国際医療支援の現場から(第一話)
キャングに制圧されたハイチの首都
- 2025/7/25
カリブ海に浮かぶ島国のハイチでは、2021年にモワイズ大統領が暗殺されてからギャング勢力が急拡大した。それぞれのギャング勢力はシテ・ソレイユなどの主要な市街地を支配下に置こうとして対立を深め、首都ポルトープランスでは2022年7月、市内で大規模な武力衝突が発生した。その後も、ギャング同士の襲撃や銃撃戦など頻繁に衝突が起きており、治安は完全に崩壊。民間人の間で甚大な影響が広がっている。
そんななか、看護師として現地に入った筆者は、地元の医療者をはじめ、フランス、ケニア、カナダなど各国から参加している国際医療者らと共に数カ月の間、外傷治療にあたった。この文章は、筆者が現地医療活動に携わってきた中で目の当たりにした出来事や、現地の男性医師ミシェルと交わした会話に基づく実話である。ミシェルが主語の形で現地の医療従事者が抱える葛藤や活動のリアルをミシェルに代わり描写することで、読み手の皆さんにお伝えできれば嬉しく思う。
外傷センターで働く医師の日常
午前5時。いつものように、コンテナを連結してつくられた病院の中庭に出る。まだ朝焼けの残る空は、今日が静かな1日になるかのような、そんな錯覚を抱かせた。集中治療室(ICU)の前で回診が始まった。今日が当直明けの僕は、昨日の夜勤帯に診た患者たちの経過を淡々と日中担当の医師たちへ報告する。体の中にたまった血液を排出するドレーンの廃液量、傷の治癒具合、脈泊や血圧の変化など、伝えることが山ほどあるわけだが、すべてが「変わらない 」ことに安堵するようになったのは、いつからだろう。
回診中にベテラン医師がおもむろにつぶやいた。「今日、あの子の退院だったよね?」――。あの子とは、フレアちゃんのことだ。10歳の女の子で半年前に交通事故で足を骨折。皮膚の損傷範囲も大きかったため、皮膚移植など何度も手術を行い、懸命なリハビリを繰り返していた。長期にわたる入院生活を経て、ついにこの日、退院を迎えたのだ。
フレアちゃんのいるリハビリ病棟の前に集まったスタッフたちは、拍手と歌声、そしてダンスを送り、フレアちゃんは照れくさそうにしながらも、それに応えるように満面の笑みで手を振った。この病院では非日常的な「祝福」の光景は、僕の目にしっかり焼き付いた。それはもう飛び上がるほどに嬉しかった。「こういう瞬間があるから、この仕事を続けられるよな」。僕がボソッとつぶやいたのを隣にいた同僚の外国籍看護師が聞いていて、うんうん、と笑顔で頷いていた。
当直を終えたばかりで疲労困憊の僕は、フレアちゃんを見送ったあと、帰りのバスの時間まで休憩室のソファーに腰掛けウトウトとしていた。すると突然、救急看護師がドアを開け飛び込んできた。
「ミシェル!ミシェル!急患よ!メインストリートで また銃撃戦が起きたって!」
眠気が一気に冷め、パチッと仕事のスイッチが入った自分を自覚する。
夢見心地だったフレアちゃんの笑顔が頭から消え去り、代わりに複数の叫び声が救急室から聞こえてきた。聴診器を手に取り、僕は救急室へと走った。救急室が近づくにつれ、廊下に漂う血生臭さが強くなっていくのがわかった。
医療の限界、ギャング抗争が現地医療に与える影響
今回のように多数の傷病者(マスカジュアルティ)が一度に救急室に押し寄せてくるのは、今月に入ってもう3度目だ。ギャング抗争が激化し、街のいたるところが銃撃戦の場と化している。大統領暗殺後、一気に悪化した治安とギャング抗争の激化により、幹線道路が数週間にわたって封鎖されるという事態が起こった。とある地域を支配している組織が、対抗組織へ圧力をかけるために生活に必要な物資ですら供給をできなくなるようにしたのだ。その結果、ガソリン価格は数十倍に跳ね上がり、幹線道路の先にある地域の生活に必要なものの供給が制限された。この封鎖による影響は凄まじく、もちろん医療に与える影響も大きかった。
僕らのもとに、一人の患者が担ぎ込まれてきた。体幹部に銃弾を被弾した50代男性だ。弾の威力は凄まじく、銃弾は背中にまで到達していた。その影響で腎臓を損傷した患者は、かろうじて会話ができる状態ではあったが、急性腎不全という非常に重篤な状態で、腎臓の代わりに血液をきれいにする機械を使う透析治療が緊急に必要だった。
しかし、僕らの病院には透析の設備がなく、隣の市にある透析センターに患者を搬送する必要があった。そしてそこへの道はギャングによって封鎖され、何をどう説明しても通ることができないという事実があった。どんな言葉を選んだらこの状況を患者に理解してもらえるのか。
僕は、極力、冷静に患者に説明した。あなたは銃によって受傷しているが、ギャングが道路を封鎖している影響で、命に関わる治療を受けることができないのだと。
その空間は、息をいくら吸っても酸素が体の中に入っていかない、そんな感覚を覚えた。僕の説明の後、患者は言葉を失い、じっと天井をみつめていた。
こうした厳しい現実を患者に説明するのも、ここでの僕の仕事の一つだ。被弾して腎臓を損傷した前出の50代の患者に状況を説明した翌日には、別の患者に「足を切断せざるを得ない」という説明をしなければならなかった。20代のその患者は、片足を被弾し、足の主要な血管を損傷していたため、そこから下の組織が挫滅し、切断するほかない状態だった。絶望のあまり涙を流す患者に対し、家族は(涙一つ見せず、)「命を守るためには足の切断が必要なのだ」と繰り返し説得していた。
その状況を見ていたのが、前日、透析が受けられないと僕が説明した50代の患者だった。片足という大きな代償と引き換えに命を守るための治療を受けることができる人と、治療すら受けられない人。状況を説明している間も、説明を終えた後も、患者たちはじっと僕の目の奥を見つめていた。どちらに対しても、最低限の説明以外、僕にはかける言葉が見つからなかった。
きれいに世の中が収まらなくてもいい。生きるための治療を選択することができて、生きたいと患者が言えるような世界であってほしい。この時ほどそう強く感じたことはなかった。
僕たちは「相対的に」命を救わなければならない
治安の崩壊は、道路の寸断に限ったことではない。紛争には金がかかる。ハイチでは、人の移動を狙う誘拐ビジネスが横行しており、僕にとっても決して他人ごとではなかった。ある日、同僚が通勤中にバスごと誘拐された。身代金と引き換えに解放されるまで、僕は不安で全く仕事が手につかなかった。
この事件を受け、封鎖された道路の先から通うスタッフは出勤できなくなり、病院の運営は人員を確保することすら困難になった。
ヒト・モノ・カネ。この社会では、すべてがいとも簡単に奪われていく。
来る日も来る日も、救急室に運ばれてくるのは、銃創による重症者ばかりだ。右脚がちぎれかけた女性。胸部に被弾した男性。腹部を撃たれた5歳の女の子――。
こうした混乱のなか、僕たちのような医療者が直面するのは、命の選別だ。連日、たくさんの銃創患者であふれる救急室では常に大量の輸血が必要だが、道路が封鎖されているため、次にいつ輸血が届くのかわからない。輸血が限られ、手術室には限界があり、人員は限られている。
すべてに限りがある状況下で一人でも多くの命を救うために、医療者たちは医療資源の振り分けと助かる可能性を天秤にかけ、患者の命に対してなにかしらの(助けるか否かを)決定しなければならない。そんななか、「この患者にはこれ以上の医療資源を使わない」という決断をしなければならない時も少なくなかった。
僕たちは、日々、「相対的に」命を救わなければならないのだ。
共に働く日本人看護師は、「明日もたくさんの銃創患者が来るだろう。今、ここで輸血を使い果たすことはできない」と言った。理にかなっているのはわかっている。それでも僕にとって目の前に輸血を必要とする患者に投与することができないことが、なにより苦しかった。
そんな苦しい期間中、前に日本人看護師が話していた人工血液の話をふと思い出した。その看護師の国では、人工血液の研究が進んでいるという。まだ実用化はされておらず、何年か、あるいは何十年か先の話になるかもしれないが、常温で長期間保存可能なうえ、感染症リスクも低いのだそうだ。もし、それが現実になり、今、ここにあったとしたら、一体、どれだけの人を救えるのだろう――。血液が足りないこの現場で、僕はまだ見ぬ未来の人工輸血に大きな希望を抱かずにはいられなかった。
希望を 誰かに 託して
7月にピークに達した暴動は、11月に入っていくらか落ち着きを見せ始めた。僕は、海外メディアの取材を受けることになった。市民を巻き込んだギャング抗争の今と、そこで働く医療のリアルを発信するという企画で、僕の1日にカメラが密着し、日々の緊迫した業務を撮影したのだ。最後に僕は、記者からこんな質問を受けた。「ハイチの人々は希望を失っている。この現状も終わりが見えない。あなたはこの国を離れたいか、それとも残りたいか?」と。
少しだけ答えに迷ったけれど、僕は心のままにこう話した。
「いつだって未来のことを考えている。家族のことも、友達のことも。この国のことだってそうだ。 この国を離れるという選択肢は、いつだって僕にあるけれど、そうしなかった。この地は僕の生まれ育った場所であり、人生が詰まっているんだよ。それに、僕ら(医者を含む医療者)がいなくなったら、傷ついた患者たちはどうすればいいんだ?僕たち医療者は、常に限界の中で医療をしている。だから、いつだって強くあらねばならないんだ。
この混沌の中で、僕が取り得る選択肢は三つある。
一つ。国際社会がこの紛争が終わるように動くこと。
二つ。私たち自身が立ち上がり、革命を起こすこと。革命だ。
三つ。あきらめること。 自分たちじゃどうすることもできない。他力を信じて待つ。でも、耐えきれなくなって、待てなくなったら戦う。戦わなくちゃ。この国の未来も、僕の家族の未来もかかっている。でもね、僕にも家族がいるんだ。命を懸けるなんてリスクはとれないんだよ。だから、自ら命を捨てに行くようなことは絶対にしない。仮に革命を起こすとしても、僕には大きなリスクはとれないんだよ。もしも革命組織のリーダーになったとしたら、自分も家族も命を狙われるんだ。結局は他力による解決を信じるしかないんだよ。あなたにわかりますか?」
僕の言葉に(一番近くで)耳を傾けていた記者は、しばらくの間、返す言葉の最適解を探しているようだった。最後に一言、「ありがとう」と告げると、僕たちは固い握手を交わし、記者はその場をあとにした。
ハイチ編を振り返って
世界には、声にならない叫びがたくさんある。立ち上がることも、声を出すことも、生きるための選択をすることさえ叶わない現状がたくさんある。
筆者はハイチで、ミシェルをはじめ現地の医療従事者たちと共に数々の暴力に傷ついた人たちの治療に携わった。そこでニュースではわからない現地医療者たちの置かれる状況や葛藤を目の当たりにした。
ミシェル医師がメディアの取材を受けた後、記者と交わした握手に込められていたのは、世界が変わる希望か、それとも諦めか、どちらだったのだろうか。
いずれ世界が動き、ハイチの現状が良い方向に向かい始めた時に初めて、二人の握手には希望が込められていたと言えるのかもしれない。筆者は、その日を今かいまかと待っている。そして、現地に身を置く医療者であると同時に伝える側の一人でもあり続けたいと、強く思っている。















