タリバンのカブール制圧は中国にとって吉か凶か
一対一路戦略はアフガニスタンの権力とイデオロギーの空白を埋めるのか
- 2021/8/27
タリバンによるカブール陥落のニュースは、世界を震撼させた。国外脱出を求めて空港に押し寄せたアフガニスタン市民が、離陸しようと動きはじめた米空軍の C-17輸送機に追いすがるように走り、飛び立つ輸送機にしがみつくも、車輪が格納されると、地面に落下していく現場の映像がネットに拡散された。バラバラと人を落としながら離陸する米軍機は、米国のレームダックの暗示か。民主主義陣営の敗北を知らしめるものか。20年にわたるアメリカ史上最長の戦争の結末、サイゴン陥落以来の米国の完膚なきまでの敗北。そんな中で、中国がほくそ笑んでいる、という見方がある。中国を中心とする新たな世界秩序を構築するという一帯一路戦略の行方にとって、この変局は吉なのか凶なのか。
タリバン支持を表明していた王毅外相
今回の事態を受け、一部のチャイナウォッチャーが「中国がタリバンをアフガニスタンの合法政府として承認し、中央アジアにおける米軍が撤退した後、権力の空白を埋める形で影響力を発揮するのではないか」「そうなれば、中央アジアから中東にかけて展開する一帯一路戦略を通じて中華圏が一気に拡大するのではないか」と予測しているのには、理由がある。
中国共産党は2019年6月、北京でタリバン・ドーハ弁事所主任のムラー・アブドゥル・ガーニ・バラーダの訪問を受け、「アフガニスタンの和平和解プロセスについて協議を行う」と宣言。その後、2021年7月には、王毅外相もタリバン政府主席交渉官として同人物を天津に迎えて会談し、タリバン政府への支持を表明した。この時、中共はタリバン側に新疆ウイグル自治区の中国からの分離独立を目指す「東トルキスタン・イスラム運動」(ETIM)と絶縁するよう要求し、タリバン側はその見返りに中国に経済支援を要請したと言われている。これは、トランプ米政権(当時)が2018年から水面下でタリバン側と接触していたことを受けて中国側がいち早く対処したものであったが、中国を中心とする新たな世界秩序の構築を警戒する国際社会にとっては十分な材料であったと言えよう。
「タリバン」とは、パシュトゥン語で「学生」を意味する。アフガニスタンやパキスタンのパシュトゥン人を中心にイスラム原理主義の学生運動から発生し、1994年に成立した組織だ。旧ソ連のアフガン侵攻で混迷を極めた末に内戦状態に陥っていたアフガニスタンにおいて、厳格にイスラム法に従うことによって秩序を回復することを説き、戦いに疲弊していた人々の心をとらえていった。タリバンが設立された当初、米CIAとパキスタン情報部がひそかに協力してこれを支援していたことは、もはや公然の事実だ。
1996年、タリバンはアフガン政府軍を破ってカブールを制圧し、アフガニスタン・イスラム首長国の樹立を宣言する。しかし、1997年にオサマ・ビン・ラディン率いる国際テロ組織のアルカイダを保護下に置いたことにより、米国を中心とする西側諸国との対立が先鋭化。2001年9月11日に起きた米同時多発テロ(セプテンバーイレブン)後は米国のアフガン攻撃が始まり、タリバンはカブールを追われた。他方、1996年からタリバンと戦っていた北部同盟を中心とした新政権が、米軍とNATO加盟国による連合軍・国際治安支援部隊(ISFA)の支援を受けて成立したが、以来、長い内戦時代が2021年まで続くことになった。
「テロとの戦争」にただ乗り
タリバンと中国の関係は複雑だ。ソ連によるアフガン戦争のさなかに結成されたアルカイダは、1990年代に前出のETIMを支援していた。その前身である東トルキスタン・イスラム党(TIP)の創設メンバーであるハッサン・マスフームは、アフガニスタンでアルカイダから軍事訓練を受けた経験を有する。TIPおよびETIMは、タリバン時代にアルカイダの支援を受けてアフガニスタン内に軍事訓練施設を設立し、2001年ごろまでに少なくとも 400~500人の聖戦士を養成した。
しかし、90年代には、中国新疆地域でETIMによるテロ活動が活発化し、2002年に国連から国際テロ組織に認定されると、中国当局もこれをテロ組織と認定。米国が呼びかける「テロとの戦争」に乗じる形で東トルキスタン独立派の掃討を本格化させた。そうした中、ハッサン・マスフームは2003年、アルカイダ掃討戦を展開していたパキスタン軍により殺害されたが、実際にはそれ以前にETIMは内部分裂しており、壊滅状態にあったようだ。
こうした経緯を踏まえると、これ以降にも中国国内でETIMが首謀したと言われる暴力事件が起きているが、それらはほとんどETIMとは無関係であるように筆者には思われる。これらの事件の本質は貧困や搾取、差別といった漢族社会への恨みに起因しているにも関わらず、中共はあえて「イスラム・テロ」だと喧伝し、ウイグル人弾圧をあたかも「テロとの戦い」のように見せかけて正当化しようとしたのではないか、という疑念を筆者は持っているのだ。もっとも、これについてはまた別の機会に論じることとしたい。
両にらみで関係を継続
ウイグル問題が絡んだ中国とタリバンの関係史を振り返れば、両者がうまくやっていけるわけがないと思われるが、意外にも中国はタリバンとの接触を絶やしてはいない。実際、中国は1998年前後にパキスタン政府を通じてタリバン・アフガニスタン政権サイドと接触しているし、翌99年には、中国外交部が代表団をアフガニスタンに正式に派遣し、幹部と会談を行った。また、2000年には中国の駐パキスタン大使が、タリバン創設者で初代指導者のムハンマド・オマルと会見している。
両国の関係に詳しいジョージ・ワシントン大学エリオット国際事務学院(ESIA)のショーン・ロバーツ教授は、ボイスオブアメリカ(VOA)のインタビューに答えて、「中共はタリバン政権時代のアフガニスタンに通信サービスを支援したほか、カブール~ウルムチ間に直行便を就航させた」と、解説している。
また中共は、2001年にタリバン政権が転覆された後、米英がタリバンに対して「テロとの戦い」に踏み切ることは黙認支持する一方、あくまで国連安全保障理事会が主導する形での対応を主張し、直接的な対決は避けていた。
これについて、シンガポールにあるラジャラトナム国際研究学院の研究員で、英国王立防衛安全保障研究所にも所属するラファエロ・パントゥッチ氏も、VOAの取材に答えて「中国は2007年以降、反タリバンの立ち位置を変えつつある」と、指摘する。
その理由として同氏は、中国の国有企業が同年、カブールの南方約40kmの地点にある銅鉱山の開発権利を28.3億ドルで落札した時に、アフガン政府とタリバン、同時に交渉していた事実を挙げる。つまり中国は、どちらが風上に立ってもいいように、当時からすでに戦略上の布石を打っていた。その後も中国は、アフガン政府とタリバン両方と同時並行で関係を構築し続けてきた。
例えば、2014年12月には中国がタリバン代表団を北京に招待していたことをワシントンポストがすっぱ抜いた。また、今年7月28日に天津で開かれた王毅外相と前出のムラー・アブドゥル・ガーニ・バラーダとの会談は世界の注目を浴びたが、その直前の7月16日には、習近平がガニ元大統領と電話会談を行い、アフガン政府への支持を表明している。