「功徳を売る少年と妹」
片道1時間かけて稲穂を売りに来る少年の暮らし

  • 2022/1/2

【編集部注:】

功徳を積み、悟りへ近づくことを重視する敬虔な仏教徒が多いミャンマー。クーデター後は、特に功徳の機会を求める人々が増えたといいます。そんな中、ヤンゴン在住の筆者は、スズメに米を与えるための稲穂を売って家計を支える少年と出会いました。少年との会話から透けて見える現地の暮らしを綴ったnoteの投稿を紹介します。

~ 以下、noteの投稿より ~

(筆者撮影)

 ミャンマーでも12月は日が短かい。午後4時になると黄昏の気配が忍び寄ってくる。外から子どもの物売りの声が聞こえたきた。聞き慣れない声だったので窓の外を見ると、ちっちゃな子どもが二人、頭にかごを載せて売り口上を唱えていた。彼らの言葉は私にはうまく聞き取れなかったが、頭のかごをよく見ると稲穂の束が並んでいた。

稲穂とスズメと功徳
 この稲穂は人が食べるためではない、スズメが食べるためだ。今の時期、家の軒先や木の枝などに稲穂がぶら下げられているのをよく見る。スズメは米を食べて満腹を得て、人は米を与えることで功徳を得るというわけだ。コロナ以降、特にクーデター以降はこの稲穂を売る人たちが増えた。

 家には数日前に買った稲穂があったので買う気はなかったのだが、ちっちゃな子どもが張り上げている声につい心を動かされてしまった。妻が財布を持って階下に降りていった。8本束ねたものが1000チャット(約65円)だった。上から見ていると、どうも子どもたちは裸足だった。道端に座り込んだ子どもたちは今日も長い距離を売り歩いたに違いない。家にあったサンダルをあげることにした。

 サンダルをあげると喜んでいたが、どうもお兄ちゃんの様子がおかしい。ちゃんと歩けないのだ。聞くと、裸足で歩いていたので棘が刺さったというのだ。私は、家で足を見てあげると言った。

 「これから残りを全部売らなきゃいけないし、バスの時間もあるし・・・」
 「わかった、全部買おう」

 残った稲穂をすべて買い取り、お兄ちゃんの足に刺さった棘を家で抜いてあげることにした。

兄と共に家族を支える
 二人は怖かったのか、なかなか家に入ろうとしなかった。もじもじする彼らを家に上げると、まず、お兄ちゃんを浴室に連れていき、自分で足をきれいに洗ってもらった。彼の足を見ると、ちょうどかかとの皮膚の厚い部分に棘が刺さっていた。ピンセットで抜こうとしたが、棘の頭がなかなかつかめない。それではと、縫い針で棘の頭を出そうとすると痛いのを我慢してか、かすかに声を漏らした。ほどなく棘はスルッと抜けた。ヨードチンキで消毒し、プラスター(バンドエイド)を貼った。お兄ちゃんはまだ緊張がとけない様子だが、棘が抜けて多少は安心したようだ。

 お兄ちゃんの名前はマウンマウン(仮名)、12歳だという。ミャンマーでは生まれたときは0歳ではなく1歳と数える。マウンマウンは日本でいえば11歳、小学校5年生だ。だが、彼は一度も学校に行ったことがない。
 「文字の読み書きができないんだ」
と、それまで気張って話をしていた彼が急に小さくつぶやいた。妹の年齢を聞くと、
 「お母さんは知っているけど僕はわからない」
と言う。見たところ、日本では小学校に上がる前の5歳くらいだろうか。

 彼らの父親は妹が生まれてすぐに亡くなった。酒飲みだったらしい。酒飲みは大嫌いだと、マウンマウンはそれまでと違って強い調子で言った。それ以上詳しいことは聞かなかったが、酔っ払った父親から暴力を振るわれたのかもしれない。母親は糖尿病で歩くことも大変だ。家族の食事を作る程度しかできないので、近所の人たちからいろいろと助けてもらっている。

 マウンマウンには他にも兄弟がいる。年の離れた兄と姉は結婚して家を出た。二人とも今は音信不通になってしまった。すぐ上の兄はひとつ上の13歳で、マウンマウンと同じように稲穂売りをしている。この兄とマウンマウンは家族の生活を背負っていたのだ。

 マウンマウンが稲穂売りを始めてかなり経つ。前はモウンペットウッ(ミャンマーの蒸し菓子)を売っていたが、周りから稲穂売りのほうがいいと言われて商売替えをした。たしかに、食べ物だと売れ残ると廃棄するか自分たちで食べるしかないが、稲穂だと何日でも保存できる。

 商売はまあまあだ。毎朝、稲穂を1万5000チャット(約970円)分仕入れる。1セットの仕入れ値が700チャット(約45円)になる稲穂を1000チャット(約65円)で売るのだ。全部売れると6300チャット(約410円)ほどの儲けとなる。全部売り歩くのは大変だが、3日に一度くらい、残っている稲穂を全部買い取る人がいるという。小さな子どもが苦労しているのを見ると助けたいと思うのが人情だろう。

破壊された家
 マウンマウンは、毎朝、ヤンゴン西部にあるフラインタヤーからバスでヤンゴン中心部にやってくる。彼の家族はチュージョーと呼ばれる場所に住んでいた。チュージョーとは不法占拠の場所で、道路沿いなどの政府の土地に勝手に家を建てたところを言う。バラック小屋ばかりなのでスラム街である。ここには、貧しい人たちが住んでいるのだが、エーヤワディー地域からやってきた人が多い。2008年にミャンマーで10万人以上の死者を出した巨大サイクロン、ナルギスの被害が最も多かったのがデルタ地帯のエーヤワディー地域だったからだ。村自体が消滅し、流民としてヤンゴンに来た彼らが住めるところはチュージョーしかなかった。

 マウンマウンの家もこのチュージョーにあったのだが、数日前に軍によって壊されてしまった。チュージョーには軍への抵抗組織であるPDF(People’s Defence Force / 人民防衛隊)の若者たちが隠れているというのを口実に、軍は全てのチュージョーを重機で破壊して回っているのだ。家を失ったマウンマウンの家族は母の知り合いの家に世話になっている。

 ここまでマウンマウンは大人びた口調で静かに話してくれた。私が彼くらいの年ではこんなにちゃんと話をできかった。見知らぬ大人を前にして固まっていただろう。

 「帰らなきゃ」
 ここからフラインタヤーはちょっと遠い。バスで1時間以上かかる。マウンマウンは妹の荷物も持ち二人は階段を降りていった。タッター(バイバイ)と後ろから声をかけると、二人は恥ずかしそうに小さな声でタッターと返した。マウンマウンは最後にようやく子どもらしい表情を見せた。

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