ミシンが変えた彼女の運命
内戦、貧困、病気…逆境を乗り越えたウガンダのある女性
- 2020/7/23
困難な状況に直面して「もうだめかもしれない」と諦めてしまいそうになることは誰にでもあるだろう。
でも彼女は決して諦めず、前へ進み続けた。恵まれない環境でも、巡ってきたチャンスを掴み、努力を続ければ物事はどんどんいい方向に進んでいく。その一歩は、変わりたいと思った瞬間から始まっているのかもしれない。
「ミリ先生みたいになりたい」
ミリがウガンダ北部の町グルで洋裁学校の先生を始めたのは、もう10年以上前のことだ。物静かで控えめな性格の彼女が先生になることに、反対する者もいた。でも「洋裁の腕は確かだから」という周囲からの推薦もあり、ミリは先生になった。
彼女は、どんな生徒に対しても決して叱ったりしない。ただそっと手を差し伸べるだけだ。カタカタと足踏みミシンを動かし、チャコールペンシルでシュッと布に線を引き、自分が手本となり教えるスタイルだ。
今年1月に行われた洋裁学校の卒業式でも、ミリは控えめにうしろの方に座っていた。マンゴーの木陰で、卒業する生徒たちと一緒に座り、卒業証書をもらって嬉しそうな生徒たちを見てニコニコしていた。
卒業生のひとりが、「ミリ先生みたいに、自分も先生になって洋裁を教えたい」という将来の夢を語っていた。ミリにそれを伝えると「そうなの?」と目を丸くして、恥ずかしそうに微笑んだ。
その微笑みは、出会ったころと変わらない。変わったのは、まっすぐで自信に満ち溢れる彼女の視線だ。
内戦中、シングルマザーに
ミリに初めて会ったのは、20年前、ウガンダの首都カンパラの路上だ。彼女はその時も、足踏みミシンをカタカタとまわしていた。
ミリは「私も若かったから、自分を試したかったのね」と、静かに笑いながら振り返る。首都での生活は長くは続かなかった。当時、結婚していた夫は働かず、ミリが生計を立てていた。やがて夫は家に帰って来なくなり、ミリは幼い2人の子どもを抱えてシングルマザーになった。
ウガンダは18歳以下が全人口の約半分を占めている子どもや若者が多い国だ。しかし、経済的な理由で初等教育を受けられない人も多く、特に女性はその傾向が強い。さらに離婚率が高く日本よりシングルマザーが一般的なのだが、子どもを育てるための女性の仕事は小規模ビジネスがほとんどで、生活は決して楽ではない。
ミリは子どもたちと一緒に、北部の町グルからさらに歩いて約1時間の場所にある彼女が産まれ育った村に戻ってきた。畑を耕したり知人にミシンを借りて洋裁仕事をしながら、なんとか暮らした。
そのうえ、内戦が彼女たちの生活を脅かしていた。ウガンダ北部は1991年頃から反政府ゲリラ軍の活動地域になっていた。ウガンダは政府軍を派遣し制圧にあたっていたが、たくさんの人が犠牲になった。
反政府ゲリラ軍は夜になると村を襲い、家に火をつけて食料を奪い、子どもを兵士にするために誘拐した。ミリは、夜のあいだだけ子どもたちを比較的安全な町に避難させ、子どもたちを守った。
彼女は病気を患っていたので飲み続けなくてはいけない薬があったが、内戦の影響もありどれだけ働いても生活は楽にならず、薬が買えないこともあった。子どもたちに食べさせていくのが精一杯だった。
内戦の貧しい生活の中で、彼女の病気が進行してしまう悲しい運命を周囲の人々は想像していた。でも、彼女はまったく諦めていなかった。
ちょうど内戦が終わった2007年ころ、ミリに転機がやってきた。