北京五輪ボイコット論と米国の本気度
スポーツと政治とビジネス、絡み合う思惑と中国の圧力

  • 2021/4/13

中国の占領下にある東トルキスタン(中国側の呼称は「新疆ウイグル自治区」)で起きているウイグル人の大量拘束や強制労働がジェノサイド(集団虐殺)に当たると国際的に批判されていることを受け、米政府や論壇が2022年2月の北京五輪のボイコットを検討している。しかし米国には、1980年に旧ソ連のアフガニスタン侵略に対抗して同年夏のモスクワ大会をボイコットし、機会を奪われた米国人選手が痛手を被った苦い記憶がある。また、ウイグル人の人権侵害を非難したナイキやH&M、アディダスといった欧米企業は中国内で国家主導の不買運動に直面している。人権を擁護しつつ、自国の選手や企業を守るために、米世論は「ギリギリの現実的な対応」に傾きつつある。

チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで北京冬季五輪の反対を訴える人権団体メンバー (c) AP/アフロ

回避したい選手への打撃

 米国におけるボイコット論の争点は、主に2点に集約される。まず、米国やそれに同調する国々が北京冬季五輪に不参加を決定した場合、中国共産党はウイグル人の大量拘束や強制労働をやめるのか。そして、五輪出場に人生をかけてきた米国人選手はどうなるのか、という懸念だ。
 米国務省のネッド・プライス報道官は4月6日、同盟国と共同でボイコットを検討する用意があるかと問われ、「確かにわれわれとしてもそのことについて話し合いたい」と回答したが、翌7日には、ジェン・サキ大統領報道官が「同盟国やパートナー国と共同ボイコットについて協議したことは過去も現在もない」と言明。現時点では中国に選手を派遣する予定だとの立場を示した。このように声明が一致していない理由は、これが中国に米国の選択肢をちらつかせるためのジェスチャーとしての意味合いがあるためではないかと筆者は見ている。米国民の間では、「選手の不参加だけはなんとかして避けたい」という現実的な声に傾きつつあると思われるからだ。
 2002年ソルトレイクシティ冬季大会で組織委員長を務めたユタ州選出のミット・ロムニー共和党上院議員は、3月15日付のニューヨーク・タイムズ紙に寄稿し、「中国共産党が支配する中国が五輪という対外的な成果誇示の場にふさわしくないことが明らかになりつつある」と論じた。その上でロムニー氏は、「大会までの時間が1年を切り、今から開催地を変更することは現実的ではない」と述べ、「米国選手の出場を禁じることは容易だが、誤った処方箋だ」との見方を示した。

イースターに孫たちと遊ぶロムニー氏夫妻。(c) ロムニー上院議員のツイッター

 さらにロムニー上院議員は、「モスクワ大会に米選手が参加しなかったことで、ソ連のメダル獲得数が増え、米選手の夢は打ち砕かれた。米国が五輪をボイコットしても、ソ連の侵略行為を変えさせるには至らなかった」と指摘。その上で、「選手たちは、2022年の大会でベストの成績を出せるように生涯をかけてきた。私は、ソルトレイクシティ大会の組織委員長を務めたことで、選手やその家族が五輪出場に向けてどれだけ大きな犠牲を払っているか、理解した。数百人規模の若い選手たちに政治的な重荷を負わせることは、アンフェアだ。さらに、米国人選手が優勝し、中国で米国の国歌が流れる機会をも逃すことになる」と述べた。
 また同氏は、「今回は、北京大会を経済的・外交的にボイコットすることが適切な対応だ」とした上で、「中国には選手団とコーチ、および家族だけ派遣し、反体制派の中国人や少数民族の人々を大会期間中にホワイトハウスに招待してはどうか。五輪の独占放映権を有する全国放送会社(NBC)は、開会式と閉会式を放送する代わりに中国の人権侵害に関するドキュメンタリー番組を流すべきだ」と提言。「選手たちが痛手を被らない形で中国共産党の収入やプロパガンダを封じ、中共の人権侵害を広く知らしめることが重要だ」と訴えた。

元オリンピック金メダリストとして米国の北京大会ボイコットに反対を表明したダン・ゲーブル氏。(c) ゲーブル氏のフェイスブックページ)

協賛の是非を問う声も

 1972年に開かれたミュンヘン大会の金メダリストで、日本の和田喜久夫選手をはじめ、すべての対戦相手に1ポイントも与えなかったことでも知られる伝説的なレスリング選手のダン・ゲーブル氏も、「米国は北京五輪をボイコットすべきではない」と説く。引退後、1997年まで長年にわたりアイオワ州立大学レスリング部のヘッドコーチを務め、後進を育成してきたゲーブル氏は、3月26日付のデモイン・レジスター紙に寄稿し、「1980年に米国や同盟国がモスクワ大会をボイコットし、その報復措置としてソ連や東欧諸国が1984年のロサンゼルス大会に参加しなかったことで、何もいいことはなかった。その過ちを繰り返してはならない。政治はオリンピック精神を骨抜きにする。北京冬季大会に政治を持ち込んではならない」と強調した。

ウイグル人の少女たち。彼女たちにとり、北京五輪は何を意味するのか。米国では、ウイグル人との最善の連帯の方法が模索されている。(c) Wikipedia By Colegota – Own work, CC BY-SA 2.5 es, (https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=437106)

 これに対し、ワシントン・ポスト紙は4月1日付の社説で、民泊のAirbnbや飲料大手のコカ・コーラ、決済大手のVisa、大手コングロマリットのGEなど、北京大会に協賛する米企業に対して、これまでに150を超える人権組織から書簡が送られ、スポンサーを降りるよう要請があったと紹介。「自由の国を代表するエリート企業が最低10億ドルを投じて五輪番組でCMを流そうとしているが、それは中国を世界のリーダーとして認め、祝福することになる。強制収容所を運営し、国内外で反体制派を弾圧し、独立した精神を持つジャーナリストや弁護士たちを脅迫する中国に対してそうした扱いはふさわしいのか。米企業は、ジェノサイドを実行する国が開く五輪に本当に協賛すべきか」と問いかけ、「これらの企業は中国市場を諦めてでも人権を守るべきだ」と訴えた。

学生新聞も議論に参戦

ベルリン大会の走幅跳で優勝した米国の黒人陸上選手、ジェシー・オーエンス(中央)。左側の銅メダル受賞者は日本の田島直人選手。(c) Wikipedia、Bundesarchiv, Bild 183-G00630 / Unknown author / CC-BY-SA 3.0)

 米国の北京五輪参加の是非について論じているのは、主流メディアだけではない。各地の学生新聞も論戦に加わり、五輪選手と同じ世代の若者たちが浅からぬ関心を抱いている。
 カリフォルニア州のクレアモント・カレッジズの学生新聞「クレアモント・インディペンデント」は、3月30日付の論説で「中国に抑圧される香港の民衆や新疆のイスラム教徒らの苦しみは、オリンピックより重い。(中国で暮らす)10億人以上にとっては生死に関わる問題なのだ」と論じた。
 一方、ミシガン大学の学生新聞「ミシガン・レビュー」は、3月22日付の論説で「ドイツの独裁者ヒトラーが1936年のベルリン大会を“アーリア人の優越性”を証明するイベントにしようと企んでいたにも関わらず、米国黒人のジェシー・オーエンスが4個の金メダルを獲得する番狂わせが生じた」と指摘。その上で、「米国では当時、ナチスドイツのユダヤ人迫害を理由にベルリン大会をボイコットすべきだとの声が上がっていたが、ルーズベルト大統領が参加を決断した。もしあの時、米国が参加していなければ、ジェシー・オーエンスが公の場でヒトラーの人種主義を実力で否定することはできなかった。中国に対しても同じことが言える。米国人選手が北京五輪に参加し、多くの勝利を収めることこそ意味がある」との見解を表明した。

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