CDM参加のミャンマー外交官が守った正義
28年のキャリアを投げ打って表明した「真実の立場」

  • 2022/1/6

 2021年12月下旬、東京都内を一周する山手線の大塚駅に、ネクタイを締めてスーツを着こなし、分厚いコートを羽織った50代の男性が現れた。 28年にわたりミャンマーの外務省で働いていた外交官のアウンソーモー氏(52)だ。 アウンサンスーチー氏が率いていたNLD(国民民主連盟)政権によって2018年に一等書記官として在日ミャンマー大使館に着任した同氏は、2021年2月1日に祖国でクーデターが起きたことを受け、3月に軍への抗議の意志を示して職務を放棄するCDM(市民的不服従運動)に参加することをSNSで表明し、大使館を離れた。 日本政府からビザの発給を受け、在日ミャンマー人らの支援を受けて現在も都内に滞在する同氏が、単独インタビューに応じた。

「公務員が真実を口にし、不正を拒否できれば、正義は確かに存続し続ける」と話すアウンソーモー氏(2021年12月、東京で筆者撮影)

2021年2月1日の朝
 「今から思えば、大使館内で不穏な噂を耳にしたことがあった」と、アウンソーモー氏は振り返る。 一等書記官として同氏が勤務していた駐日ミャンマー大使館では、2021年1月下旬、近いうちに政変が起きるのではないかという噂がささやかれていたという。 しかし、まともに取り合っていなかったアウンソーモー氏は、1月31日の夜も、いつも通り就寝。 翌朝、祖国でクーデターが起きたことをSNSで知った。 その時の気持ちを「ミャンマーにはもう未来がないと思った」と語りながら、同氏は悲嘆の表情を浮かべた。 

【アウンソーモー氏のプロフィール】
 1969年、ミャンマー・ヤンゴン生まれ。 ヤンゴン大学で国際関係学を学ぶ。 1993年にミャンマー外務省に入省。 以来、ブラジル、ベトナム、スリランカなどにあるミャンマー大使館に派遣された。
 2018年に一等書記官として在日ミャンマー大使館(東京都品川区)に着任。 2021年2月1日にミャンマーで軍事クーデターが発生し、ミンアウンライン司令官率いる国軍が権力を掌握したことに抗議し、同氏は3月6日、CDM(市民的不服従活動)に参加することを宣言。 3月11日に大使館を離れた。 軍の意向を受けてミャンマー外務省は同氏を解任したが、日本政府は外交官ビザを発給し、日本在留を承認している。

 翌2月1日、大使館はクーデターの話題で持ち切りだった。 公務員という立場上、普段は、皆、自分の意見をはっきり口にしないように心がけていたが、この日の朝は、声を潜めて何人かで語り合う姿があちこちに見られたという。 アウンソーモー氏自身も、親しくしていた館員たちから何度か話しかけられたが、自分がそのニュースにどれだけ衝撃を受けているか、決して口にしなかった。 
 「CDMに参加することを決意するまで、上司の前で本心を隠し続けることに徹した」と、アウンソーモー氏は打ち明ける。 話しながらソーハン大使の顔が脳裏に浮かんだのだろうか。 「上司」と口にした瞬間、アウンソーモー氏の瞳が揺れた。

胸が痛んだ不本意な命令

 アウンソーモー氏の性格は、他の外務省職員とは少し違うようだ。 もともと元気で明るい性格の同氏は、普段は大使の命令に忠実に従い、敬意を表していたが、異議がある時は、失礼にならないように冗談めかしてそれを表すことがあったという。 アウンソーモー氏がそうした発言をするたび、大使は複雑な表情を浮かべていたそうだ。

CDMに参加するように求めている一般市民たち(2021年2月、ヤンゴンで筆者撮影)

 そんなアウンソーモー氏がCDMへの参加を決意したのは、同氏にとって看過できない出来事がいくつかあったためだ。
 大使館では、毎週月曜日に、前の週の事件やニュースを外交官たちが持ち寄って報告し合う定例会が開かれていた。 会議はクーデターが起きた後も続いていたが、他の外交官が国営紙の記事を引用し、報告していたのに対し、アウンソーモー氏はいつも、他のメディアや情報を基に報告を行った。 軍が掌握した国営紙が掲載する記事は正しくないと考えたためだ。 もちろん、あからさまにそう口にすることはなかったが。

 また、クーデター以降、人権団体の政治犯支援組織(AAPP)が、連日、ミャンマー国内で拘束・殺害された市民の人数を公表するようになったことに反発した軍が、海外の大使館や代表部に対し、人数を減らしてそれぞれの国に報告するよう圧力をかけてきたことも受け入れがたかった。 28年にわたり外交官としての務めを果たしてきたアウンソーモー氏にとっては承服しかねる命令だったが、軍から派遣されていた武官は粛々とそれに従い、虚偽のデータを印刷して配布していたという。

CDMへの参加を呼び掛ける市民たち(2021年2月、ヤンゴンで筆者撮影)

 しかし、何よりもつらかったのは、軍の傘下に置かれた外務省の本省が、各国にある大使館と代表部に飾られているアウンサンスーチー国家顧問とウインミィン大統領の写真を取り外すようにという通知が来た時だった。 これを受け、在日ミャンマー大使館でも2人の写真を撤去することになり、大使はその作業をアウンソーモー氏に命じたのだった。
 到底、従うことができない命令だったが、公務員にとって上司の指示は絶対で、従う以外の選択肢はなかった。 アウンソーモー氏は 2人の写真にこっそり手を合わせ、心からの敬意を表した後、断腸の思いで写真を下ろし、自分の部屋に持ち帰って高い場所にしまったという。
 「尊敬し続けてきたリーダーの写真を外さなければならなかったことに、胸がえぐられる思いがした。つらくて涙があふれた」と振り返りながら、アウンソーモー氏は苦悶の表情を浮かべた。 きっと、その時の気持ちが改めて蘇ってきたのだろう。 そしてそれが、同氏と大使の間の埋めがたい溝が浮き彫りになった瞬間でもあった。

後に引けない決意

 2021年3月6日、アウンソーモー氏は自身のフェイスブック上でCDMに参加することを表明した。 「私はそれまで常に自分の任務を完璧に遂行する人間だったので、大使も、他の大使館員も、私がそのようなことをするなど想像もしていなかっただろう」と、アウンソーモー氏は話す。 同氏は誰にも決断を口にすることなくCDMに踏み切ったが、数時間後、二等書記官の女性も自分と同じようにCDMを表明したことを知った。
 とはいえ、当時は大使館の敷地内にある宿舎に住んでいたため、出勤を停止してからも何度か大使に呼び出されて大使館に出向かざるを得なかったという。 「ここにいる以上、大使館の命令に従わないわけにはいかない」と考えた2人は、5日後の3月11日に宿舎も出て、大使館の外で暮らし始めた。 

ヤンゴンのレーダンで軍への抵抗デモを行ったヤンゴン管区林業局の公務員(2021年2月、ヤンゴンで筆者撮影)

 これまでのところ、2人に続いてCDMに参加した者はいない。 今も大使館に残っているかつての同僚たちをどう思うかと尋ねると、アウンソーモー氏は「彼らの中にも、本当は私のように本心を明かし、真実の立場を表明したいと思っている人もいるかもしれない。しかし、どれだけ犠牲を払い、勇気を奮って決断できるかは人によって違う」「いくらそう願っても、公務員である以上、本音を口にできず、 CDMに参加できない人もいるのではないか」と、思いやった。 
 その一方で、この日を境に彼らとの関係が切れたことについては、「私は一時的な感情に流されてCDMに参加したわけではない。いろいろと考えた上で決断した以上、周囲の反応に驚いたり、気にしたりすることはない」と、言い切った。 

 人生を一からやり直すことを決意したアウンソーモー氏は、今、在日ミャンマー人の支援で都内に借りた部屋に暮らしながら、同氏と同じように各国でCDMに参加した外交官ら約20人と連絡を取り合っているという。 外交官のポストは軍によって解任されたものの、日本の外務省と何度も掛け合い、引き続き外交官として在留資格を手に入れた。 それでも、このまま日本で残りの人生を送るつもりはなく、いずれはミャンマーに帰って再び祖国のために力を注ぎたいと考えているため、あえて難民申請はしていない。 
 ただし、クーデターに対抗して組織された国民統一政府(NUG)に参画を依頼されたらどうするかと尋ねると、同氏は「状況や条件次第だ」と答えるにとどめた。

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