欧州の在り方を揺さぶるドイツ総選挙を読む
メルケル首相の引退で変化は起きるか
- 2021/9/11
9月26日に総選挙を控えているドイツ。長年にわたって政権を率いてきたアンゲラ・メルケル首相が政界を引退し、国のあり方が大きく変わりうることから「2021年における世界で最も重要な選挙」とも言われるこの選挙によって、どんな変化がもたらされる可能性があるのか、考察する。
予測の難しい次期政権
2021年のドイツ総選挙は、当初より国内外から注目を集めてきた。16年にわたる在任期間中、困難続きの欧州連合(EU)を実質的に率いてきた「安定」のメルケル首相が、任期を満了して政界からの引退を表明しているためだ。ヨーロッパの大国ドイツの政治のみならず、今後のEUのあり方も変わりうる。
メルケル首相は、引退表明後もなお、ドイツで最も人気がある政治家である。総選挙まで2週間あまりとなった今も、同氏に代わる首相像が浮かび上がらず、どのような展開になるのか読みきれないのが現状だ。
市民が投票できるのは議員と政党だけで、首相を直接選ぶことはできない。しかし、党の顔となる首相候補は、党に対する支持率を左右する。また、ドイツでは一党が過半数を取ることがほとんどなく、複数政党の連立が政権を形成するため、総選挙後に連立が形成されてからでなければ、どんな政権になるか判断できない。
現在は、メルケル首相が率いる与党のキリスト教民主同盟(CDU)と南部バイエルン州の姉妹政党にあたるキリスト教社会同盟(CSU)の連合(CDU/ CSU)が連邦議会で最大の議席を有しているが、ここ4年間は中道左派のドイツ社会民主党(SPD)も内閣に加わり、大連立が形成されてきた。
連邦議会入りしている6党のうち、今回の選挙で第一党になる可能性があるのは、CDU/CSUとSPDに加え、環境政策を重視するドイツ緑の党だ。しかし、世論調査によれば、3党の支持率はいずれも25%以下で、支持は分散している。
有権者の関心は気候変動対策
各党が擁立する首相候補が確定した4月末時点で世論の支持を集めていたのは、緑の党だった。当時は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から厳しい規制が長期化していたことから与党CDU/CSUが支持を落とし、その分を緑の党が吸収して、両党がしばらく拮抗していた。
そんな緑の党からは、40歳女性のアンナレーナ・ベーアボック氏が首相候補として擁立され、そのフレッシュさや野党らしい鋭さが、当初、注目を集めた。
ドイツ市民はもともと環境意識が高いが、今回の選挙では有権者の3分の1が気候変動対策をもっとも重要な政策として挙げている。
その背景にあるのは、ドイツで7月半ばに発生した大洪水だ。前例のない規模の自然災害で広範囲にわたる地域が被害を受け、192人が亡くなった大惨事は、国中に衝撃を与えるとともに、気候変動危機が目の前に迫っている事実を多くの市民が思い知る機会になった。
そうした中、緑の党は、中道の現実的な路線を取って広い支持を集めている上、州議会では政権運営の経験も有していることを背景に、今回の選挙では、より大胆かつ実現可能な環境政策を訴えて「変化」を象徴する存在となっている。
しかし、緑の党への支持は5月以降、低下気味だ。ワクチン接種が広まり、感染予防のための行動規制が緩和されるにつれて与党が支持を取り戻したのだ。その一方で、前出のベーアボック氏は6月、著書で引用元の記載が不適切だったことなどが加熱報道されて支持を落とした。
安定を望む市民と、支持急落の与党
ドイツには、「安定」を好む有権者が多いようだ。快適で安全なドイツの暮らしを守るために政治リーダーに求められているのは、パンデミックをはじめ、度重なる危機をいかに着実に乗り切れるかという「危機管理能力」だ。
メルケル首相が16年間も信頼を集め続けることができたのは、危機管理に長けていたためだとしばしば指摘される。 CDU/CSUは、本来、保守政党なのだが、現実主義のメルケルは党議にとらわれず、国民の求めるリベラルな政策を次々と柔軟に導入した。それらは野党のリベラル政党の政策であったため党内からの反発を招いた一方、より幅広い市民層から信頼を獲得したと言われている。
その後、2015年にシリア難民を100万人受け入れる決断をしたことで支持を落としたが、元科学者であるメルケル首相のパンデミック対応は的確であったことから、首相および最大与党CDUへの支持率は2020年に再び高まった。
そんなCDUの新党首に就任したアーミン・ラシェット氏(60)は、「メルケル時代の良き16年間の中道路線を継承する」という姿勢を明確に打ち出し、後継者になろうとしているが、最近の世論調査ではCDU/CSUは支持を急速に落としつつあるという。戦後70年間のうち50年にわたって首相を輩出してきた同党が、政権の座を追われかねない状況にある。
国内最大の人口を擁する西部ノルトライン・ウェストファーレン州の州首相も務めラシェット氏は、もともと人気のあった政治家ではなく、「日和見主義者」とも揶揄されてきたが、党内での激しい議論を経て、党首・首相候補となった人物だ。
しかし同氏は、7月に洪水の被害状況を視察した際、大統領が被災者に寄り添うスピーチをしている裏で爆笑している写真が流出して以来、信頼を落としている。
メルケル首相は9月7日、選挙前最後となる連邦議会でもラシェット氏の支持を表明する演説を行ったものの、それが市民の支持増加につながるかは疑わしい。
圧倒的な存在感を誇っていたCDUがこれほど支持を落としたのは、首相候補選びを間違えたためだと指摘する声もあるが、根本的な原因は、メルケル氏が引退後も保守政党CDUに投票する理由を有権者が見いだせないためだとの指摘もある。
政党を中道化させて支持層を拡大し、圧倒的な信頼を誇る首相が去った後の同党を引き継ぐことは、誰であれ、簡単ではないだろう。
求められるのは「危機管理能力」と「経験」
これに対し、選挙の1カ月前から急速に支持を伸ばしているのが、よりリベラルなSPDだ。労働者政党であるSPDが選挙で訴えるのは、最低賃金12ユーロ(約1500円)、手頃な価格の住宅、安定した年金といったシンプルなメッセージで、その実現のために高所得層への税率引き上げを訴える。
近年は支持が低迷していたため、躍進は予想されていなかったものの、SPD代表で、現政権では財務大臣も務めるオラフ・ショルツ氏(63)は、首相候補の中で圧倒的に支持されている。世論調査機関インフラテスト・ディマップによると、他候補の支持率が10%前後であるのに対し、ショルツ氏の支持率は55%に上る。
同氏はハンブルグ市と連邦議会で20年以上にわたる議員経験を有し、3度にわたり連邦政府で大臣を務めた政治家だ。メルケル首相と共にパンデミック下で企業への補償を含む莫大な財政政策を出動させた人物でもあり、危機を乗り切れる政治家としての印象も強い。
過去には財務大臣や州知事としての責任を厳しく追求される事件もあった同氏だが、有権者はその経験や危機管理能力を高く評価しているようだ。
ヨーロッパの大国であるドイツの首相は、権威主義的な国家を含め、世界の指導者らと対等に渡り合わなければならない。課題山積のなか、安定して政権運営できそうな人物を選ぼうとする市民の気持ちも納得できる。