水面下で動く「終戦後」のウクライナ鉄道ビジネス
戦時下でその重要性がますます高まる
- 2023/6/26
ウクライナの鉄道は、バイデン大統領や岸田首相が乗車するほど信頼度の高い交通手段だが、海路に代わる穀物の輸送手段としても重要度を増している。終戦後は、鉄道インフラの復興がビッグビジネスになるとして、世界の鉄道関係者が熱い視線を注ぐーー。
米大統領が乗る専用列車「レールフォースワン」
アメリカのジョー・バイデン大統領が2月20日にウクライナの首都キーフを電撃訪問し、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談した。戦時下のキーフ中心部を両大統領が並んで歩く姿は、アメリカがウクライナを支え続ける明確なメッセージであるとして、世界中で大々的に報道された。
では、バイデン大統領はどのような交通手段でキーフにやってきたのか。アメリカの大統領が長距離移動をする場合、大統領専用機「エアフォースワン」に搭乗するのが通常だが、今回は違った。バイデン大統領はエアフォースワンでウクライナの隣国ポーランドに入り、ウクライナとの国境に近い街、プシェミシルで専用列車に乗り換えてキーフに向かった。
当時のウクライナ鉄道CEO(最高経営責任者)、オレクサンドル・カムイシン氏がバイデン大統領キーフ訪問の翌日、舞台裏の一端を自身のSNSで明かしている。バイデン大統領はウクライナには24時間滞在したが、プシェミシルからキーフまでは列車で10時間かかる。つまりバイデン大統領は往復20時間を列車内で過ごしたわけだ。それだけに、列車の安全管理がことのほか重要だ。バイデン大統領が乗った列車は「レールフォースワン」と呼ばれていた。エアフォースワンの鉄道版だからレールフォースワン。言い得て妙だ。
レールフォースワンの運行は、ほかの列車よりも優先された。そのため、その日は定時運行率が1割程度削減したという。「われわれの列車の90%しか定時で到着できなかった。申し訳ない」。もっとも、低下したとはいえ、定時運行率が90%なら、なんら恥じることはないと思う。
バイデン大統領のウクライナ訪問から1カ月後の3月21日、今度は岸田文雄首相がウクライナを訪問し、キーフでゼレンスキー大統領と会談した。NHKなどの報道によれば、岸田首相もポーランドのプシェミシルから鉄路でキーフ入りするというバイデン大統領と同じ経路を採用したようだ。
岸田首相のキーフ訪問は、カムイシン氏にとって最後のミッションとなった。カムイシン氏は3月23日付でウクライナ鉄道のCEOを辞任し、同国の戦略産業大臣の任に就いたのだ。
海上封鎖により鉄道輸送が重要に
筆者はそのカムイシン氏に2022年9月、取材する機会を得た。場所はドイツのベルリン。鉄道の国際見本市「イノトランス」が開催されており、世界中の鉄道関係者が一堂に会していた。ウクライナの鉄道の実情を世界に発信するには絶好の場所である。姿を見せたカムイシン氏は黒い半袖シャツを身にまとい、ポニーテールと刈り上げを組み合わせた髪型もあいまって、周囲のビジネスマンというよりは、まるでアーティストやミュージシャンだ。しかし、周囲にいる軍服姿の屈強なボディガードが現実に引き戻す。そんな彼が、ウクライアの鉄道の現状について語り始めた。
ウクライナ鉄道は、ウクライナの国営企業。全土に鉄道を巡らせ、線路の総延長は日本に匹敵する2万2300kmに及ぶ。バイデン大統領や岸田首相が鉄道で移動したことからもわかるとおり、旅客列車は信頼性の高い交通手段である。同時に、貨物列車も重要な役割を果たしている。石炭、鉱石、鉄などの天然資源のほか、小麦やトウモロコシなどの穀物も貨物列車によって運ばれる。
周辺7カ国の鉄道と連結しているが、線路幅がヨーロッパ各国で一般的な標準軌(1435mm)ではなく、ロシアゲージ(1520mm)を採用しているため、旧ソビエト連邦構成共和国であったベラルーシ、モルドヴァ、ロシア連邦の鉄道とは同じ軌間であるものの、ヨーロッパ側となるポーランド、ハンガリー、ルーマニア、スロバキアの鉄道の軌間とは異なる。このため、これら東欧4カ国の鉄道と行き来するためには、貨車を積み替える必要がある。
これまで穀物はオデーサなど黒海に面した港湾から船舶で世界各地に運ばれていたが、ロシアによる海上封鎖で船舶輸送が不可能になった。そこで代替手段として活用されているのが、貨物列車だ。ウクライナ鉄道はヨーロッパ各国の鉄道と連携して、穀物をヨーロッパ経由で輸出している。貨車の交換を容易にするため、ハンガリーには2022年秋、ウクライナとの国境に新たな貨物ターミナルが建設された。鉄道は旅客や貨物だけでなく、兵士や軍需物資を前線に送るとともに、医療従事者が同乗して傷ついた兵士を治療しながら安全な場所に送り届ける医療列車の役割も果たす。戦時下における鉄道の役割はますます高まっている。
運行指令所も列車内に設置
そんなウクライナの生命線とも言える鉄道をロシア軍が見逃すはずはなく、つねにロシア軍による攻撃の危機にさらされている。
しかし、破壊された鉄路にはすぐにウクライナ鉄道の作業員が駆けつけ、復旧作業に着手する。作業期間中は迂回ルートを確保して、運行が滞らないようにする。通常ならこうした指示は本部ビル内にある運行指令所から出されるが、本部ビルが攻撃されると鉄道運行が麻痺してしまう。
そのため、運行指令所の場所をつねに変えることで、ロシア軍の攻撃目標にならないようにしている。列車の中に臨時の運行指令所を設けることもある。国内を移動しながら鉄道運行の指揮を取る「動く指令所」だ。
カムイシン氏は「戦争がはじまった当初は大変だった。攻撃を受けている中で新しい運行手法に移行することが簡単であるわけがない」としたうえで、「現在はわれわれの誰もが何をやるべきかを明確にわかっている」と述べた。安全な運行という鉄道の使命は不変であり、前提条件は変わりない。だったら外部要因の変化に合わせて達成手段を変えるだけにすぎないと言う。ちなみにカムイシン氏は学生時代にファイナンスを専攻し、投資会社のマネジャーを務めた経験もある。ビジネス感覚にあふれる人物だ。
イノトランスにやってきたのも、ドイツ鉄道との業務提携に調印するためだった。業務提携の内容は、ドイツ鉄道によるウクライナの鉄道インフラの復興支援。ドイツ鉄道は鉄道貨物のルートやターミナルの拡張で協力するほか、鉄道の運用管理手法にヨーロッパ方式を導入することでも助言する。具体的な内容は今後の検討次第だが、ウクライナとヨーロッパの鉄道は軌間が異なるため、単純な相互乗り入れは不可能だ。ただ、台車の軌間幅を変えることで異なる軌間の線路を自由に走行できるフリーゲージトレインという技術がヨーロッパでは実用化されており、こうした新技術を活用した列車の導入が検討されるかもしれない。
ドイツ鉄道とウクライナ鉄道は、線路の軌間幅の違いをどうするかは長期的に解決すべき課題として、当初は貨車の積み替えで対応することを考えている。だとしても、ウクライナとヨーロッパでは信号システムや線路への荷重限度などのルールが異なるため、相互運行は容易ではない。しかし、こうした違いをヨーロッパの鉄道と同じにすれば、国をまたぐ運行はかなりスムーズになるはずだ。
イノトランスの会場のあちこちでも、鉄道会社や鉄道メーカーのトップたちからウクライナを支持するという声が聞かれた。会場の一角でイタリア鉄道向けの新型車両を披露していた日立製作所鉄道ビジネスユニットのアンドリュー・バーCEO(役職は当時)は、ウクライナ鉄道の支援について問われると、「今のところそのような状況にはないが、その用意はある」と答えた。