ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全権を掌握した」と宣言してから3年以上が経過しました。この間、クーデターの動きを予測できなかった反省から、30年にわたり撮りためてきた約17万枚の写真と向き合い、「見えていなかったもの」や外国人取材者としての役割を自問し続けたフォトジャーナリストの宇田有三さんが、記録された人々の営みや街の姿からミャンマーの社会を思考する新たな挑戦を始めました。時空間を超えて歴史をひも解く新連載の第2話です。
②<お金>
ミャンマーに入国して、まず最初にすることは、現地通貨への両替であろう。
今回は、ミャンマーにおけるお金に関連する写真をいくつか紹介したい。
ミャンマーの通貨単位はチャット(Kyat=K)
※2024年4月4日現在、1USドル、公定レート 2,100K 実質レート 約3,880K

2008年時点で 1米ドルの交換レート1,250K前後だった。
US300ドル交換すると、375,000K となる。
写真に写っている 1,000K札(当時の最高額紙幣)で、375枚にもなる。(c)筆者撮影

8年後の2016年には 5,000K 札(2009年発行)も見受けられ、持ち歩く札束の量も減った感だった。(c)筆者撮影

ミャンマー(ビルマ)社会は基本、現金社会。
あちこちで札束を数える姿を見かけた。(マンダレー、2007年)(c) 筆者撮影

ヤンゴンの下町を歩いていたら、2人がかりで荷物を運ぶ場面に出くわした。
荷物を運んでいた人に話を聞くと、現金を車に積み込むところであった。(ヤンゴン、2019年)(c)筆者撮影

町中で流通していた紙幣。100チャット札(2008年)(c) 筆者撮影

町中で流通していた紙幣。50チャット札(2008年)(c) 筆者撮影

仏具店で売られていた紙幣で作られた風車(マンダレー、2005年)(c) 筆者撮影

仏具店で売られていた紙幣で作られた風車(マンダレー、2005年)(c) 筆者撮影

得度式に参加した子どもたちが、紙幣を折った装飾品を手にして式の行進に参加する。(ラカイン州・ミャウウー、2010年)(c) 筆者撮影

外国人が政府の事務所で支払いをする際、米ドルやチャット(K)ではなく、兌換券(当時)での支払いが求められた。
さらに、その兌換券を使用する際、氏名と通し番号の記入が必要であった(ヤンゴン、2007年)。ミャンマー(ビルマ)に入国する観光客は入国時に、ミャンマー国内だけで通用する兌換券への強制両替(300ドル~100ドル:1993年~2013年)が必須であった。(c) 筆者撮影

ミャンマーの信仰は大きく、表の上座部仏教と裏の精霊信仰(ナッ神)で成り立っている。
全身に紙幣を身につけたナッカドー(精霊信仰の神に仕える者〈妻〉)が、タウンビョンの祭り(精霊信仰の一つ)で踊り回る。(マンダレー郊外、2007年)(c) 筆者撮影

財布の代わりとして、下着の中に紙幣を隠す女性も見かけた。(ヤンゴン、2007年)(c) 筆者撮影

町中を歩き回り、現金を手にした若い尼僧たちが、紙幣を数える(マンダレー郊外、2007年)。
上座部仏教社会では、男性僧侶と女性僧の生活様式や托鉢様式も異なる(托鉢の時間や在家信者からの寄進物など)。(c) 筆者撮影

寺院に設けられた寄進箱の多くは外から丸見えだ。(マンダレー、2003年)(c) 筆者撮影

商売繁盛を期待して、紙幣を商品(レンタルDVD)にこすりつける。(エーヤワディー地域・パテェイン、2007年)(c) 筆者撮影

金銭的な役得を期待して、紙幣をナッ神の像にこすりつける。(シャン州・カックー遺跡、2007年)(筆者撮影)

5カ国(タイ・ラオス・中国・インド・バングラデシュ)と国境を接するミャンマー。
タイ国境周辺では、ミャンマー国内であってもタイ通貨のバーツ、中国国境周辺では中国通貨の元、インド国境では写真のようにインドの通貨ルピーが使われている(ザガイン地域・タムー、2018年)(c) 筆者撮影
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過去31年間で訪れた場所 / Google Mapより筆者作成
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時にはバイクにまたがり各地を走り回った(c) 筆者提供