「クーデター下のミャンマー、陸路の旅」
18カ所のチェックポイントを通過

  • 2021/12/23

【編集部注:】

コロナ禍とクーデターで国内移動がほとんどできない状況が2年にわたり続いていたミャンマー。最近は観光地に客足が戻り始めていると軍系メディアが盛んに喧伝していますが、実際のところはどうなっているのでしょうか。ここでは、最大都市ヤンゴンと古都マンダレーを陸路で往復した旅の様子を記したnote投稿を紹介しました。

~ 以下、noteの投稿より ~

(筆者撮影)

 朝、まだ暗いうちに友人の車でヤンゴンを発ち、北へ向かった。ヤンゴン市内に車がほとんど走っていなかったのは、クーデターにより車の交通量が減ったからだ。特に、暗いうちは、いつ、どこで軍に発砲されるかわからない。車は、ヤンゴンの北にある、マンダレーへと続くハイウェイの入口に近づいた。

陸路で地方へ
 最後に旅行に出かけたのはコロナ前、もう2年以上前のことになる。今年の2月には軍によるクーデターが起こり、ミャンマーは旅どころではない状況に陥った。筆者もこの2年間、ずっとヤンゴンに幽閉状態だった。

 クーデターが起きたとはいえ、物流は止まらずに動いており、地方に避難する人もいれば、仕事で長距離移動する人もいた。危険を冒してまで旅行する人はほとんどいないが、軍としては、社会が日常を取り戻してきたという姿を内外に示したいようで、観光地に旅行客が戻ってきたと政府系(軍系)のメディアで盛んに宣伝し始めている。

 筆者も、のんびり旅行するという気分には全くなれなかったが、ヤンゴン以外の地域がどうなっているのか、自分の目で確かめたかった。空路で有名観光地を訪れるのであれば、比較的簡単に行けるのだが、別に観光地巡りをしたいわけではないし、せっかく地方に行くのなら、陸路で途中の様子も見たかったため、少々危険ではあるが、陸路で回ることにした。

次々と現れるチェックポイント
 ハイウェイの入り口が近づくと、それまで軽快に走っていた車がスピードを落とした。前方を見ると、数台の車が並んでいた。そこが最初のチェックポイントだった。

 銃を抱えた兵士が右前方に立っているのを見て、運転手が車の前後席の右側の窓が全開にした。いかつい顔をした兵士が、運転手と友人と筆者の顔を覗き込みながら、ぶっきらぼうに「どこに行くのか」と尋ねる。運転手が「○×まで」と手短に答えると、兵士は「行け!」というように銃を振るゼスチャーで通行を許可した。道路脇には、屋根だけついた小さな簡易兵舎のような建屋に数名の兵士たちがいて、その前には土嚢が積まれていた。

 料金所を通過すると、マンダレーへと続くハイウェーに入った。ここを通るのも、筆者にはひさしぶりだ。前方にも後方にも車はなく、ガラガラのハイウェーを車は順調に進む。対向車線にたまに車が現れる程度だ。1時間もしないうちに、車は再び速度を落とした。2カ所目のチェックポイントだった。

 先ほどの兵士とは違い、「どこに行きますか?」と、丁寧な言葉で行き先を尋ねてきた。軍人の荒々しさをあまり感じない、40代ぐらいの人だ。笑顔を浮かべながらの丁重な扱いに、筆者は戸惑った。「教養のある将校もいるんだな」と、友人がつぶやく。ひょっとすると、彼は「スイカ」だったのかもしれない。外側が緑色で、中が赤いスイカは、緑の軍服を着ているが、本心はクーデターに反対し、民主主義のNLD(国民民主連盟 / アウンサンスーチーをリーダーとする政党)を支持している軍人のたとえにしばしば使われる。軍の中にはスイカがかなりいるという話は、よく聞く。

 その後も、いくつものチェックポイントを通った。多くは行き先を確認するぐらいだったが、中には何も聞かずにスルーするところもあり、1~2カ月ほど前にこのルートを通った人から聞いた話とは、かなり様子が違うようだった。

 その人は、多くのチェックポイントで賄賂を要求されたと言っていたが、今回はそのようなことは一度もなかった。もしかすると、少し前に起きたチェックポイント襲撃事件が影響していたのかもしれない。銃を持った兵士にビクビクしている筆者と同様に、兵士たちもいつ襲われるか分からない恐怖を兵士たちも感じているのだろう。

 ほとんどのチェックポイントは何も問題なくスムーズに通過できたが、中には旅行許可証を調べるところもあった。あるチェックポイントでは、我々の旅行許可証を持った運転手がドアを開けて書類チェックの窓口に向かった後、別の兵士が来て車のトランクを開けるように命じ、バックをいくつかを開けて中身を調べた上で、やっとOKが出た。

季節は巡る

 いくつものチェックポイントを過ぎ、今回の目的地の一つであるシャン州南部のある村の近くまでやってきた。ちょうど今の時期はシャン高原が最も美しい季節だ。標高1000mほどの高原を走る道の両脇は、黄色く鮮やかに染まっていた。小さなヒマワリに似た黄色い花が一斉に咲き乱れるのだ。ミャンマー語でネーチャーヤイン(直訳で、野生のヒマワリという意味)と呼ばれる花だ。なだらかな高原には爽やかな風がそよぎ、地には様々な作物が育っていた。この穏やかな自然には、クーデターも軍も殺戮も関係なかった。いつもと同じように季節が巡り、いつもと同じようにネーチャーヤインが咲いていた。しばし、人の世の出来事を忘れて自然に浸った。

 市場に行ってみた。ヤンゴンとは違い人の顔は穏やかで、身も知らずの私を笑顔で迎えてくれた。クーデター前は、ヤンゴンでも同じように知らない人同士でも笑顔で話ができた。しかし、クーデターによって人も変わってしまった。一見、日常が戻ってきたかのように見える今のヤンゴンだが、見知らぬ人には警戒して心を開くことはない。

村にも軍の影が…

 傍目には平和で幸せそうに見えるこのあたりにも軍の影が入り込んでいた。ある夜、近くの村に20〜30人の兵士が車でやってきた。騒ぎを不審に思い、外に出てきた一人の村人を、兵士が何の警告もなしに発砲し、その村人は亡くなってしまった。村で囁かれた噂によると、村にダラン(密告者)がいて、村の中にPDF(People’s Defence Force / 国民防衛隊)への支援者がいると軍に情報を流したために軍がやってきたのだという。ところが、犠牲になった村人は、PDFとは全く関係がない人だった。
結局、PDF支援者は見つからなかったし、そもそもPDF支援者がいたかどうかも疑わしい。また、誰がダランかもいまだ藪の中だという。

 このような悲劇だったとはいえ、シャン州の南部は、他の地方と比べると今のところ平穏だ。同じシャン州でも、北部のシャン州は毎日のように軍と衝突が起きている。シャン州南部の平穏もいつまで続くかわからない。

重苦しいマンダレー

 続いて、ミャンマー第二の都市であるマンダレーに向かった。チェックポイントは1箇所だけでマンダレーに到着した。時間は午後3時で、空は快晴なのに、街には重苦しい空気が漂っていた。繁華街も多くの店が閉まっている。人通りも以前の半分くらいだろうか。

 マンダレー中心部にある王宮跡を車で一周してみた。東京の皇居のように1マイル(1.6Km)四方の堀で囲まれており、以前は市民の憩いの場だった王宮跡は、人が少なく、四隅には土嚢が積まれて、銃を構えた兵士たちの姿があった。

 また、マンダレーといえば、バイクだ。以前は街中にバイクが溢れていたが、以前の半分くらいにまで数が減っている。奇妙なことに、二人乗りはかなり少なく、見かけても後ろはほとんど女性だ。例のトンデモ法が効果を発揮しているように思われた。1カ月ほど前に軍が出したバイク二人乗り制限法のことだ。通達では、二人乗りの場合は後ろに男を乗せてはならず、もし見つけた場合は発砲も辞さないとされている。実際、二人乗りしていたバイクに軍が発砲し、乗っていた男性が死亡するという事件が起こった。通達の理由を軍は説明していないものの、二人乗りの後ろに乗った男が軍に爆弾攻撃を行うことが可能であるためだろう。

 日が暮れて、外の食堂に夕食を食べに行こうと車で市内を走った。薄暗くなり始めたばかりの午後6時過ぎだったが、人々は早めに自宅に戻り、多くの店が閉まっていた。目当ての食堂も閉まっていたため、次の店を目指したが、そこも閉まっていた。しばらく街をさまよい、やっと開いている食堂にたどり着いた。10テーブル以上ある大きな食堂だったが、客は我々を入れて3組しかおらず、寂しい夕食となった。

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