【コロンビア和平から10年 混乱する農村から③】失った家族を探す
ラテンアメリカ の「今」を届ける 第11話
- 2025/9/19
2006年より住民から見た紛争や和平プロセスを取材しているフォトジャーナリストの柴田大輔さんが今年5月から6月、ナリーニョ県とカウカ県の山岳地帯を訪ねました。和平合意から10年を迎えようとする同国の紛争地域で生きる人々の今と、彼らを取り巻く現実に迫る5回連載の3回目です。
兄夫婦がゲリラに連れ去れられた
噴き出る汗を拭いながら、ウィリアム・グアンガさん(37)はこの日も一人、スコップで山を掘り返していた。7年前に失踪した兄夫婦を探すために――。
ウィリアムさんらが暮らすのは、コロンビア南西部ナリーニョ県。密生する熱帯の木々が、つづらおりに連なる山の斜面を覆う。一帯は先住民族アワの自治地域で、標高約1000メートルの山岳地帯に数軒から数10軒の家が集まる集落が点在し、自給自足的な暮らしを送ってきた。暮らしが一変したのは2000年代。反政府ゲリラFARCが活動拠点を置いたことで、地域が紛争の最前線になった。
兄のアルテミオさんと、義姉のソニアさん夫妻が姿を消したのは2008年9月22日。豊かに実ったトウモロコシの収穫日だった。早朝からアルテミオさんらは両親と畑へ向かった。午後、作業を終えた4人が摘み取った大量のトウモロコシを運び出そうとしていると、銃を持つ3人のゲリラ兵が現れ、アルテミオさんに声をかけた。「仲間がこの下の民家にいる。話があるから一緒に来てくれないか」
両親を残し、兄夫婦はゲリラ兵と畑を離れた。やがて両親は、トウモロコシを馬の背に積み帰宅したが、先に出た息子たちの姿はなかった。自宅で両親を迎えたウィリアムさんは嫌な予感に駆られた。しかし、アルテミオさんらは二度と戻ることはなかった。
恐怖と沈黙の日々
数日後、ウィリアムさんが兄夫婦の捜索に乗り出した。ゲリラと近しい住民を通じて幹部にも問い合わせたが、応答はなかった。日が経つにつれ、焦りと不安が募った。
そんななかで耳にしたのは、「ゲリラがウィリアムさん一家も殺害しようとしている」という噂だった。ほどなくして、義姉ソニアさんの行方を追っていた彼女の父親が殺害された。ウィリアムさん一家は恐怖に包まれた。夜、自宅の周囲に懐中電灯の光を見ただけで激しい緊張に襲われる。眠ることもできなくなった。自宅に身を潜める暮らしが続いた。
当時、政府軍はFARCが拠点を置く山へ空爆を繰り返し、兵士を山に送り込んでいた。FARCは地雷をまいたり、銃撃をくわえたりして応戦するだけでなく、軍への情報漏洩を恐れて住民の行動を厳しく制限した。空爆、地雷、銃撃音が、連日山に響き、犠牲者が相次いだ。さらに「密告」を疑われた住民が次々と殺害された。小さな村で、幼い頃から見知った人々が次々に姿を消していったのだ。
「私たちはそれ以上、兄を探す勇気はありませんでした。失踪の理由を探すとすれば、軍の兵士が一度だけ自宅を訪れ、ソニアが応対したことくらいです。生きているかもしれないと希望を抱きながら、恐怖から山を離れたいと思いました。でも、私たちに行く場所はありませんでした。ゲリラがいつか捕まえにくるだろうと思いました。神様に祈ることしかできなかった。ただ幸運なことに、私たちは襲われずにすみました」
和平合意後、兄の捜索を開始
2016年、和平合意が結ばれ、ゲリラも政府軍も山を去った。暮らしのなかから武器が消えたのは10数年ぶりだった。安全を感じ、ウィリアムさんがスコップを手に兄夫婦を探し始めたのは、この時期からだ。失踪してからすでに7年が経っていた。
限られた情報を頼りに、一人で場所を決めては土を掘り返す。数カ月が過ぎた頃、人の気配のない山奥の地中から赤いサッカーシャツが出てきた。見覚えのあるデザインだった。背中には兄の名がプリントされていた。兄が仲間と作ったチームのユニフォームだった。傍からは兄のバッグも見つかった。
「兄はこの下にいる」と確信した瞬間、恐怖が込み上げた。「これ以上掘り進めば、またゲリラに脅迫されるのではないか。殺されることもあるのではないか」。そう思ったウィリアムさんは土を掘る手を止め、山を降りた。
ここから兄と再会するまでに、さらに8年を要した。2024年、母親から「政府が失踪者の捜索をしている」と聞いたのだ。和平合意に基づき設立された国家機関「失踪者捜索ユニット(UBPD)」が、この地域でも調査を始めていた。
コロンビアには、武力紛争による行方不明者が12万人以上いるとされている。UBPDは、2016年12月以前に失踪した人々を捜索し、遺体を収容して身元の特定を行い、遺族に引き渡すことを目的に創設された。その過程を通じて真実を明らかにし、不当に命を奪われた故人と遺族の尊厳の回復につなげたいとする。警察や検察など他の政府機関から法的に独立し、失踪責任者の特定や刑事追及は行わないことで、加害組織からも情報提供を得られる仕組みを持つのも特徴だ。
ナリーニョ県の行方不明者は7000人以上。アワ民族が暮らす周辺地域では、2000年から2016年の間に少なくとも18人以上が失踪した。アルテミオ・グアンガさんは、この地域で初めて発見された行方不明者となった。しかし、なおも恐怖に縛られ声を上げられない遺族は少なくないという。
兄との「再会」
2024年12月、ウィリアムさんは、母が知らせてくれたUBPDや、地元の先住民族自治組織とともに再び山へ戻った。支援者らと共に土を掘り進めると、そこには変わり果てた兄の姿があった。すぐそばには、義姉ソニアさんの亡骸も横たわっていた。泣き崩れる母を抱きかかえながら、ウィリアムさんも涙が止まらなかった。
「兄を見つけることができ、ほっとしました。これでやっと、私たちの家の近くに埋葬できると思いました」とウィリアムさんは言うと、こう続けた。
「しかし、私たちの暮らしは変わりません。戦争で兄を失い、他にも多くのことを失いました。暮らしを立て直すことはまだできていません。家族を見つけたとしても、それで終わりではないのです。生き直すための支援が必要なのです」
UBPDの活動は、2037年が期限とされている。2024年までに全国で約2500人の遺体を回収してきた。しかし、「第二次戦争」と呼ばれる新たな武力衝突が、再び地域に影を落としている。
(第4回に続く)

















