「グレート・リセット」と中国の野望
世界に広がる中華秩序と日本の立ち位置

  • 2021/1/24

 2020年末の中国をめぐる国際的な出来事の一つは、7年越で交渉が続いていた中国と欧州連合(EU)の包括的投資協定が大筋で合意したことだろう。発効すれば世界第2位と3位の経済規模を持つ国と地域の結び付きが一段と強まる。香港の自由が中国共産党政権によってかくも無残に踏み荒らされたり、ウイグル人への民族浄化に似た弾圧が続けられたり、新型コロナウイルスの発生を中共政権が隠蔽したことがパンデミックの端緒となったりしたにも関わらず、急転直下で中欧投資協定が合意に至ったことについて世界中が驚き、行方を注視している。

2020年12月30日、中国とEU諸国は投資協定の締結に向け大筋で合意した (c) 新華社/アフロ

中欧投資協定のインパクト

 この合意の立役者はドイツのメルケル首相だった。フランスをはじめ、一部の西側先進国は、新疆ウイグル自治区のウイグル人による強制労働による綿織物製品の輸出問題など、中国の人権問題について非難したが、人権意識が高いはずのドイツのメルケル首相は、声明をまとめるにあたり、「新疆」や「ウイグル人」という言葉を一切使わなかった。その代わりに「中国は投資を誘致するために、労働者と環境の問題に関する基準を引き下げないことを承諾し、労働と環境基準を保護主義目的には利用せず、関連条約にある国際義務を尊重すること」「中国は企業の社会的責任(CSR)を支持する。中国は、国際労働組織の基本公約の批准に力を尽くすとともに、まだ批准していない国際労働組織関連の強制労働に関する基本公約について具体的に承諾した」というぼやけた表現によって中国の努力目標を語るにとどまった。

今回、中欧投資協定が合意に至ったことで中国の枠組みにEU圏を組み入れるという野望が大きく前進した©Christian Lue / Unsplash

 この中欧投資協定の締結は、中国が2020年11月に日本や韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国などと締結した「東アジア地域包括的経済連携」(RCEP)や、アフリカ連合(AU)との間で結んだ「一帯一路協力計画」に続き、中国経済圏の形成に向け重要な布石となるだろう。一帯一路構想や、海外経済の活力も生かして国内経済の底上げを図る「双循環」を掲げる枠組みにEU圏を組み入れるという中国の野望が大きく前進したのは間違いない。

 さらに、中欧投資協定は今後、欧米関係にも大きな影響を与えるだろう。中国は、米国が内政の混乱にかまけてEUへの注意が散漫になっている隙に乗じ、中国に何かと甘い東ドイツ出身のメルケル首相が引退する直前、かつ、ドイツが理事会で持ち回り議長国の間に、まんまと滑り込みで妥結に持ち込んだ。米国では、比較的EU軽視であったトランプ前大統領に対し、バイデン新大統領は、大西洋の両岸が手を組むことによって中国を包囲する戦略を示していたため、バイデン政権の誕生前に先手を打った、と言える。

 南ドイツ新聞の社説は、この投資協定の締結について、「欧州と米国が連携して中国に対抗することで、EU諸国の対中観がこれ以上ネガティブになるのを防ぐ」「米国の選挙戦混乱に乗じ、バイデン政権が誕生する前に原則合意を取り付けたのは、習近平政権の大勝利である」と論評していた。

価値観のゆらぎと「時と勢」

 もっとも年明け後は、中央投資協定の妥結が香港問題を含む中国人権問題全体を無視したものだという批判が相次ぎ、欧州議会では香港問題に絡み香港・中国官僚の資産凍結などを含む制裁決議も可決された。2022年初めまでに欧州議会による批准プロセスが終わらなければ、この協定は失効することになっており、もうひと悶着ありそうな風情である。それでも、昨今の国際情勢が全体として中国習近平政権にとって追い風となっていることは誰の目からも明らかだ。最近は、習近平自身、「時と勢は我々に味方している」と公言している。

 この「時と勢」、つまり時勢とは、「西側諸国が掲げるグローバル資本主義や民主主義制度がある種の限界点を迎えつつあり、リセットする時期に来た」という「グレート・リセット論」の台頭を指しているとみられる。習近平風に言えば、「百年に一度の未曾有の変局に直面している」という表現になるだろうか。

新型コロナウイルスのまん延と米大統領選の混乱によって、各国は「左」へと梶を切り始めた©freestocks /Unsplash

 また、従来のグローバル資本主義や民主主義制度が揺らいだとき、より左に舵を切るべきか、それとも右に舵を切るべきかという対立が両極端の形で争われたのが米大統領選だった、とも言えるかもしれない。さらに言えば、新型コロナウイルスのまん延と、米大統領選の混乱を経て、東南アジア、アフリカ、ドイツを含むEU諸国は、左、すなわち中国の方へと舵を切り始めた、ということかもしれない。

台頭する権威主義

 米大統領選があれほど混乱した要因の一つは、言うまでもなく新型コロナウイルスだが、実は、それ以前から世界は揺らぎ始めていた。かつて米国は、自らの理想とする資本主義と民主主義を第三世界に広げようと画策し、2000年ごろから中・東欧や中央アジアの旧共産圏諸国で民主化を掲げて起こった一連のカラー革命を後押しした。しかし、その多くは失敗に終わり、ゆり戻しのような形でイスラム世界の抵抗が起こった上、西側社会でも社会主義運動や左派運動が相次いで起こった。燃料価格の上昇に抗議し2018年11月よりフランスで断続的に起きているイエローベスト運動や、米国に端を発する黒人への暴力と人種差別撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター運動に象徴される動きだ。

黒人への暴力と人種差別撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター運動により米国全土が揺れた(写真は米国ロサンゼルス)© Eric Yeich /Pexels

 これは、グローバル資本主義が行き過ぎた結果、貧富の差が拡大し、地球温暖化が進行し、弱者が強者に搾取し続けられる時代の反省を左派の論理で解決しようという動きだとも言える。弱者の抵抗は正義であり、法治を無視してもかまわないという「造反有理」の発想から、人々は暴れた。しかし、言論や集会の自由が保証された自由主義社会では、極左に振れれたかと思えば、極右に振れ、再び極左に戻る、といった具合に人々は振り子のように不安定化する。この結果、左右が極端に分かれ衝突する激しい「階級闘争」もどきが各国各地で発生し、社会の安定と経済が著しく棄損したことから、「いっそ、言論やデモの自由をある程度、権威によって制限した方が、安定し発展するのではないか」と考える人も出始めた。

米国に端を発するブラック・ライヴズ・マター運動は、世界へと広がった(写真は英国ウェールズ州)©Callum Blacoe / Unsplash

 さらに、個人の権利を尊ぶ民主的な自由主義社会ではなかなか抑え切ることができない新型コロナウイルスのパンデミックが、この考え方に信ぴょう性を与えた。発生源の中国が個人の自由と人権・人命を徹底的に無視して厳格なロックダウンを行った上、いち早く感染の抑え込みに成功し、経済の回復基調に入ったと喧伝。さらに、マスクなどの医療物資やワクチンを世界に提供できる救世主然としてのふるまいに出たためだ。「中国のような権威主義的、全体主義的な体制の方が社会は安定かつ安全で、経済は発展するかもしれない」と考える人々は、以前より増加しているように思われる。こうした価値観の揺らぎも、習近平の言うところの「時と勢」に含まれよう。

 これは中国の対外プロパガンダ戦略を研究してきた在米華人学者の何清漣氏の受け売りであるが、中国は、政治的に米国政財界や米国メディアへと浸透するとともに、SNSなどハイテク通信市場にも技術的に浸透することによって、米国世論への影響力を蓄積してきた。この危険性に気付いたトランプ前大統領は、対中デカップリング政策を進めようとしたが、中国市場への未練を断ち切ることができないGAFA、すなわち、グーグル(G)、アマゾン(A)、フェイスブック(F)、アップル(A)の4大IT関連企業や、ネットフリックス(N)を含めたビッグテックと呼ばれる米ハイテク産業は、トランプ氏に対しいまだに強い反感を抱いている。

グーグルをはじめ4大IT関連企業は、対中デカップリング政策を進めようとしたトランプ前大統領に強く反発した©PhotoMIX Company /Pexels

 米メディア大手のフォックスの報道を信じるなら、フェイスブックには特殊技能者として認定されたH-1Bビザを持つ中国人が少なくとも6人在籍しており、アルゴリズム開発やユーザーの発信内容の検閲業務に携わっていると言われる。また、ツイッター社は1月、トランプ前大統領のアカウントの永久停止に踏み切った。米大統領選前後の一連の混乱と結果は、中国の対米浸透戦略が勝利を収めたという側面は否定できまい。

米大統領選前後の一連の混乱と結果は、中国の対米浸透戦略が勝利を収めた©Tracy Le Blanc / Pexels

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