ミャンマー市民の軍事レジスタンスに参加した元仏僧
残虐な軍に対抗して武器を取る市民ら
- 2021/6/22
2月1日の軍事クーデター発生からまもなく5カ月が経過するミャンマーで、混乱が続いている。クーデターに反対する市民に対してミャンマー国軍が残虐な弾圧を続けており、非暴力での抗議運動を諦め、銃を手にする人々が増えつつあるのだ。来たるべき闘いに備え、少数民族武装組織が支配する南東部地域などでゲリラ戦の訓練を受けている若者たちの属性はさまざまだが、最近、殺生を許さないはずの仏僧が訓練に参加し、話題を呼んだ。米メディア「ラジオ・フリー・アジア」が仏僧に独占インタビューを行った。
宗教関係者にも手加減しない軍の弾圧
最近まで僧侶だったケイタラ氏(通称:ジョージ・マイケル、33歳)が仏門を離れ、武器を手にすることを決意したのは、軍に抗議してデモに参加した仲間の仏僧たちが逮捕・殺害されたためだ。非暴力で抗議を続けていた人々の命が次々と奪われたことから、彼は不殺の誓いを捨てたのだ。
ケイタラ氏は20歳で出家。ヤンゴン郊外のラインタヤ地区にあるダマ・ダーナ僧院で住職を務める傍ら、孤児院を運営するなど、人道的な活動を続けてきた。
ケイタラ氏は、クーデターが起きた直後の2月6日から毎日、ラインタヤ地区の通りでデモ行進を行っていたという。
しかし、3月14日に状況は一変する。この日、ラインタヤ地区では軍の弾圧によって少なくても60人以上が亡くなった。同日、この地域には戒厳令も発令されたため、数千人に上る縫製工場の労働者を含め、多くの住民が逃げ出した。
この少し前に逮捕状が出されたため身を隠していたケイタラ氏は、潜伏中に亡くなった母親の葬儀にも出席できず、当日のデモにも参加していなかったが、この日1日だけで多くの人々が犠牲になったことを後になって知り、武器を取ることを決意したという。
「私たちはあくまで非暴力の形で抗議を続けていましたが、一緒にデモに参加していた仲間たちを軍が射殺したと聞き、考えを変えました。“解放地域”に到着した時には、軍事訓練に参加することを決意していました」と、ケイタラ氏は振り返る。解放地域とは、少数民族の武装組織が支配するタイやインド、中国との国境沿いにある少数民族地域など、軍に侵食されていない地域の総称である。
「私は仏僧としては殺生を許されませんでしたが、今は人を殺すための訓練をしています」と、ケイタラ氏は淡々と話す。
ケイタラ氏が軍事訓練を受けたいと言った時、解放地域の幹部らは最初、反対したという。ケイタラ氏が経験豊かな高僧であったためだ。しかし、最終的には参加が認められ、訓練が始まった。他の民兵たちを危険にさらさないよう、ケイタラ氏は訓練の場所は明かさなかった。
仏教の道で実現したかった夢
「私は、13年間、仏僧として生きてきました。今も、ともすれば僧侶が使う言葉遣いが出てしまいますが、自分はもう僧侶ではなく兵士なのだと自らに言い聞かせ、他の兵士と同じように食べ、暮らすように心がけています」と話すケイタラさん。すでに訓練期間を終え、今は上級士官として活躍している。
とはいえ、仏僧時代に染み付いた不殺生の誓いは頭から離れないため、戦場で軍と対峙することを想像すると、抵抗があると苦しい胸の内を明かす。「かつては自分だけでなく他の人が殺生することも戒めていた自分が、今は兵士として命を奪うことを求められています。自分は本当に戦場で人を殺せるのだろうかと思います」
ケイタラ氏は、軍事クーデターが起きなければ、今も仏僧を続けていたと話す。「私には、仏教大学を設立したいという夢がありました。仏教徒にとってランドマークとなるような、3階建ての大きな施設を作りたかったのですが、そんな夢も壊れてしまいました」
武装勢力の服に身を包んだケイタラ氏の写真をネットで見た他の仏僧たちから、複数の連絡があったが、同氏は「自分の後には続いてほしくない」と話す。
「この革命を成功させるためには、武力による抵抗が不可欠です。しかし、仏僧には、闘う以外にもできることは多く、僧侶として中に留まるからこそできることはたくさんあります。その立場を捨てて軍事組織に入る僧侶がこれ以上出ないことを祈ります」
なお、ミャンマー国内外の著名な仏僧が2019年にオンライン上で設立したダマ平和基金によれば、2月1日以降、抗議活動に参加したかどで少なくとも18人の僧侶が拘束されているという。また、人権団体の政治犯支援協会(本部:タイ)によれば、クーデター以降、860人以上が政権によって殺害され、4,480人が拘束されている(編集部注:数字は本記事が掲載された6月15日時点)。