫と共に、子どもたちを連れてシリアに密航した。パトリシオは、スウェーデンに帰ってくるように何年にもわたり説得を試みるものの、娘は聞き入れようとしなかった。その一方で、娘は次第に生活が困窮し、パトリシオに資金援助を求めるようになるが、ISISに資金が入り支援につながる恐れがあるからと彼が断っているうちに、娘夫婦はISIS掃討作戦の空爆を受けて死亡した。こうして、1歳から8歳まで計7人の彼女の子どもたち、つまりパトリシオの孫たちが、シリア北東部にあるアルホル難民キャンプに遺されたのだ。

 「娘は失ったが、孫は救いたい」。その一念で、スウェーデンからシリアに決死の決意で孫たちを迎えに行こうとするパトリシオだが、当初はスウェーデン政府からはなかなか協力を得られないうえ、SNS上では「テロリストの子どもを連れて帰るな」「子どもたちとシリアに留まれ」などと、大バッシングにあう。映画『“敵”の子どもたち』は、そんなパトリシオが、「子どもたちには罪はない」と訴え続け、シリアの難民キャンプから命懸けで孫たちを救出するために奮闘する姿に密着したドキュメンタリーである。

 彼の強くて揺らがない覚悟の源泉には、娘を救うことができなかったことに対する後悔があるように思う。ミュージシャンとして活動していたパトリシオだが、必ずしも順調とは言えず、妻とは離婚。以来、娘と共に暮らすことはできず関係は希薄だった。シリアから帰ってくるように説得することに失敗したうえ、頼まれた経済支援は拒絶したことで結果的に娘を永遠に失ったことへの懺悔の気持ちが、孫たちの救出という行動に彼を駆り立てたのだ。

アルホル難民キャンプに残された7人の孫たちを取り戻そうと奔走するパトリシオ(映画のワンシーンより) ©Gorki Glaser-Müller/筆者提供

帰還者の受け入れを拒否する根強い声

 この映画で描かれているのは、決してISISが過去に残した、中東地域の特殊な問題などではなく、国際社会にとって無視できない人道問題だ。その理由は三つある。

 第一に、パトリシオが孫たちの救出に向かったシリア北東部のアルホル難民キャンプには、今なお5万人以上が収容されており、シリアの国内避難民とイラクからの難民以外に、外国人も約1万人、収容されているためだ。世界約90の国々で活動する非営利の医療・人道支援団体「国境なき医師団」の報告によれば、彼らはイギリスやオーストラリア、中国、スペイン、フランス、スイス、スウェーデン、マレーシアなど、60あまりの国々から来た人々だという。5人に1人が外国人という計算だ。「国境なき医師団」は、「キャンプは常に過密かつ非衛生的で、物資も不足しているうえ、ラディカルな思想を持った人々がいるため安全ではない。子どもたちが過ごすべき場所とはとても言えない。事実上、巨大な屋外監獄のようなキャンプで生まれた子どもたちは、暴力にさらされ続けている」と、強く警鐘を鳴らす

 赤十字国際委員会(ICRC)のファブリツィオ・カルボーニ中東事業局長も、「移送中に家族が離れ離れになってしまうケースが少なくないうえ、一定の年齢に達した少年は家族から引き離されて大人用の施設に移されるため、子どもたちは恐怖におびえながら暮らしている」と指摘。さらに、「大人たちの置かれている状況も看過できない。一人一人が法的手続きにのっとり、正当かつ人道的な処遇を受ける権利を有している」として、国際社会に対して問題解決に向けた連帯を求めている。

©Gorki Glaser-Müller

 こうした状況を受けて、国連は、シリア北東部のアルホル難民キャンプにいる外国人が本国に帰還できるよう、各国に受け入れを呼びかけている。国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチの報告によれば、2019年から2022年11月までに1500人以上が母国に帰還した。スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ドイツ、カザフスタン、コソボ、ロシア、タジキスタン、ウクライナ、米国、ウズベキスタンは、すでに自国民のほとんどをキャンプから受け入れ、オーストラリア、フランス、オランダも2022年から受け入れを再開している。しかし、カナダ、モロッコ、トリニダード・トバゴ、イギリスなどへの帰還は進んでいない。映画で描かれているように、「ISISに共鳴してシリアに渡った人々は自分たちを脅かす“敵”であり、彼らの子どもたちは“敵”の子どもたちであるため、帰ってきてほしくない」という拒否感が社会に根強いためだ。

親の「罪」を負わされる子どもたち

 国際社会がこの問題を無視できない第二の理由は、「世界人権宣言」だ。国際社会は1948年、数千万人もの死者を出した第二次世界大戦の惨禍を繰り返さないために、国連総会の場でこの宣言を採択した。第一条、および第二条では、すべての人間が生まれながらにして自由であり、平等な尊厳と権利を有することや、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、出自、財産、地位などの理由で差別されることなく権利と自由とを享有できること、そして、独立国、信託統治地域、非自治地域、他の主権制限下など、場所によらず差別は許されないことなどが謳われている。アルホル難民キャンプの子どもたちがISISにゆかりがあるという理由で「人としての尊厳」を奪われている実態は、世界人権宣言が掲げるこの精神に反していると言わざるを得ない。

 そして第三の理由として、「“敵”の子ども」の問題の普遍性だ。筆者は最近、『私はカーリ、64歳で生まれた』(カーリ・ロースヴァル、ナオミ・リネハン著、速水望訳、海象社、2021年)を読む機会があった。カーリが64歳の時に知った自らの出自は、衝撃的なものだった。彼女の両親はナチス親衛隊の男性とノルウェー人女性で、ナチスがかつて「純粋」なドイツ民族アーリア人を増殖するために設立した施設「レーベンスボルン」の中で生まれたのだ。彼女は自分の過去を探求することで悲しい現実や新たな試練に次々と直面するが、希望を持ち続けて人生を変えていく。彼女が1歳の頃にスウェーデン赤十字によって救出されて、スウェーデンで育てられたことは幸いなことだった。もしも母親の祖国であるノルウェーに連れて行かれていたら、全く違う人生になっていたかもしれない。ナチス・ドイツに侵略されたノルウェー社会ではナチスに対する反感感情が高く、この計画に協力した女性たちの多くは収容所に送られ、「レーベンスボルン」で生まれた子どもたちは、虐待や性的搾取を受けたり、恣意的な検査により知的障害施設に送られたりしたからだ。

 この問題は、日本にとっても他人事ではない。「敵の子ども」として差別された子どもたちは、戦後の日本にも存在した。日本人女性と米軍兵士の間に生まれた子どもたちだ。彼らは、学校でも、就職する時も、差別され続けたという。1948年に神奈川県内に設立された児童養護施設エリザベス・サンダース・ホームは、こうした子どもたちの救済を目的としていた。

 親の罪を子どもに負わせることの是非。親がどんな人間かによって、子どもに偏見をもち、差別してしまうことの是非。映画『“敵”の子どもたち』が問うのは、まさにこういう問題だ。

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