パレスチナのガザ地区で医療支援を行う安藤恒平医師に聞く
6度にわたる現地入りで目の当たりにした現地の極限状況

  • 2026/3/5

 2025年10月にイスラエルとハマスの間で停戦合意が発効したパレスチナのガザ地区。しかし、攻撃はその後も続き犠牲者は増え続けているうえ、イスラエル政府は2025年12月30日、多数のNGOに対し現地での支援活動を停止させると発表するなど、人々の命は依然として脅かされています。

 現地への入境が制限されるなか、繰り返し現地に入って医療活動を行っている赤十字国際委員会(ICRC)所属の安藤恒平医師に、ガザの映画を積極的に日本に届けている映画配給会社ユナイテッドピープル代表取締役の関根健次さんが2月中旬、インタビューしました。

 

安藤恒平医師(ラファの赤十字野外病院で撮影) ©ICRC

安藤恒平医師プロフィール

 2011年から2019年まで国境なき医師団に在籍し、ナイジェリアやパキスタン、イエメン、南スーダン、パレスチナ/ガザに赴任した。同団体では日本理事も務めた。2021年からは赤十字国際委員会(ICRC)に勤務し、南スーダン、ナイジェリア、ガザに派遣され、紛争犠牲者の治療にあたっている。2023年10月7日のハマスとイスラエルの戦闘以降、これまでに6回にわたりガザに入り、最初の3回は南部ハンユニスのヨーロピアンガザ病院で、以降はICRCが2025年5月に開設した赤十字野外病院で、医療支援にあたった。

 日本では、2023年5月より山梨県甲府市の貢川整形外科病院で勤務している。日本外科学会専門医。日本整形外科学会専門医の資格を有している。 https://www.jrc.or.jp/press/2024/0930_043081.html

 

 安藤医師はこれまで6回にわたってガザ地区に入り、医療活動を行ってきた。直近では2025年9月から1カ月間滞在し、まもなく7回目の渡航を予定しているという。

 停戦発効後もジャーナリストがガザ地区に入ることはできないうえ、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)によれば、2023年10月7日から2026年2月25日までにガザ地区で殺害されたジャーナリストは209人に上っており、現地で起きていることを知る機会は限られている。そんななか、現地に繰り返し入り医療支援を行っている日本人がいると知って驚いた筆者は安藤医師に連絡を取り、現地で見た人々の様子や医療環境などについて話を聞いた。(インタビューは2026年2月16日にオンラインで実施)

人道支援を志して紛争地へ

関根: 私は、映画の配給会社「ユナイテッドピープル」を運営しています。知られざる世界の現実を映画で伝えることで、より良い世界を実現したいという思いから作品を届けてきました。1999年1月に大学の卒業旅行でガザ地区を訪れ、現地の人々と触れ合ったのを機に「平和のために自分に何ができるか」と考えるようになり、24年前に創業しました。以来、ガザのフォトジャーナリストを追ったドキュメンタリー『手に魂を込め歩いてみれば』や、ガザ出身の医師イゼルディン・アブラエーシュさんを描いた『私は憎まない』など、ガザ関連の映画をこれまでに5作品配給しています。本日は朝早くからありがとうございます。よろしくお願いします。

安藤医師  よろしくお願いします。どうやら関根さんと年齢が近いようですが、私は2003年に大学を卒業しました。もともとは日本で心臓血管分野の外科医を目指していましたが、次第に人道支援の現場に関心を抱くようになり、自己鍛錬して、国境なき医師団のボランティアとして各国に派遣されるようになりました。現在は、赤十字の職員です。

関根: 国境なき医師団でイエメンや南スーダンなどに派遣されたと伺いましたが、当時はボランティアだったのですか?

安藤医師  はい。ボランティアの場合、一回あたりの赴任は基本的に1カ月です。派遣されるのは医療現場の中でも特殊な環境で、日本と同じ医療行為はできないうえ、患者さんの状態も日本とはまったく異なります。

 短期派遣だと「あの患者さんがどう回復したか」を見届けられないまま活動を終えざるを得ないことが多く、自分が本当に役に立てているのか判断ができないため、より長く現地に入れる形を模索し、現職にいたりました。

関根: そもそもなぜ日本を飛び出し、紛争地に行こうと思ったのですか?

安藤医師  日本の医療は分業が徹底され、物資も仕組みも整っているため、そのなかで働く自分は、言ってみれば「ブラックボックスの中で働いている」感覚がありました。自分が行っている医療がどんな仕組みや条件の上に成り立っているのか、実感しづらいのです。

 それに対し、紛争地では、物資をどう確保し、治療計画をどう立てるか、そして自分たちの安全をどう守るか、周囲の人々がどんな生活をしているかが、すべてがつながっています。そんな環境に魅力を感じました。

難民キャンプのような病院

関根: 初めてガザに入ったのはいつでしたか。

安藤医師 2023年です。その年の11月まで入っていたチームを引き継ぐ形で、12月に現地に入りました。

 関根: その後も繰り返し現地に入っていると伺いました。現在は一度の渡航でどれぐらい滞在されるのですか。

安藤医師 1回あたり6週間滞在します。これまでに通算6回入りました。来月も行く予定です。

関根: 現地に入る時は、どの段階でイスラエル当局から許可が下りるのでしょう。

安藤医師  入れるかどうかが分かるのは、前日です。許可が下りずに延期になることもあります。いずれにせよ、誰が入れるのか当局と連絡を取りながら、許可を得て入境しています。

関根: 現地での活動についてお聞かせください。

安藤医師  治療はもちろんですが、病棟の入退院の管理も大きな仕事です。退院の可否は医師が判断するのですが、退院を望まない患者さんも少なくありません。病院の外が安全ではないからです。入院患者には多くの家族が付き添い、病室の中でご飯を作ります。火を使って調理していることもよくあります。

 6回の派遣のうち最初の3回はガザ地区南部のハンユニスのヨーロピアンガザ病院で勤務したのですが、院内の廊下や階段の踊り場だけでなく、病棟の外まで無数のテントが張られ、かろうじてベッドを通せるスペースしか空いておらず、病院全体がまるで避難民キャンプのようでした。

ガザ南部ハンユニスにあるヨーロピアンガザ病院の屋外にも避難民テント群が張られていた(2024年1月)©ICRC

 2025年に赤十字野外病院に派遣された時は、チームリーダーも務めました。過酷な状況下での活動を続けていると、チーム内の衝突やストレスなどによって働けなくなる人も出てくるため、スタッフの仕事量を調整し、適切に急速を取るよう促すことも、大切な仕事でした。

関根: 野外病院もガザ市内にあるのですか。

安藤医師  ガザ南部ラファの「ヒューマニタリアン・エリア」(人道的な安全地帯)と呼ばれる地域にあります。東地中海の海岸線沿いの町、デールバラハの南に位置するアルマワシという場所です。

赤十字野外病院の全景 ©ICRC

関根: ガザの町並みや、現地の印象はどう変わりましたか?

安藤医師  現地では、基本的に装甲車両に乗って移動するため、窓が小さく、街の様子は断片的にしか見ることができません。しかし、2023年に初めて現地に入った時に見た病院の門の前の景色は印象に残っています。小さな市場があって多くの人が集まっており、そこだけ妙に賑やかでした。

 当時は、ハンユニスやラファなどの南部にまだ人々が住んでいて、状況も今ほど厳しくありませんでした。しかし、翌年1月頃から地上部隊の侵攻とともに状況が悪化し、空爆の頻度が増えていきました。2025年にラファの野外病院で活動するようになった頃には、ハンユニスの周辺には瓦礫が積み上がり、建物が「かろうじて形を保っている」状態でした。

ガザ南部ハンユニスにあるヨーロピアンガザ病院内から撮影した砲撃の様子(2024年1月)©ICRC

関根: 現地での生活について教えてください。

安藤医師  現地では看護学校や職員住宅のエリアで寝泊まりし、日に一度、全職員に配られる発泡スチロールに入った弁当を食べています。最初の頃はご飯に加えて羊肉が入っていましたが、途中から豆に変わり、ラマダンに入ってからはそれもなくなりました。

 アラビア語ができるスタッフが病院前の市場に買い出しに行き、各国のスタッフが順番に料理することもあります。小麦粉でパンを作った人もいます。

関根: 病院の敷地から外には出られないのでしょうか。

安藤医師  勝手に出ることは許されていません。緊急時の所在確認や避難に備え、宿泊場所から職場への移動を含め、行動はすべて共有されます。

厳しい医療事情とスタッフへの思い

 関根: 現地では医療物資の不足が深刻だと思いますが、スーツケースに入れてご自身で持ち込むこともありますか?

安藤医師  基本はトラックで運搬します。必要な物資があまりに多くて、とても個人では持ち込めないからです。そもそも現地には自分の荷物しか持ち込めません。

 関根: 物資の不足によって、治療にはどんな影響がありましたか?

安藤医師  衛生環境が悪い現地では、日本のような理想的な治療はできません。特に難しいのが、骨や関節を扱う整形外科治療です。無理に高度な治療をすれば感染リスクが高まるため、その環境下で可能な治療を行い、環境が改善した段階で修復・再建する、という考え方で進めています。また、抗菌薬も不足しており、菌の種類に応じた使い分けが難しいため、限られた選択肢の中で「可能性が高い菌」に絞って対応しています。サイズの合う手袋もなくなり、残っている産婦人科用の長い手袋を使う場面もありました。

赤十字野外病院で治療を行う安藤医師 ©ICRC

関根: ほかにはどのような難しさがありますか?

安藤医師   患者数の多さです。特に昨年の6月から7月は、1時間に200人以上の負傷者が運び込まれてくる日が続きました。日本では、事故などが発生しない限り、これだけの外傷患者が同時に搬入されてくることはありませんし、銃弾や爆発物による負傷を日常的に目にすることもないですよね。当時は、治療法以前に、「この人数にどう対応するか」が大きな課題となりました。私たちにも休息が必要ですし、現場を回すこと自体が大変でした。

 関根: 具体的にはどのような外傷が多いのでしょうか。

安藤医師  銃創の場合は、頭部から胸部、腹部、四肢までさまざまです。銃弾が骨や臓器まで貫通しているケースもあれば、軟部組織の損傷だけのケースもあります。骨折していれば骨折の治療が必要ですし、肺や心臓周囲の血管や大血管、肝臓、脾臓、腸に損傷が及んでいたら、外科的な修復が必要になります。
 爆発物の場合は、病院に到着した時点で手足が失われていたり、ちぎれかけていたりすることもあります。さらに、多くの金属片が全身に入り、無数の小さな創を作っているケースもあります。

ラファにある赤十字野外病院で手術する安藤医師 (c) ICRC

関根: そうした患者を診続けるのは、精神的にかなり辛いでしょうね。

安藤医師  運び込まれてくる方々は、生活環境が厳しいなかで怪我を負っています。衛生環境が悪いため、治っても感染しやすく、皆さん本当に大変だと思います。

 しかし、私は「かわいそう」という感情より、目の前の傷をどう治すかに集中します。現地の状況を伝える映画を見ると胸が痛むこともありますが、医療現場では、「どう治療するか」に、120%集中しているという感覚です。

関根: 現地スタッフの働きぶりで印象に残ったことは?

安藤医師  現地スタッフの方々は、自分たちの生活も大変なはずなのに、あまりそれを口にしません。休憩中は一緒に食事をし、お茶やコーヒーを飲んで、できるだけ和やかに過ごす。大変なことがあっても表に出さない人が多い印象です。

 とはいえ、実際には、家族を亡くした人や家族が負傷した人もいます。一緒に働いていた手術室のスタッフで、寝ている間に天井が崩れて家族を失った人もいます。そのため、家族のことは尋ねないようにしています。亡くなっているかもしれないからです。仕事に来られない人がいても、理由を尋ねたりせず、そっとしておきます。

 「家族一緒に一つの部屋で寝るようにしています。何か起きたら一緒に死にたいから」という言葉を聞いたこともありました。

ともに働く同僚たちの国籍はさまざまだ(右から5人目が安藤医師) ©IRCR

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