「リトルサーカス」上海国際映画祭にノミネート
逢坂芳郎監督に聞くカンボジアの少年たちの創造力と生命力
- 2021/6/20
6月11日から20日まで開かれた上海国際映画祭で、日本から出品された映画が短編部門の金爵賞にノミネートされ注目を集めている。逢坂芳郎監督の「リトルサーカス」。ライブ演奏やアクロバティックな演技とともにカンボジアの文化や伝統を楽しむことができると観光客や地元の人々から人気を集めるエンターテインメントの舞台が新型コロナウイルスの影響で長く中止されていることをテーマに、サーカス生たちの姿を描いた。惜しくも受賞は逃したが、3年にわたりバッタンバンに通い、気心知れた現地の人々とともに作り上げた作品に込めた思いについて、逢坂監督に聞いた。
コロナ禍で一変した夢の入り口
伝統楽器による軽快な音楽が鳴り、威勢の良い掛け声や手拍子が響く中、赤や青にライトアップされたステージ上で繰り広げられるストーリー仕立てのパフォーマンス。会場いっぱいの観客から弾ける笑顔と恍惚のまなざしを存分に浴びながら、身体いっぱいつかって曲芸やアクロバットを披露しているのは、サーカス学校の生徒たちだ。ハンモックや天井から吊り下げられたひもを使い、公演に欠かせない軽やかな身のこなしや技術、表現を学んでは、舞台に立つ。そんな彼らの日常が、コロナ禍によって一変した。学校が閉鎖され、公演も中止される中、家計を助けるためにサーカスを離れて働き始めた少年が、ある日、仕事場で見たものは―。
映画に出てくるサーカス団「Phare, the Cambodian Circus」(以下、ファー)は、「カンボジアのライスボウル」と呼ばれる大穀倉地帯のバッタンバン州に実在する。なだらかに広がる田園風景とは対照的に、この辺りで農作業中に人々が地雷を踏み、突然、手足を失う悲劇が後を絶たないのは、東西冷戦に巻き込まれて1970年代から四半世紀近く続いた内戦で埋設された無数の地雷が半永久的に地中にとどまり、今なお人々を無差別に傷つけ続けているからだ。
ファーは、内戦が終わった1994年にこの地に設立されたコミュニティスクールを母体とする。当初は戦争により心に深い傷を負った子どもたちに絵画を通じて感情を表現させるアートセラピーを目的としていたが、その後、フランスからの支援を受けて音楽とサーカスのクラスも開講され、芸術学校として組織化された。今では、身寄りがなかったり、ドメスティック・バイオレンスや人身売買の被害にあったりとさまざまな境遇にある子どもたちを受け入れ、アーティストとして育てている。
この学校を卒業し、ファーで活躍する中で、特に優秀だと認められた者は、世界遺産のアンコールワットを擁するシェムリアップ公演のメンバーに抜擢される。さらに、過去には世界的なエンターテインメント集団であるシルク・ドゥ・ソレイユへの入団を果たした者もいたという。ここはまさに不遇の境遇を打ち破り、国内最高峰、そして世界最高峰の舞台へとつながる夢の入り口なのだ。
「少年たちのまぶしい姿をカメラに収めたい」
逢坂監督は、生まれ故郷の北海道・十勝で高校まで過ごした後、米国・ニューヨークにある大学で映画制作を学んだ。ファーとの出会いは、2018年3月。旧知の親友に誘われ、初めてバッタンバンのサーカス学校を訪れた時のことだった。難しい状況下にある生徒たちが演じるサーカスが観客を笑顔にさせているのを見て胸打たれ、ファーのミュージックビデオの制作を手伝うことにした逢坂監督。それから2年の間に3回現地に飛び、のべ半年にわたって滞在しているうちに、エネルギーと活気にあふれた街の様子にどんどん魅了されていった。「あれやこれやと頭で考え過ぎず、身体を動かして人間らしい生活をしているなと感じました」
しかし、2020年に入ると、そんな監督の下にもコロナ禍で窮状に陥っている現地の様子が届くようになった。サーカス生とはFacebookでつながっており毎日の投稿で様子を伺っていた逢坂監督。あるサーカス生がバイクを売ったという話も耳にした。「サーカス生の多くは閉鎖後も笑顔で練習している姿を投稿していたが、サーカスの閉鎖が長引くにつれて無収入の状態が続き、警備員の制服姿の写真が投稿されるなど、次第に厳しい現状が伝わってきた」
そこで、逢坂監督はサーカス生と映画を作ることを決断する。「もともとは、別の脚本を書いていたのですが、コロナ禍のサーカスをテーマにした映画を作ることで、彼らを少しですがサポートできると思い、彼らと映画を作ることにしました」
映画の主役には、サーカス学校の8人の生徒を抜擢した。「いつも一緒に行動し、仲間意識の高さが眩しく映っていた今の彼らの姿を映像に収めたい」。ふつふつと湧き上がった思いに突き動かされて一気に脚本を書き上げ、11月に現地に飛んだ。
リアリティがある形で希望を持たせる物語
こだわったのは、リアリティがある形で希望を持たせる物語にすること。そのために逢坂監督はいくつかの工夫をした。
まず、脚本はフィクションだが、設定や展開を少年たちの置かれている状況にできるだけ近づけ、少年たち自身が想像できるようにした。また、少年たちに少しずつ違う役を与えて繰り返し演じてもらうワークショップを2週間にわたって実施。1人1人の性格を把握し、関係構築を図りながらオーディションを行い、配役を決定した。さらに、決まった配役を踏まえてそれぞれの個性が出るように脚本を微調整した上で、実際の撮影場所を回ってカメラテストを兼ねたリハーサルを行い、7日間かけて撮影した。
十分に時間をかけて丁寧に進めた甲斐あって、皆、自然体で演じてくれた。「特に、主人公のティアラを演じたリーヘンは、撮影4日目ぐらいから完全にティアラの世界観に入り込んでいきましたね」と、監督は振り返る。
上下の意識を取り払うクリエイティビティ
全27分の物語の中でティアラの生活が好転することはなく、サーカス学校も閉鎖されたまま、状況が改善する兆しは描かれない。実際、現地では今なおサーカス公演は行われていない。
にも関わらず、全体を通じて悲壮感がない。広大なバッタンバンの空と大地の中で今を精一杯生きている若いエネルギーが随所に溢れ、これからも共に前進し続ける彼らの姿を暗に示しているかのようだ。
「経済的に恵まれている僕たちは、ともすれば、そうでない人々を見下してしまうふしがある。そういうものを取り払い、クリエイティブで生命力に溢れた人々に敬意を払って彼らの姿を伝えることによって、対等な目線で関わり合えるようになるはず」。逢坂監督の言葉に揺るぎない信念がのぞく。
「無意識に抱く上下の目線を取り払うことができた時、人は初めて立場の違いを超えて共生できるのだと、僕自身、この作品作りを通じて学ばせてもらいました」