ミャンマーでクーデター、タイはどう報じたか
蘇る暗黒の記憶、新たな経済制裁で国民が再び苦しむのか
- 2021/2/2
ミャンマー国軍は2月1日午前、与党・国民民主連盟(NLD)のアウンサンスーチー国家顧問兼外相らを拘束し、「軍が国家権力を掌握した」と宣言。クーデターが勃発した。2月2日付のバンコクポスト紙では、この問題を採り上げた。
スー・チー氏らを拘束
ミャンマーではこの数週間、クーデターへの懸念が高まっていたという。そして、軍部はついに踏み切った。代わりに政権トップに立ったのは、国軍のミンアウンフライン総司令官だ。彼は今後1年間にわたる国家非常事態宣言を発表した。また軍部は同日未明、ミャンマーの事実上の政治指導者であるアウンサンスーチー氏を、他のNLD幹部とともに拘束した。
ミャンマーでは、昨年11月8日に実施された総選挙をめぐり、NLDと軍部との間に対立が起きていた。社説は、「この選挙ではNLDが80%以上の得票率を記録し、国会の476議席のうち396議席を獲得したが、軍は大きな間違いがあったと主張していた」と振り返り、次のように訴える。
「軍は、今回の行動をクーデターではないと主張する。2008年に軍事政権下で起草され、公布された憲法に基づいた行動だというのだ。憲法の条文には、国家的な非常事態の際は、大統領が国軍や安全保障委員会と連携して、三権を軍司令官に引き渡すことができる、と書かれているためだ。また、1年以内に選挙を実施することも約束した。とはいえ、これがクーデターでないとしたら、何がクーデターだと言うのか?」言葉の端々に、軍の主張への怒りがにじむ。
さらに社説は、「同じこの憲法が、選挙で勝利したアウンサンスーチー氏の大統領就任を阻んでいることを忘れてはならない。ザ・レディー(注:スーチー氏の意)は、大統領ではなく、新たに設けられた国家顧問として政権運営にあたってきた」と、続ける。
内政不干渉に縛られ、非難を表明できない国々
今回のクーデターに先立ち、軍とアウンサンスーチー氏は、長引く権力争いのなかで選挙をめぐる対立を解消すべく交渉のテーブルについていた。「しかし、こうした努力もすべて水泡に帰した」と、社説は嘆く。
拘束される直前、氏は事前に用意した声明文を発表。「クーデターを受け入れず、抗議するように」と、国民に呼びかけた。
国際社会からも非難が集まっている。米国、オーストラリア、英国など、他の民主国家はミャンマーが民主政権に戻るよう求めた。その一方で、「東南アジア諸国は、内政不干渉という自分たちのルールに縛られて発言できずにいる。中国も、注意深く言葉を選び懸念を表明するにとどまっている」と、社説は伝えている。
おなじように内政不干渉の立場をとるタイ政府も、明確にはクーデターを非難していない。しかし、社説はこう言い切る。
「ミンアウンフライン総司令官は、世界の声に耳を傾けなければならない。ミャンマーは、1962年から2011年まで続いた軍事独裁政権の下で国際的な制裁を受け、多くのものを失った。その結果、資源に恵まれた国であるにもかかわらず、社会経済の発展という面で、他の東南アジア諸国に遅れを取った。きのうのクーデターは、あの日々の記憶を再びよみがえらせる。新たな制裁は国民をいたずらに苦しめるだけだ。拘束されている人々を解放し、安全を保証し、対話を再開してミャンマーを前進させなければならない」
「後戻りはしない」とみられていたミャンマーだが、憲法ひとつとっても、軍事独裁政権の影響はぬぐいきれていなかった。世界はそのことを忘れてはならない。
(原文: https://www.bangkokpost.com/opinion/opinion/2061043/dark-days-for-myanmar)