ウクライナからドイツに逃れた2人の女性医師
「戦火に振り回された人生をやり直して夢をつかみたい」

  • 2022/6/10

 ロシアのウクライナ侵攻から100日以上がすでに経過した。5月24日の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、ウクライナから他国へ逃れた人はすでに約660万人に達したと言われている。その半数以上にあたる350万人がポーランドに逃れているが、国境を接していないドイツにも、現在、80万人のウクライナの女性と子どもたちが滞在中だ。筆者は5月末、ドイツ西部・パーダボルンの街で、首都キーウから逃れてきたLGBTの女性医師2人に出会い、紛争が始まった時の様子や、ドイツに来た経緯などについて聞いた。

カップルでドイツに逃れてきたオルガ(左)とクリスティーナ(筆者撮影)

新天地で始まった新たな生活

  ロシアによる侵攻開始時、オルガ・イヴァンチェンコさん(41)と、クリスティン・マンドリカさん(35)の医師カップルは、ウクライナの首都キーウにいた。「戦争が始まってとてもショックだった」と、2人は振り返る。

 当初、彼女たちはウクライナを離れる気がなかったが、キーウへの攻撃が激化したため、安全を確保するため、最初はウクライナ西部に逃れ、その後、ポーランドを経て、3月6日にドイツに入った。

 ウクライナからの避難民の多くがポーランドなど近隣国に留まっているのに対し、2人はもともと将来的にドイツで医師として働くことを志し、以前からドイツ語を勉強していたため、この機会にドイツに行くことを選んだ。

 「私たちは、以前からよりよい環境で医師として働きたいと考え、外国で働くチャンスを探していました。そして、医療従事者が不足し、積極的に外国の医療従事者を受け入れているドイツを目指すことが夢の最短ルートだと判断していたのです」と、オルガさんは言う。

 ドイツに逃れた2人は、現在、ドイツ人高齢者の家にホームステイしながら、医療従事者向けに無償で開講されているクラスでドイツ語を集中的に学び、ドイツの医師免許を得るために、必死に勉強を続けている。

 「以前は、ドイツとウクライナを行き来しながら働くスタイルを考えていましたが、戦争が起きてからは、ウクライナで働く選択肢はなくなりました」

キーウで医師として働いていた頃の2人(本人提供)

 自国が侵略を受け、生活が壊されるという困難に遭いながらも、2人はすでに新生活を切り開くための道を見つけ、前へと進み始めている。

ロシアによる侵攻の衝撃

 一方、クリスティーナさんは、2021年末からウクライナの国境周辺にロシア軍が集結し始め、ロシアによる侵略の可能性が高いとアメリカが指摘していたにも関わらず、ウクライナ政府が「侵攻は起こるかもしれないし、起こらないかもしれない」と、曖昧な見方をしていたと振り返り、「侵攻当日はひどくショックで、信じられませんでした」と話す。

 実際、ウクライナでは、2月16日にロシアの攻撃があるのではないかという予想があり、人々は、すぐに逃げ出せるよう、リュックサックに貴重品や最低限の荷物を詰めていたそうだ。

 「でも、その日に何も起きなかったので、何も起きないのではないかという楽観的な見方が広がってしまいました」

 そんなキーウの住民たちは、24日の朝5時頃、突然の大きな爆音で一斉に目を覚ますことになる。爆撃を受けたのは郊外にある軍事施設だったが、離れていても聞こえる大きな音だった。

 「私たちは、2人とも私立の大手クリニックで働いていたのですが、侵攻当日、病院は休業となり、仕事には行きませんでした」とオルガさんは言う。

 2人はまず、車にガソリンを入れるために出かけた。以前から残量がわずかになっていたが、まさか戦争が起きるとは思っていなかったため、給油していなかったのだ。

 「人々はパニックに陥っていて、ガソリンスタンドも、水や食料を買える場所も、どこも長い列ができていました」

 最低限の物資を手に入れ、身を守るために自宅の地下室に隠れた2人は、その後、数日間、空襲警報が鳴るたびに地下に隠れるということを繰り返した。勤務先の病院が再開されることはなかった。

何度も隠れていた自宅の地下室の様子(本人提供)

間一髪で逃れた爆撃

 攻撃が激化するにつれ、キーウに残り続けることに危険を感じた2人は2月27日、キーウから南西30kmほど離れたワシルキウという街に愛猫を連れて逃れた。そこにはクリスティーナさんの両親が住んでおり、より安全だと考えたのだ。

 しかし、人口4万人に満たないその小さな街にはウクライナ軍の飛行場と訓練施設があったため、すぐにロシア軍による攻撃が始まった。車で移動中に近くで突然、爆撃が始まり、急いで逃れたこともあったという。クリスティーナさんは、その時の恐怖を思い出しながら「あんなに急いで車を運転したのは初めてでした」と話す。その日の爆撃は、一晩中収まらなかった。

攻撃を受けた石油タンクは、3〜4日にわたり炎を上げ続けた(本人提供)

 攻撃を受けたワシルキウの街は大きな被害を受け、怪我人も出たため、2人は医師として街の病院でボランティア診療することを申し出た。病院では、標的になることを恐れ、板や厚紙、カーテンなどですべての窓を塞ぎ、光が外に漏れないようにしていたそうだ。しかし、その病院では人手が足りていたため、2人は、キーウの外出禁止令が明けた後でいったん自宅に戻ったという。

 しかし、その頃、キーウへの攻撃は激化しつつあった。

 「近所が次々と攻撃され、知人の家も爆撃で破壊されました。知人は地下にいて無事だったのですが、地下に隠れても命を落とした人もいます」と、オルガさんは恐怖をこらえ語る。

 勤務先の病院が再開されていなかったため、2人は外出もせず家にこもり、空襲サイレンが鳴るたびに暗くて狭い地下に隠れることを繰り返し、寝る時も、服を着たまま、必要最低限のものを入れたリュックサックを離さなかったが、この建物もいつ攻撃されるだろうかという思いに襲われ、恐怖のあまりストレスが溜まっていった。「横になっても身体は休まらず、疲れが取れませんでした」とオルガさんは言う。

 その後、医師としてボランティアしようと考えた2人は、怪我をした市民や兵士が運ばれる公立病院をはじめ、キーウ市内の病院の門をいくつも叩いたが、なかなか見つからなかった。

 オルガさんは「その頃、キーウでは多くの人々が武器を手にし始め、安全でないと感じるようになりました。ロシアによる侵攻に対抗して軍や親衛隊に志願する人々に武器が供与されていたのです」と街の様子を振り返った上で、「私たちの同僚だった男性医師も軍医に志願し、戦地を回っています」と続けた。

写真中央の同僚は、侵攻後、志願して軍医になった(本人提供)

居場所を求めてさらに西へ

 その頃、ウクライナ西部のリビウに住んでいたオルガさんの妹は、叔母が住むスペインに娘と共に逃れていた。妹は、2人にも安全なところに逃れるよう繰り返し言っていたという。

 医師として貢献したいと考えていたものの、活躍の場も見つからないまま、ストレスと不安が膨らみ、リビウにある妹の家に避難することにしたオルガさんらだが、そこまで移動するのも大問題だった。ロシア軍による攻撃が続く中、車で長距離を移動するのは危険だったため、ひどく混雑した列車に乗るしかなかった。すぐに売り切れてしまう切符を何とか確保し、荷物を持って駅に行っても、予約していた列車が来なかったこともあった。

 「やっと乗り込んだ列車は満席で、空間という空間に人が立ち、座席と座席の間の通路にも疲れ切った人々が座り込んでいたため、トイレに行くのも大変でした」とオルガさんが言うと、クリスティーナさんも「ロシア軍に見つからないように車内の電気が落とされていたため、暗くてとても寒かったです」と続ける。

ウクライナ西部のリビウに向かう列車内は寒く、薄暗かった(本人提供)

 その上、やっとの思いでリビウにたどり着くと、妹の家の鍵を持っている父親が他の街に避難していたため、家に入れなかったという。「泊まるところを探したのですが、宿泊施設はいっぱいでした。駅の構内に寝袋を敷いて寝ようかとも考えたのですが、駅もすでに人で溢れていました。彼らのほとんどは、行き場をなくした外国人留学生たちでした」

 居心地の悪さを感じた2人はさらに西を目指すことにし、ポーランドのクラカウ行きのバスに乗った。クリスティーナさんは「国境近くで出迎えてくれたポーランドの人々のあたたかさに触れ、久しぶりにあたたかい食事もできて励まされました。あの時に食べたお肉は、人生で一番美味しい食事でした」と、しみじみした口調で振り返った。

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