忘れられた「日本人」
戦後75年 フィリピン残留2世たちの今

  • 2020/8/2

「貧しくともウソは言わない」

 1974年、ノブコさんに転機が訪れた。日本から来た慰霊団がコタバトを訪れ、一行の中にいたワダさんと妹のハルエさんが再会したのだ。2人はすぐにお互いが分かったという。この時、ハルエさんから知らせを受けながらも、金銭的に余裕がなくコタバトまで出て来られなかったノブコさんにとワダさんから託された写真と名刺を、ハルエさんがバスの中で紛失してしまったのは、運命のいたずらとしか言いようがない。2007年3月に筆者がキアンバのノブコさんを訪ねて聞き取り調査を行った時に、ノブコさんが父、カトウさんの身元につながる書類も、一家のことを知るワダさんの連絡先も持っていなかったのは、このような事情からだった。

 4カ月後の7月、われわれは父不詳のまま、カトウノブコさん、ハルエさん、カズオさんの兄弟3人の就籍許可を東京家庭裁判所に申し立てることにした。冒頭の調査官面接が行われたのは、2013年8月。申し立てから6年以上経っていた。

 調査官は、われわれが2007年にキアンバで作成した陳述書を基に、微に入り細を穿つような質問を繰り返した。記憶のあいまいさと陳述書の食い違いを正され続け、懸命に適切な言葉を探すノブコさんの姿を見ながら、胸が痛んだ。70歳を過ぎた老婆が、60年以上前の出来事をどれだけ仔細に記憶しているというのか。戦中の混乱期のことゆえ、記憶違いや、論理立てて説明できないこともあるだろう、時間感覚も平常時と違って当然だ――。

 2時間におよぶ面接を終えて調査官が言い放った一言が、場の空気を凍りつかせた。

「このケースは難しいですね」

 ノブコさんは即座に「私の父は日本人です。どんなに貧しくても、私はウソを言いません」と言い返したが、まるで自分が真実ではないことを語ったかのように扱われ、内心、どれだけ悔しかったろう。代理人として同席していた青木秀茂弁護士も、裁判所を出るなり、いつになく強い口調で「このまま却下はさせない。徹底的に関係者に当たろう」と言った。

支援者からもらった浴衣を着た加藤イニア信子さん(筆者提供)

 それから我々は、ノブコさんの記憶にある日本人関係者とおぼしき人々を徹底的に探した。特にワダさんについては、厚生労働省の軍歴関係名簿を調べあげ、ついに、陸軍通信兵として旧満州からフィリピンに配属された和田栄四郎さんであることを突き止めた。福島県白河市の住まいを訪ねると、和田さんはジャングルで出会った3人の兄弟をはっきり覚えていた。「信子14歳、春江10歳、和夫6歳」と書かれた当時の手帳がノブコさんの陳述とぴったり合致したことが決め手となり、姉弟は2014年1月、ついに日本国籍を回復した。

フィリピン残留2世たちへの聞き取り調査の様子(筆者提供)

 「どんなに貧しくともウソは言わない」。そう言ったノブコさんの目を、あの調査官は覚えているだろうか。彼が底意地の悪い人間だったとは思わない。家庭裁判所に心ある調査官や判事がいるのも事実だ。しかし、日本の司法の厳格さが時として戦時中の混乱に置き去りにされた残留2世たちのたどった現実を見誤る危険性をはらんでいるのも、また事実だ。

問われる日本側の姿勢

 残留2世の姉弟、神山月子さんとシゲルさんが来日した時に、東京と沖縄のメディアが対照的だったのも印象深い。

 東京の某メディアは、初めて飛行機を乗り継いでミンダナオの奥地から日本に到着したばかりの2人を取り囲むなり、「なぜ日本国籍を求めるのですか?」と尋ねたのだ。2人が顔をこわばらせるのを見て、筆者は恥ずかしくなった。「どうせ子どもたちを出稼ぎに来させたいといった理由だろう」と言わんばかりの浅ましい意図が透けてみえるようだった。

 一方、親族ではないかと名乗り出た人々と対面するために沖縄に飛んだ2人を那覇空港で出迎えた地元メディアの一人は、「ようこそいらっしゃいました。お疲れでしょう。まずは座ってお茶をどうぞ」と、さんぴん茶を差し出した。沖縄では、記者も役所も「めんそーれ」と出迎えられ、2人は終始、穏やかな表情だった。

那覇空港であたたかく出迎えられた神山月子さんとシゲルさん(筆者提供)

 その様子を見て、かつて過酷な地上戦を経験した土地だからこそ、家族との離別や、2つの国の間でアイデンティティを引き裂かれる思いをしてきた残留2世たちの心の傷を理解できるのかもしれないと感じた。人生の最終章を迎えてようやく父の祖国を踏めた彼らにまずかけるべき言葉が、「何しに来たのか」という詰問ではなく、「長年、お疲れさまでした」というねぎらいであるべきなのは明白だ。

フィリピン残留2世たちへの聞き取り調査の様子(筆者提供)

 残留2世たちが父の祖国、日本を思い続けて75年目の夏が来た。ぜひ、映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』を通じて彼らと出会い、その目に映る日本の姿に思いを馳せてほしい。

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