分断された人々をつなぎ平和をもたらすワイン
紛争が絶えない中東で紛争当事者が共に働くワイナリー設立の実現に向けて

  • 2022/12/9

 ビールと並び世界で最も古い酒類の一つで、世界中の人々に愛され続けてきたワイン。世界で初めてのワイン醸造所がジョージアで作られたのは約8000年前で、人類の文明が発祥したのとほぼ同じ頃である。「これほど人類と長く深い関わりがあるワインを、世界平和の実現のために活用できないだろうか」。そんな思いから生まれた生まれた事業がある。世界のドキュメンタリー映画を届けてきたユナイテッドピープルが、国境や宗教などの違いを超えた人々の繋がりを構築するために立ち上げた。ゆくゆくはイスラエル・パレスチナの地にワイナリーを設立し、長年対立を続けてきた当事者たちが共に働き、相互理解を深め、友情を育む場にしたいと夢見ている。

20年越しの夢

 映画会社のユナイテッドピープルがワイン事業を始めた理由から説明したい。創業者である筆者は、大学を卒業する時から、いずれワインの輸入商社を興してフランスでワイナリーを経営しようと心に決めていた。学生時代に中国に留学した時のルームメイトがフランス人で、彼の実家を訪ねた時にフランスが大好きになったことと、ワインのある日常に心を惹かれたことが理由だった。

 しかし、卒業旅行でたまたま紛争地のガザ地区を訪れて心揺さぶられたのを機に、
「ワインを飲んでいる場合ではない。世界を平和にしなければ」
 と痛感し、2002年7月にユナイテッドピープルを創業。以来、世界の実情を伝えるドキュメンタリー映画を届けてきた一方で、ワインの夢は塩漬けにしたままだった。それから歳月が流れ、ユナイテッドピープルを創業して20年の節目を迎えた2022年に、万を持してというべきか、学生時代に思い描いていた形とは違う目的ではあるものの、ワイン事業を立ち上げることになって運命を感じている。

 きっかけは、10年前に遡る。ユナイテッドピープル設立10周年のイベントに、ゲストの一人が南アフリカ産の「ニュービギンィングス」というワインを差し入れてくれたのだ。
「このワインは、南アフリカでアパルトヘイトが終焉を迎えたことを記念し、新しい時代の幕開けの象徴として、白人と黒人が協力して造ったワインなんです」

 閃きの瞬間だった。それまで単なる趣味としか見ていなかったワインと平和が結び付いたのだ。平和構築のためにワインを使うことができるというアイデアの種を受け取ったこの日の出来事が、「いつかは筆者の活動の原点である中東イスラエル・パレスチナ間の平和のためにワイナリーを造ろう」という夢を膨らませるきっかけとなったのだ。その後、月日が飛ぶように流れる中で、長年あたためていた構想も動き出し、ユナイテッドピープル創立20周年が目前に迫った2021年9月21日のピースデーに、「ユナイテッドピープルワイン」がスタートした。

「ピースワイン」を求めて訪ねたレバノン

 ワイン事業を開始するにあたり、3段階のステップを考えた。1段階目は、すでに日本に輸入されている平和コンセプトのピースワインを販売すること。続く2段階目は、ユナイテッドピープルとしてワインを輸入し、販売すること。そして最後の3段階目が、ワイナリーの設立だ。

 2段階目のワインの輸入先として選んだのは、中東レバノンだった。国境や宗教などの壁を超えて製造されているワインがないかと探していた時に見つけたのが、レバノンでナチュラルワインを造っているワイナリーのメルセルワインだった。すぐにコンタクトしてオンラインで何度か打ち合わせを重ね、2021年11月にワイナリーを訪問することになった。
 さらに、時期を同じくして平和をテーマにしたワインドキュメンタリーを探している時に、たまたま『戦地で生まれた奇跡のレバノンワイン』(https://unitedpeople.jp/winewar/)を発見したことから配給を決めるとともに、この映画に登場するワイナリーもいくつか訪問することにした。

 移動は、いつもと同じように慌ただしかった。福岡空港から出発し、オランダ・アムステルダムにしばらく滞在した後、パリ経由で地中海の東端に位置するレバノン・ベイルート空港に着陸したのは深夜だった。当時はまだコロナ禍の影響で、空港で抗原検査を受けないと入国できなかった。
 レバノンに到着したという事実に、感慨がこみ上げた。イスラエル・パレスチナの真北に位置し、それまで幾度も訪れたことがある地域ではあったが、パスポートにイスラエルのスタンプが押されていると入国が許されないといった特殊な事情から、長年、訪問がかなわずにいた国だったからだ。

 空港では、メルセルワインのオーナー、エディー・シャミさんが出迎えてくれた。エディーはアシスタントワインメーカーとして、シリア難民のアブダラ・リヒさんと一緒にワインを造っている。驚いたことに、エディーはキリスト教徒で、アブダラはイスラム教徒。国境も宗教の違いも超えて造っている彼らのワインは、まさにユナイテッドピープルが探し求めているものだった。彼らのワインのことを知った時には運命を感じたし、偶然にも皆、同世代であることも分かった。すでに心は決まっていたため、今回の訪問は、彼らのビジョンを直接聞きながらブドウ畑やワイナリーを訪問することが最大の目的だった。

真っ暗な首都で持ち続ける希望

 予約していたホテルがあるベイルートの中心部までエディーの車で向かいながら、車窓の景色に大きな衝撃を受けた。まず驚いたのが、高速道路が真っ暗だったことだ。トンネルの中ももちろん真っ暗だったし、市内に入ってからも暗闇が広がっており、明かりがついている建物はほんのわずかだった。筆者はこれまで60カ国ほど旅して来たが、ここまで暗い都市――しかも首都――は、初めてだった。

ベイルートの街は、首都とは思えないほど真っ暗だった(筆者撮影)

 筆者が滞在したホテルや、付近の飲食店の中の一部は、自家発電で運営を続けていた。ホテルのフロントの鏡にはひどいヒビが入ったままで、まるで2020年8月に多くの死傷者を出したベイルート港爆発事故の傷跡を記憶しておこうとしているかのようだった。長年にわたる戦争で荒廃したところに、追い打ちをかけるかのように起きたあの爆発事故から1年以上が経ってもまだ、人々の記憶は生々しいままだった。

ホテルのフロントの鏡には爆発事故の記憶をとどめておこうとするかのように ひどいヒビが入ったままだった(筆者提供)

 その日の日記にはこう記した。
 「車はベイルート市内に向けて高速を走っていく。暗い!真っ暗だ。政府は破産状態で電力が供給できない。だから街灯がつけられない。市内に入っても同じく暗い。ビルの明かりが見えるところはほぼなかった。そしてビジネス街は封鎖されていた。2年前に始まったデモの結果、封鎖されたのだそうだ。通りかかった道の壁には一面、ずらりと去年の大爆発で亡くなった方の肖像画が描かれていた」

2020年8月に爆発事故が発生し、多数の死傷者が出たベイルート港(筆者撮影)

 街に続く長いトンネルのように、日に18時間も停電するこの国の先行きは暗い。それでもエディーは明るかった。多くの若者たちが生活のために海外に活路を見出そうと国を離れていくなか、彼は逆に隣国ドバイからレバノンに通い、この地に希望を届けるためにワイナリーを設立したのだ。

 そんなエディーにレバノンの将来についてどう思うか尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「これ以上悪くなることはないから、良くなるだけだと思うよ。未来には希望を感じている」

 笑みがこぼれていた。強い。経済破綻したレバノンでは預金封鎖が続いており、訪れた当時も、月に400ドルしか引き出せない状況が続いていた。どんな障害があってもしなやかに立ち向かう姿は、頼もしかった。

グラスに浮かぶ難民たちの夢

 翌日から、ワイナリーとブドウ畑への訪問を始めた。エディーが経営するメルセルワインの拠点では、アブダラ・リヒさんが出迎えてくれた。彼は、内戦が始まったシリアからレバノンに難民としてやって来てエディーと出会い、ワインメーカーになった人物だ。彼には、いつか妻子を残してきたシリアに戻って、自分のワイナリーを設立したいという夢がある。アブダラから打ち明けられたエディーは、その日が来るまでここで自分のワインを造るよう言い、アブダラを応援したという。そうして誕生したワインに、アブダラは『ダー・リヒ・ハナン』(https://upwine.jp/products/900)という名前を付けた。ハナンは彼の妻の名前であり、「ダー・リヒ」は「リヒの家」という意味だという。その話を聞きながら、アブダラのワインも絶対に輸入しようと心に決めた。

シリア難民のアブダラ・リヒさん(左)から、「いつか祖国で自分のワイナリーを 立ち上げたい」という夢について聞く筆者(筆者提供)

 エディーやアブダラが暮らしている場所にはブドウ畑があり、土着品種のメルワが植わっていた。そのブドウ畑を通り過ぎて案内されたのは、一時的に移設したステンレスタンクがあるワイン醸造所だった。聞けばガソリンの入手が困難であるため、ブドウ畑からブドウをワイナリーまで運ぶことができず、一時的に設備の一部をここに移して醸造しているということだった。

 このワイナリーでは、つい最近までパレスチナ人の女性醸造家も一緒に働いていたということで、彼女が造ったワインも飲ませてもらった。残念ながらこの時は家族が病気のためレバノンを離れており、会うことはできなかったが、エディーはダイバーシティーを大切にしており、難民や女性とも積極的に仕事をしているということだった。

レバノンに希望を届けるためにワイナリーを設立したエディー・シャミさん(左)と、 アシスタントワインメーカーのアブダラ・リヒさん(筆者提供)

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