インド太平洋経済枠組みの意義はどこにあるのか
あいまいな対中包囲網の効力は日本の働きかけ次第

  • 2022/6/9

 バイデン米大統領は5月23日に来日し、「インド太平洋経済枠組み」(IPEF)の発足を宣言した。米国を含め13カ国がスターティングメンバーで、うち7カ国が東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国だ。13カ国のGDPの合計は世界の40%に上り、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や地域的な包括的経済連携協定(RCEP)の3割と比べても大型の枠組みだが、これが地域にどのような影響力をもつのかは、どうもあやふやだ。いったいなぜ、バイデン大統領は唐突にIPEFを立ち上げようと思ったのか。

IPEFの発足に向け、来日中のジョーバイデン米大統領とナレンドラ・モディ印首相が岸田文雄首相とともにオンライン会議に参加した(2022年5月23日撮影) (c) AP / アフロ

 

アラカルト方式の4本柱

 多くのアナリストたちは、IPEFについて、「バイデン大統領率いる米国がインド・アジア太平洋地域にこれまで以上に積極的にコミットするという意志を表明したということ以外には、これといった意義はない」と見ている。

 強いて言えば、トランプ前政権が2017年にTPPから脱退して以来、米国として改めてアジア太平洋諸国との間で緊密な経済貿易関係を構築し直そうとしていることが打ち出されたのが最大の意義だと言える。

 本音を言えば、中国の一帯一路や、今年1月に発効したRCEPに対抗できる中国包囲網を米国主導で形成し、最終的には多国間輸出統制調整委員会(COCOM)のような軍事転用可能なハイテク部品・製品の管理をしっかり行いたいところだろうが、そんなことを言おうものなら、中国への経済依存度が高い東南アジアの国々は近寄ってさえ来なかっただろう。

 そのため、IPEFでは、「貿易」、「サプライチェーン」、「クリーン・エネルギー・脱炭素・インフラ」、そして「税・反汚職」というざっくりした「4本の柱」を打ち出し、共通のビジョンを共に形成していくことが掲げられた。しかも、4本にすべて参加しなくても、アラカルト方式、つまり、各国がそれぞれに関心を寄せるテーマに参加すれば良し、ということになった。

「思い付きに似た、苦肉の策」

  バイデン政権が突然、IPEFを打ち出したことについて、先日、元経産省官僚の細川昌彦・明星大学教授にインタビューした。その内容は、「AMAZON EXCLUSIVE JAM THE WORLD・UPCLOSE」というポッド・キャスト番組で配信されているため、興味のある方はぜひ聞いていただきたい。細川教授は、IPEFについて、「ある意味、バイデン大統領の思い付きに似た苦肉の策のようなもの」だと指摘する。米国政府にしてみれば、TPPに復帰することは米国内の企業が強く反発しているために選択肢にはなり得ないが、その一方で、アジアやインド太平洋経済圏には主導的にコミットしていきたいという狙いがある。そうしなければ、中国のプレゼンス拡大を阻止できないためだ。そうした思いが先に立ち、「とにかく枠組みを先につくろう」と打ち出したのが、IPEFというわけだ。しかし、米国市場を開放もしないまま、どうすれば中国と関係の深いASEAN諸国をこちら側に取り込むことができるというのだろうか。

 米国の非営利シンクタンク機関であるスティムソンセンターのシニア研究員で、中国プロジェクトの主任を務める孫韻氏は、ボイス・オブ・アメリカの取材に答え、「IPEFに加盟したからといって、米国市場に参入しやすくなるわけではない」「途上国から見れば、IPEFに加盟しても、ルールや規則、基準の部分に米国が関与してくるだけで貿易上のメリットがなければ入る意味はないと思うだろう」と述べた。

IPEFの4本柱の1つは「税・反腐敗」だ (c) Nataliya Vaitkevich / Pexels

 4本の柱の一つに掲げられている「税・反腐敗」は、まさに脱税と腐敗の常習犯である中国を締め出すために設けられたと言われている。しかし、東南アジアやインド太平洋諸国にとっても、脱税や腐敗の状況は深刻であり、米国に口を挟まれたくないのが本音だ。しかも、バイデン政権自身、息子のハンター氏が中国企業の絡む汚職・腐敗疑惑を追及されかけているというのに、他国の汚職にまで口を突っ込むな、と言いたいところだろう。そんなIPEFが、対中包囲網としてどれほどの影響力を持てるというのか。

低姿勢で物柔らかな声明

 だが、ワシントンにあるシンクタンクのCSIS(戦略国際問題研究所)のウイリアム・レインシュ国際商務研究主任は、ボイス・オブ・アメリカの取材に答え、「米国に加えて12カ国の参加を得られた上、そのうちの7カ国がASEANのメンバー国だということは間違いなく成果だと言える」と、ポジティブに評価していた。同氏によれば、「当初は参加国がもっと少ないと見られていた」という。

 ここで注意したいのは、このあやふやな枠組みに、なぜこれだけの国々が参加したのかということだ。この点については、英国経済紙のフィナンシャルタイムズが、内部事情に詳しい6人の話をもとに「バイデン政権が読み上げたIPEF設立の声明の文言が“物柔らか”だったからだ」との見方を示している。同紙が事前に入手した声明文の草案に「各国は交渉をスタートさせる」と書かれていた箇所が、23日に発表された正式の共同声明では「枠組みの設立に向けたプロセスがスタートする」と変更されていたという。つまり、「米国は伝統的な貿易協議のモデルを超越し、盟友や協力パートナーとの議論を経て、モデルを一緒に創り上げていきたい」という謙虚な姿勢を打ち出したのだ。

市場に向かうベトナムの女性。IPEFに多くの国が参加した背景には、日本によるアジアの国々への働きかけたあったとの指摘もある© Huy Phan / Pexels

 前出の細川教授は、米国がこれほど低姿勢に転換したことと、予想以上のスターティングメンバーが集まったことの背景に、日本の働きかけがあった、と考えている。

 IPEFが掲げる4本の柱のうち、「貿易」は、本来であれば、米通商代表部(USTR)が仕切っていただろう。しかし今回、バイデン政権は、IPEFの発足を東京で発表したことからも分かるように、IPEFの設立を日本に頼っている節があった。その日本は、USTRに対して伝統的に高圧的で米国に都合のよいルールばかり押し付けてくるというイメージを抱いている上、圧倒的に米国が有利な条件で「交渉」を持ちかけてくる「嫌な奴ら」であることを、身をもって知っているため、「ルールの押し付けではなく、広く議論を呼びかける形で進めるべきだ」と注文を出したらしい。その上で、アジア諸国に「議論に参加してはどうか」と呼び掛けたという。

 「アジアでビジネスを展開している日系企業を通じて、現地の経験をフィードバックし、サプライチェーンの構築力やデジタル経済のルールづくりに役立てたい」と言えば、説得力も出るし、ASEAN諸国にとっても便利なものができるのではないか。クリーン・エネルギーの転換についても、メンテナンスに費用も手間もかかる風力や太陽光発電にいきなり切り替えるのではなく、たとえば日本の排煙脱硫技術を活用した電力プラントなどをクリーン・エネルギー・インフラの中に含めるような形にすれば、途上国にも受け入れられやすいだろう――。こうした日本の積極的な働きかけが、ASEAN諸国のうち、カンボジア、ミャンマー、ラオスを除く10カ国を動かしたのだというのだ。

 しかし、加盟国との議論の末に形成されるであろうIPEFが、最終的にどのような形になるのか、実のところ、まだ誰も想像できていない。政府間協定のようなものになるのかどうかさえ、定かではない。ただ、米国としては、対中包囲の枠組みに13カ国もスターティングメンバーとして顔を並べているという事実がすでに重要な意義を持っているということになる。

経済安全保障からスタート

 さて、あんまりIPEFをこき下ろすばかりでもいけないので、意味のないこの曖昧な枠組みを、どうすれば意味あるものにできるか考えてみよう。それは、これからの働き、特に日本の働きにかかっている。

 IPEFに従来の自由貿易協定とは異なる意義がもう一つあるとすれば、それは経済安全保障のコンセプトからスタートしたということだ。これまでの地域経済枠組みは、貿易ルールを旗印に形成され、経済的な実利が目的のグローバル化が推進された。しかし、経済安全保障をコンセプトとした場合は、経済的な利益以上に経済安全が優先される。

 例えば、日米豪印から成るQUADは、まさに、米国とは軍事上、直接的に同盟関係を結べないインドを安全保障の枠組みに引っ張り込むためのアイデアとして生まれた。一方、IPEFは、インド・東南アジア経済に米国をコミットさせる経済安全保障、特に中国からの経済併呑の脅威を封じる狙いから考案された。こうした世界全体の動きを見れば、これまでのグローバリズムとも伝統的な軍事同盟とも異なる、新たなコンセプトに立った経済安全保障を柱とする国際秩序の枠組みが、目下、再構築されつつある、と見ることができる。

 これは、中国の一帯一路に対抗するという発想から生まれた動きだ。一帯一路とは、経済と地縁政治と軍事戦略をリンクさせた、政治経済軍事が一体となった中国式の安全保障モデルであり、RCEPなどの自由貿易協定とリンクすることによって、目の前の課題は多くても、将来的にかなり強力で広範な地域枠組みになる可能性を秘めている。

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