【歩く・見る・撮る】― 写真民俗誌/民族誌へのいざない ―
ミャンマー(ビルマ)から  ⑪<ミャンマー軍>(上)

  • 2024/4/22

ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く連載の第11話 <ミャンマー軍>(上)です。

 ⑪<ミャンマー軍> (上)

 一般的にミャンマー(ビルマ)は、軍事政権の国として知られている。ところがこの国には歴代、独裁者が存在してきた(現在の独裁者はミンアウンフライン上級大将)。それゆえ、単に独裁政権と呼ぶよりは、軍事独裁政権国と言い表した方がいいのかもしれない。
 もっとも、軍事独裁と聞くと、なにやらおどろおどろしい感じがするが、実際、観光やビジネス目的でミャンマーに入ると、ちょっと肩透かしを食うかもしれない。
 最大都市ヤンゴンや仏塔遺跡で有名なパガン、あるいは首都ネピドーを訪れても、軍事色は全く感じられない。えっ、この平穏さで、どうしてメディアでは人権侵害国として報道され、国連安保理では決議案が出されているのか、訪問者の多くは驚く。軍事政権という先入観を持って入国した人は、自分が目の前にしている光景から、ニュース報道に疑問を持ってしまう。
 しかしながら、ちょっと立ち止まって考えて欲しい。ミャンマーという国は1948年の独立以降、62年のクーデターを経て、2011年のテインセイン政権まで、ほぼ半世紀の間軍事独裁政権であったのだ。2011年のテインセイン大統領(軍出身)による仮の文民政権からアウンサンスーチー氏による民政期を経て、2021年に再び軍部によるクーデターで、またもや軍事独裁政権になったのである。
 さらに独立期から現在まで、この国の中では銃火が止んだことはなく、世界で一番長い内戦が続いているのである。そう、この軍事政権の体制の強固さや内戦の実情は、仮初めの訪問では実感することは極めて難しい。ミャンマーという国に関しては、自分には見えていないことが多くあるのだということを今一度、認識しなければならないのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 ミャンマー(ビルマ)は、軍事独裁政権国であると言い表したが、個人的な感覚では軍事独裁「官僚」国でもあった。つまり、社会生活の中での規制や監視は厳しいが、文書の様式や行政からの許認可の形式さえ整うと、その後の活動はある程度自由になるという実態もあった。
 知人の出国を見届けるため国際空港に立ち入る。いったん空港のセキュリティチェックを通り抜けた後、滑走路で離着陸の演習をしている戦闘機を撮影していても、空港の係官は私にそれほど注意を払うことはなかった。
※人によっては、軍事関連施設を写真に収めるのは無防備すぎる、と指摘するかもしれない。しかし、誰かが2003年のこの時点で、ミャンマーでは民間空港で軍事演習をしていたという事実を記録することも大切であった。

 

 

 

 

 タンシュエ上級大将は2006年、国軍最高司令官を退く。しかしながら、兼務していた国家平和発展評議会=SPDCの議長職には留まり、軍事独裁体制の実権は手放さないと見られていた。タンシュエ上級大将自身は、軍部が将来にわたって国政の中心を担う2008年憲法を制定させた。タンシュエ上級大将はその新憲法に従って、大統領就任を目論んでいるのではないかとの噂も流れた。実際、タンシュエ上級大将は、テインセイン体制が発足する2011年まで軍政のトップに留まり続けた。
 この「歩く・見る・撮る」の連載、第1回目の冒頭、私は次のように書いた。
 《その憲法違反のクーデター発生を遡る10年前の2011年、ミャンマーでは軍出身のテインセイン氏が大統領に就き、形の上では文民政権となっていた。当時、ミャンマー人も含めた内外のジャーナリストや研究者の多くは、テインセイン政権は傀儡政権に過ぎない、その直前まで独裁者として権力の座にあったタンシュエ上級大将が院政を敷き、テインセイン氏は彼の操り人形に過ぎないと予想していた。実際、私もそのように考えていた。
 ところがである。
 テインセイン大統領は、政治囚の釈放・言論規制の緩和・武装抵抗少数民族との停戦/和平協議を開始・・・等々、予想を裏切る改革を立て続けに行っていった。
 一体、何が起こったのだ。》
 テインセイン政権発足から5ヵ月後、軍服を着たタンシュエ上級大将の写真が政府の役所に堂々と飾られているのを目にすると、2011年当時、テインセイン政権の改革を予測するのは極めて難しかった。  ⇒ 第11話 <ミャンマー軍 下>(4月23日公開)に続く

 

 

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