台湾総統選挙から始まる新しい国際社会の枠組み
中国の権威主義より米国の民主主義を選択した有権者たち
- 2024/2/11
2024年1月13日に行われた台湾総統選では、与党民進党の頼清徳候補(現副総統)が得票率40%で当選した。台北市内の民進党選挙総本部前でその瞬間を迎えた筆者は、民進党関係者や支持者らの歓喜の声を聴きながら、当選後初となる頼清徳氏の国際記者会見に臨んでいた。
総統に当選し、支援者に挨拶する頼清徳氏(2024年1月13日、台北市でAlex Chan撮影)
二人のライバル候補の健闘に感謝を述べた後、頼清徳氏はこう述べた。「この選挙には三つの意義がある。第一に、台湾が権威と民主の間で民主を選択し、民主主義を掲げる盟友とともに歩むことを世界に知らしめたこと。第二に、外部勢力が介入することに抵抗し、台湾の総統を自分たちで選んだこと。第三に、候補者の中で私と蕭美琴氏が最も多くの支持を得たことで、台湾が正しい道を歩み続け、方向転換せず、もちろん過去にも戻らないことを示した」
このメッセージは、実に示唆に富む。2024年台湾総統選挙とは何だったのか。この発言からひも解きたい。
明確な争点がなかった三候補
今回の台湾総統選の投票率は71.86%だった。これまでの選挙と比べて投票率が特別に高かったわけではない。むしろ若干、低下傾向だった。しかしそれは、台湾の政治経済が成熟し、有権者が社会に満足して自信を抱いている表れだとも言える。先進国で安定した社会であるほど選挙は盛り上がらないという一般的なセオリーは、台湾にも当てはまる。
当選確定が出た直後に国際記者会見に臨んだ頼清徳氏(左)と蕭美琴氏(2024年1月13日、台北市で筆者撮影)
さらに言えば、与党の頼清徳候補、国民党の侯友宜候補、そして新党民衆党の柯文哲候補(いずれも当時)は皆、民主主義国家・台湾を守り、国防を強化することを掲げていたため、三人の間に真っ向から対立する激しい争点はなかった。例えば、過去の選挙では、「一つの中国」の立場を中台間で確認したとする「92年コンセンサス」の是非がしばしば争点になったが、今回は候補者が92年コンセンサスについて語る場面はほとんど見られなかった。また、中国との距離感が争点だという報道もあったが、中国と無条件に対話することも、対立することも、三人とも良しとしていなかったのも同じだった。
この点については、中国が最も嫌がる「実務的台湾独立工作者」だと見られる頼清徳氏も、「対等な相互尊重があれば対話再開を望む」と語っていたし、逆に、中国融和派とみなされている侯友宜氏や柯文哲氏も、対話の前提として「対等な相互尊重関係が必要だ」と明言していた。つまり、表現のニュアンスは多少違えども、実は外交や経済政策で三者の間にさほど大きな差はなかったのだ。
しかも、今回の選挙では、「市民生活に邪魔にならない選挙」がテーマとして掲げられ、街宣車が使える期間も選挙看板の大きさも大幅に制限されて、例年よりも静かな選挙戦が展開された。こうした規制によって、若干、投票率が低下したとの指摘もあるが、投票場では有権者が整然と並んで投票し、投票締め切り時間は厳格に守られた。当選確定が出ると、ライバル候補がすぐに祝電をかけてくるマナーも素晴らしく、有権者たちもその結果をすんなりと受け入れた。あの米国の大統領選ですら、投票の不正がささやかれ、有権者が納得せず選挙のやり直しを求めるなど、投票結果を受け入れることがなかなかできなかったというのに。
かつて台湾の選挙といえば、公然と票がカネで買われ、選挙戦中に候補者が銃弾に倒れることもあったが、今回の選挙戦では市民の生活が尊重され、金権選挙にならないようにと厳しいルールも作られた。特に、民進党陣営のセキュリティーチェックは、これまでになく厳しかった。選挙戦はいたって安全に、スムーズに、そして公平に、誰もが納得する形で進んだ。台湾のような華人社会でもこれほど成熟した民主主義国家が成立するということが示されたため、民主主義の勝利と形容されても全くおかしくない。
中国の熾烈な情報戦にもファクトチェックで対抗
今回ほど中国に介入されることも、中国の意向に左右されることもなく終わった選挙も珍しい。実は、中国はたびたび選挙に介入しようとしていた。経済面では2023年12月20日、中国と台湾の実質的な経済連携協定(ECFA)に基づいて石油化学品12品目に関する関税の優遇停止を発表した。年が明けた今年1月には、台湾の水産品や紡績アパレル、自動車部品についても関税の優遇措置の一次停止を考えている、と圧力を加えた。また、2023年12月31日、新年を前に挨拶に立った中国の習近平国家主席は、「台湾統一は歴史的必然」だと強調して軍事的な恫喝も繰り返しうえ、新年早々には「気象調査気球」を4つも台湾上空に飛ばし、1月9日にも台湾南部上空を通過する形で「衛星」を発射。台湾国防部は4回にわたり国家級の警報を出すなど、対応に追われた。同じ日、中国戦闘機33機と軍艦13隻も台湾周辺地域に姿を見せている。
さらに中国は、激しい情報戦も仕掛けた。台湾AIラボのリポートによれば、中国共産党は親中派のインフルエンサーを代理人的に登用し、フェイクニュースの拡散や世論の誘導を通じて、頼清徳をはじめ与党民進党の信用を毀損し、有権者を混乱させ、党や派閥の分断を図り、間接的に選挙に影響を与えようとした。
具体的に言えば、2023年12月中旬、民進党の蕭美琴・副総統候補をめぐり、「米国籍を有している」とのフェイクニュースが親中メディアやSNSによって拡散された。また、米国と台湾が中国人を標的にした生物兵器を開発するためにバイオ実験室をつくろうとしているとか、台湾が原子力潜水艦の製造計画を進めているといったフェイクニュースも広まった。中でもインパクトがあったのは、「卵が不足しており買えなくなる」というフェイクニュースにより起きたパニックで、当時の農業担当相が辞任に追い込まれる事態となった。
しかし台湾では、こうした中国の情報戦に抵抗する形でSNSのファクトチェックを行う民間組織が次々に登場。有権者自身がフェイクニュースを識別して発信することで、中国の情報戦に立ち上がり始めた。
明確に拒絶された中国の選挙介入
さらに、中国による最大の選挙介入だと見られていた国民党の馬英九・元総統や、中国で大規模に事業を展開するフォックスコン(鴻海科技集団)創業者の郭台銘氏ら、大物の親中派が仲介する形で進められた野党協力も、最終的には民衆党の柯文哲氏自身がノーを突き付けたため、挫折した。仮にこの野党協力が実現していれば、頼清徳氏の当選はなかっただろう。
柯文哲氏がいったん合意した野党協力を反故にした背景には米国の意向があると見られる。要は、中国の権威主義か、米国の民主主義か、選択を迫られたとき、柯文哲氏は米国の意向を選択したということだろう。そればかりではない。投票日直前に馬英九元総統がドイツメディアの取材に答えて「習近平国家主席を信じるべきだ」と発言したことに対し、国民党の侯友宜氏は明確に否定し、当選しても中国と統一問題について話し合うことはないと言明した。つまり、今回の選挙では、三人の候補たちも、有権者たちも、中国の選挙介入を拒絶し、権威主義より民主主義を支持したと言えよう。
民進党の頼清徳・蕭美琴コンビが最終的に選ばれた理由もいろいろあるだろうが、筆者は、8年におよぶ蔡英文政権に対する人々の信頼が最も大きいと考える。選挙前夜、民進党の最後の集会では、若い女性たちが口々に「蔡英文、愛してる!」「蔡(ツァイ)、キリングミーソフトリー」「蔡英文、あなたが総統になって!」と叫んでいるのが印象的だった。実際、頼清徳氏の演説より、蔡英文総統の演説の方が盛り上がっていた。
蔡英文人気がここまで再燃したのは、台湾を代表する商業CMのディレクター、羅景壬氏が制作した民進党のPR動画「在路上」が大きかったと筆者は見ている。蔡英文総統が頼清徳氏を助手席に乗せ、ドライブしながら台湾について語り、次の場面では運転を頼清徳氏に交代して車を降り、海岸に向かって一人歩み去る、というロードムービー風の映像で、わずか一日で制作されて投票日直前に放映された。羅監督は、動画に込めた意図について、「選挙の結果がどう転んでも、蔡総統が総統の座から下車する(総統をやめる)という国家の重大な変化に気付いていない有権者たちに、はっきりと事実を認識させようと思った」と話している。
民進党のPR動画「《在路上》#交棒篇 ── 2024 賴清德 蕭美琴」(蔡英文YouTube)
このCMは、中国の習近平政権からの圧力をはじめ、香港の反送中デモの挫折、新型コロナの蔓延、ロシアのウクライナ侵攻、中東の戦争など、世界が激変する中、台湾初の女性総統がいかに慎重に、かつ安全に、民主の道を運転してきたのかを改めて印象付けると同時に、2020年に総統候補の座を巡って蔡英文氏と激しく争ったことで不仲説が流れていた頼清徳氏が彼女へのリスペクトを語ることで、自分も同じ道を慎重に、安全に運転していくことを約束したことを明確に示す仕上がりとなっている。これは、「今後、何があっても、民主主義を目指すかぎり、民進党は団結できる」というメッセージであるとともに、「台湾人が党派の対立を超えて民主の道をまっすぐに走る限り、団結できる」というメッセージでもある。
「これからも民主の道を行こう」と考えた有権者たちが最終的に民進党候補を選んだのは、そのためだろう。三人の候補は皆、民主の道を行くことを掲げていたため、誰に投票しても民主主義を肯定することに代わりはなかったが、この動画は「蔡英文政権の8年間は民主の道を歩み続けた」ことを、人々に改めて印象付けたのである。