世界遺産エルサレムの旅に思う
~イスラエルとパレスチナ、双方の聖地に見た人々の姿~
- 2023/11/20
パレスチナ暫定自治区のガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが今年10月7日、イスラエルに対して大規模な越境攻撃を行ったことを受け、イスラエル軍は報復作戦としてガザ地区への激しい空爆を実施。10月下旬からはガザ地区北部での地上侵攻を強めている。双方に多くの死傷者が出ているが、特に、包囲されたガザ地区では病院などで物資や電気の遮断による影響は深刻で、人道危機が高まっている。
この地域ではこれまでにもたびたび衝突が起きており、2008年12月から2009年1月にもイスラエルがガザ地区への地上侵攻に踏み切り、パレスチナ側で1300人以上が死亡した。当時、中東各地の世界遺産の撮影を進めていた私は、紛争直後の2009年3月、世界遺産のエルサレムを撮影するためにイスラエルを訪れた。当初は、イランからヨルダン・シリアを巡ってエジプトに抜けるという行程を組んでいた。治安状況を鑑み、イスラエルに入ることは予定していなかったが、ヨルダンに滞在中、イスラエルに行ってきたという複数の旅人から「大丈夫だった」と聞いたため、予定を変更して行くことにした。
イスラエルへは、ヨルダンから陸路で入国した。国境では、入国スタンプを別紙に押してもらうように頼んだ。もしも私の英語がうまく通じず、パスポートにイスラエルの入国スタンプが押されてしまうと、新たなパスポートに切り替わるまで、他のアラブ諸国から入国を拒否され、足を踏み入れることができなくなるからだ。少し不安だったが、スタンプは無事に別紙に押された。
国境付近で持参していたGPS端末を見ると、高度マイナス400mを指していた。そう、ここは世界で最も標高が低い湖である死海の近くだったのだ。塩分濃度が高く、人が沈まないことで有名な死海には、観光客も多い。国境からエルサレムまでは乗り合いタクシーで移動し、道中、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区を走った。
エルサレムは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、それぞれの聖地とされてきた。城壁によって囲まれた旧市街には、嘆きの壁(ユダヤ教)、岩のドーム(イスラム教)、聖墳墓教会(キリスト教)がそれぞれ徒歩圏内に位置しており、旧市街全体が「エルサレムの旧市街とその城壁群」として、1981年に世界文化遺産に登録されている。旧市街のある東エルサレムは国際法上ではパレスチナに分類されているが1967年の第三次中東戦争以降イスラエルの占領下にある。エルサレムは現在イスラエルの首都となっているが、日本を含め国際社会の多くの国々には認められていない。
嘆きの壁では、多くのユダヤ人が壁に向かって祈りの言葉を唱えたり、壁に手をあてたりしていた。黒いスーツに黒い帽子と豊かなあごひげをたくわえたその姿は、さながら中世のヨーロッパを見ているようだった。嘆きの壁とは、ローマ帝国により破壊された神殿の壁で、それ以降、エルサレムに立ち入ることを禁じられてきたユダヤ人にとっては、唯一、立ち入りを許されたこの場所が聖地となった。
付近では少年がたくさんの大人たちに囲まれて何やら儀式を行っていた。これは、「バル・ミツワー」というユダヤ教徒の13歳の男子の成人式だと、後で知った。ちなみに、女性の成人式は「バト・ミツワー」と呼ばれ、12歳で行われる。
周囲でイスラエル軍兵士が銃を構えて警戒する中、空港なみの厳重さで手荷物検査やX線検査が行われ、お祝いムードの楽しげな雰囲気とは対照的に、緊張感が漂っていた。
ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教という三つの宗教の聖地になっているだけあって、この街にはそれぞれのエリアにそれぞれの暮らしや文化があり、一気に三つの国に来たかのような感覚に襲われる。イエスが十字架を背負って歩いたといわれるゴルゴダの道を歩き、イエスの墓があると伝えられる聖墳墓教会にも行ってみた。中に入ると、イエスの墓を一目見ようと多くの信者と観光客が入り交じり、長い行列ができていた。
イスラム教の聖地である岩のドームは、残念ながらイスラム教徒しか入れないため、旧市街全体を見渡すことのできるオリーブの丘から外観を撮影した。その昔、ここにはたくさんのオリーブの木が生えていたと言われているが、現在はその面影はなく、代わりに多くの墓標が並ぶ。ここから見るエルサレムは絶景で、特に夜は、黄金の岩のドームがその輝きを増す。
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イスラエルとパレスチナの問題は、簡単に解決できるものではない。エルサレムが世界遺産に登録されたのも、イスラエルやパレスチナからの申請ではなく、ヨルダンからの申請によるものだったという事実も、両国の問題が計り知れないほど複雑であることを示している。しかし、政治的・宗教的なことは抜きにして、罪のない人々が犠牲になることはあってはならない。個人的にはイスラエル、パレスチナの双方が当時のイギリスという大国の犠牲者なのだと思う。両国民に笑顔が戻る日が来ることを願ってやまない。