拘束長引く日本育ちのミャンマー人映像作家
二つの「祖国」をつなぐ夢、中断からまもなく半年

  • 2021/9/27

 ミャンマーでクーデターが発生して10月1日で8カ月。現地では、抗議する市民への厳しい弾圧が今なお続き、人権団体の調べによると、2月1日以来、学生や子どもなどの民間人に加え、政治家や俳優、ジャーナリストら1000人を超える人々が殺害され、6400人以上が今なお拘束されている。そうした中、日本で育ち、永住権を持つミャンマー人映像作家の男性も、長期にわたって収監されていることをご存知だろうか。関係者の証言を通じて男性の素顔と描いていた夢が浮き彫りになるにつれ、「ミャンマーの現状は決して日本と無関係ではない」という、悲鳴のような叫びが聞こえてくる。

在日ミャンマー人の映像作家テインダンさん(37歳)

自身の経験を基に卒業制作
 日本の中学校に通うミャンマー人のアウンミンは、常に苛立っていた。日本語はほぼ理解できるが、相手から見下されていることも敏感に察してしまうがゆえに、クラスメートの女の子に話しかけられてもうまく答えられず、部活の先輩や仲間とも衝突を繰り返す。それでもミャンマーの友人からの電話では、つい「日本は楽しい」「級長をやっているよ」と見栄を張っては一層落ち込む、不器用な性格だ。家族とも口論になって家を飛び出したアウンミンは、ある出会いを機に少しずつ変わっていく―。

9月上旬、短編映画「エイン」の上映会が開かれた

 9月上旬、在日ミャンマー人の青年のひりつくような葛藤と希望を描いた短編映画「エイン」の上映会が開かれた。監督のテインダン(モンティンダン)さんは、1984年にミャンマーの最大都市ヤンゴンで生まれ、6歳の時に父の仕事の都合で家族と共に来日した。日本で育ち、永住資格を有している。この日上映されたのは、日本映画学校(現在の日本映画大学)で演出を学んだテインダンさんが、自分の経験を基に卒業作品として2006年に制作したもの。タイトルの「エイン」はミャンマー語で「家」を意味する。
 成人してからも日本を拠点にフリーランスの助監督として映画制作に携わる傍ら、俳優養成所学校に所属し役者としても活動していたテインダンさんは、2018年に日緬合作で制作された映画「My Country My Home」に関わったのをきっかけに、ミャンマー進出を決意。東京とヤンゴンに相次いで会社を設立し、両国を頻繁に行き来して芸能人のプロモーションやマネジメント、映画制作、子役の養成などを手掛けるようになった。

活況を呈していたクリエイティブ業界
 2011年、約50年にわたって続いていた軍政から民主的な統治への移行が実現したミャンマー。それからの10年間は、テインセイン大統領(当時)の下で民主化や国民和解に向けた前向きな取り組みや経済改革が進められ、新聞や雑誌の事前検閲の廃止や民間の日刊紙の認可など報道規制も緩和された。2017年には少数派イスラム教徒ロヒンギャへの軍事弾圧を取材していたロイター記者2人が逮捕され、後に有罪判決を受けるなど、必ずしも一足飛びに民主化が進んだわけではなく、国内外からたびたび非難や失望の声も上がったものの、以前に比べれば言論や思想を自由に発表できる場は格段に増え、1988年8月8日の「8888民主化運動」後に海外に逃れていた表現者や創作者たちが次々と帰国するなど、映像やクリエイティブ業界は活況を呈しつつあった。テインダンさんがこの地に自身の創作活動の足場を築こうとしたのも、こうした祖国の機運に背中を押されたためではなかったか。

2011年以降、言論や思想を表現できる場は広がり、映像やクリエイティブ業界は活況を呈しつつあった (c) Elijah Flores / Unsplash

 ミャンマーに進出した日本企業のCMを制作したり、イベントの通訳やプロモーションビデオの制作に協力したりと精力的に活動の幅を広げつつあったテインダンさんは、持ち前の明るさと人懐っこさから在留邦人の間でも顔が広かったようだ。一緒に仕事をしたことがある日本人は、「ミャンマーを盛り上げるためになんでもやります、と初対面の時から意欲的に語っていた」「あまりに自然に日本語を話し、振る舞いも日本人的なので、ミャンマー人であることをつい忘れてしまうほどだった」と、振り返る。

現場で存在感を発揮

 ヤンゴンを拠点に取材や発信を続けていたジャーナリストの北角裕樹さんも、テインダンさんと親しくしていた一人だ。知り合いのミャンマー人映画監督から声を掛けられ、第二次世界大戦下の日本軍の大佐役を演じることになった北角さんに指示を伝える通訳として紹介されたのが、テインダンさんだった。その後、日本語ができて演技経験もあることが買われて北角さんの部下の将校役として撮影に参加することになったテインダンさんは、助監督の経験を生かして現場を仕切るようになり、撮影終了後は編集にも助言するなど、遺憾なく存在感を発揮していたという。「ミャンマーには、日本で現場を踏み、スキルを持っている人材がほとんどいないため、必要な人材だと感じた」と、北角さんは振り返る。

2021年8月下旬にオンラインで開催されたスペイン・マドリード国際映画祭の授賞式の様子 (c) Madrid IFF 2021

 実際、ダンさんが日本で監督した短編映画「MEGURU」は2020年、ミャンマーのインディペンデント映画を支えるワッタン映画祭で審査員特別賞を受賞。さらに、小布施短編映画祭では鴻山部門作品賞を受賞した。今年8月下旬に開催されたスペイン・マドリード国際映画祭でも、受賞には至らなかったものの、新人監督部門や外国語短編映画脚本部門など4部門でノミネートされたほか、9月には、ながおか映画祭や、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でも相次いで上映された。

 2010年にワッタン映画祭を立ち上げた運営メンバーの一人、トゥトゥシェインさんは、「MEGURU」の受賞理由について、「現代社会は、多くの人々に快適でより良い生活環境をもたらしたが、同時に、人間関係や仕事、人生に新たなストレスや負荷も生まれた。テインダンさんは、技術的には最も進んだ社会の一つ、日本で映画を撮影したが、他方、先進国ならではの暗黒面も経験した。私たちは、こうした現実を芸術的に昇華させたテインダンさんの強さを高く評価した」と話す。

映画「MEGURU」トレーラー

一変した情勢
 そんなミャンマーが、2021年2月1日、一変した。人々は最初の数日こそ自宅にこもり、息をひそめていたものの、夜間に抗議の意を込めて鍋たたきを始め、1週間も経たないうちに数千人単位が街という街の道路に出て、声を挙げ始める。しかし、2月中旬に実弾による最初の犠牲者が出てからは、弾圧がし烈さを増し、抗議行動も、無人デモやフラッシュモブなど、日に日に変容を余儀なくされていった。
 命を懸けて抗議を続ける人々の姿を記録し、支援するためにカメラを手に走り回っていたテインダンさんは、日本への帰国を数日後に控えた4月中旬に拘束され、今もヤンゴン市内のインセイン刑務所に収監されている。テインダンさんの翌日に連行され、約1カ月にわたって収監された北角さんは、その間、裁判所に出廷してテインダンさんと再会したという。「銃とナイフのどちらかを選ぶよう言われ、目隠しされた上、後ろ手に手錠をかけられて頭に銃を突き付けられた状態で長時間にわたって尋問されるなど、過酷な拷問を受けている様子だった」と、北角さんは語る。

軍に拘束された女性への暴行に抗議するヤンゴンの若者たち (c) The Irrawaddy

 その後、日本政府の働きかけにより5月中旬に帰国し、自身の経験やテインダンさんの作品の紹介などを通じて積極的に発信を続けている北角さん。冒頭の上映会では「テインダンさんの両親はミャンマー情勢が急変することを以前から心配していたものの、彼自身はそれを重々理解しながらも、祖国のチャンスに懸けることを自ら選んだ」と明かし、「彼の無事を信じているが、拘束が長期化することで、身体的な苦痛はもちろん、精神的な苦痛により制作意欲を喪失しないか心配だ」と気遣った。

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